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しおりを挟むしばし店内ではサイフォンと調理の音のみがBGMとなる。
器用に一連の動作を行う店主の手元を見ていると、サイフォンはコポコポという音や抽出までの工程が中々趣深い。自分で淹れるときはペーパードリップがほとんどだが、今度マシンを買ってみようかな、と思った。
美味しいコーヒーを淹れて竜次郎が喜んでくれたらと思うが、それほどこだわりはなさそうなので、『SILENT BLUE』の仲間に飲んでもらうのもいいかもしれない。
そんな呑気なことを考えていると、やがて抽出を終えたコーヒーの注がれたカップが、すっと湊と八重崎の前ではなく、中尾の前に置かれた。
自分達より先におかわりを頼んでいたのだろうかと思ったが、中尾は訝しげな顔をしている。
「あちらのお客様からです」
示された対角のカウンターの端からは中腰で顔半分だけ出した八重崎がじっと中尾を見つめている。手は何故かダブルピース。
それを見て中尾は青筋を立てて顔を歪めた。
「何だ手前ェは」
ごもっともです。
中尾の当然のツッコミに内心同意していると、八重崎は用意してあった色紙を出しておもむろに歩いていく。
慌てて、湊もその後を追った。今の中尾からは暴力の気配は感じないが、八重崎にもしものことがあってはオーナーや三浦に顔向けできない。
一メートルほどの距離まで近づくと、ツインテールの美少女はそっと色紙とサインペンを差し出した。
「三浦八重子……です。マブダチの湊がムネハルに会ったって言うから八重子もサイン欲しくて……あとツーショでチェキ……お願いします……」
「俺はアイドルか何かか?するわけないだろ」
棒読みのファン宣言を切って捨てた中尾に「まあまあ」とフォローを入れたのは、店主らしき人の穏やかな声だ。
「それくらいいいんじゃない?わざわざこんなところまで来てくれたんだし」
「いや、お前は何でこんな得体の知れない奴らに好意的なんだよ」
「お客さんには誰にでも好意的だよ僕は。それに、宗治に果し状じゃなくて色紙を持ってくる子なんて初めて見たから大事にしないと。あ、僕は水戸直紀です」
謎の女子高生に律儀に名乗っている。水戸は見た目に違わずとてもいい人のようだ。そして、どうやら中尾とは随分と仲が良さそうで、ただの行きつけの店の店主と客という雰囲気ではない。
中尾が「名乗るな」とものすごく嫌そうな顔をしているので、湊もフォローしようとたたみかけた。
「中尾さん、おくつろぎのところに突然押しかけてしまってすみません」
「そんでお前は何でスルーしてやったのに話しかけてきてんだ」
「えーと…俺も中尾さんと仲良くなれたらなって」
聞いた中尾はくっと皮肉げに口角を上げる。
「は、あの野郎手前ェのオンナ差し出して白旗でもあげるつもりなのか?」
「今日来たのは竜次郎の指示とかじゃなくて、自分の判断です」
最終的には二人が仲良くしてくれるのが一番いいのだが、そこをゴリ押していくのはあまり得策ではないだろう。まずは湊に好感を持ってもらい、パイプ役ほどではないにしても完全に松平組に敵対するのを防げればそれでいい。
中尾は湊の真意を探るようにじっと見据えてきた。
信じてもらうためにそれを真摯に見つめ返すと、割り込むようにしてツインテールが視界に割り込んできくる。
「湊は八重子のマブダチ……ムネハルといえども渡せない……」
「八重子、お前は黙ってろ」
ぞんざいな扱いとはいえ既に中尾に普通に名前で呼ばれている。八重崎のコミュニケーションスキルはすごいと思うが、上級者向けすぎてどこを真似すればいいのかわからない。
「……まあいい。今俺はこの店のただの客だ。邪魔をしなければ手前ェらに手は出さねえ」
中尾は唐突に興味をなくしたかのように、そう宣言すると、コーヒーを飲み干し、金を置いて出て行こうとする。
信じてもらうことはできなかったかと肩を落とした湊の前から小さな影がさっと動いた。
「ムネハル、サインは……」
「しねえっつってんだろ!」
この空気の中なお押し込んでいく八重崎の不屈さはやはりすごい。
脱力しながら、やや乱暴な開閉音と共に出て行く中尾を見守った。
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