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しおりを挟む「ちー様……」
「…何だ?」
ましろの微かな緊張が伝わったのか、天王寺は表情を改めた。
「あの頃のことで、お聞きしたいことがあります。転校される直前…最後に話したときのこと、覚えていますか…?」
天王寺は今はましろのことを好きだと言ってくれたのだから、嫌な気持ちにさせた時のことを掘り返す必要はないのかもしれない。
だが、わからないままにしておいたら、また同じことを繰り返してしまう可能性もある。
『お前は、何にでも「はい」っていうんだな』
あの時、ましろは何に対して「はい」と言ったのか。
怒らせたことを忘れてしまったなんて、申し訳ないとは思いながら、素直に、ずっと気になっていたが思い出せないので何を話していたのか教えてほしいと頼んだ。
天王寺は気分を害したようではなかったが、しかし詳しい記憶を辿るようにしばらく考えこんだ後、徐々に難しい顔になっていく。
「ちー様……?」
思わず呼び掛けると、ましろが不安になったことに気づいたのか、はっとして表情を和らげた。
「あの時は……。別にお前に怒ったわけじゃない」
「そう……なのですか?」
「ああ。だから、もう気にするな」
「え……」
何故か、早急に話を打ち切ろうとしている。
一瞬、言いたくないことなら……と諦めてしまいそうになったが、やはり聞いておかなくてはと思い直し、食い下がった。
「で、できればその時のことを、詳しく教えていただきたいのですが……」
「……………………」
黙り込んでしまった天王寺に、それほどまでに掘り返したくないようなやりとりがあったということなのかと不安が募る。
ならば、今じゃなくても、話してもいいと思えるようになったらでいいと言おうとした時、天王寺が、とても渋々重い口を開いた。
「あの時俺は、お前に……、一緒に逃げてくれるかと聞いたんだ」
「……、え……………?」
ましろが驚くと、諦めたように一つ息を吐いた天王寺は、当時の気持ちをきちんと話してくれた。
あの頃、天王寺は、本当に追い詰められていた。
膨らみ続ける両親への不信。だが、一人で生きていくと決断できるほどの力も覚悟もなく、鬱屈した気持ちは積もっていくばかりで。
唯一そばにいて欲しいと願うましろのことを裏切らざるを得ない、身動きの取れない状況で、逃げ出したいという気持ちが、ぽろりと溢れてしまったのだという。
『もし、俺が一緒に逃げようって言ったら、ましろは……ついて来るか?』
その時の自分の答えは、思い出せなくても容易に想像できた。
幼いましろは、何も考えずに「はい」と即答しただろう。
現状から逃げ出したかったのは、ましろも同じだったから。
きっと、とても嬉しかったのだ。家に帰らなくていい、大好きな天王寺と、ずっと一緒にいられると、そうなったらどんなにいいだろうと夢が膨らんでしまったに違いない。
だから、否定されたことが本当にショックで、その部分に鍵をかけたのか、聞いても思い出せないということは、記憶から消してしまったのか。
幼い天王寺は、こんな不確かな言葉に笑顔で頷いた無防備で純粋すぎるましろが心配で、…腹立たしくて。それでも全てを晒して諭せるほど大人でもなく、また話せないことも多すぎたため、怒って……突き放すしかできなかったのだ。
「俺も子供だったと思うが、自分も辛かったとか、そういうことは理由にならないな。あの時のことを、そんなに気にしていたなんて思ってなかった。……すまなかった」
「そ、そんな、ちー様は、何も悪くないです」
ちゃんと覚えていたら、もっと早くに天王寺の好意を信じられたかもしれない。
いやむしろ、長じてから『逃げよう』という言葉を思い出したら、天王寺が追い詰められていたことを察し、彼の身を案じて自分から様子を見に行って、違う形で再会を果たせていたかもしれなかったのに。
……少なくとも、先日の再会の時、あんなに怯えずに済んだかもしれないと思うと、己の弱い心が憎かった。
「大事な……ことだったのに。忘れてしまって、ごめんなさい」
「……お前は優しいな。気にするなと言っただろ」
起き上がってしゅんと謝るましろの頭を優しく撫でてくれた天王寺は、穏やかだが、どこか強い眼差しでましろを見つめていた。
「今度は……逃げない。それに万が一そんな事態になっても、お前の意向は確認しないからな」
「え……?」
発言の意図を掴み損ねて聞き返すと、天王寺は何故かむっと眉を寄せる。
「離してやらないって言っただろ。どこにいく時も、連れていく」
「それは……」
それは、ましろがしてほしいことだ。
「はい、私もずっと…お傍に置いていただきたいです……!」
「……よし」
満足そうに頷く表情が、幼い頃、教えてもらったことをきちんとできた時に褒めてくれた時と同じで、ましろは思わず口元を綻ばせた。
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