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しおりを挟むその後、天王寺に言われた通り風呂にゆっくり浸かって温まったおかげで、体調は崩さすに済んだ。
翌日はなんとなく落ち着かない気持ちのまま出勤したが、天王寺は店に現れなかった。
接客中は会話に集中できるが、指名の合間にぼんやりしてしまって、仕事中にこれではいけないと己を戒める事数回。
いっそ店長に天王寺は今日は来ないのかと聞こうかと思ったが、何故それを知りたいのかと問われたら、うまく説明できる自信がない。
結局退勤するまで、そわそわとドアの方を見るのをやめられなかった。
その翌朝。
あまり寝起きのよくないましろが、目覚めてからもベッドの上でぼーっとしていると、スマートフォンが短く鳴動した。
緩慢な動作で手を伸ばし確認すると、碧井からのメッセージだった。
『今日、ランチどう?』
店から歩いて行ける距離に、ましろと碧井の行きつけのカフェがある。
紅茶専門店のティールームで、ホットサンドをつまみながら色々な紅茶を試すのが、二人の楽しみだ。
碧井は元町の南側、観光地としても有名な山手の高級住宅街に家を借りて一人で住んでおり、『他に誘う人もいないし、付き合って』という体でよく食事に誘い出してくれる。
こんな風にランチを一緒にするようになったのは、ましろが朝が弱く、起きてもぼんやりしていて昼食を食べ損ねることがある、という話をしてからなので、心配して誘ってくれているのだろう。
話すことが好きな碧井と話を聞くことが好きなましろ。
容姿も性格もずいぶん違う二人だが、不思議と気が合って、ランチ以外にも連れだって出掛けることは多い。
「うーん……いつもながらここの紅茶は最高だね」
グラスから口を離した碧井が、しみじみと唸る。
ソーサーにカップをそっと置きながら、ましろも頷いた。
「茶葉を買って行っても、自分で淹れるとなかなかこんな風に美味しくならないですよね」
「それ。アイスティーとか濃いか薄いかどっちか」
マドラーでグレープフルーツのセパレートティーをカランと混ぜた碧井は、一つ溜息を吐いて遠い目になった。
「……なんか、人生ってうまくいかないことしかないよね」
「ミドリでもそんな風に思うことがあるのですか?」
驚いた。
大抵の人はましろより要領がいいように感じるが、その中でも碧井は更にすいすいと世の中を渡っていると思っていたのに。
「俺、いつも愚痴ばっか言ってる気がするけど、その切り返し?」
「ミドリの話は、案件自体は既に片付いていて、誰かに話せば気が済んで終わることばかりなので」
「その時は終わっても継続的に駄目な案件とかあるでしょ。主に恋愛とか恋愛とか恋愛とか」
「ああ……」
碧井はゲイだ。
LGBTという言葉が広く認識されるようになり、世間の風当たりは多少ましになったのではないかと思うが、異性愛者だからといって必ずしも恋人ができるわけではないように、根本的な悩みは解消されないらしい。
小柄で童顔、可愛いと称賛されることの多い容姿のせいか、男役(『タチ』というのだと教えてもらった)の相手ばかり寄ってきてしまうらしいのだが、碧井もまたタチだ。
気の合う相手がいても、その辺りの不一致で恋人にならずに終わることが多いという。
たまに需要と供給が一致することもあるようなのに、何故かそれも長続きしないのだった。
「今度の人とはうまくいっている風だったのに。何かあったのですか?」
「なんかね……俺と歩いてると浮くからやなんだって……。まあ一度職質されたことあったし、それからかなー……」
容姿がかわいいというのもいいことばかりではないようだ。
「昼間は鬼軍曹で夜は可愛く乱れてくれるゴリラ系イケメンどこかにいないかな……」
「好みが限定的すぎるから見つからないのでは……?」
具体的だが、そういう人と今まで出会ったことがないのでどんな風か想像もつかない。
確実に言えるのは、そういう人と碧井とでは、職務質問をされる絵面になってしまうのもやむなしということである。
人生は、うまくいかないことが多い。
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