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しおりを挟む半引きこもりの生活を一週間も過ごすと、何もしていないのも手持ち無沙汰で、また働いている家主にも申し訳なく、とりあえず一生懸命家事に取り組むことにしてみる。
実家ではハウスキーパーを雇っていたので、冬耶は今までほとんど家事をしたことがなかった。
この家で暮らすようになってから、晴十郎に一から教えてもらったのだ。
基本的には私がやりますから、と言いながらも料理や掃除の仕方を熱心に教えてくれたのは、恐らく実家に戻るという選択肢は選べないであろう冬耶が一人で生きていけるように、という気遣いだろう。
お陰様で、晴十郎のように完璧にこなせるわけではないが、一通りのことはできるようになった。
半引きこもり生活を始めてから八日目の午後、晴十郎から日用品や食材などを買い足すよう頼まれていた冬耶は、買い物に出かけた。
頼まれたもの以外に必要なものがあるだろうかと考えながら、スーパーまでの道をぶらぶらと歩いていると、後ろから「なあ、ちょっと」と声をかけられる。
声をかけられるようなあてはなかったが、同じ方角に歩いている人がいないので、自分のことだろうか?と足を止める。
「真冬さん…、あんた、真冬さんだろ?」
どうやら本当に自分のことだったらしい。
街中で源氏名で呼ばれると、なんだかドキッとしてしまう。
改めて振り向くと、そこに立っていたのは、二十代前半だろうか、アッシュの短髪、黒いスウェットの上下に牙をむく蛇がプリントされたパーカーを羽織り、ごついアクセサリーをジャラジャラとつけている痩せた若い男性だ。
見覚えはなく、恐らくだが『JULIET』の客ではなさそうだ。
…とすると、御薙の関係者だろうか?
今はメイクもしていないし、スカートどころかストレートジーンズにごく無難なスウェットシャツという、完全に近所に出かける時の格好だ。よく自分が『真冬』であると気付いたなと思う。
冬耶が何と返事をしてよいものか迷っていると、男はそのまま話し始めた。
「実は……あんたのことで若彦の兄貴と御薙の兄貴が揉めてるんだ」
「え……、」
冬耶の脳裏に、先日の『JULIET』での一幕が浮かぶ。
あまり良い雰囲気とは言えなかったし、実際御薙も跡目のことで揉めていると言っていた。
途端に心配という二文字が頭を擡げたが、自分と御薙の関係は既に終わっている。
もともとあった確執のようだし、もはや『真冬』のことで揉める必要はないのではないか。
自分の体の話をするわけにはいかないので、核心を避けながら彼とはもう会わないことを告げると、男は難しい表情で考え込んだ後。
「だったら、事務所まで来てその話をしてくれないか。御薙の兄貴の立場も、このままじゃまずいんだ」
切実そうに迫られて、青年のやけに切羽詰まった様子に心が揺れる。
自分が御薙のためにできることが、まだあるのだろうか。
「……わかりました。一緒に、行きます」
悩んだ末頷くと、近くに停まっていた黒いSUVに誘導された。
事務所までは少し歩くものの十分に徒歩圏内だが、御薙も車で行き来していたからそのようなものなのだろうと思っていたが、滑り出した車は、ぐんぐんとスピードを上げ、やがて高速道路に入ってしまう。
「あの、事務所って……」
焦って聞いたが、隣に座る青年は無表情で応えない。
代わりに運転しているもう一人の男がニヤニヤしながら答えた。
「あー、海の方にもう一つ事務所があんだわ」
その態度で、ようやく気付いた。
自分は騙されたのだ。
冬耶は固まったまま、ぐるぐると考える。
決死の覚悟で車を降りるか?
もう少し早く気付けば、信号で止まったタイミングだってあったのに、いやむしろ声をかけられたときに逃げていればと、自分の鈍さを呪う。
冬耶は生まれた時から、よく管理された社会を、ただ親の望むようにぼんやりと生きてきた。
『JULIET』で働くようになって、自分が隔絶された社会を生きていたのだと気付いてからも、特に危ない目に遭ったことはなくて、御薙はヤクザといっても心配になるくらいいい人だったし、彼といて危険を感じることはなかった。
だから、こんなことがあるとは思ってもみなかったのだ。
これから、何が起こるのだろう。
本能は、とにかく逃げたいという信号を出している。
ただ、自分のことはともかく、若彦とのトラブルで御薙に危険が迫っているかもしれないというのは気になる。
先日の雰囲気からして、御薙とのかけひきのために真冬を誘拐したのは間違いないだろう。
とすると、自分が行けば御薙にとって悪いことしかないではないか。
遅まきながらそれに思い至り、衝動的に車のドアに手をかけた。
だが、当然のことながら、後ろから腕を引かれて止められる。
「ドアは開かない。御薙の兄貴を思うなら、静かにしてろ」
腕を掴む力の強さと瞳の昏さに、冬耶は怯えて動きを止めた。
「そうそ。大丈夫、ちゃーんと御薙の兄貴も呼んであるから」
運転席の男が放った軽い言葉に、冬耶はなす術もなく唇を噛むことしかできなかった。
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