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しおりを挟む静かになってしまった店内の雰囲気を変えたのは、一人のキャストの声だった。
「も~怖かったァ~。この震えを止めるにはお値段の高いお酒飲むしかないかも~」
メノウだ。
隣に座る彼女の常連客が、「えぇ?新しいのさっき一本入れたばっかりなのに?」と大袈裟に目を剥く。
少しわざとらしいそのやりとりで場が和み、店には元の空気が戻ってきた。
彼女の機転と、それに上手く乗っかってくれる常連客には、感謝の気持ちしかない。
営業時間が遅い店では、来店時に既に酔っぱらっている客なども多いため、トラブルが起こることはままある。
一応仁々木組のシマ内なので、別の組のヤクザは来ない(と思う)が、柄の悪い客というのはヤクザだけではないのだ。
一般人にも、横柄な客は一定数いる。
大抵は、国広によって外へと連行され、無駄に抵抗しようものなら、ボディランゲージによりわからせられる運命をたどるのだが。
しょっちゅうではないが、皆無ということもないため、客も従業員もそれなりに慣れているのだ。
店内に活気が戻りほっとしていると。
「悪かったな」
突然の謝罪に、冬耶は隣にいる御薙を見上げた。
「組の事情に、巻き込んじまって」
「いえっ…、そんな、驚いたけど、私は特に何事もなかったですし」
はずみで暴行を加えられた人はいたけれども。
みなまで言わずとも冬耶の言いたいことがわかったのだろう。御薙は苦笑して、まだ目つきの悪い国広の方を向く。
「国広、お前はそう簡単に玄人に手を出すなよ」
「俺がムカついた奴には暴行を加えていいって六法全書に書いてあるんで、合法です」
「そんな個人的な六法全書があってたまるか」
国広の世界では、国広が法律のようだ。
「個人的に報復に来るようならフルボッコにしてやりますよ。そんなことより、今の騒動でちょっとお客様減っちゃったかもな~。誰かその穴埋めをしてくれないかな~」
不機嫌そうな表情から一転、国広はギラギラと御薙を見つめている。
一瞬、何を言っているのかと思ったが、すぐにハッとした。
「ちょ、店長、そういう強引な客引きは良くない……」
「あっ、お持ち帰りでもいいですよ!」
聞く耳持たず、御薙の方にぎゅうぎゅうと押し付けられて、焦る。
「ご、ご迷惑ですから…。御薙さんにも、予定ってものが」
今日の彼は、客として来てたまたまあの場に遭遇したというよりも、わざわざあの『若彦』を止めに来てくれたように見えた。
ということは、今夜は忙しいのではないか。
最近毎晩のように会っているような気がするし、どんなことをしているのかは知らないが、御薙にも仕事があるのでは。
一縷の望みをかけて、遠慮をしてみた冬耶である。
そっと御薙を見上げると、彼はちょっと視線を外して、頭を掻いた。
「あー、じゃあ、そうだな。俺の部屋でもよければ」
そして希望は、粉々に打ち砕かれたのだった。
何故いつもこうなってしまうのか、自分は前世で何か人の道に背くことでもしてしまったのか。
正直、接待はせめて、今夜五十鈴の話を聞いてからにしたかった。
店を出る直前、こっそり国広に抗議してみたのだが、「金や時間を使わせて申し訳ないと思うなら、きっちり奉仕してこい」と、逆に退路を断たれてしまった。
これが本当にただの仕事だったら、冬耶もできる限り色気のある展開を避け、酒と話だけでうまく時間を潰すことを考えられただろう。
だが、御薙と二人でいると、もっと触れられたいとか、もっと一緒にいたいとかいう欲が出て、打算や駆け引きができなくなってしまう。
彼のことが、好きだから?
恋とは、これほどまでに意思力を奪うものなのか。
車で御薙のマンションに行き、部屋に入るとソファに座るよう促され、ビールでいいか、と聞かれて頷いた。
本当は冬耶が給仕を買って出るべきなのだろうが、御薙にはまったくさせる気はなさそうだ。
他人に自分のキッチンをあれこれされるのが嫌いな人もいるだろうとも思い、冬耶は手持ち無沙汰のまま座っていることしかできない。
本来、同伴にしろアフターにしろ、客の車や家など、プライベートな空間は避けるのが基本だ。
肉体関係を持つのも、禁止されてはいないが、よいことではない。
つまり、この事態はマニュアルにないことで、冬耶にはどうしているのが正解なのかわからなかった。
ふと、窓ガラスに映し出された、所在なさげにソファに座る『真冬』の姿が目に入る。
レースのあしらわれたミニ丈のドレス姿の自分の輪郭が、今はやけにぼやけて見えた。
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