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しおりを挟むさすがに顔を見て言うほどの勇気はなくて、食べかけのうどんへと視線を落としたまま。
こんなことを言い出して、頭のおかしい奴だと思っただろうか。
自分が彼の立場でも、突然こんなことを打ち明けられても対応に困ってしまうだろうとは思う。
笑い飛ばされるか、さりげなく流されるか、しかし相手の反応は、予想とは違ったものだった。
「昨日までは…ということは、今日になったら突然変化していて、それは貴方の望まざる姿だった…ということですね?」
冷静に状況を確認されて、少し驚きながら頷く。
「こんなことを、親はきっと信じてくれません。見つかったらどんなことを言われるか、怖くて…、咄嗟に家を出て、あてもなく歩いていたんです」
「……それは、心細かったことでしょう。お辛かったですね」
はっとして顔を上げると、深い労りの眼差しとぶつかり、胸が詰まった。
鼻の奥がツンとして、慌てて茶化す。
「でも、もう苦手な勉強もしなくていいから、よかったのかも」
「平坂さん」
静かに、だが力強い声で遮られて、冬耶は言葉を止めた。
「そうして、辛い気持ちを誤魔化してしまうことは、よくありませんよ」
「つらい、なんて」
自分は両親の望むほどに勉強に打ち込むこともできず、だからといって他にやりたいこともないから、与えられた道から逸脱しようとすらしてこなかった、臆病者だ。
こんな風に労られる資格など、ないのではないだろうか。
たどたどしくそれを伝えると、高原はそれは違うのだと首を振った。
「貴方の気持ちは、貴方だけのものです。望んでやめたことであれば、それは「よかった」のかもしれませんが、望まないのに「できなくなった」のであれば、怒ったり、悲しんだりすることは自然な気持ちです。周囲がどう思うかは関係ない。貴方が感じたことを、否定せずに、大切にしてあげてください」
今まで、そんなことを言ってくれた大人はいなかった。
誤魔化しきれなくなって、気持ちが零れ落ちる。
それははらはらと頬を濡らし、厚い木製のカウンターをも濡らしていく。
目を擦ると、高原がハンカチを差し出した。
冬耶は素直に受け取り、堰を切ったように零れ落ちる涙を拭う。
「…ぅ、うそって…、おもわないんですか…?」
「私を信頼して打ち明けてくださった話です。もちろん、信じますとも」
「おれ、どうしていいか、わからなくて……っ」
「それはそうでしょう。私も、貴方よりも随分と長く生きておりますが、朝起きたら突然性別が変わってしまっていたという話は聞いたことがありません。私が平坂さんでも、とても混乱したと思います」
高原は、零れ落ちる言葉の一つ一つに、丁寧に言葉を返してくれた。
全てが、大切な気持ちなのだと教えるように。
「今はまだ、混乱しているでしょうが、でも大丈夫ですよ。一緒に考えましょう」
「い、いっしょ、に……?」
「ええ。突然変化したということは、また突然戻るかもしれません。世界は広いですから、探せば戻す方法が見つかるかもしれません。或いは、その身体のまま、新しい人生を生きてみるという選択肢だってあります。平坂さんが、平坂さんらしく生きられるよう、私も力をお貸ししますから」
「どうして……そんな風に言ってくれるんですか?さっきまで知り合いですら、なかったのに」
「困っている人を助けたいと思うのは、ごく普通のことではないですか?」
「それは、そうですけど……、」
「私はこの通りもう年で、随分と自分勝手に生きてきましたから、そろそろ誰かのためになることをしてもいいかと思っています。そう、年寄りの道楽…といったところですね。いやいや、道楽などと言っては、不謹慎かもしれませんが」
冗談めかした言い方に、冬耶はぎこちなく微笑みを返した。
あまり自分のことを運がいいとか思ったことはなかったが、この人に出会えたことだけは、過ぎたる幸運だと思っている。
回想を終え、上品な仕草でオムライスを口に運ぶ、あの頃と全く変わらぬ老紳士をこっそり盗み見ながら、冬耶も残りのオムライスを有難くいただいた。
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