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数秒のパニックの後、浮かんできたのは「逃げなくては」という危機感だった。
連れ込んだキャバ嬢が実は男でした、なんて、接待としては完全にアウトだろう。
おまけに男に戻った自分は、彼の昔の知り合いでもある。
昔の知り合いだった男が、女装して別人のふりで現れて肉体関係込みの接待なんて。
普通なら騙されたと怒るか、むしろどんなつもりでこんなことをしたのかと引くのではないだろうか。
接待の失敗に怒る店長の顔と、彼の軽蔑の眼差しを想像すると、鳩尾のあたりが冷えて重くなってくる。
「(……やっぱり、逃げよう)」
『真冬』はサイズの微妙に合わなくなった服を慌てて身につけ、その部屋から逃げ出した。
今でこそ女性として、キャバクラ『JULIET』のキャストをしている『真冬』だが、本名は平坂冬耶といい、生物学的には男性としてこの世に生を受けた。
男性に生まれついたことに特に不満はなく、特段「女性に生まれたかった」と思ったこともない。
初恋は男の人だったけれど、子供の頃のことで憧れとの境目も不明だったし、そもそも数年前までの冬耶には、恋愛や己の内面のことに目を向ける余裕もなかった。
冬耶には、やらなければならないことがあり、また他に心を悩ませることがあったため、『性』にまつわる全てに、勉学以上の意味を見出してはいなかったのである。
それなのに。
高校卒業まで数ヶ月というある日……冬耶の体は女性になっていた。
朝起きたら、己の胸部には、昨日までなかったはずの(そこそこの大きさの)膨らみが備わっていて、下腹部にあったはずのものは跡形もなく、(一見して)ただのすじと化していたのである。
稀に、大まかに性分化疾患という名称でまとめられる、先天的に両性の特徴を有した身体で生まれてくる人はいるようだが、そういうレベルではありえない変化だ。
鏡の前で、ものすごく恐る恐る触ったりして確かめてみたところ、首から下は生物学的な女性としての特徴を完全に備えており、また顔や髪質も、男性の時とは少し違っているようであった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
どれほど考えてもわからなかったが、息子が突然こんな姿になってしまったことを保守的な考えの両親が受け入れてくれるとは思えず、冬耶は家を出た。
そして……それ以来、冬耶の身体が男性に戻る気配はなかった。
……なかったのに。
夜明け前の暗い街を走りながら、冬耶は心の中で叫んだ。
「(何で今、よりによって一番戻ってほしくない瞬間に男に戻ってるんだよ……!)」
今までの自分の人生、幸運の神様女神様からあまり好かれていない気配は感じていたけれど、それにしたってこれは酷すぎる。
だが、財布すらない状態で、彼のマンションと現在住んでいる場所が、一応徒歩圏内だった幸運には感謝すべきだろうか。
おそらく寝ているであろう家主を起こさないように、こっそりと家の中を移動して、与えられている自分の部屋に戻ってくると、冬耶は服を脱ぎ捨ててベッドに潜りこんだ。
そして、急に具合が悪かったことを思い出し、気を失うようにして眠りに落ちた。
だが、安らかな眠りはそう長くは続かなかった。
ドアを叩く音で、うっすらと意識が浮上する。
うるさくて、布団を強くかぶり直そうとしたが、それは許されなかった。
「おい、冬耶。いるんだろ。お前何俺の連絡シカトしてんだよ。開けんぞ」
無遠慮にドアが開き、覚醒した冬耶は慌てて起き上がる。
「て、店長……っ、勝手に」
「……お前」
ギョッと目を見開いた店長の視線が、自分の身体に突き刺さっているのを感じて、無礼を咎めようとした冬耶もつられてそれを追う。
「……あ……っ!」
寝ぼけていたせいで、服を脱いだことも、男に戻っていることも、すっかり忘れていた。
連れ込んだキャバ嬢が実は男でした、なんて、接待としては完全にアウトだろう。
おまけに男に戻った自分は、彼の昔の知り合いでもある。
昔の知り合いだった男が、女装して別人のふりで現れて肉体関係込みの接待なんて。
普通なら騙されたと怒るか、むしろどんなつもりでこんなことをしたのかと引くのではないだろうか。
接待の失敗に怒る店長の顔と、彼の軽蔑の眼差しを想像すると、鳩尾のあたりが冷えて重くなってくる。
「(……やっぱり、逃げよう)」
『真冬』はサイズの微妙に合わなくなった服を慌てて身につけ、その部屋から逃げ出した。
今でこそ女性として、キャバクラ『JULIET』のキャストをしている『真冬』だが、本名は平坂冬耶といい、生物学的には男性としてこの世に生を受けた。
男性に生まれついたことに特に不満はなく、特段「女性に生まれたかった」と思ったこともない。
初恋は男の人だったけれど、子供の頃のことで憧れとの境目も不明だったし、そもそも数年前までの冬耶には、恋愛や己の内面のことに目を向ける余裕もなかった。
冬耶には、やらなければならないことがあり、また他に心を悩ませることがあったため、『性』にまつわる全てに、勉学以上の意味を見出してはいなかったのである。
それなのに。
高校卒業まで数ヶ月というある日……冬耶の体は女性になっていた。
朝起きたら、己の胸部には、昨日までなかったはずの(そこそこの大きさの)膨らみが備わっていて、下腹部にあったはずのものは跡形もなく、(一見して)ただのすじと化していたのである。
稀に、大まかに性分化疾患という名称でまとめられる、先天的に両性の特徴を有した身体で生まれてくる人はいるようだが、そういうレベルではありえない変化だ。
鏡の前で、ものすごく恐る恐る触ったりして確かめてみたところ、首から下は生物学的な女性としての特徴を完全に備えており、また顔や髪質も、男性の時とは少し違っているようであった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
どれほど考えてもわからなかったが、息子が突然こんな姿になってしまったことを保守的な考えの両親が受け入れてくれるとは思えず、冬耶は家を出た。
そして……それ以来、冬耶の身体が男性に戻る気配はなかった。
……なかったのに。
夜明け前の暗い街を走りながら、冬耶は心の中で叫んだ。
「(何で今、よりによって一番戻ってほしくない瞬間に男に戻ってるんだよ……!)」
今までの自分の人生、幸運の神様女神様からあまり好かれていない気配は感じていたけれど、それにしたってこれは酷すぎる。
だが、財布すらない状態で、彼のマンションと現在住んでいる場所が、一応徒歩圏内だった幸運には感謝すべきだろうか。
おそらく寝ているであろう家主を起こさないように、こっそりと家の中を移動して、与えられている自分の部屋に戻ってくると、冬耶は服を脱ぎ捨ててベッドに潜りこんだ。
そして、急に具合が悪かったことを思い出し、気を失うようにして眠りに落ちた。
だが、安らかな眠りはそう長くは続かなかった。
ドアを叩く音で、うっすらと意識が浮上する。
うるさくて、布団を強くかぶり直そうとしたが、それは許されなかった。
「おい、冬耶。いるんだろ。お前何俺の連絡シカトしてんだよ。開けんぞ」
無遠慮にドアが開き、覚醒した冬耶は慌てて起き上がる。
「て、店長……っ、勝手に」
「……お前」
ギョッと目を見開いた店長の視線が、自分の身体に突き刺さっているのを感じて、無礼を咎めようとした冬耶もつられてそれを追う。
「……あ……っ!」
寝ぼけていたせいで、服を脱いだことも、男に戻っていることも、すっかり忘れていた。
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