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しおりを挟む■都内某所 黒崎芳秀邸
「(チッ……決まり事とはいえ月に一度あの男のツラぁ拝まなきゃなんねえのが苦痛だぜ。さっさと俺が樋口組の親んなって黒神会を乗っ取らねえとな)」
白いスーツに首からかけただけの白いマフラー。オールバックに三白眼という、ヤクザ以外の何者でもない風体の黒神会直参樋口組若頭樋口隆也は、苛立ちを隠しもしない荒い足取りで、長く続く縁側を歩いていた。
この都心にあって無駄に広い屋敷すらも忌々しい。
樋口組は指定暴力団であり、マンションの部屋を借りることも車を買うこともままならないというのに、黒神会会長である黒崎芳秀は、極道者ですら眉を顰めるド外道でありながら、一つの規制を受けることもなくのうのうと暮らしている。
苛立ちの矛先は、自分の実父であり上司でもある樋口組組長にも向かっていた。
黒崎芳秀へと対抗意識を燃やす父は、事あるごとにその息子である征一郎と隆也を比べ、お前はここが劣っていると叱責を重ねた。
金儲けもできない脳筋のどこが自分より勝っているというのか。
人柄がよくて評価されるのは表社会だけだ。
父は最近その征一郎のことを、芳秀よりも御しやすそうだと話す。
それはつまり、征一郎が黒神会の二代目会長となることを認めているのと同じことではないか。
樋口組は、資金力で序列の決まる黒神会において、直参幹部でいられるだけの稼ぎはある。
行き詰まる同業者の多い中、裕福な組であると言えるだろう。
だが、そこで満足して現状維持を望むような日和った親父はさっさと引退すればいい。
いずれ自分が樋口組を率いて、天下を獲ってやる。
それが樋口隆也の幼い頃からの野望であった。
「あっ」
不意に庭から短く声が聞こえ、隆也は反射的にそちらを見た。
苛ついていたので気配に気づかなかったが、小さな背中が咲きはじめのつつじの前にしゃがみ込んでいる。
虫か何かでも見ていたのだろうか。
「行っちゃった……」と残念そうな声が続いた。
「(誰だ?)」
じっと観察していると、視線に気付いたのかその少年はこちらを向いた。
目が合うと、立ちあがりにこりと微笑む。
「こんにちは」
ドキン……!
胸に謎の不整脈を感じ、隆也は眉を顰めた。
「(…何者だ?こいつは)」
極道の屋敷にあまりにも似つかわしくない、清潔そうな容姿の少年だ。
プルオーバータイプのパーカーに八分丈のテーパードパンツというカジュアルな格好からのぞく手足は細く、傷一つない。
荒事とは無縁そうで、部屋住み……には見えないので、黒崎芳秀の愛人か隠し子か。
節操などという言葉とは無縁の男の屋敷なのでどちらでも驚きはしない。
詳細は不明だが、敷地内にいるのだから身内なことは確かだと思われた。
こちらを警戒していないのであれば、懐柔すれば色々と利用価値があるかもしれない。
そう算段していると、少年が細い首を微かに傾げた。
「お庭を見に来たんですか?」
ドキン……!(二回目)
「(何なんだ、さっきからこの『ドキン』は!)」
目つきの悪い隆也は子供には怯えられることこそあれ、こんな風に柔らかく微笑みかけられることなどない。
慣れぬ微笑みに動揺しているのか、自慢ではないが日々の飲酒喫煙過度のストレス等々により健康とは縁遠い生活を送っているので、本当に不整脈かもしれない。
弱気になりかけて、いや俺はまだそんな年じゃない、と思い直す。
そんなことよりも、相手が自分に好意的ならば、チャンスだ。
仲よくなっておいて損はないだろう。
「(いや、これは断じて俺がこいつに興味があるからとかではなく!)」
無駄に脳内で己に言い訳をする樋口は、ちびの男を惹き付ける体質について知る由もなかった。
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