忘れられし被害者・二見華子 その人生と殺人事件について

須崎正太郎

文字の大きさ
上 下
11 / 30
3 アルバイトの先輩 岩下久美《いわしたくみ》の話

11.アルバイトの先輩 岩下久美《いわしたくみ》の話 ③

しおりを挟む
「乙原先生……」

 その先生がファミレスに入ってきた瞬間に、二見華子さんの顔色が変わったの。
 あれはなんて顔だろうね。とにかく最初は驚いていたわね。
 なんであなたがこんなところに、って顔。

 まあ、それは当然よね。
 中学時代の先生がバイト先に登場したら、誰だって最初は驚くものだわ。

 でも、その後の顔が傑作だったわね。
 歪みに歪みきった顔。
 生気のない顔。

 まぶたをピクピクと痙攣させていた。
 悲しみにうち震えている表情だったわ。

 なぜか。
 すぐにピンときたわ。

 乙原先生ね、女の子を連れていたの。
 それもブレザーを着ていた、中学生の女の子。
 いかにも中学生らしい、二つ結びの、あどけない顔をした子でね。

 乙原先生は、その女の子と窓際の席に座って、楽しそうに笑っているの。
 女の子も、まんざらじゃなさそうに目を細めて、傍から見ていたら恋人同士のようだったわ。

 ひどい先生よね。
 どういう状況か知らないけれど、男の先生と女子学生が、二人きりでファミレスなんて。
 昼間とはいえ、このご時世、褒められた行動じゃなかったと思うわ。あたし、心の中ですごくその先生に腹を立てたもの。

 でもねえ。
 あたし、悪いけれど、ちょっと愉快だったわ。
 教師に言い寄られたとかバイト仲間に自慢していた二見華子さん。
 そんな彼女に、言い寄っていたという先生が、いまは別の女の子といかにも楽しげにファミレスにやってきているんだもの。

「二見さん。あれが、例の中学の先生なの?」

 あたし、面白くなって、二見華子さんに声をかけたの。
 もう、業務連絡しかしない関係になっていたのにね。
 二見華子さんの、敗北感むき出しみたいな顔が、もう楽しくて楽しくて。

「そうです」

 二見華子さんは、乙原先生と女子生徒のカップルを、一直線に見据えながら、声を震わせていたわ。
 尋常ならざる衝撃を、心に受けたのは間違いなかった。

 あたし、また面白くなって、

「いいの? 他の女の子と一緒だけど」

「ただ、ファミレスに来ただけみたい、ですから」

「でもあのふたりの笑顔、普通じゃないわよ。ただの先生と生徒の関係じゃない。あんたも見たら分かるでしょう」

 こうして思い返すと、あたし、すごく性格が悪いおばさんみたいね。
 でもねえ、あたしだって腹が立っていたのよ。
 二見華子さんの自慢の多さ、ミスの多さ、男に媚びる性格にね。

 だったら、ちょっと嫌味を言うくらい許されるはずよ。
 違うかしら? あんただったら、どう思う?

 どう思うかって聞いてるのよ。答えなさいよ。
 取材には関係ない? いいじゃない、これくらいのおしゃべり、答えてくれても。
 冷たいひとなのね、あんた。……ふん。まあいいわ。

 乙原先生と女の子は、ますます話が盛り上がっていてね。
 なにを話しているかは聞こえなかったけれど、互いにニコニコ顔で。
 しまいには、先生のほうが、ふざけたふうに、机の上にあった女の子の手を握ろうとしてね。

 その瞬間よ。
 修羅、っていうのはああいう顔を言うのかしら。
 怒り狂った顔をした二見華子さんが、

「わたし、いってきます」

 ぽつりとそう言って。
 ツカツカツカと、乙原先生たちのところへ向かったのよ。

 ありゃりゃ、と思ったわ。
 幸い、店の中には他にお客さんもいなかったから、二見華子さんの異様な空気に、気が付いたひとは誰もいなかったわ。
 あたしと、乙原先生と、その女の子以外はね。

「乙原先生」

 二見華子さんは、店中に聞こえるような、それは物凄い声音で、

「その子、誰ですか。よくそんな、恥知らずな真似ができますね」

 ええ、あれは嫉妬でしょう。
 本人は、中学時代の話、終わった過去の恋愛だと言っていたけれどね。
 やっぱり、二見華子さんの中では、燻《くすぶ》っていたんじゃないかしら。ふふふ。

 そうしたら、乙原先生、キョトンとした顔をしたの。
 なに言ってんの、という顔ね。
 相手の女の子も、呆然としていたわ。

 二見華子さんは、拳を握りしめて、いまにも飛びかかりそうだったわ。
 そうなったらさすがに、止めないとまずいけれど。
 でもあたしは、まだ遠くから眺めていただけ。

 だから、聞こえなかったのね。
 そのとき乙原先生が、なにかしゃべったのよ。
 相手の子なんか、ちょっとニヤッと笑ってた。

「…………」

 二見華子さんは、その言葉、その景色に、衝撃を受けたようだったわ。
 それから、二言、三言、なにか先生と会話を交わしていたけれど。
 やがて二見華子さんは、くるりと振り返って。

 ええ、そのときの二見華子さんの顔。
 いま思い出してもぞっとするわ。

 病人のようなうつろな目で。
 けれども全身からは、憤怒の気迫を感じるの。
 あたし、さすがに身動きが取れなかったわ。

 声をかけたりしたら、その場で絞め殺されそうだった。
 それくらい、おぞましいほどの殺気に満ちていたの。
 そのときの、二見華子さんはね。 

「殺してやりたい……」

 二見華子さんは、いつもの自慢げな顔色は消え失せて、そんな言葉をブツブツつぶやいていたわ。

 あたしは、慌てて振り返ったの。
 乙原先生と、女の子はどうなったのか。

 おしゃべりしていたわ。
 ええ、そうよ。普通だったの。
 女の子なんか、こっちのほうをチラチラと見ながら、ニタニタしていてね。

 ふたりとも、罪悪感とか申し訳なさなんて、微塵も感じられない。
 二見華子さんのことなんて忘れたように、メニューを開いて、おしゃべりにご執心だったわ。

「どうして。なんで、わたしばかり、いつも」

 二見華子さんは、涙とともに小さくうめいて、それから店の奥へと引っ込んでいったの。
 その言葉、どういう意味だったのかしら?
 いまだにあたしにも分からないわね。

 あたし、さすがに二見華子さんのことが少し気になったんだけれど。
 でも、店をカラッポにするわけにはいかないし。

 それに、乙原先生が呼び出しブザーを鳴らしたものだから。
 とにかく接客をしようと思って、そちらに向かってね。

「ご注文は?」

「シーフードピザと、チョコレートパフェ。それとドリンクバーふたつ」

 ドリンクバーを頼むということは、まだしばらくこの店にいるつもりかしら。
 たったいま、二見華子さんから、火が噴き出るような非難を浴びせられたはずなのに。
 どういう神経をしていたら、このファミレスに長居しようと思うのかしら?

 あたし、この乙原先生のことも、なんだか怖くなってね。
 でも、勇気を振り絞って尋ねてみたわけよ。

「あの、さっきの子と、なにかあったんですか?」

 すると乙原先生、意外そうに。
 本当に意外そうな顔をして、

「いや、別に。なにかあったのか、はこっちが聞きたいくらいで」

 どういうことかしら?
 真昼なのに、ぞっとしたわよ。
 こっちが聞きたい、って。明らかにいま、なにかあったじゃないの。

 あたしはわけが分からなくなって、それでもいまは仕事中なんだと気持ちを切り替えて、厨房にいる別のバイトの子に、ピザとパフェを作るように伝えたわけよ。

 伝えついでに、尋ねたの。

「二見華子さん、どこに行ったか分かる?」

「泣きながら外に出て行きました。どうしたんですか、彼女」

 厨房の子が、怪訝そうに尋ねてくるの。
 あたし、言ったわよ。

「こっちが聞きたいくらいよ」

 偶然だけど、乙原先生と同じセリフを口にしたわね。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

九竜家の秘密

しまおか
ミステリー
【第6回ホラー・ミステリー小説大賞・奨励賞受賞作品】資産家の九竜久宗六十歳が何者かに滅多刺しで殺された。現場はある会社の旧事務所。入室する為に必要なカードキーを持つ三人が容疑者として浮上。その内アリバイが曖昧な女性も三郷を、障害者で特殊能力を持つ強面な県警刑事課の松ヶ根とチャラキャラを演じる所轄刑事の吉良が事情聴取を行う。三郷は五十一歳だがアラサーに見紛う異形の主。さらに訳ありの才女で言葉巧みに何かを隠す彼女に吉良達は翻弄される。密室とも呼ぶべき場所で殺されたこと等から捜査は難航。多額の遺産を相続する人物達やカードキーを持つ人物による共犯が疑われる。やがて次期社長に就任した五十八歳の敏子夫人が海外から戻らないまま、久宗の葬儀が行われた。そうして徐々に九竜家における秘密が明らかになり、松ヶ根達は真実に辿り着く。だがその結末は意外なものだった。

若月骨董店若旦那の事件簿~満開の櫻の下に立つ~

七瀬京
ミステリー
梅も終わりに近付いたある日、若月骨董店に一人の客が訪れた。 彼女は香住真理。 東京で一人暮らしをして居た娘が遺したアンティークを引き取って欲しいという。 その中の美しい小箱には、謎の物体があり、若月骨董店の若旦那、春宵は調査をすることに。 その夜、春宵の母校、聖ウルスラ女学館の同級生が春宵を訪ねてくる。 「君の悪いノートを手に入れたんだけど、なんだかわかる……?」 同時期に持ち込まれた二件の品物。 その背後におぞましい物語があることなど、この時、誰も知るものはいなかった……。

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。

どんでん返し

井浦
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~ ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが… (「薪」より)

virtual lover

空川億里
ミステリー
 人気アイドルグループの不人気メンバーのユメカのファンが集まるオフ会に今年30歳になる名願愛斗(みょうがん まなと)が参加する。  が、その会を通じて知り合った人物が殺され、警察はユメカを逮捕する。  主人公達はユメカの無実を信じ、真犯人を捕まえようとするのだが……。

秘められた遺志

しまおか
ミステリー
亡くなった顧客が残した謎のメモ。彼は一体何を託したかったのか!?富裕層専門の資産運用管理アドバイザーの三郷が、顧客の高岳から依頼されていた遺品整理を進める中、不審物を発見。また書斎を探ると暗号めいたメモ魔で見つかり推理していた所、不審物があると通報を受けた顔見知りであるS県警の松ケ根と吉良が訪れ、連行されてしまう。三郷は逮捕されてしまうのか?それとも松ケ根達が問題の真相を無事暴くことができるのか!?

処理中です...