生徒会長・七原京の珈琲と推理 学園専門殺人犯Xからの手紙

須崎正太郎

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第十二話 十月二十八日――推理力より共感力の問題

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「会長、大丈夫なのかい? 学校までやってきて」

 午後五時、安曇学園の校門前で、僕と高千穂翠はウグ先輩と合流した。
 先輩はもう帰宅していたらしいが、僕らからの連絡を受けて、なんとタクシーですっ飛んできてくれたらしい。Xの恐怖が学園を、いや町中を覆っている中、ありがたいこと、この上なし。

「すみません、先輩。僕は大丈夫です。それよりも確認したいことがあるんです。一緒に家庭科準備室まで来ていただけませんか」

「いいけれど、どうしてそんなところに」

「Xの残した痕跡が、あるかもしれないんです」

 僕ら三人は校舎に入る。
 一階の家庭科準備室に入った。
 運命の九月二十日を思い出す。僕らにとっては、すべてはあの日、この家庭科準備室にいたときに始まった。

 僕は人気のない家庭科準備室に入ると、巨大な冷蔵庫を無言で開けた。
 中には、ペットボトルやガラス瓶が所狭しと詰められている。

 あの日に見たままだ。
 と、言いたいが――
 やっぱりだ。僕の思った通りだった。

「会長、この冷蔵庫がどうしたんだい」

「先輩。冷蔵庫の中には、アイスコーヒーが入っていましたよね」

「ん? ……あったっけ?」

「ビーカーみたいな大きな瓶に詰められていたアイスコーヒーが、何個も入っていた。そう、確か五個」

 高千穂翠が、僕の記憶を証明してくれた。
 するとウグ先輩は、腕を組んで、

「そう言われたら、あった気もするけれど。それがなくなったのがどうしたんだい。誰かが飲んだんだろう」

「誰が飲むんです? あんなに大量のコーヒーを。僕じゃないんですから……。学校の中には缶コーヒーの入った自動販売機があります。職員室にも冷蔵庫があって、来客用のアイスコーヒーが入っていたんです。兎原さんに出されたあのコーヒーですよ。思い返して、不自然だと感じたんです。家庭科準備室に大量のアイスコーヒーがあること、それ自体が」

「会長、どういうことなの。コーヒーが消えたのが、そんなに大事なの?」

「うん。まだ確証はもてないけれど、僕の中で事件の真相のひとつが見えた」

「本当かい? それはどういう……」

「簡単ですよ。事件当日、美術室から盗まれたカッターナイフは、一時的に、この冷蔵庫の中にあったアイスコーヒーの中に入れられていたんです」

「はっ?」

 ウグ先輩は唖然として、口を開けた。
 高千穂翠も、呆然としている。
 僕はふたりを見回しながら、

「いいかい。僕らはこれまで、美術室からカッターが盗まれて、それが殺人に使われたと思っていた。違うんだ。美術室から盗まれたカッターと、犯行に使われたカッターはまったく別物だったんだ」

「な、なぜ。どうして、そんなことを」

 冷静な高千穂翠も驚きを隠せないようだったが、僕は手を振って、

「僕がこれから犯人の行動を説明していくからね。疑問があったら、あとで言ってくれ。

 永谷先生殺しを決断したXは、あらかじめ準備をしておいた。まず、家庭科準備室の冷蔵庫。そう、誰でも使えるこの冷蔵庫の中に、ブラックコーヒーを詰めた大ビーカーを五個、入れた。このビーカーは特別なものじゃない。百円ショップなんかに置いてある、ビーカー風の瓶でいいんだ。

 次に、美術室にあるカッターナイフとまったく同じものを四十二本、買い揃えて、一本一本に赤マジックで『X』と書き込んだ。もちろん指紋がつかないように、丁寧に作業したことだろう。それからそのカッターに、美術室の木くずや汚れを付着させておく。そしてほとんどのカッターを――そう、恐らく四十本ほどのカッターを、体育倉庫の中に隠しておいたんだ。

 最後に、例の手紙をパソコンで作り、封筒に入れた。
 封筒も百円ショップで買ったものかもしれないな。あれは普通の封筒だからね。

 こうして準備は整った。

 事件当日Xは、帰りのホームルームが終わったあと、体育倉庫に直行し、ビニール手袋とビニール雨合羽を装備したあと、二本か、三本か、それだけ隠し持っていた『X』のカッターで、永谷先生を不意打ちで襲撃。何度も刺して殺害した。先生が反撃できなくなった瞬間に、倉庫の鍵もかけて、外から見つかることも避けた。

 その後、永谷先生にとどめを刺し、確実に死んだことを確認すると、使ったカッターをよく拭いて、倉庫内に隠していたカッターと一緒にその場にブチ撒ける。また、永谷先生の返り血を浴びたであろうXは、ビニール雨合羽とビニール手袋を折りたたんで、どこかに隠した。そして最後に手紙をその場に置いた。

 これで殺人は完了した。Xはそれから、体育倉庫の壁にいくつも空いている小さな穴から外の様子をうかがいつつ、無人であることを確認してから、倉庫の外に出たというわけだ。

 そして、なに食わぬ顔で校舎に戻ったXは、ゆっくりと階段を上り、校舎の三階を移動する。三階は防犯カメラがないし、仮に人目に触れても、普通の生徒と同じ服装をしているXだ。おかしなことはない。途中で生徒や教師とすれ違っても大丈夫だ。

 最後にXは、美術室からカッターナイフを盗み、階段を使って一階に下りてきて、準備室の中にあったブラックコーヒーの中に、カッターナイフ四十二本を入れたのさ。この作業のときもビニール手袋を使ったと思う。指紋や痕跡が残らないように……。

 真っ黒なコーヒーの中だ。カッターが何本か入っていても、外からは分からない。凶器のカッターが犯行現場に残っている以上、警察も凶器については、学校内をそうくまなく調べないだろうし、仮に調べたとしても、冷蔵庫の中のコーヒーの中にカッターが入っているとは思わない。実際、警察はコーヒー内のカッターを発見できなかった。

 ……いや、最悪、もしカッターが見つかっても、それほど致命的なエラーではなかったのかもしれないな。凶器に使ったカッターは間違いなく体育倉庫にあるし、コーヒーの中に沈んでいるのは美術室のカッターだ。見つかったところで、またミステリーが増えるだけだ。

 とにかくXのくわだては成功した。僕らも警察も、Xは美術室から盗んだカッターで永谷先生を殺害したと思ってしまったわけだ。

 Xはその後、休校明けにでも家庭科準備室にやってきて、カッター入りのコーヒーを家に持って帰って、ゆうゆうと処分したはずだ。瓶は一日一個、持って帰ればそれでいいんだからね。

 どうだい。これで第一の事件について、説明は終わりだ。質問は?」

 僕はそう言ったが、高千穂翠もウグ先輩も、しばらく、しいんと黙り込んでしまった。
 にわかには信じがたい。二人ともそんな顔をしている。十秒ほど経って、ウグ先輩は、慌てたような顔で、

「ど、どうしてだい!? なんでXは、そんなに手間のかかることをしたんだい?」

「犯行にかかる時間をカモフラージュするためですよ。永谷先生を殺して逃げるだけならば、恐らく十分程度で出来たはずです。けれども、美術室からカッターを盗み、さらに指紋を拭き取り、Xという赤文字を書いたという作業をしたとみんなに思わせることで、実際の犯行時間が三十分はかかるはずだ、あるいは複数犯では、とみんなに思い込ませた。Xの正体が誰か、分からなくなった。

 本当のところ、Xは単独犯です。実際の犯行時間は、二十日の午後三時五十分から四時五分ほどの間だと思います。体育倉庫の近くには、体育の永谷先生以外は、まず生徒や教師がいない時間帯ですね。……」

 ウグ先輩はそれで絶句した。
 だが、高千穂翠のほうは、冷静さを取り戻したようで、

「名推理、と言いたいところだけど、疑問があるよ。体育倉庫の中にカッターナイフを隠していたというけれど、どこに隠すの? 約四十本のカッターナイフなんて、体育倉庫のどこに置くの。犯行前にもし見つかったら、犯行の計画はパアだよ」

「隠し場所はマットレスだ。そう、永谷先生の遺体にかぶせられていた、あの古いマットレスだよ」

「マットレス?」

「あれは、パッと見て遺体を隠すためもあったけれど、それだけじゃなかったんだ。あのマットレスはずたぼろで、ちょっと力を入れたら布が破けてしまうものだった。だから、カッターはマットレスの布を破いて、その中に隠しておいたんだ。古いマットレスの中なんて、誰も確認しないからね。そして犯行後、マットレスを遺体にかぶせることで、カッターを隠した事実そのものをごまかすことに使った。

 体育倉庫を調べたときに、糸クズみたいな黄色いゴミがずいぶん床に落ちていると思ったけれど、あれはマットレスを破いたときに出てきた繊維のカスだったんだ。スマホで調べたら出てきたよ。あの古いマットレスの中に詰められていた合成スポンジの画像が。まさにマットレスが開けられたなによりの証拠だ。マットレスの中をよく調べれば、カッターナイフが入っていた痕跡も出てくるはずだ。……」

「……証拠は? 会長の推理に証拠はあるの? 特に、コーヒーの中にカッターナイフを入れたという証拠は」

「ある。消去法的だけどね」

 僕は断言した。

「副会長。Xの二通目の手紙を覚えているかい? あの手紙にはこんな文章が書かれてあった」

 ――実に大騒ぎになりました。次から次へと警察、警察、また警察。あんなにパトカーが校門の前に十台もやってきて。

「校門の前にパトカーが十台もやってきた、なんて、どうして分かるのか。あの日、学校にパトカーが来たのは遺体発見の直後、午後四時二十五分ごろだ。十台も揃ったのは、早くても三十分ごろだっただろう。それから十分後の四時四十分には、校内に残っていた人間はみんな講堂に集められていた。Xが何者であれ、校門の前を見ることができる時間は、せいぜい数分しかない。

 そして、この学校の間取りから考えて――」


裏門―――――
|□   ●|
|□   ☆|
|■□□□□|
表門―――――
   歩道

   車道


「校門の前を見ることができるのは、たとえ窓を用いても、校舎の南西部――そう、この家庭科室と家庭科準備室がある部分しかないわけです。他の場所からは、壁があるので校門前を完全に見ることはできません。十台、と数を把握できるのはここしかない!

 つまり、第一の事件が起きたあの日、パトカーが校門前に結集した四時三十分から数分間、Xは間違いなく、この校舎南西端の一階にいたんですよ。

 その後、警察は校舎中を捜査し、Xは講堂に集められました。こうなると美術室のカッターを隠すとしたら、時間的にも、家庭科準備室しかありえない。二階の旧視聴覚室は閉鎖、家庭科室は施錠されていますからね。

 そして警察の目をごまかして、四十二本ものカッターナイフを隠せるとしたら、この冷蔵庫の中にあったコーヒーの中だけです。コーヒーをこんなことに使うなんて、許しがたいし認めがたいことですがね」

「……確かに説明はつく。つくけれど」

 ウグ先輩は、まだ納得がいくようないかないような顔をしていたが、僕はさらに推理を続けた。

「それから、僕の推理を裏付ける話がもうひとつあります。それは僕と副会長と鵜久森先輩が、自分たちで経験したことです」

「どういうことだい?」

「事件当日、僕らはこの部屋、家庭科準備室でジュースを飲んでいた。そこへ不気味な悲鳴が聞こえたあと、ひとが死んでいる、という声を聞いて、ここを飛び出したんです。

 でもいま思えば、あれはおかしい。家庭科準備室と体育倉庫はずいぶん離れているし、永谷先生の悲鳴なんか聞こえるはずもない。だいたい僕の推理が正しければ、永谷先生が殺されたのは僕らが家庭科準備室に入るよりも前のはずだ。となると、あの悲鳴や、ひとが死んでいるという声は、誰のものだったのか」

「じゃあまさか、あの声は……」

「そう。あれはXの声だったんです。美術室は三階、家庭科準備室は一階。しかし場所は、ちょうど真上にあります。美術室横の階段を下りてきたら、家庭科準備室はすぐなんですよ。

 Xはカッターを盗んで、一階に下りてきた。すると人がいないはずの家庭科準備室で、ジュースなんか飲んでいるやつらがいる。これをどかそうと思って、叫んだに違いないんです。実際に校庭のほうは、騒ぎになっていましたからね。叫びさえすれば、僕らが動くのはまず間違いなかった」

「じ、じゃあなんだい。もしもあの声で私たち、移動していなかったら」

「やられていたかもしれません。Xに」

「そんな」

「のちに僕を襲撃するやつですよ、Xは。やりかねない、と思いますね」

「…………」

 ウグ先輩も高千穂翠も、視線をさまよわせた。

「……外部犯は」

 たっぷり一分経ってから、高千穂翠が口を開いた。

「防犯カメラに写っていた、あの外部犯はなんだったの。あれはXと関係があるの?」

「それは里村君に聞いたほうが早いと思う。ただ僕の推理では、あれは大した話じゃなかったんだ。少なくとも最初は」

「里村君に会いに行くかい? 今日も学校を欠席しているから、会うとしたら家に行くしかないけれど」

「鵜久森先輩、里村君の家を知っているんですか?」

「いいや。ただ、インスタでは繋がっているから、連絡は取れるよ。いまからアポを取ろうか? 返事がいつ来るか分からないけれど」

「返事が来るか分からないなら、会うのは明日でもいいですよ。今日はもう六時だし、いまから会いたいと言っても、たぶん向こうは警戒しますし」

「明日でもいいのかい?」

「ええ。家にいるなら、里村君が殺されることはまずないし、それに里村君がXの可能性は極めて低いので」

「断言するのね。会長、Xはいったい誰なの? もう犯人の目星がついているんでしょう?」

「いや、まだだ。まだもう少しだけ推理したい。副会長的に言うならば、証拠もないしね。調べたいこともある。ただひとつ言えるのは」

 僕は疲労のあまり、一度だけ天井を見上げて、大きく息を吐いてから、

「この一連の事件、恐ろしく複雑なのはトリックよりも動機だ。Xは永谷先生殺しにおいて、これほど手間のかかることをして、生徒の単独犯ではないと思わせておきながら、手紙では一貫して学校関係者、特に生徒に疑いがいくように訴えている。

 矛盾だ。矛盾が大きすぎる。けれどもこの矛盾が、犯行に繋がる動機そのものと言えるんだ。……これは推理力とか思考力とかじゃなくて、共感力とか想像力の話になってくるけれどね」

 僕の言葉に、その場にいた誰もが首をひねった。
 僕は思った。Xの犯行動機は、例えば鵜久森先輩には理解できないだろう。

 ――これは有能無能の問題ではない、想像力とか共感力の問題。

 そうだ、Xもそう言っていたじゃないか。
 多少なりとも分かるのは、この僕か。
 ……あるいは、高千穂翠か……。
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