35 / 40
番外編 鴉間神社
しおりを挟む
木津川千鶴と、夢で出会う前。
一度だけ、不思議な体験をしたことがあった。
あれは、17歳になったばかりの頃だった。
高校一年の夏休み、俺は母に言われて、田舎の祖父のところへひとりで出かけた。
「さとや」
「ん」
「あなた、おじいちゃんちにひとりで旅行に行ってみない?」
そんなふうに、母さんは言った。
「え?じっちゃんのところ?」
「そ。行ったことあるでしょ?覚えてる?」
「うん、まあ」
じっちゃん、祖父はど田舎、誇張でも揶揄でもなく、とんでもない田舎に住んでいた。
ネットとか携帯の電波どころじゃない。電気が通っておらず、電話も近所の人にお願いしなければならないような山の中だ。
小学生の頃は楽しかった。クワガタとかふつーに獲れたし、小川にはザリガニやらフナやらカメやらがいて、兄貴と楽しく遊んだ覚えがある。
まあ、今行きたいか、と言われれば微妙だ。
「おじいちゃんがね、もう里矢も17になったんだし、早く泊りに来させなさいって、うるさくって」
「俺ひとりなの?」
「ほら、お父さん、仲良くないでしょ?そんなところ行く必要ないって、頑として聞かなくて」
うーむ。
確か、バス停はあったような気がする。あんな田舎でも。
父さんとじっちゃんが仲悪いのは知っていた。
じっちゃんが跡を継がせたがり、父さんは絶対に嫌だ、と突っ撥ねているからだ。
祖父は神社の神主だった。その名も鴉間神社。
なんだかものすごく古いらしく、伝統を絶やしてはならぬ、とか俺も兄貴も言われたことがある。しつこく何度も。
そういうのを、父は嫌っていた。
年間に数人しか参拝客も来ないような神社に価値などない、そうじっちゃんの目の前で言い放って大喧嘩してたのを、今でも覚えている。
「17歳って、何で?」
「さあ、わたしもよく知らないのよ。おじいちゃんが言うには、鴉間家の男子は元服したらここへ参拝するのが習わしだ、むしろ遅いくらいだ、とか言って」
「兄貴は?」
「行ったわ。あなたと同じ頃に。父さんは馬鹿にして、俺は行かなかったし行く必要ないぞって言ってたんだけど、星矢はじゃあ行ってみようかなって。結構楽しかったよって、嬉しそうに帰ってきたわよ」
「へえ」
兄貴、鴉間星矢は今、別の場所で暮らしている。
もう24歳になり、就職して隣の県で暮らしているからだ。
「兄貴も行ったのなら、行こうかな」
「そう?おじいちゃん、喜ぶわ。もう、毎週のように連絡してきてるから」
それから母さんは爺さんの家に連絡して、急だが明日にでも来なさい、と明日朝出発することになり、俺は一泊分の準備をして、みつるにLIMEなどした。
時刻表も調べた。電車はまだしも、バスは2時間に一本しかなく、乗り遅れたらえらい目に遭いそうだ。
出発直前、はいこれ、と母さんに手土産を渡された。
ずしっ。重い。
「何これ」
「もちろん、お供え物よ。神様の家に行くのだから。おさけ」
「重いなあ」
「おじいちゃんから言われてるの。必ず持たせるようにって。割れ物だから、くれぐれも気をつけてね」
「はーい」
リュックに重い瓶を放り込み、俺は家を出た。
電車に乗り、バスに乗り換え。
乗客は俺一人だけだった。
車窓には、なんの変哲もない風景が流れていた。
暇だ。特にすることもない。
しかし。
「あっ」
バスの運転手さんが声を発した。
停留所でもないのに、突然止まる。
運転手さんはバスの外に出てなにやら作業していたが、やがて申し訳なさそうに戻ってきた。
「あのう」
「はい」
「お急ぎのところ、大変申し訳ないんだけども」
「はい」
運転手さんは、帽子を脱いで禿頭を見せた。
「どうも、左のタイヤが2本ともパンクしたようで。珍しいこともあるもんなんだけどな」
「はい」
「悪いけんど、予備のタイヤが運ばれてくるまで、ちょっと待っててくれますかいね」
「はあ」
そう答えるしかなかった。
高校生がクレームをつける場面でもないし、だからって歩く距離でもない。目的地までまだまだある。
タクシーとか手配してくれないかな、と思ったのは、15分ほどしてからだ。
でも余分なお金はないし、と黙っていた。
30分ほどしただろうか。
運転手さんが無線であれこれ話して、そんじゃ、と言って切った。
「あのう」
「はい」
「うちの会社の観光バスが、もうすぐここを通りかかるんで。そっちに乗れてもらえそうなんで、ええですかい?」
「お金、持ってないです」
「いんやいんや、迷惑かけたし、料金はいいんで。ちなみに、どこまで?」
「終点です」
「ならちょうどええ。観光バスもその近くまで行くし、乗ってってえ。ほんまにもうすぐ、くるでさあ」
果たして、大きなバスが田舎道を登ってくるのが見えた。
確かに観光バスだ。
運転手さんが手を振り、バスが停まった。
「さささ、乗って乗って」
「どうも、ありがとうございました」
扉が開き、俺が乗り込む。
さあ、好きなとこ座って、と笑顔で運転手さんに言われて、俺はびびった。
こんな田舎を行く観光バスなんて、誰も乗ってないだろうと思っていたのだが、バスの中は超満員だった。
「な」
「座りなさい。そこ、空いてるから」
一番前の乗客、威厳のあるめっちゃ背の高いおじいさんが座席を指差した。
「あ、ども」
「発車しまーす」
俺が腰掛けると、バスが動き出した。
パンク停車中のバスを追い抜き、先に進む。
ふう。なんとか、そんなに遅れずに済みそうだ。
改めて、バスの中を見渡す。
(何の団体だろ、これ)
俺を入れて満員となった車内には、老若男女、いろんな人が乗っていた。
俺みたいな、高校生っぽいひともいる。小中学生も。
だが、大半は成人、それもかなり年配者が多かった。先頭の座席にいる老人とか、もう90代とかかな?と思えるほどだ。
この先にそんな温泉だの保養所があるのか、俺は知らなかった。
爺さんの神社を調べた時には見当たらなかった。
隣で眠っている少女をちら、とみた。
少女というか、同い年くらいだ。高校生だろうな。
だが服装にある特徴があった。現代では、あまり街中で見かけない姿。白い上着に真っ赤な袴姿、これはまるで___
「よう、少年」
通路向かいの女性に話しかけられて、俺は巫女さんから視線を外した。
OLさんらしい、ふたり組の女性らがカップ酒を手に、俺をニヤニヤと見つめていた。
「ど、ども、乗せていただいて____」
「あー、そういうのいいから。うちらは誰でも大歓迎。ささ、呑んで」
眼前に、缶ビールが差し出されてきた。
え。
「いやあの、俺、未成年なんで」
「えーっ、うちらの酒が飲めないって言うの?こいつぅ___」
「やめなよマヤさん、迷惑がられてるでしょ」
後ろの座席にいた男性が、ひょい、とマヤさんからビールを奪い取った。ぷしゅ、プルタブを開けて飲む。ぷはっ。
「あー、ナリタっちぃ、そゆこと言うわけ?」
「法律は大事。だよな?少年」
「ええ」
にこやかな男性。
30歳くらい、だろうか。まじまじと見つめてしまうほどのイケメンたった。
いや、俺にそういう趣味はないぞ。あまりの造形に、つい見惚れただけだ。
マヤさんはふくれた。こちらもまた、かなりの美女である。
「ぷう。もう結構いい歳なんでしょ?少年は」
「えと、17歳です」
「あら」
マヤさんの隣のOLさんがちら、とこちらを見た。
これまた美女さんである。なんだろう、このバスはタレント養成校のツアーか何かだろうか。
「17?だったら呑めるでしょ?」
「今の日本は20歳から。忘れたのか?いすず」
「あ、そっか。じゃあ、あとまだ少し、だね」
いすずさんは勝気な美人であるマヤさんと違い、穏やかな感じのする人だった。
俺は優しい女性が好きだ。
「17も20も変わらんのになあ」
マヤさんはそうつぶやくと、ぐび、とカップ酒を飲み干した。
すぐさま別のを開ける。よく飲むなあ。
ナリタさんが後ろから身を乗り出してきた。
「ね、君、こんな田舎をどこへ行くつもりだったの?こっから先、なにもないよ?あ、落花生、食べる?」
「いえ。・・・・・・祖父の実家へ泊まりに行くんです。神社の、神主をしてて」
「へえ!じゃあ君、鴉間神社さんの?」
「ご存じなんですか?」
驚いた。
そんな有名な神社でもないはずなのに。
ナリタさんは嬉しそうに、バスの中に響き渡る声で言った。
「みなさん、こちら、鴉間神社さんのお孫さんらしいですよ!」
しん、と静まり返る。
ほら、誰も知らないじゃん。どこそれ?みたいな。
と思ったのも束の間、全員がどっと湧き立った。
「えーっ、そうなの?」
「君、神主さんの孫?いやあ、雰囲気あるよ」
「はいこれうちの地元のお菓子、食べる?」
「おめえ、跡継ぎになんのけぇ?」
「いんや、今どきのわけぇもんはすーぐ都会にやなぁ」
「ほらにぃちゃん、酒!呑めるっしょ?」
「だから未成年だって」
一気に揉みくちゃになり、あちこちから飲み物やら食べ物やら、よく分からんものも差し出された。
ひと通り人が去っていくと、俺の手元には大量のお菓子やお土産ものが残った。
「・・・・・・」
「ままま、みんな悪い人やないんよ。有名人に会えたからって、はしゃいじゃっただけ」
「ゆ、有名人、って・・・・・・」
マヤさんがお茶のペットボトルをくれた。ふう。
うちの爺さん、何か有名な人だったんだろうか。
神主ユーチューバーとか。聞いたこともないが。
隣でひたすら眠っていた女の子が、騒ぎでうーん、と伸びをした。
おお、まあまああるぞ。どこがとは言わないが。
「ほーらイブキ、もうこの子はいっつも寝てばっかで、もう、そろそろ起きなさい!」
マヤさんに肩を揺すられて、巫女さんが薄目を開けた。
ぼんやりと隣、俺の顔を眺める。
ぱちくり。
あ、瞳が大きくて可愛い。
だが次の瞬間、彼女は怯えた顔でひっ、と窓側へ身を寄せた。
「だ、だだ、誰ですか!?」
「あっ、すいません、俺、ちょっと」
「路線バスがパンクして、同乗してもらってるの。あ、えーと」
マヤさんが言いづらそうにしてる。
ああ、自己紹介とか、してないもんな。
「からすまです。鴉間里矢」
「さとやくん、ね。いい名前。わたしはマヤ、んでこっちがいすず」
「どーもぉ」
美人OLふたりが、いまさら自己紹介してくれた。
「ども」
「んで、そこで寝こけてたのがイブキ。あ、胸揉んじゃってもいいから」
「だ、だめですー」
イブキさんが慌てて腕で胸を隠す。
いや揉まんし。揉みたいけど。
「君の後ろにいるイケメン落花生がナリタ」
「ようこそ鴉間くん」
指を2本こめかみに当て、軽くウィンク。
うーむ。絵になるイケメンだ。
「あの、皆さん何の団体なんですか?こんな田舎に」
マヤさんに聞いてみると、んー、と形の良いあごに指を当てた。
「なんだろうね。昔からの知り合い、的な?よくこうやって、日本各地の神社とか名所旧跡を回って宴会してるツアー団体、かな」
「へええ」
暇な人たちもいたもんだ。
まあ、そのおかげでこうやってバスに便乗させていただいているわけだが。
「あ、さとやくんいま、わたしらのこと暇人やなあ、とかおもたやろ?やろ?」
「い、いひゃいへふっ」
マヤさんが両方のほっぺをぐにー、と引っ張ってきた。
痛い。結構本気で痛い。夢じゃないことは確実だ。
と、背中に幸せな感触が当たった。
「マヤさん、いじめちゃだめですー」
イブキさんが、抱き抱えるように庇ってくれた。
マヤさんの指から解放される。
イブキさんに抱き抱えられる格好になる。てことは、この、背中の幸せなふたつのふくらみは。ああ。
「何よイブキ、サトヤくんのことが好みなの?」
「べ、別に、そんなんじゃないですー」
イブキさんが慌てて離れる。
幸せな感触はどこか遠くへ去ってしまった。残念。
しかし、イブキさんの声って透き通っていると言うか、すごく透明感のある声だなあ。
「ども。・・・・・・イブキさんは、巫女さんなんですか?」
俺は向き直って聞いてみた。真近に見ると、やはりとても可愛い。
チア部の超可愛い子のことをなんとなく思い浮かべた。さすがにあそこまで可愛いわけじゃないけど。
「ううん、違いますー」
イブキさんが笑った。
「これは、ただの普段着ですー」
「はあ、普段着、ね」
これが普段着て、どういう生活してんだか。
と、マヤさんが俺の方に顔を寄せてきた。
「んー、少年、君、なんやらめっちゃええ匂いするなあ。君、酒蔵の子?」
「いえ。・・・・・・・・・・・・あ、これかも」
俺は親が持たせてくれた酒瓶をバッグから取り出した。
ひょい、とマヤさんに奪い取られる。
「あ」
「ほうほう、八兵衛、ね。ええ酒や。・・・・・・な、ラベルが逆さになった、うっかり八兵衛、やと・・・・・・?」
わなわな、と震えるマヤさん。
日本酒、お詳しいのだろうか。
栓に手をかけそうになるのを、となりのいすずさんががし、と押さえる。
「あかんやろ?それ、からすまくんのやし」
「けどお」
「だーめ。きっとお供物や。なあ?」
「ええ」
「ほら。てことは、まあ、いずれな」
「ううう・・・・・・呑みたい・・・・・・」
しぶしぶといった表情で、マヤさんが酒瓶を俺に戻した。
俺はバッグにしまう。危ない、開けられちゃうところだったぜ。
てか、栓がしてあるのによく匂いに気づいたもんだ。酒の匂いに敏感なんだろうか。こんなに呑んでるのに。
ああ、なんか甘い匂いがする。
お酒の匂いだろうか。
だんだん、眠くなってきた。
ZzzzZzzz
・・・・・・
「・・・・・・さん、おにいさん」
肩をゆすられていた。
「・・・・・・はあ」
「着きましたよ、終点」
「・・・・・・ああ、ども」
運転手さんだった。
俺は周囲を見た。誰もいない。
「・・・・・・あれ、他の人、は」
「誰もいませんよ。はい、荷物」
バスを降りた。
暑い太陽が照らしつけてくる。
俺は山道を、神社を目指して歩いた。
歩くこと15分、ようやくオンボロな、しかし格式高そうな神社が見えてきた。
「お邪魔、しまーす」
声を上げると、奥からお爺さんが出てきた。
「おお、里矢。しばらくだな。上がりなさい」
「じっちゃん、久しぶり」
記憶にあるより、多少歳を取った祖父が、俺を迎えてくれた。
冷たい麦茶を出してもらって、ふう、とひと息つく。
電気がないのに、と思ったら、井戸で冷やした、と言われた。なるほど。
荷物を下ろし、お酒を渡す。
爺さんは酒瓶を見て、大層喜んでくれた。
「じっちゃん、お酒が好きなの?」
「いいや、酒を持って山を登ることが肝心なんじゃよ。酒は酒気、神気と重なり、すなわち神と通じる。良い香りのする新しい酒は、神を呼び込むんじゃ」
爺さんは酒瓶をお供えして、さっそく手を合わせていた。
そうめんを食べさせてもらい、また麦茶を飲んだ。冷たくて美味しかった。
その後、2時間ほど「行」とかいうものに付き合わされた。
神に祈る儀式、なのだそうだ。長々と祝詞を唱え、白い紙をつけた棒を何度も振っていた。
俺は途中から正座が痛くなり、終わった頃には歩けないでいた。
ふう、と爺さんは行を終え、疲れ切った様子で座り込んだ。
「これが幽幻夢幻の行、じゃ。古くから我が神社に伝わる、神様と一体化するための儀式じゃな」
「おつかれさまでした」
「うむ。・・・・・・しかし、ここは古い。もうわしの代で終わりじゃな」
寂しそうに言うじっちゃんの顔に、先ほどのバスの人々の顔を思い出した。
「なあ、じっちゃん」
「うん?」
「さっき、バスで変わった人たちに会ったんだ。団体で、老人も子供もいて、日本全国あちこちを旅行して回ってるんだって。うちの神社のことも知ってたよ。有名だって」
「ほう」
「またお参りに行く、て言ってたけど」
「知らぬな。団体のお参り客など、ここ数年来、ついぞこのかた来たこともないが」
そっか。
マイナーな神社だと分かってて、わざとそんなふうに言ってくれてたんだろうか。
嘘やお為ごかしを言う人たちには思えなかったが。
じっちゃんとふたり、日が暮れる前に夕食を簡単に済ませた。
ちょっと物足りなかったが、ここには電気もないし、文句は言えない。
俺はマキを割り、風呂を焚いた。じっちゃんは喜んでくれた。
日が暮れると、もうすることがなくなった。
電灯はつかないし、エアコンはないし、テレビもない。ネットも通じない。
「今夜はここで寝るが良い。風通しが良くて、涼しいぞ」
「うん」
じっちゃんに言われて、神社の伽藍の真ん中に布団を敷いた。
こんなところで眠れるかな、と思ったが、疲れていたせいか、あっという間に睡魔に襲われた。
一度だけ、不思議な体験をしたことがあった。
あれは、17歳になったばかりの頃だった。
高校一年の夏休み、俺は母に言われて、田舎の祖父のところへひとりで出かけた。
「さとや」
「ん」
「あなた、おじいちゃんちにひとりで旅行に行ってみない?」
そんなふうに、母さんは言った。
「え?じっちゃんのところ?」
「そ。行ったことあるでしょ?覚えてる?」
「うん、まあ」
じっちゃん、祖父はど田舎、誇張でも揶揄でもなく、とんでもない田舎に住んでいた。
ネットとか携帯の電波どころじゃない。電気が通っておらず、電話も近所の人にお願いしなければならないような山の中だ。
小学生の頃は楽しかった。クワガタとかふつーに獲れたし、小川にはザリガニやらフナやらカメやらがいて、兄貴と楽しく遊んだ覚えがある。
まあ、今行きたいか、と言われれば微妙だ。
「おじいちゃんがね、もう里矢も17になったんだし、早く泊りに来させなさいって、うるさくって」
「俺ひとりなの?」
「ほら、お父さん、仲良くないでしょ?そんなところ行く必要ないって、頑として聞かなくて」
うーむ。
確か、バス停はあったような気がする。あんな田舎でも。
父さんとじっちゃんが仲悪いのは知っていた。
じっちゃんが跡を継がせたがり、父さんは絶対に嫌だ、と突っ撥ねているからだ。
祖父は神社の神主だった。その名も鴉間神社。
なんだかものすごく古いらしく、伝統を絶やしてはならぬ、とか俺も兄貴も言われたことがある。しつこく何度も。
そういうのを、父は嫌っていた。
年間に数人しか参拝客も来ないような神社に価値などない、そうじっちゃんの目の前で言い放って大喧嘩してたのを、今でも覚えている。
「17歳って、何で?」
「さあ、わたしもよく知らないのよ。おじいちゃんが言うには、鴉間家の男子は元服したらここへ参拝するのが習わしだ、むしろ遅いくらいだ、とか言って」
「兄貴は?」
「行ったわ。あなたと同じ頃に。父さんは馬鹿にして、俺は行かなかったし行く必要ないぞって言ってたんだけど、星矢はじゃあ行ってみようかなって。結構楽しかったよって、嬉しそうに帰ってきたわよ」
「へえ」
兄貴、鴉間星矢は今、別の場所で暮らしている。
もう24歳になり、就職して隣の県で暮らしているからだ。
「兄貴も行ったのなら、行こうかな」
「そう?おじいちゃん、喜ぶわ。もう、毎週のように連絡してきてるから」
それから母さんは爺さんの家に連絡して、急だが明日にでも来なさい、と明日朝出発することになり、俺は一泊分の準備をして、みつるにLIMEなどした。
時刻表も調べた。電車はまだしも、バスは2時間に一本しかなく、乗り遅れたらえらい目に遭いそうだ。
出発直前、はいこれ、と母さんに手土産を渡された。
ずしっ。重い。
「何これ」
「もちろん、お供え物よ。神様の家に行くのだから。おさけ」
「重いなあ」
「おじいちゃんから言われてるの。必ず持たせるようにって。割れ物だから、くれぐれも気をつけてね」
「はーい」
リュックに重い瓶を放り込み、俺は家を出た。
電車に乗り、バスに乗り換え。
乗客は俺一人だけだった。
車窓には、なんの変哲もない風景が流れていた。
暇だ。特にすることもない。
しかし。
「あっ」
バスの運転手さんが声を発した。
停留所でもないのに、突然止まる。
運転手さんはバスの外に出てなにやら作業していたが、やがて申し訳なさそうに戻ってきた。
「あのう」
「はい」
「お急ぎのところ、大変申し訳ないんだけども」
「はい」
運転手さんは、帽子を脱いで禿頭を見せた。
「どうも、左のタイヤが2本ともパンクしたようで。珍しいこともあるもんなんだけどな」
「はい」
「悪いけんど、予備のタイヤが運ばれてくるまで、ちょっと待っててくれますかいね」
「はあ」
そう答えるしかなかった。
高校生がクレームをつける場面でもないし、だからって歩く距離でもない。目的地までまだまだある。
タクシーとか手配してくれないかな、と思ったのは、15分ほどしてからだ。
でも余分なお金はないし、と黙っていた。
30分ほどしただろうか。
運転手さんが無線であれこれ話して、そんじゃ、と言って切った。
「あのう」
「はい」
「うちの会社の観光バスが、もうすぐここを通りかかるんで。そっちに乗れてもらえそうなんで、ええですかい?」
「お金、持ってないです」
「いんやいんや、迷惑かけたし、料金はいいんで。ちなみに、どこまで?」
「終点です」
「ならちょうどええ。観光バスもその近くまで行くし、乗ってってえ。ほんまにもうすぐ、くるでさあ」
果たして、大きなバスが田舎道を登ってくるのが見えた。
確かに観光バスだ。
運転手さんが手を振り、バスが停まった。
「さささ、乗って乗って」
「どうも、ありがとうございました」
扉が開き、俺が乗り込む。
さあ、好きなとこ座って、と笑顔で運転手さんに言われて、俺はびびった。
こんな田舎を行く観光バスなんて、誰も乗ってないだろうと思っていたのだが、バスの中は超満員だった。
「な」
「座りなさい。そこ、空いてるから」
一番前の乗客、威厳のあるめっちゃ背の高いおじいさんが座席を指差した。
「あ、ども」
「発車しまーす」
俺が腰掛けると、バスが動き出した。
パンク停車中のバスを追い抜き、先に進む。
ふう。なんとか、そんなに遅れずに済みそうだ。
改めて、バスの中を見渡す。
(何の団体だろ、これ)
俺を入れて満員となった車内には、老若男女、いろんな人が乗っていた。
俺みたいな、高校生っぽいひともいる。小中学生も。
だが、大半は成人、それもかなり年配者が多かった。先頭の座席にいる老人とか、もう90代とかかな?と思えるほどだ。
この先にそんな温泉だの保養所があるのか、俺は知らなかった。
爺さんの神社を調べた時には見当たらなかった。
隣で眠っている少女をちら、とみた。
少女というか、同い年くらいだ。高校生だろうな。
だが服装にある特徴があった。現代では、あまり街中で見かけない姿。白い上着に真っ赤な袴姿、これはまるで___
「よう、少年」
通路向かいの女性に話しかけられて、俺は巫女さんから視線を外した。
OLさんらしい、ふたり組の女性らがカップ酒を手に、俺をニヤニヤと見つめていた。
「ど、ども、乗せていただいて____」
「あー、そういうのいいから。うちらは誰でも大歓迎。ささ、呑んで」
眼前に、缶ビールが差し出されてきた。
え。
「いやあの、俺、未成年なんで」
「えーっ、うちらの酒が飲めないって言うの?こいつぅ___」
「やめなよマヤさん、迷惑がられてるでしょ」
後ろの座席にいた男性が、ひょい、とマヤさんからビールを奪い取った。ぷしゅ、プルタブを開けて飲む。ぷはっ。
「あー、ナリタっちぃ、そゆこと言うわけ?」
「法律は大事。だよな?少年」
「ええ」
にこやかな男性。
30歳くらい、だろうか。まじまじと見つめてしまうほどのイケメンたった。
いや、俺にそういう趣味はないぞ。あまりの造形に、つい見惚れただけだ。
マヤさんはふくれた。こちらもまた、かなりの美女である。
「ぷう。もう結構いい歳なんでしょ?少年は」
「えと、17歳です」
「あら」
マヤさんの隣のOLさんがちら、とこちらを見た。
これまた美女さんである。なんだろう、このバスはタレント養成校のツアーか何かだろうか。
「17?だったら呑めるでしょ?」
「今の日本は20歳から。忘れたのか?いすず」
「あ、そっか。じゃあ、あとまだ少し、だね」
いすずさんは勝気な美人であるマヤさんと違い、穏やかな感じのする人だった。
俺は優しい女性が好きだ。
「17も20も変わらんのになあ」
マヤさんはそうつぶやくと、ぐび、とカップ酒を飲み干した。
すぐさま別のを開ける。よく飲むなあ。
ナリタさんが後ろから身を乗り出してきた。
「ね、君、こんな田舎をどこへ行くつもりだったの?こっから先、なにもないよ?あ、落花生、食べる?」
「いえ。・・・・・・祖父の実家へ泊まりに行くんです。神社の、神主をしてて」
「へえ!じゃあ君、鴉間神社さんの?」
「ご存じなんですか?」
驚いた。
そんな有名な神社でもないはずなのに。
ナリタさんは嬉しそうに、バスの中に響き渡る声で言った。
「みなさん、こちら、鴉間神社さんのお孫さんらしいですよ!」
しん、と静まり返る。
ほら、誰も知らないじゃん。どこそれ?みたいな。
と思ったのも束の間、全員がどっと湧き立った。
「えーっ、そうなの?」
「君、神主さんの孫?いやあ、雰囲気あるよ」
「はいこれうちの地元のお菓子、食べる?」
「おめえ、跡継ぎになんのけぇ?」
「いんや、今どきのわけぇもんはすーぐ都会にやなぁ」
「ほらにぃちゃん、酒!呑めるっしょ?」
「だから未成年だって」
一気に揉みくちゃになり、あちこちから飲み物やら食べ物やら、よく分からんものも差し出された。
ひと通り人が去っていくと、俺の手元には大量のお菓子やお土産ものが残った。
「・・・・・・」
「ままま、みんな悪い人やないんよ。有名人に会えたからって、はしゃいじゃっただけ」
「ゆ、有名人、って・・・・・・」
マヤさんがお茶のペットボトルをくれた。ふう。
うちの爺さん、何か有名な人だったんだろうか。
神主ユーチューバーとか。聞いたこともないが。
隣でひたすら眠っていた女の子が、騒ぎでうーん、と伸びをした。
おお、まあまああるぞ。どこがとは言わないが。
「ほーらイブキ、もうこの子はいっつも寝てばっかで、もう、そろそろ起きなさい!」
マヤさんに肩を揺すられて、巫女さんが薄目を開けた。
ぼんやりと隣、俺の顔を眺める。
ぱちくり。
あ、瞳が大きくて可愛い。
だが次の瞬間、彼女は怯えた顔でひっ、と窓側へ身を寄せた。
「だ、だだ、誰ですか!?」
「あっ、すいません、俺、ちょっと」
「路線バスがパンクして、同乗してもらってるの。あ、えーと」
マヤさんが言いづらそうにしてる。
ああ、自己紹介とか、してないもんな。
「からすまです。鴉間里矢」
「さとやくん、ね。いい名前。わたしはマヤ、んでこっちがいすず」
「どーもぉ」
美人OLふたりが、いまさら自己紹介してくれた。
「ども」
「んで、そこで寝こけてたのがイブキ。あ、胸揉んじゃってもいいから」
「だ、だめですー」
イブキさんが慌てて腕で胸を隠す。
いや揉まんし。揉みたいけど。
「君の後ろにいるイケメン落花生がナリタ」
「ようこそ鴉間くん」
指を2本こめかみに当て、軽くウィンク。
うーむ。絵になるイケメンだ。
「あの、皆さん何の団体なんですか?こんな田舎に」
マヤさんに聞いてみると、んー、と形の良いあごに指を当てた。
「なんだろうね。昔からの知り合い、的な?よくこうやって、日本各地の神社とか名所旧跡を回って宴会してるツアー団体、かな」
「へええ」
暇な人たちもいたもんだ。
まあ、そのおかげでこうやってバスに便乗させていただいているわけだが。
「あ、さとやくんいま、わたしらのこと暇人やなあ、とかおもたやろ?やろ?」
「い、いひゃいへふっ」
マヤさんが両方のほっぺをぐにー、と引っ張ってきた。
痛い。結構本気で痛い。夢じゃないことは確実だ。
と、背中に幸せな感触が当たった。
「マヤさん、いじめちゃだめですー」
イブキさんが、抱き抱えるように庇ってくれた。
マヤさんの指から解放される。
イブキさんに抱き抱えられる格好になる。てことは、この、背中の幸せなふたつのふくらみは。ああ。
「何よイブキ、サトヤくんのことが好みなの?」
「べ、別に、そんなんじゃないですー」
イブキさんが慌てて離れる。
幸せな感触はどこか遠くへ去ってしまった。残念。
しかし、イブキさんの声って透き通っていると言うか、すごく透明感のある声だなあ。
「ども。・・・・・・イブキさんは、巫女さんなんですか?」
俺は向き直って聞いてみた。真近に見ると、やはりとても可愛い。
チア部の超可愛い子のことをなんとなく思い浮かべた。さすがにあそこまで可愛いわけじゃないけど。
「ううん、違いますー」
イブキさんが笑った。
「これは、ただの普段着ですー」
「はあ、普段着、ね」
これが普段着て、どういう生活してんだか。
と、マヤさんが俺の方に顔を寄せてきた。
「んー、少年、君、なんやらめっちゃええ匂いするなあ。君、酒蔵の子?」
「いえ。・・・・・・・・・・・・あ、これかも」
俺は親が持たせてくれた酒瓶をバッグから取り出した。
ひょい、とマヤさんに奪い取られる。
「あ」
「ほうほう、八兵衛、ね。ええ酒や。・・・・・・な、ラベルが逆さになった、うっかり八兵衛、やと・・・・・・?」
わなわな、と震えるマヤさん。
日本酒、お詳しいのだろうか。
栓に手をかけそうになるのを、となりのいすずさんががし、と押さえる。
「あかんやろ?それ、からすまくんのやし」
「けどお」
「だーめ。きっとお供物や。なあ?」
「ええ」
「ほら。てことは、まあ、いずれな」
「ううう・・・・・・呑みたい・・・・・・」
しぶしぶといった表情で、マヤさんが酒瓶を俺に戻した。
俺はバッグにしまう。危ない、開けられちゃうところだったぜ。
てか、栓がしてあるのによく匂いに気づいたもんだ。酒の匂いに敏感なんだろうか。こんなに呑んでるのに。
ああ、なんか甘い匂いがする。
お酒の匂いだろうか。
だんだん、眠くなってきた。
ZzzzZzzz
・・・・・・
「・・・・・・さん、おにいさん」
肩をゆすられていた。
「・・・・・・はあ」
「着きましたよ、終点」
「・・・・・・ああ、ども」
運転手さんだった。
俺は周囲を見た。誰もいない。
「・・・・・・あれ、他の人、は」
「誰もいませんよ。はい、荷物」
バスを降りた。
暑い太陽が照らしつけてくる。
俺は山道を、神社を目指して歩いた。
歩くこと15分、ようやくオンボロな、しかし格式高そうな神社が見えてきた。
「お邪魔、しまーす」
声を上げると、奥からお爺さんが出てきた。
「おお、里矢。しばらくだな。上がりなさい」
「じっちゃん、久しぶり」
記憶にあるより、多少歳を取った祖父が、俺を迎えてくれた。
冷たい麦茶を出してもらって、ふう、とひと息つく。
電気がないのに、と思ったら、井戸で冷やした、と言われた。なるほど。
荷物を下ろし、お酒を渡す。
爺さんは酒瓶を見て、大層喜んでくれた。
「じっちゃん、お酒が好きなの?」
「いいや、酒を持って山を登ることが肝心なんじゃよ。酒は酒気、神気と重なり、すなわち神と通じる。良い香りのする新しい酒は、神を呼び込むんじゃ」
爺さんは酒瓶をお供えして、さっそく手を合わせていた。
そうめんを食べさせてもらい、また麦茶を飲んだ。冷たくて美味しかった。
その後、2時間ほど「行」とかいうものに付き合わされた。
神に祈る儀式、なのだそうだ。長々と祝詞を唱え、白い紙をつけた棒を何度も振っていた。
俺は途中から正座が痛くなり、終わった頃には歩けないでいた。
ふう、と爺さんは行を終え、疲れ切った様子で座り込んだ。
「これが幽幻夢幻の行、じゃ。古くから我が神社に伝わる、神様と一体化するための儀式じゃな」
「おつかれさまでした」
「うむ。・・・・・・しかし、ここは古い。もうわしの代で終わりじゃな」
寂しそうに言うじっちゃんの顔に、先ほどのバスの人々の顔を思い出した。
「なあ、じっちゃん」
「うん?」
「さっき、バスで変わった人たちに会ったんだ。団体で、老人も子供もいて、日本全国あちこちを旅行して回ってるんだって。うちの神社のことも知ってたよ。有名だって」
「ほう」
「またお参りに行く、て言ってたけど」
「知らぬな。団体のお参り客など、ここ数年来、ついぞこのかた来たこともないが」
そっか。
マイナーな神社だと分かってて、わざとそんなふうに言ってくれてたんだろうか。
嘘やお為ごかしを言う人たちには思えなかったが。
じっちゃんとふたり、日が暮れる前に夕食を簡単に済ませた。
ちょっと物足りなかったが、ここには電気もないし、文句は言えない。
俺はマキを割り、風呂を焚いた。じっちゃんは喜んでくれた。
日が暮れると、もうすることがなくなった。
電灯はつかないし、エアコンはないし、テレビもない。ネットも通じない。
「今夜はここで寝るが良い。風通しが良くて、涼しいぞ」
「うん」
じっちゃんに言われて、神社の伽藍の真ん中に布団を敷いた。
こんなところで眠れるかな、と思ったが、疲れていたせいか、あっという間に睡魔に襲われた。
11
お気に入りに追加
124
あなたにおすすめの小説

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。


ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる