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19 雨屋小智子3-1
しおりを挟む19 雨屋小智子3
「びっくり、だったね」
「ああ」
放課後。屋上。
俺は、乗宮とグラウンドを見下ろしていた。
昨日の、うちの家のことだ。
兄貴が連れてきた結婚相手、それは。
男性だった。
母さんは、話を聞いて崩れ落ち、泣き出した。
父さんは怒らなかったが、ただ一言、出て行ってくれ、とだけ言った。
兄貴と友人、いや恋人の斎藤さんはつらそうな顔をしたが、多くを語らずに帰っていった。
俺は兄貴に乗宮を紹介するタイミングを逃して、両親も逃げるように二階へとあがっていって、ふたりで夕食を食べた。本当は6人で食べるように、用意されていたものを。
俺もあまりしゃべらなかったし、乗宮もほとんど話さなかった。
お通夜みたいだ、と思った。
「お兄さん、確か女子にモテるって聞いたけど」
「ああ。高校の頃は、ちゃんとノーマルだったよ。男が好き、なんてひとことも」
多様性の時代だ。
誰をパートナーとして選ぼうと、それは受け入れるべき、俺だってなんとなく、遠い世界の話としてそう思っていた。
だけど、実の兄が男性と一緒に暮らしている、そのうち入籍も、という話を聞くと、複雑な気持ちになる。
兄貴のことは好きだ。兄弟として、バスケの先輩として、あるいは人生の先輩としても尊敬している。
兄貴がうちのバスケ部を率いていた時代、インターハイにまで出場した。以来一度も出場できていないので、「伝説のチーム」として語り継がれている。
その後、現役で国立大学に受かって。進学も就職も、何不自由なく過ごして。
親からすれば、理想的な息子だったはず。
その兄貴が。
両親にとっては、青天の霹靂、では済まないだろうな。
朝も精気のない顔をしていたふたりを思い出す。
(いつか、ちゃんと分かってもらえると思う。おまえにもな、サトヤ)
(・・・・・・)
そう言って、寂しそうに去っていった兄貴とそのパートナーの斎藤さん。
分かるだろうか。俺に。
きっと一生分からない。
多様性だなんだと、それは押し付けるものじゃない。多様性を受け入れるなら、多様性を受け入れない意見も受け入れるべきじゃないのか。少なくとも、うちの両親は深く傷ついていた。
乗宮が、青い空を見上げた。
「そういうのってアリだとは思ってたけどさ、頭では」
「だな」
「もしカラスマとみつるがそうなったら、たぶんわたし殴る」
「どっちを?」
「両方」
「はは」
乗宮らしい意見だ。
がた。
屋上の錆びつきかけた扉が開いて、誰かが現れた。
「よう、雨屋」
俺は声をかけた。
彼女はうちのクラスの委員長であり、誰からも慕われ、誰にも優しい笑顔を向ける成績優秀優良模範三つ編みメガネ少女である。
そんな雨屋と俺とは、知らない間柄ではない。
その後ほとんどしゃべらないが、生徒会長を学校から事実上追放し、スマホを破壊し、動画を消去したことは我ながらよくやった、と自負している。
雨屋もそう思ってくれているだろう、と思っていた。友人というより、戦友ってイメージだ。
だが、そんな雨屋が、誰にでも自分から笑顔で挨拶するような雨屋が、俺を睨みつけていた。
「・・・・・・雨屋?」
「こんにちは」
硬い表情。
くる、と踵を返し、俺たちとは反対方向の屋上へ消える。
俺は乗宮と顔を見合わせた。こんな無愛想な雨屋、見たことがない。
「・・・・・・乗宮おまえ、何やったんだよ」
「なんでわたしがやったって前提なんだ。カラスマだろ?」
「俺、なんもしてないし」
してない、よな。
まあ、色々したけど。少なくとも、雨屋に睨まれるようなことは。
あ、もしかして。
動画が残ってたとか。PCとかクラウドとかに。それをネットに流されて。
しかし、それは乗宮の前では言えない。彼女には内緒にしているからだ。言えば、雨屋があのクソ野郎にレイプされたことが知られてしまう。
「・・・・・・俺、ちょっと雨屋に謝ってくる」
「ほらやっぱり」
「いや違う、単なる勘違いだと思う。・・・・・・先、教室に戻っててくれ。またあとでな」
「浮気すんなよ」
乗宮が階段を降りていった。
俺は意を決して、反対側でひとり弁当を広げている雨屋のところへ向かった。
「雨屋」
「・・・・・・」
「何か、あったのか」
「・・・・・・」
「ひょっとして、生徒会長が、また」
「・・・・・・なにもないよ」
「動画とか、か?」
「・・・・・・そんなんじゃない」
沈黙。
うーむ。取り付くシマがない。
「どうしたんだ?俺たち、協力しあって____」
「よく、そんな顔していられるね、からすまくん」
「は?」
「そんな、何もなかったような顔して、乗宮さんと話していられるねってこと」
「いや、それは別に」
「恥ずかしいと思わないの?彼女に」
「・・・・・・」
何だ。
何がバレた。
森下を多目的トイレに連れ込んで襲ったことか。
いやあれはずいぶん前だし、未遂だし。いや未遂でもアウトだけど。
帰り道で無理矢理キスした件か。
森下が雨屋だけに相談した?だけど秘密だと念を押していたし、そんなことするかな。
木津川と何年も暮らして、子供まで作ったことか。
でもあれ夢の中だし。その後、木津川と何もないし。
やっぱり、リカちゃん先生か?
まさか、保健室を覗いて見ていた?でも鍵かかってたよな。他に誰もいなかったし。
リカちゃん先生が雨屋に相談を?でも絶対に内緒だって誓ったし。
うーん、なんだろう。どれも決定感に欠ける。
雨屋は細かいことまでよく知っている。クラスの中も外も、学校の中も外も。
だめだ、降参だ。
「・・・・・・本当に分からないよ雨屋。俺がなにをしたってんだ」
「・・・・・・ラブホ」
「へ?」
「ラブホから、出てきたでしょ。本織さんと」
あ。
ああ。あれか。
ホッとした。ただの誤解だ。
「いや、あれは」
「ほんと、信じられない。・・・・・・からすまくんのこと、いい人だって思ってた。信じてた。でも、嘘つきだったんだね」
「雨屋、誤解だ」
「じゃあ、乗宮さんにそう言ってみれば?同級生とラブホに行きましたけど何もしてません、誤解ですって」
べき。
割り箸じゃない箸が、彼女の手の中で折れた。
怒ってる。
雨屋はめちゃくちゃ怒っている。ヤバい、怖い。
「雨屋、ちゃんと言うから聞いてく____」
きーんこーん。
昼休みが終わった。
雨屋はもう一度俺を睨むと、弁当をささっと片付け、駆け出していった。
うーむ。
金曜5限目、眠いが眠ったら叱られる先生の授業だ。古文ではない。
目の端で、雨屋はちゃんとノートを取っていた。
その様子は、普段と変わりない。
乗宮は爆睡していた。
こっちも、普段と変わりない。
別に、雨屋にどう思われようが、誤解は誤解だ。俺は本織とラブホに入ることは入ったが、それは彼女のパパ活売春を止めるためだ。
良いことはしても、悪いことなどしていない。ジッチャンと股間の息子さんに誓って、そう言える。
だが、雨屋のあの様子じゃ、もう悪事確定、といった顔だった。
もし彼女が閻魔大王なら、あの場で即ジャッジメント、言い訳する前に舌を引っこ抜かれていただろう。そんな顔つきだった。
さて、どう誤解を解くべきか。
(雨屋、塾にでも行ってたのかな)
あの場所にあの時間、そんなところに学習塾なんてあっただろうか。
あるいは彼女の家の近く、とかか。偶然通りかかった的な。
ここは、本織にも話をしてもらうか。
いやだめだ、そうすれば彼女のパパ活が雨屋にもバレる。雨屋なら言いふらしたりはしないと思うが、本織が嫌がるだろう。
それに、俺と本織が話を合わせてるだけ、て思われるかもしれない。余計に反感を募らせそうだ。
うーん、やっぱり、能力を使うしかないか。
避けられないように、夢の中でちゃんと説明すれば。
だけど、俺は雨屋のキーアイテムを持っていないし、雨屋とゆっくり話すようなタイミングもない。
何せ、あの雨屋だ。授業中に居眠りすることなんて絶対にない。数少ない例外が月5古文だ。それ以外は、授業中の居眠りなどあの時以来見たこともない。
だとしたら来週月曜の5限だが、それは貴重な1枠だ。あと数回しか使えないであろう能力を、雨屋に言い訳するためだけに使うのか。なんてもったいない。
だめだだめだ。月5はだめ。女子に、できれば森下に使いたい。使わなきゃいけない。
くそ。
なんか、雨屋に対する怒りがふつふつと湧き上がってきた。
あのアマ、言いたい放題言いやがって。何様のつもりだよ。
俺にどんだけ借りがあると思ってんだ。俺だって、生徒会長のスマホの動画を消すために、退学になる覚悟までして襲撃したんだぞ。みつるも。
それも全部、雨屋のためだ。別に恋人でもなく友人でもない、ただのクラスメイトのためだ。
馬鹿にしやがって。
何なら、今からクラス中、いや学校中に言いふらしてやろうか。こいつは生徒会長に誘われてノコノコついてって、レイプされたメス豚ですよーって。さぞ男子生徒たちが好奇の視線を送ってくれるだろう。
・・・・・・はあ。
やめだやめ。もうどうでもいいや。あんなやつ。
もう、関わるのはやめよう。俺にとって不要な人間だ。
「_____で、あるからして、次、鴉間!」
「は、はひ!」
「続き、読め!」
「はい!・・・・・・どこか分かりませーん」
「馬鹿者!ぼうっとするな!」
失笑が起こった。
ほらここ、と、昨日席替えで隣になった本織が教えてくれた。あー、ここね。はいはい。
「う、ういーあーのっと、ぷれいふぉーみー、ばっとぷれいふぉーちーむ」
「よし。座れ。次」
はあ。
なんとか終わった。
俺は本織に、さんきゅ、と手で合図した。本織は嬉しそうにテキストで顔の下半分を隠しながら微笑んでくれた。
それを冷酷な目で見ている視線に、ふたりとも気づかずに。
自宅に帰ると、家の中が真っ暗だった。
あれ、母さんもまだか、と居間の電気を灯してひいっ、とビビった。両親とも、テーブルに座っていたのだ。
電気を消して、真っ暗な居間に。
「ど、どうしたの、母さん、父さんも」
「・・・・・・さとや」
「はい」
「あなたは、あなたは、大丈夫よね!?」
母さんが、血走った目を向けてきた。
父さんも、頬がこけてしまってまるで別人だった。こりゃ、丸一日何も食ってないな。
「だ、大丈夫って、何が」
「その、乗宮さんよね?みつるくんじゃ、ないわよね!?」
ははあ。
兄貴のことか。
「・・・・・・兄貴のことを言ってるんなら、まあ、俺は今のところ、女子が好きってことで」
「ずっと、それでいてくれるわね!?」
「まあ、そのつもりだけど」
兄貴だって、少なくとも高校の頃はそうだったんだし。
何が起こったのかは分からんけど、どこかで「そういう」性的嗜好が芽生えたんだろうな。
母さんは、俺の腕をがし、と握った。
「お願いだから!ずっとそのままでいて!今すぐ乗宮さんと、結婚してくれていいから!」
「いや、それはあっちが困るだろ」
「ねえ!どんな人でもいいの!ちゃんと、女の子を好きになってね!今から赤ちゃんを産んでもいいのよ、母さん、ちゃんと育てるから!」
母さん。
こんな無茶を言う人じゃなかった。
よほど堪えたんだろうな。
俺は母さんの両腕を剥がした。
「落ち着きなよ母さん。別に、兄貴が特殊ってわけじゃなくて、今はそういう____」
「他の人はいいの!うちの問題なの!あなたまでそうなっちゃったら、わたしたちは孫の顔も見られないのよ!」
「母さん、里矢も。・・・・・・座りなさい」
父さんが言って、母さんも俺も座った。
夕食の時間なのに、何も載っていない食卓に。
「・・・・・・LGBTQや世間の風潮は知っている。俺もこれまで、どこか他人事のように、多様性を受け入れる社会も大切だ、そう思ってきた。会社でも、そういう社員を受け入れるべきだ、そういう議論も行い、むしろ推進してきた。・・・・・・だがな、我が家の問題となったら、違うと思ってしまうんだ」
「・・・・・・うん」
「里矢、頼みがある。・・・・・・星矢を、説得してきてくれないか」
「え」
何を言って。
そんなもん、兄貴が俺の話を聞いて、気持ちが変わるわけが。
・・・・・・いや、待て。
可能性は、ある。確かに。
それは父さんも母さんも、知らないことだけど。
「望みが薄いことは分かっている。星矢はあれで頑固な男だ。わたしや母さんの言葉に耳は傾けても、意見は変えまい」
「だったら」
「だが、おまえは違う。里矢、星矢はおまえのことを昔から気に入っている。お前にバスケットボールを勧め、同じ高校への受験を勧めたのも星矢だ。顔だけじゃなく、仕草や声もそっくりだ」
そうかな。全然そう思えないが。背も低いし。
「お前は星矢のことをどう思う?里矢」
「・・・・・・そりゃまあ、驚いたけど、兄貴が決めることかなって」
それが正直な感想だ。
兄貴が自分を曲げて、無理矢理女性と結婚して、仮初めの家庭を作ることなんて俺は望んでいない。それは兄貴じゃなく、両親が望んでいることだ。
だいたい、そんなので生まれた子どもはどう思うんだ?相手の女性は?愛のない家庭で、幸せだって感じるだろうか?
「わたしはな、里矢、母さんと話していて、決めたんだ」
「何を」
「このままなら、星矢と親子の縁を切ろう、ってな」
「まさか」
そんな。
だとしたら。
「お前と星矢も、兄弟の縁を切ってもらうことになる」
「・・・・・・」
「それは嫌だろう?」
「・・・・・・当たり前だろ」
「そのつもりで、説得に当たって欲しい。お前に責任を押し付けるつもりはない、わたしたちにとって、お前はそう、蜘蛛の糸だ」
父さんは、禁煙していたはずのタバコを取り出した。
火をつけ、煙を吐き出す。
「わたしと母さんは今日、星矢のところへ行ってきた」
「・・・・・・」
「だが、星矢の考えは変わらない、ということがよく分かった」
「・・・・・・親子の縁を、って話は?」
「した。ならば仕方がない、そう星矢は寂しそうに言った」
「・・・・・・」
覚悟の上、か。
まあ、兄貴ならそうだろうな。
「蜘蛛の糸、だ、里矢。もうわたしたちには、お前に頼る以外に方法が思いつかないのだ。わたしたちは地獄の底にいて、天井から吊るされたおまえという一本の蜘蛛の糸にすがるしかない。・・・・・・分かってくれ」
「・・・・・・」
無理だ、直感的にそう思った。
俺が何と言おうと、兄貴が翻意するわけがない。
夢や催眠の力を使っても。そんなもん、小手先だけのものだ。
俺は森下が好きだ。それをみつるにしろ、って言ってるようなものだ。人の思考、嗜好、性癖なんて変わりっこない。無理に変えても、いずれまた元へ戻るだけだ。
「・・・・・・俺が話して、兄貴が聞き入れたとして」
「うん」
「じゃあ、兄貴が急に女の人と幸せになって、子どもを作って、家庭を持って」
「うん」
「で、それで兄貴は幸せなのかな」
「わたしたちは、それが普通だと」
「普通ってなんだよ。兄貴は自分の好きな人を諦めて、父さんや母さんの思う幸せのために、一生嘘をついて暮らすっていうのか?」
「だが」
「俺はそんなのごめんだ。俺は、俺が望む人生でいたいよ。兄貴だってそうだ。ショックだったけど、やっぱり兄貴の言うことは正しいと思う。人の気持ちの、根本を変えることなんてできないよ」
「・・・・・・そうか・・・・・・」
母さんは机に突っ伏して、泣き始めた。
父さんはじっと眼の前を睨んだまま、もう何も言わなかった。
俺は家にいるのもつらくなり、外へ出た。
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