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15 森下小春2
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15 森下小春2
バスケ部では、部活の後でフロアのモップがけがある。
その後、ボール磨きもしなければならない。これは伝統的に、2年生以下の補欠たちの役回りである。
あー疲れた。
俺は着替えを終えると、暗い夜道をとぼとぼと校門に向かって歩いた。
今日は女子バスケ部が休みだから、乗宮が待っててくれてたりもしない。あーさみしい。
偽の関係とはいえ、カノジョ的存在が待っててくれて、後輩たちにいいっすよねーパイセンとか羨ましがられて、電車に乗り一緒に帰るのは嬉しいものだ。
「あ」
「森下?」
校門の陰で、森下小春が人待ち顔で立っていた。
こんな遅い時間に。もうチア部はとっくに終わってるだろうに。
「もしかして、みつる待ち?」
「うん」
「あいつ、もう帰ったよ。俺たちは片付けしてたから」
「えっ」
みつるはレギュラー組だから、後片付けは免除されている。
以前は手伝ってくれたり、待っててくれることもあったが、俺が乗宮と付き合い始めてからそれもなくなった。怒ってるのかもしれないし、気を遣ってくれているのかもしれない。
「その、待ってるって、LIMEしたんだけど」
「あー、あいつ、今日スマホ家に忘れてたって言ってたから」
「そ、そっか・・・・・・」
明らかに、落胆した顔。
この様子じゃ、結構長いこと待ってたんだろな。
「・・・・・・駅、行く?」
「うん」
俺は、森下と一緒に駅へと向かった。
あーあ。これが友人のカノジョとしてではなく、ホンモノの俺のカノジョ、だったらなあ。もう、毎日がハッピーでスペシャルで仕方ないのに。
「ね、からすまくんって、乗宮さんと付き合ってるんだよね?」
歩きながら、森下が話しかけてきた。
「ん、まあ」
「最近、乗宮さんとよく話すんだ。学校とかで。みつるくんも。みつるくんと乗宮さん、中学の頃から同じバスケ部なんだって」
「だな」
「よくからすまくんのことも話題に出るよ。乗宮さんも、すごく嬉しそうだし」
「そうかなあ」
俺といるときはあいつ、みつるの話ばっかりしてるが。
まあ、俺も森下可愛いばっかり言ってるので、一緒なのだが。
「・・・・・・なんだか、乗宮さんを見てると、ちょっと自信無くしちゃう。運動神経すごいし、背が高くてカッコいいし、美人だし、まつ毛長いし、目も切れ長だし、モデルさんみたいだなって。わたしも、乗宮さんみたいな美人に生まれたかった」
「・・・・・・」
(わたしも、こはるちゃんみたいに、可愛く生まれたかった)
そんなふうに夢の中で泣いていた、乗宮の顔を思い出す。
「ないものねだり、だな」
「え?」
「いや、森下みたいに生まれたかったって女子もいると思うぞ。それなりに」
「そうかなあ。わたしなんて、ふつーだし。・・・・・・ううん、ふつーですらないし」
謎なことを言い、森下は俯いた。
これは謙遜していたり、可愛いのを分かっててあざとく言っているわけではないらしい。
どうやら、森下は本当に、自分が超可愛くて、男子の視線を集めている、てなことにも気づいていないようなのだ。みつるの言葉を信用するなら。
「森下は、可愛いよ」
「えっ!?」
「クラスの中でも、学校の中でも、森下より可愛い奴ってそうそういないと思うよ」
「そうかなあ。・・・・・・うん、でも、ありがと」
ニコッ。
森下は微笑んだ。
あーあ。
可愛い、とか、みつるのカノジョだから口にできる言葉だ。軽い感じで言うことができる。きっと、こんな関係じゃなきゃ言えない。
俺ってヘタレだなあ。
「その・・・・・・からすまくんも、カッコいいよ。背も高いし、話しやすいし。クラスの女子の間でも、人気だもん」
「んなことねー」
「ううん、ほんと。みんな、あんまり口にはできないけど、乗宮さんのこと、羨ましく思ってるひといるもん」
「付き合う前に教えて欲しかったな。森下の口から」
「あ、じゃあわたしも、可愛いって、みつるくんと付き合う前に言って欲しかったかも。からすまくんに」
はは。
くっそ楽しいぜ。森下との時間は。
笑っている間に、駅についた。
ここから先は別方向だ。
「・・・・・・じゃあ、また明日ね」
「家まで送っていこうか、森下」
「え?・・・・・・ううん、悪いよ、もう遅いし」
「いや、遅いからさ」
万が一。
万が一にも、森下を他の男や痴漢なんかに。
「・・・・・・いいの、かな」
「いいよ」
「うち、駅から遠いし」
「知ってる。前も行ったし」
花火の日。
あの日、森下を駅のトイレへ連れ込んで、俺は。
ホームに電車が入ってきて、俺たちは並んで座った。
長いこと待って疲れていたのか、早くも森下はウトウトとし始めた。
俺は、そのスカートの裾を、そっとつまんだ。
白い霧に覆われた世界。
よし、白昼夢の中だ。
「催眠」をかけようとして、俺は思いとどまった。
森下は俺のことを信頼してくれている。だから家まで送っていく、との言葉に頷いてくれた。
それを裏切る行為じゃないのか。やめておくべきだ。
やめろ。
やめろ。
やめろやめろ。
こんな手段を使って、恥ずかしくないのか。
俺の心が言う。
彼女の信用を裏切る行為だ。
ちゃんと正々堂々と、森下に好きになってもらえるように努力しろ。
何を言ってる。
別の俺が言う。
こんなチャンス、何度もあると思うのか。
みつるに、彼女を奪われていいのか?
あいつの部屋で、あいつのベッドで。
脱がされ、舐め回され、しゃぶらされ。
あんあんと喘がされているところを想像してみろ。いいのか?
嫌だ。絶対に嫌だ。許せない、そんなこと。
だったらやれ。甘っちょろいことを考えるな。
全力で森下こはるを落とせ。
こんな能力があるなら、使えよ。
それが乗宮のためでもある。そうだろ?
そうだ。
乗宮のためだ。
これは、乗宮のためなんだ。協力するって、言ったじゃないか。
やれ。
やれ。
やれ。やれ。やれ。やれ。やれ。
だめだ、だめだ。
これは卑怯だ。俺は卑怯者になってしまう。
何を言ってやがる。
こないだ、多目的トイレで何をした?
チンコをつっこみかけたのは誰だった?
お前はレイプ犯だ。未遂ってだけの。
したいだろ?彼女と。
最後まで、ヤりたいだろ?
したい。
したい。したい。
したい。したい。したい。したい。したい。したい。
最後まで、したい。カノジョにしたい。俺のものに。
乗宮。
彼女も幸せになる。そしてみつるも。
みつるは元々、乗宮が好きだった。恐らく今でも。
乗宮と付き合うことになった、そう話した瞬間のあいつの表情を、うまく隠したはずの感情を、俺は忘れていない。
友人のため。親友のため。
俺は、裏切者にでも卑怯者にでも、なんにでもなってやる。
がたん。ごとん。
白い霧の中でも、電車がリズミカルに揺れる振動が、伝わってくる。
人を眠へと誘う調律。左の肩に、そっと森下がもたれかかっている。重みと体温を感じた。
「森下こはるは、本当は、鴉間里矢が好きだ」
そう口にした。
少し、霧が揺れる。
「鴉間里矢が好きだ。好きだ。好きだ。好きで仕方がない」
「顔を思い浮かべるだけで、胸が熱くなる」
「鴉間が乗宮あこと一緒にいるのを見ると、苦しくなる」
「本当は、自分が隣にいたい」
そんな言葉を、毒を、彼女の心へと植え付けていく。
そして、さらなる毒を。
「時生充は、本当は乗宮あこが好きだ」
「乗宮も、時生充のことが好きだ」
「ふたりはとてもお似合いだ、森下こはるには敵わない」
「ふたりをくっつけるべきだ」
「みつるは、乗宮が好きだ。みつるは乗宮が好きだ。みつるは乗宮が好きだ。好きだ。好きだ。みつるは乗宮が好きだ。心の底から、彼女のことを愛している」
「ふたりは将来、結婚する運命にある。誰にも邪魔はできない」
「森下こはるは、時生充には不釣り合いだ。鴉間里矢のほうが、相応しい相手だ」
「キスしたい、鴉間に」
「駅の改札を出たら、キスしよう」
こく。
彼女が頷く。
がたん。
電車が駅についた。彼女の降りる駅へ。
「森下」
俺は彼女の肩を揺すった。
「あれ・・・・・・あたし、寝てた?」
「おう。着いたぞ」
「う、うん。・・・・・・ありがと」
階段を昇り、また降りる。
改札へと、彼女が定期を押し当てた。ピッ。
「からすまくん」
駅のサークルを抜けたところで、彼女はくるりと振り向いた。
「ね、キス、しよ」
「・・・・・・」
やっぱり、森下は素直な子だ。
だから、催眠も効きやすい。
彼女が、俺の首に腕を回した。目を閉じて、顔を近づけてくる。
俺は目を閉じた。
だが。
予想した感触は、やってこなかった。
目を開けると、じ、と森下が俺の顔を見つめたまま、固まっていた。
「あ、あれ、あたし、ど、どうしちゃったんだろ、こんなこと」
顔を赤らめ、ほとんど触れ合う直前の距離から、慌てて離れる。
くっそ。あともう少しだったのに。
だが、俺も反応しなければならない。
「・・・・・・びっくりしたよ。寝ぼけてたのか?森下」
「うん、そう、かも。昨日、ちょっと夜更かししちゃって。・・・・・・ごめん、からすまくん」
「はは。みつると間違えたのか?」
「ううん。・・・・・・みつるくんとは、こういうこと、しないし」
あ。
そうだった。前回もそう言ってたな。
みつる、どういうつもりなんだろう。
カノジョになってもうそれなりに経つのに、キスもしてないなんて。
俺だったら、付き合って初日にしちゃうだろうな。あるいは、それ以上のことも。
俺は森下と並んで歩き出した。
彼女は赤い顔に、手でぱたぱたと風を送った。
「あー、びっくりしちゃった。・・・・・・良かった、途中で気づいて。ファーストキス、からすまくんとしちゃうところだったよ」
「俺は構わないけどな」
「そんなわけないよ。きっとあとで傷つくし、乗宮さんに怒られちゃう」
傷つく?
どういう意味だろう。
俺が傷つくはずもないのに。
「怒らんと思うけど」
「ゼッタイ怒るよ。わたしだって、みつるくんが他の女子ととか、考えたくないもん」
「あいつはしないだろうな、そんなこと」
「うん。・・・・・・あたしとも、してくれないけど」
してくれない?
森下は望んでいるんだろうか。
みつるが拒否している?
あいつ、どういう了見なんだか。
「森下は、キスしたい?恋人と」
「うん・・・・・・そりゃあ、ね。やっぱり、憧れるし」
「だよな」
「どんな感じなんだろう、キスするって。ね、からすまくんはもうした?乗宮さんと」
「ん、まあ」
「やっぱり。だよね。恋人って、そういうもんだよね」
彼女の家が見えてきた。
もっと離れててもいいのに。もっと遠くてもいいのに。もっと話したい、もっと一緒にいたいのに。
「送ってくれてありがとう。じゃあ___」
「森下」
がば。
俺は彼女を抱きしめた。
「え、え、え、か、からすま、くん」
「もう、我慢できない」
強引に、唇を奪った。
むぐ、と彼女の声が聞こえた。
一瞬、抵抗する力を感じた。
でも、それはすぐに抜けていった。脱力した森下の身体を、俺は強く抱きしめた。
長い間、キスをしていた。
息が続かなくなるまで。
ぶはっ。
大きく、息を吐いた。
「・・・・・・どう、して」
「俺がお前を、お前も俺のことを好きだからだ」
彼女の瞳は、驚きの色を隠せないでいた。
だけど、涙は溜まっていなかった。
「そ、そんなこと」
「俺は知ってる。森下の、本当の気持ちを」
「ほんとうの、きもち」
「ああ。森下は本当は、俺のことが好きなんだ」
どこまで、催眠が効いているんだろうか。
全く的外れかもしれない。
「・・・・・・そんなこと、ないから」
「森下」
「そんなこと、ないから!あたしは、みつるくんが好きだから!」
ダッと駆け出し、家の方へと向かう。
・・・・・・失敗だったか。
あーあ、これでみつるに殴られるだろうな。いや、そんなんじゃ済まないか。
と、森下が立ち止まった。
彼女の小さな背中だけが見える。
「・・・・・・さっきの、忘れて」
「え?」
「さっき、したこと。忘れて。あたしも忘れるから」
「森下」
「乗宮さんにも、言わないで。・・・・・・みつるくん、にも」
「・・・・・・」
「あたしも、言わないから」
「・・・・・・分かった」
「絶対、だよ?」
「ああ」
「誰にも。ふたりだけの秘密、だよ」
「うん」
ばたん。
冷たい音を立てて、玄関扉が閉まった。
バスケ部では、部活の後でフロアのモップがけがある。
その後、ボール磨きもしなければならない。これは伝統的に、2年生以下の補欠たちの役回りである。
あー疲れた。
俺は着替えを終えると、暗い夜道をとぼとぼと校門に向かって歩いた。
今日は女子バスケ部が休みだから、乗宮が待っててくれてたりもしない。あーさみしい。
偽の関係とはいえ、カノジョ的存在が待っててくれて、後輩たちにいいっすよねーパイセンとか羨ましがられて、電車に乗り一緒に帰るのは嬉しいものだ。
「あ」
「森下?」
校門の陰で、森下小春が人待ち顔で立っていた。
こんな遅い時間に。もうチア部はとっくに終わってるだろうに。
「もしかして、みつる待ち?」
「うん」
「あいつ、もう帰ったよ。俺たちは片付けしてたから」
「えっ」
みつるはレギュラー組だから、後片付けは免除されている。
以前は手伝ってくれたり、待っててくれることもあったが、俺が乗宮と付き合い始めてからそれもなくなった。怒ってるのかもしれないし、気を遣ってくれているのかもしれない。
「その、待ってるって、LIMEしたんだけど」
「あー、あいつ、今日スマホ家に忘れてたって言ってたから」
「そ、そっか・・・・・・」
明らかに、落胆した顔。
この様子じゃ、結構長いこと待ってたんだろな。
「・・・・・・駅、行く?」
「うん」
俺は、森下と一緒に駅へと向かった。
あーあ。これが友人のカノジョとしてではなく、ホンモノの俺のカノジョ、だったらなあ。もう、毎日がハッピーでスペシャルで仕方ないのに。
「ね、からすまくんって、乗宮さんと付き合ってるんだよね?」
歩きながら、森下が話しかけてきた。
「ん、まあ」
「最近、乗宮さんとよく話すんだ。学校とかで。みつるくんも。みつるくんと乗宮さん、中学の頃から同じバスケ部なんだって」
「だな」
「よくからすまくんのことも話題に出るよ。乗宮さんも、すごく嬉しそうだし」
「そうかなあ」
俺といるときはあいつ、みつるの話ばっかりしてるが。
まあ、俺も森下可愛いばっかり言ってるので、一緒なのだが。
「・・・・・・なんだか、乗宮さんを見てると、ちょっと自信無くしちゃう。運動神経すごいし、背が高くてカッコいいし、美人だし、まつ毛長いし、目も切れ長だし、モデルさんみたいだなって。わたしも、乗宮さんみたいな美人に生まれたかった」
「・・・・・・」
(わたしも、こはるちゃんみたいに、可愛く生まれたかった)
そんなふうに夢の中で泣いていた、乗宮の顔を思い出す。
「ないものねだり、だな」
「え?」
「いや、森下みたいに生まれたかったって女子もいると思うぞ。それなりに」
「そうかなあ。わたしなんて、ふつーだし。・・・・・・ううん、ふつーですらないし」
謎なことを言い、森下は俯いた。
これは謙遜していたり、可愛いのを分かっててあざとく言っているわけではないらしい。
どうやら、森下は本当に、自分が超可愛くて、男子の視線を集めている、てなことにも気づいていないようなのだ。みつるの言葉を信用するなら。
「森下は、可愛いよ」
「えっ!?」
「クラスの中でも、学校の中でも、森下より可愛い奴ってそうそういないと思うよ」
「そうかなあ。・・・・・・うん、でも、ありがと」
ニコッ。
森下は微笑んだ。
あーあ。
可愛い、とか、みつるのカノジョだから口にできる言葉だ。軽い感じで言うことができる。きっと、こんな関係じゃなきゃ言えない。
俺ってヘタレだなあ。
「その・・・・・・からすまくんも、カッコいいよ。背も高いし、話しやすいし。クラスの女子の間でも、人気だもん」
「んなことねー」
「ううん、ほんと。みんな、あんまり口にはできないけど、乗宮さんのこと、羨ましく思ってるひといるもん」
「付き合う前に教えて欲しかったな。森下の口から」
「あ、じゃあわたしも、可愛いって、みつるくんと付き合う前に言って欲しかったかも。からすまくんに」
はは。
くっそ楽しいぜ。森下との時間は。
笑っている間に、駅についた。
ここから先は別方向だ。
「・・・・・・じゃあ、また明日ね」
「家まで送っていこうか、森下」
「え?・・・・・・ううん、悪いよ、もう遅いし」
「いや、遅いからさ」
万が一。
万が一にも、森下を他の男や痴漢なんかに。
「・・・・・・いいの、かな」
「いいよ」
「うち、駅から遠いし」
「知ってる。前も行ったし」
花火の日。
あの日、森下を駅のトイレへ連れ込んで、俺は。
ホームに電車が入ってきて、俺たちは並んで座った。
長いこと待って疲れていたのか、早くも森下はウトウトとし始めた。
俺は、そのスカートの裾を、そっとつまんだ。
白い霧に覆われた世界。
よし、白昼夢の中だ。
「催眠」をかけようとして、俺は思いとどまった。
森下は俺のことを信頼してくれている。だから家まで送っていく、との言葉に頷いてくれた。
それを裏切る行為じゃないのか。やめておくべきだ。
やめろ。
やめろ。
やめろやめろ。
こんな手段を使って、恥ずかしくないのか。
俺の心が言う。
彼女の信用を裏切る行為だ。
ちゃんと正々堂々と、森下に好きになってもらえるように努力しろ。
何を言ってる。
別の俺が言う。
こんなチャンス、何度もあると思うのか。
みつるに、彼女を奪われていいのか?
あいつの部屋で、あいつのベッドで。
脱がされ、舐め回され、しゃぶらされ。
あんあんと喘がされているところを想像してみろ。いいのか?
嫌だ。絶対に嫌だ。許せない、そんなこと。
だったらやれ。甘っちょろいことを考えるな。
全力で森下こはるを落とせ。
こんな能力があるなら、使えよ。
それが乗宮のためでもある。そうだろ?
そうだ。
乗宮のためだ。
これは、乗宮のためなんだ。協力するって、言ったじゃないか。
やれ。
やれ。
やれ。やれ。やれ。やれ。やれ。
だめだ、だめだ。
これは卑怯だ。俺は卑怯者になってしまう。
何を言ってやがる。
こないだ、多目的トイレで何をした?
チンコをつっこみかけたのは誰だった?
お前はレイプ犯だ。未遂ってだけの。
したいだろ?彼女と。
最後まで、ヤりたいだろ?
したい。
したい。したい。
したい。したい。したい。したい。したい。したい。
最後まで、したい。カノジョにしたい。俺のものに。
乗宮。
彼女も幸せになる。そしてみつるも。
みつるは元々、乗宮が好きだった。恐らく今でも。
乗宮と付き合うことになった、そう話した瞬間のあいつの表情を、うまく隠したはずの感情を、俺は忘れていない。
友人のため。親友のため。
俺は、裏切者にでも卑怯者にでも、なんにでもなってやる。
がたん。ごとん。
白い霧の中でも、電車がリズミカルに揺れる振動が、伝わってくる。
人を眠へと誘う調律。左の肩に、そっと森下がもたれかかっている。重みと体温を感じた。
「森下こはるは、本当は、鴉間里矢が好きだ」
そう口にした。
少し、霧が揺れる。
「鴉間里矢が好きだ。好きだ。好きだ。好きで仕方がない」
「顔を思い浮かべるだけで、胸が熱くなる」
「鴉間が乗宮あこと一緒にいるのを見ると、苦しくなる」
「本当は、自分が隣にいたい」
そんな言葉を、毒を、彼女の心へと植え付けていく。
そして、さらなる毒を。
「時生充は、本当は乗宮あこが好きだ」
「乗宮も、時生充のことが好きだ」
「ふたりはとてもお似合いだ、森下こはるには敵わない」
「ふたりをくっつけるべきだ」
「みつるは、乗宮が好きだ。みつるは乗宮が好きだ。みつるは乗宮が好きだ。好きだ。好きだ。みつるは乗宮が好きだ。心の底から、彼女のことを愛している」
「ふたりは将来、結婚する運命にある。誰にも邪魔はできない」
「森下こはるは、時生充には不釣り合いだ。鴉間里矢のほうが、相応しい相手だ」
「キスしたい、鴉間に」
「駅の改札を出たら、キスしよう」
こく。
彼女が頷く。
がたん。
電車が駅についた。彼女の降りる駅へ。
「森下」
俺は彼女の肩を揺すった。
「あれ・・・・・・あたし、寝てた?」
「おう。着いたぞ」
「う、うん。・・・・・・ありがと」
階段を昇り、また降りる。
改札へと、彼女が定期を押し当てた。ピッ。
「からすまくん」
駅のサークルを抜けたところで、彼女はくるりと振り向いた。
「ね、キス、しよ」
「・・・・・・」
やっぱり、森下は素直な子だ。
だから、催眠も効きやすい。
彼女が、俺の首に腕を回した。目を閉じて、顔を近づけてくる。
俺は目を閉じた。
だが。
予想した感触は、やってこなかった。
目を開けると、じ、と森下が俺の顔を見つめたまま、固まっていた。
「あ、あれ、あたし、ど、どうしちゃったんだろ、こんなこと」
顔を赤らめ、ほとんど触れ合う直前の距離から、慌てて離れる。
くっそ。あともう少しだったのに。
だが、俺も反応しなければならない。
「・・・・・・びっくりしたよ。寝ぼけてたのか?森下」
「うん、そう、かも。昨日、ちょっと夜更かししちゃって。・・・・・・ごめん、からすまくん」
「はは。みつると間違えたのか?」
「ううん。・・・・・・みつるくんとは、こういうこと、しないし」
あ。
そうだった。前回もそう言ってたな。
みつる、どういうつもりなんだろう。
カノジョになってもうそれなりに経つのに、キスもしてないなんて。
俺だったら、付き合って初日にしちゃうだろうな。あるいは、それ以上のことも。
俺は森下と並んで歩き出した。
彼女は赤い顔に、手でぱたぱたと風を送った。
「あー、びっくりしちゃった。・・・・・・良かった、途中で気づいて。ファーストキス、からすまくんとしちゃうところだったよ」
「俺は構わないけどな」
「そんなわけないよ。きっとあとで傷つくし、乗宮さんに怒られちゃう」
傷つく?
どういう意味だろう。
俺が傷つくはずもないのに。
「怒らんと思うけど」
「ゼッタイ怒るよ。わたしだって、みつるくんが他の女子ととか、考えたくないもん」
「あいつはしないだろうな、そんなこと」
「うん。・・・・・・あたしとも、してくれないけど」
してくれない?
森下は望んでいるんだろうか。
みつるが拒否している?
あいつ、どういう了見なんだか。
「森下は、キスしたい?恋人と」
「うん・・・・・・そりゃあ、ね。やっぱり、憧れるし」
「だよな」
「どんな感じなんだろう、キスするって。ね、からすまくんはもうした?乗宮さんと」
「ん、まあ」
「やっぱり。だよね。恋人って、そういうもんだよね」
彼女の家が見えてきた。
もっと離れててもいいのに。もっと遠くてもいいのに。もっと話したい、もっと一緒にいたいのに。
「送ってくれてありがとう。じゃあ___」
「森下」
がば。
俺は彼女を抱きしめた。
「え、え、え、か、からすま、くん」
「もう、我慢できない」
強引に、唇を奪った。
むぐ、と彼女の声が聞こえた。
一瞬、抵抗する力を感じた。
でも、それはすぐに抜けていった。脱力した森下の身体を、俺は強く抱きしめた。
長い間、キスをしていた。
息が続かなくなるまで。
ぶはっ。
大きく、息を吐いた。
「・・・・・・どう、して」
「俺がお前を、お前も俺のことを好きだからだ」
彼女の瞳は、驚きの色を隠せないでいた。
だけど、涙は溜まっていなかった。
「そ、そんなこと」
「俺は知ってる。森下の、本当の気持ちを」
「ほんとうの、きもち」
「ああ。森下は本当は、俺のことが好きなんだ」
どこまで、催眠が効いているんだろうか。
全く的外れかもしれない。
「・・・・・・そんなこと、ないから」
「森下」
「そんなこと、ないから!あたしは、みつるくんが好きだから!」
ダッと駆け出し、家の方へと向かう。
・・・・・・失敗だったか。
あーあ、これでみつるに殴られるだろうな。いや、そんなんじゃ済まないか。
と、森下が立ち止まった。
彼女の小さな背中だけが見える。
「・・・・・・さっきの、忘れて」
「え?」
「さっき、したこと。忘れて。あたしも忘れるから」
「森下」
「乗宮さんにも、言わないで。・・・・・・みつるくん、にも」
「・・・・・・」
「あたしも、言わないから」
「・・・・・・分かった」
「絶対、だよ?」
「ああ」
「誰にも。ふたりだけの秘密、だよ」
「うん」
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