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7 井野口美希
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7 井野口美希
井野口美希、いのぐちみき。
水泳部。スラリと長い肢体に水着がよく似合う、涼しげな目元がポイントの、ちょっとしたグラビアアイドル並みの女子高生である。
男子生徒の間では、女子をこっそり「盗撮」した画像が出回ったりすることがある。
もちろん、トイレや更衣室に隠しカメラとかの盗撮ではない。さすがにそれは犯罪だ。望遠カメラで水着とか、部活や体育中の体操服とかの盗撮、である。
そんな中、人気なのは井野口の写真である。はっきり言って売れる。
ほどよく引き締まった身体つき、でも痩せすぎって感じでもなく、とても均整の取れた身体。シコるには最高ランクのオカズである。
そんな俺は以前、この「能力」を得てからすぐ、井野口にもこの能力を試してみたことがある。
そして、大失敗した。
水泳部というのは、刺激がそこそこ多い高校生の中でも、トップ級の性的な刺激を与えてくれる存在である。
そりゃそうだろう、Vの字になった股間の部分がぐいっと見られるのだから。
体育の授業で井野口の姿を見て、俺はすっかり「悩殺」されてしまった。
月曜日、5限目。
古文という名の睡眠時間である。
俺が見ている前で、井野口はあっという間に机に突っ伏した。
既に井野口のキーアイテムは入手済みだ。放課後、井野口の机の上に置いてあったコンパクトな手鏡。ちゃんとあとで返しておこう。
俺は手のひらサイズな鏡を握りしめた。
「はぁっ・・・・・・・・・はぁっ・・・・・・・・・はぁっ・・・・・・・・・」
彼女は、走っていた。
必死で。必死の形相で。
真っ暗だ。
真っ暗闇の中、彼女は全力疾走で何かから逃げていた。
(な、怖っ)
わけも分からぬまま、俺も逃げた。
背後から何かが来る。それだけは分かった。
真っ暗な、闇よりも黒い何かが。
(ななな、なんだよこれ!?)
井野口は走っていて、俺も走った。
夢の中だし、あとで考えれば逃げなくてよかったのかもしれない。だが圧倒的な威圧感、恐怖感が背後から迫っていて、安穏と立ち止まっていられるほど俺の肝っ玉は座っていなかった。
走っていると、彼女の横顔が見えた。
「い、井野口」
「からすまくん!?どうして」
「さ、さあ」
「逃げて!今すぐ逃げて!」
俺は逃げた。
井野口の手を引いて、必死で走った。
夢の中のはずなのに、ひどく息苦しかった。地面すら視えない闇の中を走るのは、それだけで恐怖を感じた。
がし。
何かに背後から掴まれた。
「ひ、ひいいいいいい!」
「からすまくん!」
涙がほとばしった。怖い、怖い怖いこわいこわいこわいいいいい!
俺は脚をもつれさせ、無様にすっ転んだ。
井野口は逃げていくかと思ったが、彼女は俺を見捨てず、一緒に俺に絡みつく闇の手を振りほどいてくれた。
その後も掴みかかってくる手を必死で払い、また走った。
「きゃあああああっ!」
「いのぐち!」
今度は彼女が捕まった。
見えない黒い手に掴まれ、地面に押し倒された。
仰向けになった彼女の、胸の間から、股間の隙間から、黒い手が侵入していく。
「いや、いやあああああっ!やめてええええっ!」
「は、離せっ、離しやがれっ!」
俺は黒い手を振り払った。
それはとてもしつこく、何度も絡みついてきた。
俺の腕にも絡みついて、井野口の股間へと何度も侵入しようともがいて、それを何度も何度も払って、ようやく解放されて逃げた。でも追ってきた。
「な、なんなんだ、あれ」
「知らない。怖い」
あとで冷静に考えると、彼女は「追いかけられる」「襲われる」ことに対する恐怖感を持っていたのだろう。
それは、彼女の潜在的な恐怖心に由来するものだった。
そんなことが分かるはずもなく、俺たちはただ闇雲に、ほの暗い闇の中を手を繋いでただ走り続けた。
きーんこーんかーんこーん
ぱち。
目が覚めた。
ひどく動悸がしていた。明るい光に、目が痛かった。
口がカラカラに乾いていた。まるで1時間、誰かに追いかけられていたように。
「あー終わった。さ、ジュース行こうぜさとや。・・・・・・どした?顔が悪いぞ」
「・・・・・・顔色、だろーが」
みつるの下らんジョークにも、シワガレた声しか出なかった。
購買で買ったオレンジジュースを飲み、退屈な6限目が始まる。
もう気持ちは部活に向かっていた。あー、今日もまたバスケかぁ。別にいいんだけど。好きでやってんだし。今さら他の部活したくないし。
ふと、井野口の横顔が目に入った。
6限目は英語、こちらも眠い授業だが、英語の教師はバシバシ当ててくるし、眠っているとチョークとか投げてくるので眠れない。
(あいつ、いっつもあんな怖い夢、見てんだろうか)
うたた寝するごとに悪夢に追いかけられてるなんて、俺ならもう恐くて眠れなくなる。
さっきの闇の手の感触を思い浮かべた。思い出すだけで、命が吸い取られそうな気がした。
(平気な顔して、すげーな)
それにあいつ。
俺のこと、助けてくれた。夢の中だけど。
俺も助けたけど、本当は逃げたかった。井野口なんて見捨てて。
(なんであいつ、追いかけられてんだろ)
(女子は追われる夢をよく見るって聞くけど)
尋常な恐怖感ではなかった。
命からがら、って表現がよく合うほどに。
(悪夢を見なくなる方法、とか、ないのかな)
あれがたまたまならともかく、しょっちゅうあんな夢見てたら精神的に保たない気がする。
よくふつーに授業受けて、部活続けていられるもんだ。
バスケが終わってから、駅へと向かう俺は、かなり前を歩く背中に気づいた。
(井野口)
すらりとした体型、いかにも泳ぎに向いてそうな後ろ姿。長く伸ばした髪。
間違いない、彼女だ。
(普段、こんな時間にはあまり見ないけど)
水泳部はこんなに遅くまで練習しない。照明設備がないからだ。
バスケ部は遅くなることが多い。今日は特に、部活が終わってからモップがけに手間取ったので、遅くなった。
みつるももう帰ってしまっている。レギュラーと一般部員の悲しい差だ。
(ん?)
誰かが、彼女のあとをつけているのに気づいた。
彼女の後ろ、俺の少し前を、大学生くらいの男たちがスマホを手に、二人連れで歩いていた。ニヤニヤと笑いながら。
ふたりは、井野口を見つめてニヤついていた。
「なあ」
びくっ。
人気のない線路のガード下へ差し掛かったところで、男たちが井野口を呼び止めた。
男たちに声をかけられて、井野口が立ち止まった。
暗い電灯の下で、彼女の怯えた表情が見えた。
「あんた、これ」
男の一人が、手にしたスマホを井野口に見せた。
彼女が、口に手を当てる。
「あ・・・・・・」
「な、これ、お前だろ?」
もう一人が、井野口の手首を掴んだ。
そのまま、引っ張っていこうとする。
「い、いや、やめ」
「なあいいだろ、楽しもうぜ」
下卑た笑い。
はあ。俺はため息をついた。駅へと向かうガードの下は暗く、辺りには他に誰もいない。
「おい」
俺は声をかけた。
ただの正義感、なんだろうか。よく分からない。
男たちは俺を振り返った。
「なんだてめぇ」
「同級生だ」
「てめ、痛い目に遭いたくなかったら、今すぐ___」
「通報した。警察に」
スマホの画面を見せた。
「110」と書いてある。
「どうしました?」
「湾岸高校前駅の西側のガード下で、女子高生が二人組の男に襲われています」
俺は携帯画面に向かってそう言うと、男たちに向けてフラッシュを焚いた。
奴らの顔が、怒りに染まる。
「て、てめえ!」
「ぶっ殺す!」
あ、あれ。
てっきり、ちっ、行くぞ、とか言って逃げてくれるものかと。
やべえ。俺は喧嘩に弱い。というか幼稚園以降、したこともない。
「スマホを叩き壊せ!」
物騒な言葉を吐きながら、男たちが迫ってきた。
俺は身を翻し、全力で逃げた。近くの公園の中へと。
「くそっ、どこ行きやがった!」
茂みに隠れてやり過ごし、ガード下へと戻った。
まだ座り込んでいる女子高生がいた。
「井野口!」
「え、か、からすまくん、どう、して」
「いたぞ!」
「こいつ!やってやんぜ!」
「逃げるぞ!」
「え?え?」
本日2度目、なのだろうか。
俺は井野口の手を引っ張って、全力で走った。
捕まったら何をされるか分からない。全力、全速で走った。
幸い、運動部の高校生2人の方が、チャラ男っぽい大学生よりも脚は速かったようだ。
いつの間にか、背後からついてくる者はいなかった。
俺は井野口を連れて、駅前の交番へと駆け込んだ。もうこれで大丈夫だ。
「君、さっき110番通報した子?念のため、番号も教えてくれる?」
「はい」
パトカーが巡回している回転灯の光が見えた。安堵のため息が出た。
二人組の写真を見せたが、ちょっとわからないわね、と交番の婦警さんに言われた。確かに、遠目でこの不鮮明さでは、はっきりと顔が分かりにくかった。
交番の婦警さんは井野口の家に電話してくれていたが、迎えには来られないみたいね、と受話器を置いた。
「うち、そういう親なんです」
「彼氏に送ってもらう?」
「彼氏じゃないです」
うん、そうだけど。
そこまで冷たい言い方、しなくても。
「同級生だし、送ります」
「気をつけてね。・・・・・・君、偉いね。かっこいいよ」
「ども」
美人の婦警さんに言われてどぎまぎしつつ、俺は交番のすぐ横の駅の改札を抜け、井野口と電車に乗った。
井野口の家は、俺が降りる隣の駅だった。
何も言わずに電車で揺られ、駅の改札を出たところで、井野口がありがと、と言った。
「・・・・・・今日、変な夢を見たんだ。からすまくんと、怖い何かから逃げている夢」
「ふーん」
とぼとぼと、俺たちは並んで歩いた。
「古文の時間。うたた寝するとよく怖い夢を見るの。誰かに追いかけられる夢」
「さっきも追いかけられてたな。なんなんだあいつら」
「・・・・・・わたしの、写真」
井野口が、自分のスマホを見せた。
そこには、ギリギリ顔の上半分がない状態で、下着姿の井野口が写っていた。
扇状的な、女子高生の下着姿。自撮り。
これは。
「・・・・・・これって」
「昔、ラブスタにあげたの。顔が切れてたら、誰だか分からないだろって思って」
星の瞬く夜空を見上げて、彼女はため息を付いた。
「バカなことしたなって、思ってるんでしょ?」
「まあな」
「いっぱい星マークがついて、閲覧回数もすっごく伸びて。・・・・・・楽しくて仕方なかった。夢中だったの。毎日返信を眺めたり、閲覧回数が伸びたのを見て有頂天になったり。リクエストが来て、制服姿になってくれとか、ビキニ着て欲しいとか、ちょっとスカート持ち上げて撮ってみてとか。・・・・・・その度に褒められて、可愛いとか、アイドル並みとか言われて」
「・・・・・・」
「で、失敗したの。一度くらいならいいやって思って、口元を隠した顔写真をあげちゃった。水着で」
「さぞ喜ばれただろうな」
「特定された。コメントの中に、高校の名前、そして私の名前が書いてあった」
想像はつく。
バレないと思ってやっていたことが、いきなり白日の下に晒されたのだ。
「・・・・・・」
「校内で声をかけられて、これってセンパイですよね、って1年の男子生徒に言われたりした。さっきみたいに、駅の近くで名前呼ばれたりとか」
「・・・・・・」
「家の住所まで特定されて、今晩レ・・・・・・襲いに行きます、とか書かれたりして、アカウントごと消したんだけど、怖くて怖くて眠れなくなったりした。今夜にも、明日にも誰かが窓から入ってくるんじゃないかって」
「バカだなお前」
「そうね、バカだね。・・・・・・でも、褒められることってなかったし。うちは親も色々あるし、わたし、学校の成績も底辺だし、部活でもうまくいかないし」
「井野口、可愛い方だと思うけどな」
「でももっと可愛い子も、もっと美人もいるから。真行寺さんとかものすごい美人だし、委員長の雨屋さんだってすごく綺麗。森下さんとかもすっごく可愛いし。全然敵わないよ」
「だな」
「あ、そこはちょっとくらい、フォローしてくれてもいいんじゃない?」
はは。
井野口ってクールっぽいイメージだったけど、結構話せるんだな。
「・・・・・・ね、からすまくん」
「ん?」
「ちょっとだけ、うち、寄ってく?」
彼女が家を指差す。
井野口、と表札に書いてある。
なんてことはない、平凡な一軒家だ。
「いや、でもさ」
両親はいない、って聞いた。
誰もいない家、井野口と二人だけ。それって。
「・・・・・・今日は、帰るよ」
「だよね。・・・・・・送ってくれて、ありがと」
「ああ。もう嫌な夢、見ないといいな」
「うん」
この一件以来、俺は夢の中に入る際、ちょっと覚悟して入るようにしている。
もうあんな怖い夢はごめんだ。入るなら覚悟して。
その後は井野口の学校での態度も、ごく普通だった。
あの件に関して、特に話すこともない。
井野口美希、いのぐちみき。
水泳部。スラリと長い肢体に水着がよく似合う、涼しげな目元がポイントの、ちょっとしたグラビアアイドル並みの女子高生である。
男子生徒の間では、女子をこっそり「盗撮」した画像が出回ったりすることがある。
もちろん、トイレや更衣室に隠しカメラとかの盗撮ではない。さすがにそれは犯罪だ。望遠カメラで水着とか、部活や体育中の体操服とかの盗撮、である。
そんな中、人気なのは井野口の写真である。はっきり言って売れる。
ほどよく引き締まった身体つき、でも痩せすぎって感じでもなく、とても均整の取れた身体。シコるには最高ランクのオカズである。
そんな俺は以前、この「能力」を得てからすぐ、井野口にもこの能力を試してみたことがある。
そして、大失敗した。
水泳部というのは、刺激がそこそこ多い高校生の中でも、トップ級の性的な刺激を与えてくれる存在である。
そりゃそうだろう、Vの字になった股間の部分がぐいっと見られるのだから。
体育の授業で井野口の姿を見て、俺はすっかり「悩殺」されてしまった。
月曜日、5限目。
古文という名の睡眠時間である。
俺が見ている前で、井野口はあっという間に机に突っ伏した。
既に井野口のキーアイテムは入手済みだ。放課後、井野口の机の上に置いてあったコンパクトな手鏡。ちゃんとあとで返しておこう。
俺は手のひらサイズな鏡を握りしめた。
「はぁっ・・・・・・・・・はぁっ・・・・・・・・・はぁっ・・・・・・・・・」
彼女は、走っていた。
必死で。必死の形相で。
真っ暗だ。
真っ暗闇の中、彼女は全力疾走で何かから逃げていた。
(な、怖っ)
わけも分からぬまま、俺も逃げた。
背後から何かが来る。それだけは分かった。
真っ暗な、闇よりも黒い何かが。
(ななな、なんだよこれ!?)
井野口は走っていて、俺も走った。
夢の中だし、あとで考えれば逃げなくてよかったのかもしれない。だが圧倒的な威圧感、恐怖感が背後から迫っていて、安穏と立ち止まっていられるほど俺の肝っ玉は座っていなかった。
走っていると、彼女の横顔が見えた。
「い、井野口」
「からすまくん!?どうして」
「さ、さあ」
「逃げて!今すぐ逃げて!」
俺は逃げた。
井野口の手を引いて、必死で走った。
夢の中のはずなのに、ひどく息苦しかった。地面すら視えない闇の中を走るのは、それだけで恐怖を感じた。
がし。
何かに背後から掴まれた。
「ひ、ひいいいいいい!」
「からすまくん!」
涙がほとばしった。怖い、怖い怖いこわいこわいこわいいいいい!
俺は脚をもつれさせ、無様にすっ転んだ。
井野口は逃げていくかと思ったが、彼女は俺を見捨てず、一緒に俺に絡みつく闇の手を振りほどいてくれた。
その後も掴みかかってくる手を必死で払い、また走った。
「きゃあああああっ!」
「いのぐち!」
今度は彼女が捕まった。
見えない黒い手に掴まれ、地面に押し倒された。
仰向けになった彼女の、胸の間から、股間の隙間から、黒い手が侵入していく。
「いや、いやあああああっ!やめてええええっ!」
「は、離せっ、離しやがれっ!」
俺は黒い手を振り払った。
それはとてもしつこく、何度も絡みついてきた。
俺の腕にも絡みついて、井野口の股間へと何度も侵入しようともがいて、それを何度も何度も払って、ようやく解放されて逃げた。でも追ってきた。
「な、なんなんだ、あれ」
「知らない。怖い」
あとで冷静に考えると、彼女は「追いかけられる」「襲われる」ことに対する恐怖感を持っていたのだろう。
それは、彼女の潜在的な恐怖心に由来するものだった。
そんなことが分かるはずもなく、俺たちはただ闇雲に、ほの暗い闇の中を手を繋いでただ走り続けた。
きーんこーんかーんこーん
ぱち。
目が覚めた。
ひどく動悸がしていた。明るい光に、目が痛かった。
口がカラカラに乾いていた。まるで1時間、誰かに追いかけられていたように。
「あー終わった。さ、ジュース行こうぜさとや。・・・・・・どした?顔が悪いぞ」
「・・・・・・顔色、だろーが」
みつるの下らんジョークにも、シワガレた声しか出なかった。
購買で買ったオレンジジュースを飲み、退屈な6限目が始まる。
もう気持ちは部活に向かっていた。あー、今日もまたバスケかぁ。別にいいんだけど。好きでやってんだし。今さら他の部活したくないし。
ふと、井野口の横顔が目に入った。
6限目は英語、こちらも眠い授業だが、英語の教師はバシバシ当ててくるし、眠っているとチョークとか投げてくるので眠れない。
(あいつ、いっつもあんな怖い夢、見てんだろうか)
うたた寝するごとに悪夢に追いかけられてるなんて、俺ならもう恐くて眠れなくなる。
さっきの闇の手の感触を思い浮かべた。思い出すだけで、命が吸い取られそうな気がした。
(平気な顔して、すげーな)
それにあいつ。
俺のこと、助けてくれた。夢の中だけど。
俺も助けたけど、本当は逃げたかった。井野口なんて見捨てて。
(なんであいつ、追いかけられてんだろ)
(女子は追われる夢をよく見るって聞くけど)
尋常な恐怖感ではなかった。
命からがら、って表現がよく合うほどに。
(悪夢を見なくなる方法、とか、ないのかな)
あれがたまたまならともかく、しょっちゅうあんな夢見てたら精神的に保たない気がする。
よくふつーに授業受けて、部活続けていられるもんだ。
バスケが終わってから、駅へと向かう俺は、かなり前を歩く背中に気づいた。
(井野口)
すらりとした体型、いかにも泳ぎに向いてそうな後ろ姿。長く伸ばした髪。
間違いない、彼女だ。
(普段、こんな時間にはあまり見ないけど)
水泳部はこんなに遅くまで練習しない。照明設備がないからだ。
バスケ部は遅くなることが多い。今日は特に、部活が終わってからモップがけに手間取ったので、遅くなった。
みつるももう帰ってしまっている。レギュラーと一般部員の悲しい差だ。
(ん?)
誰かが、彼女のあとをつけているのに気づいた。
彼女の後ろ、俺の少し前を、大学生くらいの男たちがスマホを手に、二人連れで歩いていた。ニヤニヤと笑いながら。
ふたりは、井野口を見つめてニヤついていた。
「なあ」
びくっ。
人気のない線路のガード下へ差し掛かったところで、男たちが井野口を呼び止めた。
男たちに声をかけられて、井野口が立ち止まった。
暗い電灯の下で、彼女の怯えた表情が見えた。
「あんた、これ」
男の一人が、手にしたスマホを井野口に見せた。
彼女が、口に手を当てる。
「あ・・・・・・」
「な、これ、お前だろ?」
もう一人が、井野口の手首を掴んだ。
そのまま、引っ張っていこうとする。
「い、いや、やめ」
「なあいいだろ、楽しもうぜ」
下卑た笑い。
はあ。俺はため息をついた。駅へと向かうガードの下は暗く、辺りには他に誰もいない。
「おい」
俺は声をかけた。
ただの正義感、なんだろうか。よく分からない。
男たちは俺を振り返った。
「なんだてめぇ」
「同級生だ」
「てめ、痛い目に遭いたくなかったら、今すぐ___」
「通報した。警察に」
スマホの画面を見せた。
「110」と書いてある。
「どうしました?」
「湾岸高校前駅の西側のガード下で、女子高生が二人組の男に襲われています」
俺は携帯画面に向かってそう言うと、男たちに向けてフラッシュを焚いた。
奴らの顔が、怒りに染まる。
「て、てめえ!」
「ぶっ殺す!」
あ、あれ。
てっきり、ちっ、行くぞ、とか言って逃げてくれるものかと。
やべえ。俺は喧嘩に弱い。というか幼稚園以降、したこともない。
「スマホを叩き壊せ!」
物騒な言葉を吐きながら、男たちが迫ってきた。
俺は身を翻し、全力で逃げた。近くの公園の中へと。
「くそっ、どこ行きやがった!」
茂みに隠れてやり過ごし、ガード下へと戻った。
まだ座り込んでいる女子高生がいた。
「井野口!」
「え、か、からすまくん、どう、して」
「いたぞ!」
「こいつ!やってやんぜ!」
「逃げるぞ!」
「え?え?」
本日2度目、なのだろうか。
俺は井野口の手を引っ張って、全力で走った。
捕まったら何をされるか分からない。全力、全速で走った。
幸い、運動部の高校生2人の方が、チャラ男っぽい大学生よりも脚は速かったようだ。
いつの間にか、背後からついてくる者はいなかった。
俺は井野口を連れて、駅前の交番へと駆け込んだ。もうこれで大丈夫だ。
「君、さっき110番通報した子?念のため、番号も教えてくれる?」
「はい」
パトカーが巡回している回転灯の光が見えた。安堵のため息が出た。
二人組の写真を見せたが、ちょっとわからないわね、と交番の婦警さんに言われた。確かに、遠目でこの不鮮明さでは、はっきりと顔が分かりにくかった。
交番の婦警さんは井野口の家に電話してくれていたが、迎えには来られないみたいね、と受話器を置いた。
「うち、そういう親なんです」
「彼氏に送ってもらう?」
「彼氏じゃないです」
うん、そうだけど。
そこまで冷たい言い方、しなくても。
「同級生だし、送ります」
「気をつけてね。・・・・・・君、偉いね。かっこいいよ」
「ども」
美人の婦警さんに言われてどぎまぎしつつ、俺は交番のすぐ横の駅の改札を抜け、井野口と電車に乗った。
井野口の家は、俺が降りる隣の駅だった。
何も言わずに電車で揺られ、駅の改札を出たところで、井野口がありがと、と言った。
「・・・・・・今日、変な夢を見たんだ。からすまくんと、怖い何かから逃げている夢」
「ふーん」
とぼとぼと、俺たちは並んで歩いた。
「古文の時間。うたた寝するとよく怖い夢を見るの。誰かに追いかけられる夢」
「さっきも追いかけられてたな。なんなんだあいつら」
「・・・・・・わたしの、写真」
井野口が、自分のスマホを見せた。
そこには、ギリギリ顔の上半分がない状態で、下着姿の井野口が写っていた。
扇状的な、女子高生の下着姿。自撮り。
これは。
「・・・・・・これって」
「昔、ラブスタにあげたの。顔が切れてたら、誰だか分からないだろって思って」
星の瞬く夜空を見上げて、彼女はため息を付いた。
「バカなことしたなって、思ってるんでしょ?」
「まあな」
「いっぱい星マークがついて、閲覧回数もすっごく伸びて。・・・・・・楽しくて仕方なかった。夢中だったの。毎日返信を眺めたり、閲覧回数が伸びたのを見て有頂天になったり。リクエストが来て、制服姿になってくれとか、ビキニ着て欲しいとか、ちょっとスカート持ち上げて撮ってみてとか。・・・・・・その度に褒められて、可愛いとか、アイドル並みとか言われて」
「・・・・・・」
「で、失敗したの。一度くらいならいいやって思って、口元を隠した顔写真をあげちゃった。水着で」
「さぞ喜ばれただろうな」
「特定された。コメントの中に、高校の名前、そして私の名前が書いてあった」
想像はつく。
バレないと思ってやっていたことが、いきなり白日の下に晒されたのだ。
「・・・・・・」
「校内で声をかけられて、これってセンパイですよね、って1年の男子生徒に言われたりした。さっきみたいに、駅の近くで名前呼ばれたりとか」
「・・・・・・」
「家の住所まで特定されて、今晩レ・・・・・・襲いに行きます、とか書かれたりして、アカウントごと消したんだけど、怖くて怖くて眠れなくなったりした。今夜にも、明日にも誰かが窓から入ってくるんじゃないかって」
「バカだなお前」
「そうね、バカだね。・・・・・・でも、褒められることってなかったし。うちは親も色々あるし、わたし、学校の成績も底辺だし、部活でもうまくいかないし」
「井野口、可愛い方だと思うけどな」
「でももっと可愛い子も、もっと美人もいるから。真行寺さんとかものすごい美人だし、委員長の雨屋さんだってすごく綺麗。森下さんとかもすっごく可愛いし。全然敵わないよ」
「だな」
「あ、そこはちょっとくらい、フォローしてくれてもいいんじゃない?」
はは。
井野口ってクールっぽいイメージだったけど、結構話せるんだな。
「・・・・・・ね、からすまくん」
「ん?」
「ちょっとだけ、うち、寄ってく?」
彼女が家を指差す。
井野口、と表札に書いてある。
なんてことはない、平凡な一軒家だ。
「いや、でもさ」
両親はいない、って聞いた。
誰もいない家、井野口と二人だけ。それって。
「・・・・・・今日は、帰るよ」
「だよね。・・・・・・送ってくれて、ありがと」
「ああ。もう嫌な夢、見ないといいな」
「うん」
この一件以来、俺は夢の中に入る際、ちょっと覚悟して入るようにしている。
もうあんな怖い夢はごめんだ。入るなら覚悟して。
その後は井野口の学校での態度も、ごく普通だった。
あの件に関して、特に話すこともない。
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