Grow 〜異世界群像成長譚〜

おっさん。

文字の大きさ
上 下
104 / 132
おいで。早く、おいで…。

第102話 ラッカと悪夢

しおりを挟む
 透明な壁の向こう、彼が私を見つめる。
 それが私の思い出せる、最も古い記憶だった。

 その前は分からない。
 外の世界にいた様な気もするが、ずっとこの場所にいた様な気もする。

 この頃の私は、まだ記憶も曖昧あいまいで、考えて何かをするという事も、少なかったように思う。

 唯々、与えられる餌を食べ、寝て、たまに彼の実験に付き合わされる。
 実験の内容は、迷路の先にある餌をとったり、正しいボタンを押して餌を貰ったり、迫ってくる壁から逃げるようなものもあった気がする。

 まぁ当時の私は、何も考えずに、生きる為だけに、行動していたにすぎないので、実験に付き合っていたつもりは無いのだが…。

 そんな日々を繰り返していくうちに、記憶がはっきりとし始め、同じような実験内容には、簡単に対処できるようになってくる。
 彼の独り言も覚えられるようになり、それらを頭の中で組み合わせると、色々な事が分かってきた。

 まず、私に与えられている食物が”餌”と呼ばれるもので、”魔力”とやらを含んでいる事。
 その”魔力”が、私の記憶の保持能力に影響を与えている事。
 そして、私は彼の実験とやらに付き合わされているという事だった。

 実験の結果から、私の頭は日増しに良くなっているらしい。
 なんでも、実験による刺激と、魔力の影響が私の脳を変化させている。との事だった。

 魔力は変化の誘発剤ゆうはつざいで、少量ずつ、身のたけに合った濃度で取り込んでいけば、周りの状況に合わせて、体を進化させてくれる物らしい。

 ここで私が生き残るには、数多あまたの実験を潜り抜けなければならなかった。
 逆を言えば、それだけで済み、肉体的、野性的な変化にエネルギーを割く必要がない。
 その為、私の知能はこれだけ早く発達し、彼の言葉の意味を察すことができる段階にまで、至ったのだ。

 そして、知能が発達した私は色々な事を考えたり、思ったりすることが多くなってきた。

 例えば、彼を観察して、外に広がる世界を観察して…。
 そして、私の住んでいるこの狭い空間をかえりみる。

 何もない、四角い空間。
 何もせずとも餌が与えられて、安心して眠れる空間。
 …私は飽きてしまったのだ。

 飽きる。
 今までにはない感情だった。

 感情と言えば、危ない、眠い、食べたい。
 生きるのに必要な事だけを、刹那に感じていただけだった。

 さて、どうやってここを出るか。
 私はすんなりと、住みやすい環境を切り捨てる。
 死ぬよりも、ここに居続ける事の方が、余程よほど、苦痛に思えたからだ。

 私は、頭の良さをひけらかせば、実験が難しいものになると分かっていた。
 難しい事をしても、報酬が同じなんて割に合わない。
 そう感じていた私は、最近、頭の悪い振りを続けていたのである。

 そのせいもあってか、今の彼は私を甘く見ている。
 実験の最中、その隙を見て、私は逃げ出した。

 彼は追ってくるが、ここは汚い部屋の中。
 私は散らかった物の隙間を通って、彼の手から逃れる。

 生きやすい空間に、後悔はなかった。
 あそこはもう、私にとっての楽園ではなくなってしまったのだから。

 …嘘だ。
 あの空間は今でも魅力的だ。
 安全な空間、飢えに苦しむ事もなく、寒さに震える事もない、まがう事なき楽園。

 環境が変わったわけではない。私が変わったのだ。
 退屈と言うものを覚えてしまったのだ。

 そうなっては、もう後には引き返せない。
 私は不安に身をこわばらせ、新しい世界へと足を踏み入れた。

 全てが初めてに満たされた空間。
 不安と恐怖。そしてちょっぴりの好奇心。
 それらは私の退屈を満たして埋めた。

 見た事の無い物、見た事もない生き物。
 特に、物や頭を一杯に使い、獲物を狩るのは楽しかった。

 達成感と言われるもは、これ程に気持ちが良い物なのかと、初めて知った。
 確かに、その時、この屋根裏部屋は私の楽園になったのだ。

 この建物の外には彼と同じ生物がわらわらとしているので、出る事は出来ないが…。
 それでも私は十分だった。
 十分幸せだった。
 そう、エボニが現れるまでは…。

 エボニのせいで、私はまた変わってしまった。
 知る事は怖い。満足できていた世界を壊してしまうから。

 壊されたらまた探しに行かなければならない。
 探しに行く?
 獲物を食べなくても良い世界を?
 それは詰まり、死ぬという事だろうか?

 嫌だ。
 何故かは分からないが、それだけは嫌なのだ。

 怖い。
 初めの楽園を飛び出した時以上に怖いのだ。

「…大丈夫か?」
 悪夢から覚めた私の目の前には、エボニがいた。

 距離を保ちつつも、心配そうにこちらを見つめている。
 その程度の距離で私から逃げきれると思っているのだろうか?

 …それに足が震えている。
 怖いなら逃げれば良いものを…。

 私は無言で頭を上げる。
 彼を食べる為だ。

 そうすれば、私は全てを割り切って、他の獲物を食らう事ができるようになる。
 死なずに済むのだ。

 私はゆっくりと彼に近づく。
 彼は、逃げ腰だが、私の目を見たまま、その場にとどまり続けた。

 地獄になった楽園で生き続ける。
 それがそれだけ苦しい事なのか。
 私は知りたくもないそれを、考えてしまう。

 もう彼は目の前だ。
 後は一呑みにするだけ…。

 私は口を開く。
 それでも彼は逃げ出さなかった。

 だから私は…。

「少々、飲みすぎただけだ…。心配するな」
 私には、まだ、地獄を知る勇気はなかった。

 彼は、私の返答に安堵の息をつくと、その場にへたり込んでしまった。
 どれだけ意地っ張りなんだ。エボニは。

「フッ」
 情けない姿のエボニをあざけるように笑う。

 すると、彼は「な、なんだよ!こっちが心配してやったのに!」と顔を赤くして文句を言ってきた。

 彼と話している時間。
 それは確かに私にとっての楽園だ。

 本当は話していたい。
 もっと、お互いの話をしたい。
 …できれば悩みを聞いて欲しい。
 …しかし。

「仕方ない。その勇気にめんじて、今日の所は見逃してやろう」
 私はそう言うと、彼をおいて、暗闇に潜る。
 心はまだ彼を求めていた。

 ぐぅ~。
 そして、また、腹の虫も、彼の事を求めているようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

その捕虜は牢屋から離れたくない

さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。 というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。

【完結】聖獣もふもふ建国記 ~国外追放されましたが、我が領地は国を興して繁栄しておりますので御礼申し上げますね~

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
 婚約破棄、爵位剥奪、国外追放? 最高の褒美ですね。幸せになります!  ――いま、何ておっしゃったの? よく聞こえませんでしたわ。 「ずいぶんと巫山戯たお言葉ですこと! ご自分の立場を弁えて発言なさった方がよろしくてよ」  すみません、本音と建て前を間違えましたわ。国王夫妻と我が家族が不在の夜会で、婚約者の第一王子は高らかに私を糾弾しました。両手に花ならぬ虫を這わせてご機嫌のようですが、下の緩い殿方は嫌われますわよ。  婚約破棄、爵位剥奪、国外追放。すべて揃いました。実家の公爵家の領地に戻った私を出迎えたのは、溺愛する家族が興す新しい国でした。領地改め国土を繁栄させながら、スローライフを楽しみますね。  最高のご褒美でしたわ、ありがとうございます。私、もふもふした聖獣達と幸せになります! ……余計な心配ですけれど、そちらの国は傾いていますね。しっかりなさいませ。 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ ※2022/05/10  「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過 ※2022/02/14  エブリスタ、ファンタジー 1位 ※2022/02/13  小説家になろう ハイファンタジー日間59位 ※2022/02/12  完結 ※2021/10/18  エブリスタ、ファンタジー 1位 ※2021/10/19  アルファポリス、HOT 4位 ※2021/10/21  小説家になろう ハイファンタジー日間 17位

白の皇国物語

白沢戌亥
ファンタジー
一人の男が、異なる世界に生まれ落ちた。 それを待っていたかのように、彼を取り巻く世界はやがて激動の時代へと突入していく。 魔法と科学と愛と憎悪と、諦め男のラブコメ&ウォークロニクル。 ※漫画版「白の皇国物語」はアルファポリス様HP内のWeb漫画セレクションにて作毎月二〇日更新で連載中です。作画は不二まーゆ様です。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

最初からここに私の居場所はなかった

kana
恋愛
死なないために媚びても駄目だった。 死なないために努力しても認められなかった。 死なないためにどんなに辛くても笑顔でいても無駄だった。 死なないために何をされても怒らなかったのに⋯⋯ だったら⋯⋯もう誰にも媚びる必要も、気を使う必要もないでしょう? だから虚しい希望は捨てて生きるための準備を始めた。 二度目は、自分らしく生きると決めた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ いつも稚拙な小説を読んでいただきありがとうございます。 私ごとですが、この度レジーナブックス様より『後悔している言われても⋯⋯ねえ?今さらですよ?』が1月31日頃に書籍化されることになりました~ これも読んでくださった皆様のおかげです。m(_ _)m これからも皆様に楽しんでいただける作品をお届けできるように頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします(>人<;)

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

藤森フクロウ
ファンタジー
 相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。  悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。  そこには土下座する幼女女神がいた。 『ごめんなさあああい!!!』  最初っからギャン泣きクライマックス。  社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。  真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……  そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?    ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!   第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。  ♦お知らせ♦  余りモノ異世界人の自由生活、コミックス1~4巻が発売中!  漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。  よかったらお手に取っていただければ幸いです。    書籍1~7巻発売中。イラストは万冬しま先生が担当してくださっています。  第8巻は12月16日に発売予定です! 今回は天狼祭編です!  コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。  漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。  ※基本予約投稿が多いです。  たまに失敗してトチ狂ったことになっています。  原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。  現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。  

チートを極めた空間魔術師 ~空間魔法でチートライフ~

てばくん
ファンタジー
ひょんなことから神様の部屋へと呼び出された新海 勇人(しんかい はやと)。 そこで空間魔法のロマンに惹かれて雑魚職の空間魔術師となる。 転生間際に盗んだ神の本と、神からの経験値チートで魔力オバケになる。 そんな冴えない主人公のお話。 -お気に入り登録、感想お願いします!!全てモチベーションになります-

処理中です...