2 / 6
わたしはいつもえがおで
しおりを挟む
私はいつも笑顔でいました。
母親とおぼしき女性は父親らしき人に怒ったために死んでしまったし、おばあちゃんも「いつも笑顔で、人に優しくするんだよ」と繰り返し教えてくれましたから。
両親のいない私、おもちゃや雑誌のことをよく知らない私、年を経るにつれて寝込むことが多くなったおばあちゃんに代わり家事をする私。皆のように遊べない私を、同年代のこどもたちはからかったり遠ざけたりしました。それでも笑顔で親切にしていたら時々はコンビニのおかしというものを分けてくれるのだから、おばあちゃんの教えは正しかったと思います。
笑顔を作る筋肉はもう溶けて魚のお腹の中。名残惜しそうに頬にキスする小魚がかわいらしくて私は今も笑っています。
頬にキス。幸せな思い出はそこから始まりました。
大学に入学するのを機に都会へ出ました。私の背を押してくれたおばあちゃんには今でも感謝しています。
あの人との出会いは確か新入生歓迎コンパ? 人の紹介だったでしょうか? 覚えてはいないけれどとにかく夜でした。
私の地元ではバスが来るのは一時間に一回。辺り一面が田んぼで、夜九時を過ぎると地上には街灯が点々と並ぶ以外の光はありません。
それなのに街は、満天の星空を切り取って地面に敷き詰めたみたいに明るい場所でした。スリとか通り魔とかが出るのだとテレビで見たことがあったから、私はおばあちゃんにもらった鞄を両腕でしっかり抱きしめて歩きます。待ち合わせ場所は駅前の広場。改札を通りすぎたらまっすぐ歩けばいいから迷子にはならない、幹事の人はそう言っていたのですが、電車のドアと広場の間には濁流が横たわっていました。
人、人、人、人。
昔おばあちゃんが話してくれた洪水のようだと、当時の私は呆然としながら思いました。自由に形を変える水でさえ洪水になれば車や家を押し流してしまうというのに、水より固い人体が寄り集まりてんでばらばらに動くのならどうやってまっすぐ進めばいいのでしょう。
戸惑っているうちに背中を押されます。肩を小突かれます。まっすぐよりはだいぶん右に流されて、もとの位置に戻ろうとすると舌打ちまで飛んでくる始末。遠ざかっていく目的地が涙でにじみました。
「大丈夫?」
ふとそんな声が降ってきました。
もみくちゃにされていた体が楽になります。誰かが私の背後にいて濁流から守ってくれている。がちがちにこわばった肩を誰かが優しく抱いてくれている。
見上げると茶髪の男の人と目が合いました。
「君も■■■に行くんでしょ。一緒にいこう」
私と同年代らしき男の人。どこかで会ったでしょうか。思い出せない私を気にもとめず、そのひとは私の前に立ち、私の手を引いて歩き出しました。
私ひとりではどうにもならなかった濁流が、そのひとがいるとまったく重さを感じさせません。魔法のような光景に呆然としていると男の人が振り返って笑いました。
目的地に着くまで私たちの手は離れず、時折男の人は私の様子を確かめてくれ、私はぎこちない笑みで応じました。
集合時間ぎりぎりで目的地に着くとその手は離れてしまいます。居酒屋に移動した私は初めての場所におっかなびっくりで、でも気づくと男の人を目で追っていました。
自己紹介の場所だからいろんな人が話しかけてきます。私も私なりに一生懸命話しましたが、皆私から去っていって別の人どうしでグループを作っていきました。
ひときわ大きな輪の中心にはあの男の人がいます。
私にとってはおなじみの光景。私の世界には私とおばあちゃんだけがいて、家の外にいる人は皆別世界の人間。私が人の輪に入れないのは違う世界の住人だから仕方がない。
なのに私はあの人から目が離せませんでした。別世界にはいつも華やかな人がいて話題の中心になっていたのに、今まではそんなの気にも留めなかったのに、あの世界に私がいないと思うと胸がしめつけられるようでした。
繋いだ手のぬくもりにすがるように拳を握って、でも私は隅っこの席から動けないまま。誰かにお酒を勧められたような気がしますがよく覚えていません。
気がつくと人の声がずいぶん遠ざかって、あたりは真っ暗で、お座敷は公園のベンチに変わっていました。ペットボトルを差し出す手は大きくごつごつとしていて、でも爪がきれいに磨かれていました。
「送っていくよ。家どこ」
あの人の声。
私はあの男の人にもたれ掛かっていたのです。
目を丸くする私にあの人は微笑みかけ、
「かわいいね」
そっと頬にキスをしてくれました。
佐竹トシヤ。
それがあの人の、私の運命の人の名前でした。
魚の群れが陽光を受けてきらめいています。水の底で見上げるそれはとても綺麗だけど、そこに混じりたいとは思いません。
私はここでいい。水の流れも魚の群れももうあのホームの濁流みたいに私を押し流すことはありません。真っ白できれいな骨は半ば砂に埋まり岩に支えられ、しっかりとここでとどまっています。
………………
■日に発見された遺体の身元が■日、警察の調べにより佐竹ノリコさん(27)と確認された。遺体の一部は近隣のごみ捨て場で、残りは山中で発見された。佐竹さんは夫から行方不明として捜索願が出されており、警察は事件の詳細な経緯について捜査を勧めている。
母親とおぼしき女性は父親らしき人に怒ったために死んでしまったし、おばあちゃんも「いつも笑顔で、人に優しくするんだよ」と繰り返し教えてくれましたから。
両親のいない私、おもちゃや雑誌のことをよく知らない私、年を経るにつれて寝込むことが多くなったおばあちゃんに代わり家事をする私。皆のように遊べない私を、同年代のこどもたちはからかったり遠ざけたりしました。それでも笑顔で親切にしていたら時々はコンビニのおかしというものを分けてくれるのだから、おばあちゃんの教えは正しかったと思います。
笑顔を作る筋肉はもう溶けて魚のお腹の中。名残惜しそうに頬にキスする小魚がかわいらしくて私は今も笑っています。
頬にキス。幸せな思い出はそこから始まりました。
大学に入学するのを機に都会へ出ました。私の背を押してくれたおばあちゃんには今でも感謝しています。
あの人との出会いは確か新入生歓迎コンパ? 人の紹介だったでしょうか? 覚えてはいないけれどとにかく夜でした。
私の地元ではバスが来るのは一時間に一回。辺り一面が田んぼで、夜九時を過ぎると地上には街灯が点々と並ぶ以外の光はありません。
それなのに街は、満天の星空を切り取って地面に敷き詰めたみたいに明るい場所でした。スリとか通り魔とかが出るのだとテレビで見たことがあったから、私はおばあちゃんにもらった鞄を両腕でしっかり抱きしめて歩きます。待ち合わせ場所は駅前の広場。改札を通りすぎたらまっすぐ歩けばいいから迷子にはならない、幹事の人はそう言っていたのですが、電車のドアと広場の間には濁流が横たわっていました。
人、人、人、人。
昔おばあちゃんが話してくれた洪水のようだと、当時の私は呆然としながら思いました。自由に形を変える水でさえ洪水になれば車や家を押し流してしまうというのに、水より固い人体が寄り集まりてんでばらばらに動くのならどうやってまっすぐ進めばいいのでしょう。
戸惑っているうちに背中を押されます。肩を小突かれます。まっすぐよりはだいぶん右に流されて、もとの位置に戻ろうとすると舌打ちまで飛んでくる始末。遠ざかっていく目的地が涙でにじみました。
「大丈夫?」
ふとそんな声が降ってきました。
もみくちゃにされていた体が楽になります。誰かが私の背後にいて濁流から守ってくれている。がちがちにこわばった肩を誰かが優しく抱いてくれている。
見上げると茶髪の男の人と目が合いました。
「君も■■■に行くんでしょ。一緒にいこう」
私と同年代らしき男の人。どこかで会ったでしょうか。思い出せない私を気にもとめず、そのひとは私の前に立ち、私の手を引いて歩き出しました。
私ひとりではどうにもならなかった濁流が、そのひとがいるとまったく重さを感じさせません。魔法のような光景に呆然としていると男の人が振り返って笑いました。
目的地に着くまで私たちの手は離れず、時折男の人は私の様子を確かめてくれ、私はぎこちない笑みで応じました。
集合時間ぎりぎりで目的地に着くとその手は離れてしまいます。居酒屋に移動した私は初めての場所におっかなびっくりで、でも気づくと男の人を目で追っていました。
自己紹介の場所だからいろんな人が話しかけてきます。私も私なりに一生懸命話しましたが、皆私から去っていって別の人どうしでグループを作っていきました。
ひときわ大きな輪の中心にはあの男の人がいます。
私にとってはおなじみの光景。私の世界には私とおばあちゃんだけがいて、家の外にいる人は皆別世界の人間。私が人の輪に入れないのは違う世界の住人だから仕方がない。
なのに私はあの人から目が離せませんでした。別世界にはいつも華やかな人がいて話題の中心になっていたのに、今まではそんなの気にも留めなかったのに、あの世界に私がいないと思うと胸がしめつけられるようでした。
繋いだ手のぬくもりにすがるように拳を握って、でも私は隅っこの席から動けないまま。誰かにお酒を勧められたような気がしますがよく覚えていません。
気がつくと人の声がずいぶん遠ざかって、あたりは真っ暗で、お座敷は公園のベンチに変わっていました。ペットボトルを差し出す手は大きくごつごつとしていて、でも爪がきれいに磨かれていました。
「送っていくよ。家どこ」
あの人の声。
私はあの男の人にもたれ掛かっていたのです。
目を丸くする私にあの人は微笑みかけ、
「かわいいね」
そっと頬にキスをしてくれました。
佐竹トシヤ。
それがあの人の、私の運命の人の名前でした。
魚の群れが陽光を受けてきらめいています。水の底で見上げるそれはとても綺麗だけど、そこに混じりたいとは思いません。
私はここでいい。水の流れも魚の群れももうあのホームの濁流みたいに私を押し流すことはありません。真っ白できれいな骨は半ば砂に埋まり岩に支えられ、しっかりとここでとどまっています。
………………
■日に発見された遺体の身元が■日、警察の調べにより佐竹ノリコさん(27)と確認された。遺体の一部は近隣のごみ捨て場で、残りは山中で発見された。佐竹さんは夫から行方不明として捜索願が出されており、警察は事件の詳細な経緯について捜査を勧めている。
0
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる