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46 クロノさん

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 部屋を間違えたのか、発作の幻か。それにしても何故クロノさん?と固まっていると、後ろからレックスがクロノさんに声をかけた。

「待たせたな。連れてきたぞ」
「連れてきたって……陛下。また、何も説明せずにお連れしたのでしょう?」
「医者に見せるって言ったさ」
「私と彼女の関係はご存知でしょうに。本当に仕方のない方だ」

 声、仕草、そしてレックスとのやりとり。幻でも無くクロノさんに間違いは無い……。また、逃げ出したくはなったが、エウディさんを思い出して踏みとどまった。本当にクロノさんなら、話、聞かなきゃ。

「では、姫君、失礼ながら診させていただきますね」

 クロノさんの目が一瞬変色した。そして、何かカルテのような物を書きつけている。

「……成る程、大体の理由は分かりました」
「治るか?」
「ええ、ただ、これには心労も良くないので一度姫君と二人でお話しさせていただいてもよろしいですか?」
「俺がいちゃ不味いのか?」
「不味いから申し上げています。ついでに、先日の案件の報告と捜索中の被疑者の件についての計画書について目を通しておいてください」

 「あ、てめぇ、こら」と言いながらも、レックスは外に追い出されてしまった。扉が閉まって、クロノさんはいつもの笑顔で振り返った。

「さて、言いたい事があればどうぞ、サヤ」
「言いたい事って、一体どう言うことですか?宰相って?クロノさんはエラスノ万事屋のボスですよ、ね?」

 現実が追いつかず、思った事をそのまま口に出した。彼は困ったように笑って首を傾けた。

「帝国の宰相が本職です。仕事についてはエウディに文書を運ばせてました。私は帝国の所属というより、個人的に陛下の部下をしている……本来なら奴隷であったはずの身分ですよ」
「お医者さんだって……」
「ええ、サヤやアルバートとは違う意味で目が良いので。薬についてはエウディから学びました」

 いつものクロノさんは、いつものように右手で左肘を掴んでは居なかった。

「クロノさんも……、初めから私をレックスの許嫁として……私を調べるためにメンバーに入れたん、ですか?」
「それは、違います」

 穏やかに、でもきっぱりと彼は否定した。

「エラスノの目的はなんだと思いますか?」
「目的……?」

 何か掲げた目標などは無かったと思う。ただ、あそこに意味はあった。

「アルバートさん達の生きる場所、ですか?」
「そうですね、そのままでは陸の上、普通の人達の間では生きていけない者達や奴隷が生きていけるようにする場所、でもあります。貴女が特別だという事は知っていましたが、陛下は貴女を探していた訳でも無ければ捜索の命令も出していない。ただ、条件に貴女も当てはまっていたから、メンバーに迎えました」

 確かに、あの時のあの場所が私にとって確固たる居場所だった。

「陛下は、マンイーターです。そういった生きづらい者達にどう居場所を与えるかを試行錯誤されてきた。管理下に置く事もしかり、ですね。そしてこの度、一つの答えとして棲み分けるようになさるそうです。……そうなれば私が船でエラスノをやっていく必要は無い。エラスノはそのままアルに譲りました」

 ああ、私の帰るところは無くなったんだ、という事が分かった。戻りたい、帰りたいと思っていた場所は、そもそもが幻想のようなものだったんだ。

「陛下の側に場所は変わりますが、陛下の理想を作る手伝いをする事に変わりはありません。それに、こちらにいると貴女の治療をする事ができる。特別な貴女は特殊で、医師か薬師は側に置いた方がいい。けれど、エウディはもう貴女の側には置けないので、それなら私が担うのが良いかと。……他の男性が貴女に触れる事を陛下は避けたいでしょうから」
「なぜ……エウディさんはダメなんですか?」

 懸賞金という言葉は飲み込んだ。それを私は知らないはずになっている。

「エウディはもう要らない、からです。これからの計画にマイナスとしかならないという判断ですね。エウディから必要なスキルは全て学び終えましたし、文書を運ぶ役も不要になりました」
「でも!クロノさんはエウディさんを……」

 彼は人差し指を口に当てた。私はその切なげな表情にハッとした。

「例え私が愛してもエウディは私を愛する事はありません。……、以前私の大切な方の話をした事を覚えてますか?私にとって全てはその方、我が主人様あるじさまのためなのです。主人様のために、主人様の手足の代わりとなり任務を遂行する。……主人様の幸せのために手を尽くす。そのためなら、命すら惜しくない」

 まるで、私に愛の告白をしているかの様にクロノさんの瞳は情熱的だった。こんなクロノさんは初めて見て、そして、これが今まで見たことのない彼の本心だと分かった。

「サヤ、サヤの幸せも私は心から願っています。大切に思ってはいるのです。そして、今この選択が貴女にとっても最良だと信じています。だからもう仮の名前は呼べない。サヤ、貴女をそんな風に呼ばなくなるのだけが、少し寂しい」

 クロノさんの右手は左肘に触れた。

「さて、今貴女は過度のストレスで眠気を催しているはずです。睡眠は一時的な回復には効果があるので推奨します。部屋には一人で戻れますか?」
「は、い」

 彼は以前の様に私に触れる事はなく、私の横を通り過ぎて扉を開けた。

「で、だ。サヤの容体は?」

 渡された書類をクロノさんに押し付ける様にして、レックスが押し入ってきた。

「資料は読んだ。サヤは返せ」
「治療については今からお話ししますが、姫君は部屋に返した方がよろしいかと。お疲れが出ている様で……」

 レックスは私を抱き上げた。

「ちょっと待っとけ。サヤを寝かし付けてくらぁ」
「レックス、私、一人で戻れるよ」
「そんな顔色のサヤを歩かせるか」

 私を運ぶレックスは本当に心配げな様子で、部屋に戻ると私を優しくベッドに下ろした。そして、私にキスをして「心配ねぇから」と言って部屋を出て行った。

 優しげな眼差しが、少し悲しい。レックスはすごく細やかな気遣いができる人だ。力を持つだけじゃなくて、相手の気持ちを汲み取るのが上手くて、人をまとめてきた事は、いろんな場面から知ることができた。
 そのレックスが、エウディさんの時と同じような傷つけ方をするとは考えられなかった。
 聞けば良いのかもしれない。でも、それで、サヤの体調を第一に考えて失念してた、とか、番の一大事で理性が飛んだとか上手くかわされそうに思ってしまう。

 初めは待つ、というスタンスだったのに、短期間のうちに当たり前のようにキスをするポジションに、彼はいつのまにか収まっている。親密さは増したけど、私がその間に、彼を好きになったかと言えばそれは違った。頼りにしてる、尊敬してる、そして依存はし始めている、でも、アルバートさんに感じた恋しさをレックスには感じていない。それでも、私は後一歩で彼の物になりそうな位置にいる。

 知りたい。怖いけれど、知らなくてはならない。そう念じながら、私は眠りに落ちた。

――――――――――――――――――――――――――

 クロノのいる部屋にアルバートは戻ってきた。

「じゃあ、聞かせてもらおうじゃねぇか。ひなの過眠の原因とやらを」

 クロノはため息をついた。

「姫君にストレスがかかりすぎています。そして、脳がオーバーヒートしている。身体的には無意識に色んな特性を使いすぎているのも原因かと」
「特性、ねぇ」
「太陽光耐性と千里眼、千里眼の方は徐々に精度が上がってきているのではと推測されます」
「いいねぇ。身体が慣れりゃ、それこそ妃に相応しいじゃねぇか」
「それと、……毒物の影響が」
「毒?んなもん、誰が……」
「彼女と体液の交換されてますね?」
「ああっ?あの程度でもアウトかぁ?」
「陛下と姫君の魂の同調性はかなり高い。特に最近は上手く陛下が彼女に近づいています。約束の日は遠からず、けれども……タブレットを消費しすぎです。彼女は無垢の鞘、剣を守り、修復する性です。陛下が取り込む怨詛が彼女に流れています。血で汚れた剣をそのまま収めると鞘の中に汚れは溜まり、破壊される」
「……どうすりゃいい?」
「今はどの頻度で?」
「一日一個まで減らした。以前の三分の一以下だ」
「……一週間抜いてください。仕事はこちらで栽培しますので、彼女と数人で船で海へ行き、邪魔者達からお隠れになって、番に」

 レックスは舌打ちをした。

「まだ、落とせねぇよ」
「言葉巧みに相手の心を操る陛下にしてはお珍しい」
「他の餌みたいに、ヤルだけって訳にはいかねぇだろが。しかも、最近魅了の効きも悪い。猫が入り込んでるらしいんだよ」
「一日一個のタブレットで引き伸ばせば、部下の求心力は落ち、姫君は痛む。かといって、香水は彼女には耐性がありますので、やはり魅了はキープしたい……十人ほど女を用意しましょうか?」
「アホか。万一狂った女にキスマークでもつけられたら、アウトだろうが。それに極上の料理の前にファストフードに食指は伸びねぇよ」
「では、単純にアルコールを使いましょう。猫の方も心当たりはあるので、船出までの間に憂慮の元は断てます」

 クロノはカルテを閉じた。

「一週間後、陛下は真の神となられる」
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