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1 はじまり

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 初めてクロノ様を見た時、私は何か予感のようなものを感じた。

 いつもなら売上の入る前日なんかに、ご主人様は町の賭博場には行かない。でも、彼等、エラスノ万事屋よろずやの人達が来たと聞いて、ご主人様は意気揚々と馬車に乗り込んだ。

 賭博場に奴隷を連れて行くのは一つのステータスで、手に入れるのが難しい、いわゆる上等の奴隷を連れていると注目される。奴隷を見てやり合うかどうかや、レートを決める事もある。私は少し珍しい種族で、一通りの教養もあったので奴隷としての価値は高くて、ご主人様の今日の懐具合では、いつもなら私より少し安い子を連れて行くべきだったと思う。

 「エラスノ万事屋の、それもクロノが来ている。彼等と勝負出来る可能性は少しでも上げたい。こんな町にすら賭事の天才だとから天使から祝福を受けているとか、そんな噂が届いている彼らによしんば賭事で勝ったりすれば、商人の間での名の上がりようは如何許りか。」

 ご主人様はそんな最もらしい事を言って私が側仕え係を任命した訳だけど、それなりの期間彼に仕えている私からすると、まぁ、方便ですね。
 本音はこの町では一番の腕と言われている自分を試したいとか、男のロマンとか、そんなふわふわした理由だろう。

 私も、野次馬的な心理で正直ちょっとワクワクしていた。そんなに凄い人はこの鄙びた街で見る事はそうそうなかろう。それに、噂だとかなりの美丈夫軍団だとか。館の他の使用人や奴隷達に羨ましがられて期待値は急上昇だ。

 もちろん自分の主人が大負けして、とばっちりが怖いのも確か。
 自分の奴隷のクラスを示すタグをよそ行き用の首輪につけ直して、私はご主人様が全部スっても生活には困らないけど奥様からのカミナリが落ちるのは確実な程度の資金を支度した。

 賭博場は噂を聞きつけた人々で溢れていて、いつもより混み合っていた。ガヤガヤとした酒場や遊びの様な低レートのフロアを抜けると、いつもより多めの警備員が奥を覗こうとする野次馬を制していた。それを横目にご主人様は一番奥の、この町では名の通った者しか入れないVIPなお部屋に通される。優越感からか、ご主人様は私に言った。

「勝ち上がるか、金を持って来ればいいだけなんだがなぁ」

 いきなり奥まで通してもらえる程お金を持ち運ぶ無名の人は居なかろう。賭博場の中は比較的安全性だけど、外で強盗に遭わないように人を雇えるというのは、そう言う事だ。

 部屋に入ると、どうやらエラスノの人とそれ以外の人で順番にサシのカードをやっていたようだった。ギャラリーはすでに畳まれた者達のようで、顔色は良くない。
 エラスノのボス、クロノと思われる人の両脇に二人。その二人の人の間にある袋から覗くのが、コインでなく札である事にご主人様は小さく声を上げた。コインと札では札の価値の方が随分高い。

「ごちそうさまでした。そろそろお暇させていただきましょうか」

 エラスノのボスと思しき人は意外な程優しげな声の持ち主だった。こちらからは長い蒼みがかった三つ編みの先と、従えた人二人の後ろ姿しか見えない。
 分断された陸と、数多の島々を船で馳け廻ると聞いていたから、もっとゴツいタイプかと思っていた。いや、声だけ優男なのかもしれないけど。

「お待ちください!私めとも是非一戦!お噂はかねがね……」

 テーブルのある中心部へ躍り出たご主人様を追っていって、いきなり言葉が途切れた理由がわかった。

 足りない。絶対足りない。机の上に載った札の分の手持ちがない。一番高いコインの100倍の価格である札がこんなに机に積まれたのを見た事は無かった。しかし、ご主人様も引くことはできなかろう。

「……その、ツケですが……」

 これまた、売上が入れば払えなくはない額だったのが運のつき。もう一ゲーム後なら諦めのつくレートだったろうに。
 口に出してしまった後はどうしようもない。とりあえず、先程の敗者が去った後を片付けてご主人様が座る場所を作る。相手が受けてくれるかは分からないし、むしろ是非とも断ってもらいたいけど、私を連れているというのが裏目に出そうだ。

 ふと、視線を感じた。勝負のための値踏みかと一瞬思ったけど、何か違う気がする。顔をあげて、そこで初めてエラスノのボスの方を見た。

 蒼みがかった髪は緩く編みこまれ、落ちた前髪が流れるように目にかかっている。瞳の翠は海の色かもしれない。視線に貫かれて、私はそこに縫い止められた。心臓の音が漏れそうなほど自分の中で鼓動が響く。なぜか分からない感情が沸き立った。
 エラスノのボスは本当に綺麗な人だった。海の男というイメージではない。理知的で柔らかい瞳は少し驚いたようにも見えた。

「ツケはあかん。明日にはこっから立つしな」
「こちら全てでは……ダメでしょうか?」
「この場面でレートを下げるのは不粋ですよー」

 ダメ元で持ち金をぶちまけたご主人様だったけれど、エラスノの二人、高身長で良い体躯の金髪の男の人と赤毛の少年がそれぞれに却下した。二人とも整ったら顔立ちをしていて、そりゃあ色々な意味で噂になるのも頷ける。
 金髪の男性は目付きが鋭く、肉食獣の血を引いているんじゃ無いかというオーラがあった。少し怖い雰囲気がまた、怖いもの見たさの好奇心を唆る。一方の少年はあっけらかんとした楽しげな表情だ。賭博場で見た事のある年齢でも雰囲気でも無い。裏表が無さそうで だけど、本当にその年齢のただの少年なら、きっとここではオドオドしてしまうだろうに。彼は堂々としてすぎていて、違和感が半端無い。

「……そうですね。では、そちらの方を賭けますか?」
「クロノ?」「クロノさん!」

 金髪の男性眉を寄せ咎めるように、少年は対照的にぱっと表情を綻ばせてエラスノのボスの名前を呼んだ。え、私?

「この子ですか……」

 ご主人様は一応悩んでいる様だった。私の価値は御屋敷一棟程度。だけど、また貯めたとしても、帝都より随分離れたこんな街にいる限り再び私レベルの奴隷を買う機会はない。トロフィーのようなものとは常々言われていたから、今賭け金としてテーブルにのっている価格で手放すつもりはご主人様には無いはずだ。そう読めたのに、何故か自分はこのクロノという人の物になる予感がした。

「いいえ、その方の価値ならこちらを賭けても惜しくありません」

 指されたのは、あの袋。私一人に小さな島一つ買えそうな値段がつくとは。結局、ご主人様はご自身の年商を賭けた勝負に負けた。

――――――――――――――――――――――――――

「アホか、お前は。勝率100パーちゃうやろ。負けたらどないするつもりやってん」
「まぁ、勝てたわけですから……」
「ブルータグの奴隷とは言え、即決で賭ける金額じゃなかったですねー」

 彼らの帰り道、私は真ん中に挟まれるようにして連れていかれた。今夜は船に戻るらしかった。

 あの後勝負は淡々とついてしまい、新たなる主人、クロノ様は私を手に入れた。前のご主人様は私が簡単に今までの礼を述べると、放心しながらも奴隷の所有権をタグに戻してくださった。そのタグにクロノ様は手をかざしながら、小声で私に話しかけた。

「逃げないんですね」
「何故ですか?」
「自由をお望みでは?」
「タグがある限り、他の人に捕まってしまうと結局奴隷になってしまいますよ?」
「……そうですね、ですので不本意ですが貴女を守るため、契約させていただきます」

 質問の意図を計りかねたまま、タグには彼の所有である事が刻まれた。
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