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セレスエンド
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ギュンと意識が引き戻される感じがして、気がつくと駐輪場で自転車を押す自分がいた。顔を上げると、車止めを乗り越えた車が真正面から迫って来る。
周りがスローモーションのようにゆっくりと流れているように感じた。
そうか。帰ってきた。秋穂に還ってきたんだ。
恐怖に勝る圧倒的な達成感と少しの諦めから目を瞑ると、私の体は強く横に引かれた。
「え?」
力強く腕を引かれて、そのまま頭を抱えるように抱かれて、私は、私達は左方向に飛びこんだ。
そして私は再び意識を失った。
――――――――――――――――――――――――――
次に視界に入ったのは、白い天井。一瞬天国かと思ったけど、その直前の記憶があるから多分病院だろうとすぐに気がついた。
ありがちな感想を抱いて目を覚ますと、全身に軽い鈍痛がある。
「秋穂!」
一志に顔を覗き込まれて、自分が予定通りに逝かなかった事を確信した。
「私、生きて……?」
「良かった……本当に良かった」
「一志?ごめん。それから、ありがとう」
電話を受けて嫌な予感がした一志は自宅のマンションの駐輪場での事故を発見したそうだ。私は助けられた。ただ、力を抜いたまま引っ張られるように飛んだため、首が軽く締まって意識を飛ばしたらしい。救急で運ばれたが、検査も問題無く医師の手が空き次第診てもらえば直ぐにでも帰れる程だった。運命は変わっていた。
「すごい精度の予感だね」
あちこちぶつけたようだけれど、体感としても良好。ベッドから起き上がってお医者さんを待った。感嘆する私に一志は深くため息をついている。
「本当に勘弁して欲しいよ。悪夢が本当になるかと気が気じゃなかったんだから」
「悪夢って何?」
「……昔、そういう夢を見たんだよ。クリスマスに俺と会うと秋穂が死ぬって言う夢」
「だから、いつもクリスマスは忙しくしてたの?」
ドキッとしたけれど、平静を装うために少し笑いながら返す。
「すごくリアルな夢だった。夢じゃ無いって感じるくらいにね。怖かったよ。秋穂を失うのが」
私も一志を失うのが怖かった。
自分は本当に馬鹿だと思う。自分が死んで相手を生かすのは恩返しでもなんでも無い。幼馴染を失う辛さを相手に与える事でもあるのだ。
「……そう言えば、今日の予定は?彼女とデート。十時から」
「え?な?彼女?彼女じゃないよ!ってか、何で知ってんの?」
顔を赤くして否定する一志を見て、やはり、と思った。こちらの世界の時間では昨日の夜、携帯を確認した時も嬉しそうにしていたし。長い付き合いなのだ。その反応が、坂本さんとやらが一志の特別だと教えてくれている。私と一志の付き合いは彼の仕草を見誤る程度じゃ無い。
「昨日の電話、一回私がとったからね」
「そこまで聞いてたなんて、聞いてない」
「そりゃ、言ってないもん」
舌を出しておどけて見せると、彼は苦笑いした。
「彼女は、そんなんじゃないよ。俺のことなんて眼中に無いし……、すごく大事な友達」
「でも、好きな人でしょ?」
「好きなって……」
絶句する一志を黙って見つめ続けると、諦めた顔をした。一志だって私の性格はよく知っている。
「……秋穂は俺の事好きなんだと思ってたんだけど?俺が誰かとくっついたら、嫌じゃ無いの?俺は……いつかは秋穂とって思ってた。」
「そうだねー。大事な幼馴染のポジションは譲れないかな。私は一志好きだったよ。ずっと見てたからね」
少しホッとしたような表情で一志は微笑んだ。ムカつく。
「だから、分かるんだけど。一志も私の事好きだけど、それは私が一志を想ってたのとは違う。妹や親友を思う、そういう好きでしょ。それから、多分だけど、一志の見た悪夢とやらの影響もありそうだし。私のためって言い訳して恋愛から逃げるのはやめてよね」
一志が見た悪夢は、偶然では無い。それも、私が車に轢かれるシーン自体を知っていた訳では無いような反応だ。そんな情報をベルが彼に送る意味がないから、私とベルの会話を聞いていた可能性が高いと思った。
「一志は、中学の時に一度死んだこと覚えてるの?」
目を見開いて驚いた彼は、小さく「ああ」と返事をした。当たり。
「あれは、夢じゃなかった?」
「うん」
「じゃあ、秋穂は俺と運命を取り替えて……死ぬつもりだったってことだ。それこそやっぱり責任を取りたい」
「でも、私は生きてる。一志が取らなきゃいけない責任は無いよね。他に好きな人がいるのに、ただの幼馴染としか思ってない相手に責任とるなんて言うな、ばか」
「ばかって……。ばか、かなぁ」
「ばかだよ。大バカ者」
「なんか酷くなってない?でも、まぁ、バカかもな。プロポーズリングまで買うつもりだったし」
「私に?」
「そう。もうすぐ誕生日じゃん?坂本さんに相談して用意してた。ってか、今日買いに行く予定だった」
「うわー。阿呆だね。好きな人と他人へのリング選びに行ったの?クリスマスに?」
「……そうやって思いを整理してたんだよ」
「ど阿呆」
本当におバカだ。けれど、久しぶりに本音をぶつけられた気がする。以前の、一志が好きで周りが見えなかった私ではこんな事言えなかったと思う。
今の私には、一志の同情を含むプロポーズは到底受け入れられなかった。遥か隔てられた世界で、秋穂じゃ無い私を好きになってくれた人に失礼な気がして。
一志が坂本さんとやらとくっつくかどうかは知らないけれど、とりあえず話して来いと背中を一発叩いて送り出した。さよなら、初恋。とうに踏ん切りは付いていたさ。
一人残された私に、お医者さんより先に警察の人が事情を聞きに来た。私と車は接触自体はしていないが、車が駐車スペースをぶっちぎって駐輪場まで来ているし、未接触の事故というものになるそうだ。
それより何より、私を助けたのは一志じゃなかったと聞いて驚いた。通りすがりのマンションの住人だそうだ。
警察に事情を聞かれて、逆に状況を理解して青くなる。教えておいてよ!一志!
「その方も怪我されてるんですか?」
「え、ええ、はい」
くい込む勢いの私に警官はちょっと引いていた。相手の方は怪我をしてるなんて……謝罪も御礼もしなきゃダメだけど、何よりとりあえず申し訳ない。
「同じ病院にいらっしゃるんでしょうか?入院されてるなら、部屋を教えてもらうのは可能ですか……?できる限り恩返しをしたいのですが」
私が一志を助けるためにした事で、こちらの世界でも人を傷つけてしまった。したいのは恩返しでもあり、贖罪でもある。
「入院する程の怪我じゃない」
その人の声がした。
そもそも、助けてくれたのが一志だと勘違いしたのは、頭を抱えられた時になんとなく知っている人の感じがしたからだ。でも、よくよく考えたら一志とそんなに触れ合った事なんて無い。
戸口を見れば、よくよく知っている彼がいた。色素は相変わらず薄めだけど、髪や目は茶色っぽい。そのせいか、少し柔らかい雰囲気をまとっている気がする。
何でここに?セレスが助けてくれたの?どういう事?
全ての疑問は驚きすぎて声にならない。
「というわけで、こいつとは知り合いだ。少し話をさせてもらって構わないだろうか?」
「はい、本日はもう結構です」
警官は連絡先だけ控えると部屋を出て行った。
「……顔は流石に多少違うな」
セレスは相変わらずの、整いすぎた顔を歪めるような笑みを見せた。
「セレス……私だって分かるの?」
「声も違う、か」
ベッドの横の椅子に腰掛けて、彼は私の耳の後ろに手をやった。
「だが、お前がアキホなのは分かる。印をつけさせてもらったお陰で予定通りお前の後を追えた」
耳の後ろ?そんな見えない所に?
「全部、予定通り?」
「全てではない。不本意だが ったが、転生を使った。お陰で多少能力は落ちたが、見た目は多少マシになったからイーブンだ」
「見た目って、髪と目の色?」
「そう言えばお前は俺の容姿をいたく気に入っていたな。この姿は残念か?」
「うーん。前の姿も神秘的で良かったし、今も充分イケメンだと思うけど、セレスが前より少しでも楽ならそれが一番かな」
「お優しいことだ」
「セレスの魅力は優しく笑ってる所だからねぇ。笑えることの方が重要でしょ」
驚いたようにまじまじと見られて、気がつく。セレスはほぼ前と同じ年齢だけど、私はえいこと見た目も声も違う。更に年は二倍だ。なんだか居た堪れない。
「そうだ!助けてくれてありがとう」
私はそう言いながら、ある可能性を思いついた。クリスマスに命を清算するのは回避された。けれど、一志の命を救った代償はどこに掛かるのだろうか。まさか無償とはいかないだろう。
「会えて良かった。……こっちに来れたの、知れて良かった」
いつ私の命の支払いとなるかは分からない。それを考えると、セレスが無事転生できた事を知れたのは本当にラッキーだ。
同時に、セレスが望み通りの未来を手に入れた事は単純に嬉しかったけれど、彼がこちらに来るという目的以上の幸せをあちらで見つけていなかった事にどことなくほっとしてしまった。ヤダヤダ。
「良かった、という顔ではなさそうだが?月子から伝言だ。『私は幸せに生きました。私もえいこちゃんの事を応援しています。遠くから、えいこちゃんの幸せを祈っています』……ちゃんと伝えたぞ」
月子ちゃん……彼女が彼女の周りごと幸せな様子は簡単に目に浮かぶ。彼女は私にとってもヒロインだった。膨らむ幸せな想像から、はたと自分の状況をかえりみる。
対する私は……
三十路。未婚。彼氏無し。むしろ今日失恋。ついでに、いつ死ぬか分からない。
詰んでる。
「お前は、変わらず何でも顔に出るな」
心底感心した様子でセレスはそう言って、それから席を立った。
「じゃあな」
「え?あ?ちょっと?……いったー!」
あまりにもアッサリと扉から出て行こうとするので、慌てて呼び止めようとして……ベッドから落ちた。
「打撲はあるはずだろう?そこから落ちると普段より痛むはずだ。それで落ちるとは、何を考えている?」
「いや、だってセレスがどっか行こうとするから……」
「付添いが戻ると面倒だ」
「付添い?セレスの?」
「いや、お前のだ」
「一志なら戻って来ないけど?」
一瞬セレスの眉間に皺が寄ったが、「まぁ、軽傷だからな」と言ってまた椅子に座ってくれた。
確かにいきなりこんなイケメンが知り合いっていうのは説明しにくい。適当にかわすのは、お互いに苦手だし。
「そういえば、伝え忘れていた事があった」
「何?」
「命の代償の件だ」
命の代償?一志を助けるために差し出した私の命の事だ。ニヤリともしないセレスは何でもないように続けた。
「分割払いに設定し直した」
「はい?」
「秋穂の残りの寿命分を25000回払いだ。利子は無い」
「にまん、ごせん……?」
「債務者はお前と子孫、及びその伴侶。十人ずつ産めばF4かF5辺りで完済できる」
という事は、一人頭一日程度の振り分け。それなら許容範囲かな、と一瞬納得しかける。
「いやいやいやいや、十人て何?私三十歳だよ?ネズミじゃあるまいしそんなポコポコ産めませんって」
「三つ子二回と双子二回。二年おきで産めば三十代で終わるはずだが……?」
「そんなの、死ぬわ。大体、多胎児は妊娠しようと思ってできるもんじゃない。それに、産んで終わりじゃないでしょう?先立つものが要るじゃん?」
「金か?」
「金だね。一人育てるのに三千万って言うんだよ!そんなに産んだら共働きすら無理だし」
「そうか……お前の相手には最低でも三億は稼いで貰わなくてはならないな」
「……生活費もいるけどね」
セレスがいたって本気のようで頭が痛い。分割払い自体は変わらないなら、私はそこまで産む必要なく無いか?いや、そもそも結婚できるのか、私は?
「お前の相手が逃げ出さなければいいな」
「何よりまず相手を探さなきゃダメなんですけど」
「あ?俺の記憶では、お前は好いた相手を助けようと命を払ったはずだが?」
「先程無事ふられました」
「……くくっ」
笑った!ひどい!
「でも、とりあえずすぐ死ぬわけじゃ無いって事だね。ありがと。どっちにしろ、マリちゃんの父親探さなきゃだしどうにかするよ」
ため息をついてセレスを見ると、彼は屈託無く笑っていた。いい笑顔で眩しい事です。
「どうにもなら無さそうなら連絡しろ」
名刺の裏に、恐らくプライベートの電話番号を書いて渡された。名前はcees?セース?オランダ名だけどハーフかな?
「CEO?社長さんやってるの?」
「特許で回している。社員は居ないが箔がつく、というやつだ」
再びセレスの手が伸びて、私の耳の後ろを撫でる。
「とりあえず、マリの兄弟二十人程度なら養えるらしい。心置きなく頼れ」
意味を取りかねて彼を見ると、少し意地悪く笑った顔が近づいてそのまま唇が重なった。
周りがスローモーションのようにゆっくりと流れているように感じた。
そうか。帰ってきた。秋穂に還ってきたんだ。
恐怖に勝る圧倒的な達成感と少しの諦めから目を瞑ると、私の体は強く横に引かれた。
「え?」
力強く腕を引かれて、そのまま頭を抱えるように抱かれて、私は、私達は左方向に飛びこんだ。
そして私は再び意識を失った。
――――――――――――――――――――――――――
次に視界に入ったのは、白い天井。一瞬天国かと思ったけど、その直前の記憶があるから多分病院だろうとすぐに気がついた。
ありがちな感想を抱いて目を覚ますと、全身に軽い鈍痛がある。
「秋穂!」
一志に顔を覗き込まれて、自分が予定通りに逝かなかった事を確信した。
「私、生きて……?」
「良かった……本当に良かった」
「一志?ごめん。それから、ありがとう」
電話を受けて嫌な予感がした一志は自宅のマンションの駐輪場での事故を発見したそうだ。私は助けられた。ただ、力を抜いたまま引っ張られるように飛んだため、首が軽く締まって意識を飛ばしたらしい。救急で運ばれたが、検査も問題無く医師の手が空き次第診てもらえば直ぐにでも帰れる程だった。運命は変わっていた。
「すごい精度の予感だね」
あちこちぶつけたようだけれど、体感としても良好。ベッドから起き上がってお医者さんを待った。感嘆する私に一志は深くため息をついている。
「本当に勘弁して欲しいよ。悪夢が本当になるかと気が気じゃなかったんだから」
「悪夢って何?」
「……昔、そういう夢を見たんだよ。クリスマスに俺と会うと秋穂が死ぬって言う夢」
「だから、いつもクリスマスは忙しくしてたの?」
ドキッとしたけれど、平静を装うために少し笑いながら返す。
「すごくリアルな夢だった。夢じゃ無いって感じるくらいにね。怖かったよ。秋穂を失うのが」
私も一志を失うのが怖かった。
自分は本当に馬鹿だと思う。自分が死んで相手を生かすのは恩返しでもなんでも無い。幼馴染を失う辛さを相手に与える事でもあるのだ。
「……そう言えば、今日の予定は?彼女とデート。十時から」
「え?な?彼女?彼女じゃないよ!ってか、何で知ってんの?」
顔を赤くして否定する一志を見て、やはり、と思った。こちらの世界の時間では昨日の夜、携帯を確認した時も嬉しそうにしていたし。長い付き合いなのだ。その反応が、坂本さんとやらが一志の特別だと教えてくれている。私と一志の付き合いは彼の仕草を見誤る程度じゃ無い。
「昨日の電話、一回私がとったからね」
「そこまで聞いてたなんて、聞いてない」
「そりゃ、言ってないもん」
舌を出しておどけて見せると、彼は苦笑いした。
「彼女は、そんなんじゃないよ。俺のことなんて眼中に無いし……、すごく大事な友達」
「でも、好きな人でしょ?」
「好きなって……」
絶句する一志を黙って見つめ続けると、諦めた顔をした。一志だって私の性格はよく知っている。
「……秋穂は俺の事好きなんだと思ってたんだけど?俺が誰かとくっついたら、嫌じゃ無いの?俺は……いつかは秋穂とって思ってた。」
「そうだねー。大事な幼馴染のポジションは譲れないかな。私は一志好きだったよ。ずっと見てたからね」
少しホッとしたような表情で一志は微笑んだ。ムカつく。
「だから、分かるんだけど。一志も私の事好きだけど、それは私が一志を想ってたのとは違う。妹や親友を思う、そういう好きでしょ。それから、多分だけど、一志の見た悪夢とやらの影響もありそうだし。私のためって言い訳して恋愛から逃げるのはやめてよね」
一志が見た悪夢は、偶然では無い。それも、私が車に轢かれるシーン自体を知っていた訳では無いような反応だ。そんな情報をベルが彼に送る意味がないから、私とベルの会話を聞いていた可能性が高いと思った。
「一志は、中学の時に一度死んだこと覚えてるの?」
目を見開いて驚いた彼は、小さく「ああ」と返事をした。当たり。
「あれは、夢じゃなかった?」
「うん」
「じゃあ、秋穂は俺と運命を取り替えて……死ぬつもりだったってことだ。それこそやっぱり責任を取りたい」
「でも、私は生きてる。一志が取らなきゃいけない責任は無いよね。他に好きな人がいるのに、ただの幼馴染としか思ってない相手に責任とるなんて言うな、ばか」
「ばかって……。ばか、かなぁ」
「ばかだよ。大バカ者」
「なんか酷くなってない?でも、まぁ、バカかもな。プロポーズリングまで買うつもりだったし」
「私に?」
「そう。もうすぐ誕生日じゃん?坂本さんに相談して用意してた。ってか、今日買いに行く予定だった」
「うわー。阿呆だね。好きな人と他人へのリング選びに行ったの?クリスマスに?」
「……そうやって思いを整理してたんだよ」
「ど阿呆」
本当におバカだ。けれど、久しぶりに本音をぶつけられた気がする。以前の、一志が好きで周りが見えなかった私ではこんな事言えなかったと思う。
今の私には、一志の同情を含むプロポーズは到底受け入れられなかった。遥か隔てられた世界で、秋穂じゃ無い私を好きになってくれた人に失礼な気がして。
一志が坂本さんとやらとくっつくかどうかは知らないけれど、とりあえず話して来いと背中を一発叩いて送り出した。さよなら、初恋。とうに踏ん切りは付いていたさ。
一人残された私に、お医者さんより先に警察の人が事情を聞きに来た。私と車は接触自体はしていないが、車が駐車スペースをぶっちぎって駐輪場まで来ているし、未接触の事故というものになるそうだ。
それより何より、私を助けたのは一志じゃなかったと聞いて驚いた。通りすがりのマンションの住人だそうだ。
警察に事情を聞かれて、逆に状況を理解して青くなる。教えておいてよ!一志!
「その方も怪我されてるんですか?」
「え、ええ、はい」
くい込む勢いの私に警官はちょっと引いていた。相手の方は怪我をしてるなんて……謝罪も御礼もしなきゃダメだけど、何よりとりあえず申し訳ない。
「同じ病院にいらっしゃるんでしょうか?入院されてるなら、部屋を教えてもらうのは可能ですか……?できる限り恩返しをしたいのですが」
私が一志を助けるためにした事で、こちらの世界でも人を傷つけてしまった。したいのは恩返しでもあり、贖罪でもある。
「入院する程の怪我じゃない」
その人の声がした。
そもそも、助けてくれたのが一志だと勘違いしたのは、頭を抱えられた時になんとなく知っている人の感じがしたからだ。でも、よくよく考えたら一志とそんなに触れ合った事なんて無い。
戸口を見れば、よくよく知っている彼がいた。色素は相変わらず薄めだけど、髪や目は茶色っぽい。そのせいか、少し柔らかい雰囲気をまとっている気がする。
何でここに?セレスが助けてくれたの?どういう事?
全ての疑問は驚きすぎて声にならない。
「というわけで、こいつとは知り合いだ。少し話をさせてもらって構わないだろうか?」
「はい、本日はもう結構です」
警官は連絡先だけ控えると部屋を出て行った。
「……顔は流石に多少違うな」
セレスは相変わらずの、整いすぎた顔を歪めるような笑みを見せた。
「セレス……私だって分かるの?」
「声も違う、か」
ベッドの横の椅子に腰掛けて、彼は私の耳の後ろに手をやった。
「だが、お前がアキホなのは分かる。印をつけさせてもらったお陰で予定通りお前の後を追えた」
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「全部、予定通り?」
「全てではない。不本意だが ったが、転生を使った。お陰で多少能力は落ちたが、見た目は多少マシになったからイーブンだ」
「見た目って、髪と目の色?」
「そう言えばお前は俺の容姿をいたく気に入っていたな。この姿は残念か?」
「うーん。前の姿も神秘的で良かったし、今も充分イケメンだと思うけど、セレスが前より少しでも楽ならそれが一番かな」
「お優しいことだ」
「セレスの魅力は優しく笑ってる所だからねぇ。笑えることの方が重要でしょ」
驚いたようにまじまじと見られて、気がつく。セレスはほぼ前と同じ年齢だけど、私はえいこと見た目も声も違う。更に年は二倍だ。なんだか居た堪れない。
「そうだ!助けてくれてありがとう」
私はそう言いながら、ある可能性を思いついた。クリスマスに命を清算するのは回避された。けれど、一志の命を救った代償はどこに掛かるのだろうか。まさか無償とはいかないだろう。
「会えて良かった。……こっちに来れたの、知れて良かった」
いつ私の命の支払いとなるかは分からない。それを考えると、セレスが無事転生できた事を知れたのは本当にラッキーだ。
同時に、セレスが望み通りの未来を手に入れた事は単純に嬉しかったけれど、彼がこちらに来るという目的以上の幸せをあちらで見つけていなかった事にどことなくほっとしてしまった。ヤダヤダ。
「良かった、という顔ではなさそうだが?月子から伝言だ。『私は幸せに生きました。私もえいこちゃんの事を応援しています。遠くから、えいこちゃんの幸せを祈っています』……ちゃんと伝えたぞ」
月子ちゃん……彼女が彼女の周りごと幸せな様子は簡単に目に浮かぶ。彼女は私にとってもヒロインだった。膨らむ幸せな想像から、はたと自分の状況をかえりみる。
対する私は……
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詰んでる。
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心底感心した様子でセレスはそう言って、それから席を立った。
「じゃあな」
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「いや、だってセレスがどっか行こうとするから……」
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「いや、お前のだ」
「一志なら戻って来ないけど?」
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「何?」
「命の代償の件だ」
命の代償?一志を助けるために差し出した私の命の事だ。ニヤリともしないセレスは何でもないように続けた。
「分割払いに設定し直した」
「はい?」
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という事は、一人頭一日程度の振り分け。それなら許容範囲かな、と一瞬納得しかける。
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「金か?」
「金だね。一人育てるのに三千万って言うんだよ!そんなに産んだら共働きすら無理だし」
「そうか……お前の相手には最低でも三億は稼いで貰わなくてはならないな」
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セレスがいたって本気のようで頭が痛い。分割払い自体は変わらないなら、私はそこまで産む必要なく無いか?いや、そもそも結婚できるのか、私は?
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「あ?俺の記憶では、お前は好いた相手を助けようと命を払ったはずだが?」
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「……くくっ」
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「でも、とりあえずすぐ死ぬわけじゃ無いって事だね。ありがと。どっちにしろ、マリちゃんの父親探さなきゃだしどうにかするよ」
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「CEO?社長さんやってるの?」
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再びセレスの手が伸びて、私の耳の後ろを撫でる。
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