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129 全ての始まりを少しだけ
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小雨が降る葬儀所。傘をさしながら呆然と立っているのは秋穂だ。その顔色は白く、ただ白い。
棺は閉じられていて、亡骸の状態が悪い事が分かる。学校の友人達だろうか、同じ制服の生徒が幾人も弔問に訪れている。
「…。トラックに…。」「自転車で…。」
祭壇に飾られた写真は満面の笑顔で中学の卒業式の時の写真だった。
「秋穂、一志君のお母さん達にもご挨拶を…。」
「いい。」
短く答えて、秋穂は一人で帰路に着いた。自宅まで電車で二時間。地元から出たことのない高校生には気軽な距離ではない。
自室に入ると、ズルズルとそのまま座り込んてしまった。ほんの数ヶ月前に引っ越して行った幼馴染。次の休みには一緒に遊びに行く予定で、カレンダーには蛍光ペンとシールでその日がデコレーションされている。
ふと視線を動かすと部屋の隅にほんの数日前まで夢中でやっていたテレビゲームが、コンセントも抜かれずに転がっていた。それから、学校で流行っているおまじないの本が近くに転がっている。
本は学校の人に借りたものだから返さなくてはいけない。重い体を引きずって、本をカバンに入れた。
ヒラリ、と一枚本から紙切れが落ちた。破れたにしてはおかしな紙切れだった。魔法陣のようなもののみが描かれている。ゲームの上に落ちたそれに手を伸ばした。
「いけないわ。ここまでね。」
管理者、ベルの声で我に帰った。記憶の沼から戻ってさえ、あの時の酷い無力感は思い出された。
「記憶、少し戻ってしまったわね。大丈夫?死なないでね?」
ベルは小首を傾げていた。
ベルは百合や椿の様な荘厳さを感じる女の子だった。涙を堪えるような厳しい表情は真面目な彼女を象徴しているようで印象的。自分にも他人にも厳しくて、でも思いやりのある優しい優等生タイプだと思った。
彼女が探していた愛する人を留めておく世界の入れ物と稀に見る魔力の持ち主だった秋穂。しかも秋穂には強い願いがあり、二人の利害は完全に一致していた。私達を繋ぐのは利害関係だけだったけれど、まるで昔から知っている間柄のように打ち解けた。そして、全ては滞りなく準備できた。
考えてみればそりゃそうだわな。と思う事がいくつかある。中学生がなけなしの小遣いで買ったゲームは、ネットで攻略法を見るほどハマっていたのにコンプリートさせていない。それに、人生で一度きりしか行かなかった海外旅行の目的が薬局だとか、自分でもおかしな行動をしていたと思う。手間暇だけはよく覚えている。フィンランドまでの安くない運賃と凄い物価。タリンへのフェリーは日本でネット予約したけれど、現地の公用語は英語ですらない。ヨーグルトをスーパーで買って凌ごうとして、バターを齧る羽目になった事まで覚えている。むしろなんで疑問に思わなかったんだろう。
ゲームはそのまま世界の創造に使ってしまったし、タリンの旧市街地にはエストニア最古の薬局があり、ストラスを召喚するのに必要な材料が置いてあった。
一志が死ななかった未来のために、ベルと契約して、ゲームの中に世界を作るためになんでもした。魔力はもちろん、命も捧げた。
内弁慶ですぐに学校に行けなくなる私を陽の当たる場所にずっと連れ出してくれていた一志に出来る私の唯一の恩返し。それは、確かに愛だったのかもしれない。
世界を創り出して、一志が死ななかった未来を手に入れて、ベルは言った。
「次のクリスマスに彼と会った時に貴女の命は頂くわ。それまでの間を大事に過ごしてね。それから、約束が違えられないようにこの記憶は私が預かっておくわ。」
そう言って、私の記憶はあっけなく抜かれていった。ゲームの世界を完成させるためだけに動く人形になった彼女は、最早私の先を憂う事すら無かった。
私の命はゲームを大団円にすすめるために使われる予定だった。だから、わたしが今やっていることは予定通りである。
それから、世界を歪めるに当たって生じる様々な歪みや業はすべて自分に向かって降りかかるように設定していた。だから個体としてのキャラが必要だったのかもしれないが。
つまり、皆んなが不幸であった理由は単純に私と関わったから。私が、彼等が苦しむ姿を見るのが辛いからそうなっただけ。
「…辛いなぁ。」
「死なない?」
「死なないよ。」
でも、それならば私が消えれば彼等は不幸から解放される。疫病神さえ側に居なくなれば。
「一人でほっといてごめんね。ベル。」
「一人で働かせてごめんなさい。秋穂。」
ベルと契約を交わした時と同じように、向かい合って手を合わせ指を絡ませる。それから、おでこをコツンとつける。ベルとの契約は未だに有効だ。例えばベルが既にあの時のベルとは異なる存在になってしまっていても。
管理者の協力者は自分だった。厳密に言えば秋穂だった時の自分。秋穂の記憶や想いなどの『強い心』も『圧倒的な魔力』も今の私には無い。けれど、知ってしまったから、もう『山下えいこ』にも戻れない。
私の存在もまた、『大団円エンディング』を作るためだけのモノになってしまっていた。
Dのうちに帰って、私はハルも近づけないで部屋に篭った。ハルは大丈夫だろうか。ハルが短命だった事もカークに殺されかけた事も私のせいだ。私の側に置いていたら、また辛い目に合わせてしまうだろう。それは、他のみんなも同じ。だけれどもピースが見つからない。足りない条件が分からない。闇雲にここを離れても当てがない。
どうすればいいのか、分からない。
「アキ?体調悪いの?Dが来いって呼んでるんだけど、来れる?」
部屋の外からカークが呼んでいる。そういえばDはどこまで知っていたのだろうか。私が記憶を取り戻して死んだ事は知っているように思える。だけどその時の私がDにどこまで話したかは分からない。
このまま部屋に篭っていても仕方ないし、Dに話そう。それでDに罵倒されるも良し、殺されるも良し。でも、大団円のピースを集めた後に引導は渡して欲しいなぁ。そんな事を考えながら、どこかフワフワとした感覚のまま部屋に行った。
「管理者に何を聞いた?」
黒い目は怒りを帯びているように見える。けれど、私はいつものような怯む感覚すら感じなかった。
「始まりの記憶を見せてもらったよ。記憶、全部じゃ無いけど少し戻ったみたい。過去の私はDに話した?」
「…話してみろ。」
フワフワした感覚のまま、洗いざらい話した。まだ冷静で無い私の説明は覚束ないところがあったと思うけれど、Dは最後まで口を挟む事なく聴いてくれた。
「特に新しい情報は無い。それに、それを知ったからと行って俺たちの計画に変わりはない。違うか?」
暗い瞳は真っ直ぐ私を貫いて、何も揺らがない。
「違わない。違わないけど、色々私の所為だったんだよ。皆んなが苦労している事、全部。腹立つでしょ?管理者にお礼したいって言ってたじゃない。それが目の前にいて…。」
妙に知っている相手だから、激昂しにくいかもしれないけれど私がした事は許されることではない。
「見くびられたものだな。」
少しひとみの奥に悲しみが走る。そうだ、彼の目は意外と感情を謀るのが苦手だった。
「俺が記憶を取り戻した時点で俺はお前をどうとでもできた。にも関わらず、未だにお前をそばに置いている。何故だ?」
「それは、わたしがあなたと契約中だし、命もつなげているから?」
「違う。俺側からの解除ができないような契約を、俺が結ぶと思うか?」
「…ううん。」
確かに。
「記憶を精査して、俺は俺なりにこの世界で生きた事は有意義であったと考えている。それなりな苦労も無かったとは言わないが、それでも以前のように自分という存在がいなければ良かったとは思っていない。その上で大団円とやらの計画にのっている。それは、俺の意思だ。」
Dは優しい。だけど、優しさだけで言えるセリフでは無い。優しいからそう言ってくれた、と言ってしまうのはDに対して不誠実だと思った。
「でも、私は償え無いような事しちゃったんだよ。人の命、それも何万とかもっと多くの人の運命を私の都合で弄んだの。Dは、セレスは私を責めなくても他の人はそうはいかないでしょ?」
「他人?それは誰だ?」
「みんなだよ。あちこちにいる人や、ハルやナツやフユだって…。」
だんっ。とDが机を叩いた。怒って…る?
「前半の奴らのことは知らない。だが、ナツ達、あいつらは他人か?お前にとって、ただのこの世界のキャラクターか?」
「違う!だから悩んでるんだよ!まだこれから私のせいで傷つけちゃうかもしれない!そんなの嫌だから!」
「背負わせてやればいい。」
「え?」
「あいつらを少しは信じてやれ。そのくらいで遠慮する相手だと思われた方があいつらにとっては屈辱だ。」
驚きで声が出てでない私にDは続ける。
「それとも、あいつらに話す勇気は無いか?」
顔を振る。皆んなが私に失望したとしても話せるなら話したい。
「お前の十八番は『おまえ一人でできない事なら皆んなでやれば良い』だろ?」
ぽん、と手を頭に置かれてぼろっと涙が出た。そして、私の中のフワフワしたような感覚はそれと一緒に流れていった。
棺は閉じられていて、亡骸の状態が悪い事が分かる。学校の友人達だろうか、同じ制服の生徒が幾人も弔問に訪れている。
「…。トラックに…。」「自転車で…。」
祭壇に飾られた写真は満面の笑顔で中学の卒業式の時の写真だった。
「秋穂、一志君のお母さん達にもご挨拶を…。」
「いい。」
短く答えて、秋穂は一人で帰路に着いた。自宅まで電車で二時間。地元から出たことのない高校生には気軽な距離ではない。
自室に入ると、ズルズルとそのまま座り込んてしまった。ほんの数ヶ月前に引っ越して行った幼馴染。次の休みには一緒に遊びに行く予定で、カレンダーには蛍光ペンとシールでその日がデコレーションされている。
ふと視線を動かすと部屋の隅にほんの数日前まで夢中でやっていたテレビゲームが、コンセントも抜かれずに転がっていた。それから、学校で流行っているおまじないの本が近くに転がっている。
本は学校の人に借りたものだから返さなくてはいけない。重い体を引きずって、本をカバンに入れた。
ヒラリ、と一枚本から紙切れが落ちた。破れたにしてはおかしな紙切れだった。魔法陣のようなもののみが描かれている。ゲームの上に落ちたそれに手を伸ばした。
「いけないわ。ここまでね。」
管理者、ベルの声で我に帰った。記憶の沼から戻ってさえ、あの時の酷い無力感は思い出された。
「記憶、少し戻ってしまったわね。大丈夫?死なないでね?」
ベルは小首を傾げていた。
ベルは百合や椿の様な荘厳さを感じる女の子だった。涙を堪えるような厳しい表情は真面目な彼女を象徴しているようで印象的。自分にも他人にも厳しくて、でも思いやりのある優しい優等生タイプだと思った。
彼女が探していた愛する人を留めておく世界の入れ物と稀に見る魔力の持ち主だった秋穂。しかも秋穂には強い願いがあり、二人の利害は完全に一致していた。私達を繋ぐのは利害関係だけだったけれど、まるで昔から知っている間柄のように打ち解けた。そして、全ては滞りなく準備できた。
考えてみればそりゃそうだわな。と思う事がいくつかある。中学生がなけなしの小遣いで買ったゲームは、ネットで攻略法を見るほどハマっていたのにコンプリートさせていない。それに、人生で一度きりしか行かなかった海外旅行の目的が薬局だとか、自分でもおかしな行動をしていたと思う。手間暇だけはよく覚えている。フィンランドまでの安くない運賃と凄い物価。タリンへのフェリーは日本でネット予約したけれど、現地の公用語は英語ですらない。ヨーグルトをスーパーで買って凌ごうとして、バターを齧る羽目になった事まで覚えている。むしろなんで疑問に思わなかったんだろう。
ゲームはそのまま世界の創造に使ってしまったし、タリンの旧市街地にはエストニア最古の薬局があり、ストラスを召喚するのに必要な材料が置いてあった。
一志が死ななかった未来のために、ベルと契約して、ゲームの中に世界を作るためになんでもした。魔力はもちろん、命も捧げた。
内弁慶ですぐに学校に行けなくなる私を陽の当たる場所にずっと連れ出してくれていた一志に出来る私の唯一の恩返し。それは、確かに愛だったのかもしれない。
世界を創り出して、一志が死ななかった未来を手に入れて、ベルは言った。
「次のクリスマスに彼と会った時に貴女の命は頂くわ。それまでの間を大事に過ごしてね。それから、約束が違えられないようにこの記憶は私が預かっておくわ。」
そう言って、私の記憶はあっけなく抜かれていった。ゲームの世界を完成させるためだけに動く人形になった彼女は、最早私の先を憂う事すら無かった。
私の命はゲームを大団円にすすめるために使われる予定だった。だから、わたしが今やっていることは予定通りである。
それから、世界を歪めるに当たって生じる様々な歪みや業はすべて自分に向かって降りかかるように設定していた。だから個体としてのキャラが必要だったのかもしれないが。
つまり、皆んなが不幸であった理由は単純に私と関わったから。私が、彼等が苦しむ姿を見るのが辛いからそうなっただけ。
「…辛いなぁ。」
「死なない?」
「死なないよ。」
でも、それならば私が消えれば彼等は不幸から解放される。疫病神さえ側に居なくなれば。
「一人でほっといてごめんね。ベル。」
「一人で働かせてごめんなさい。秋穂。」
ベルと契約を交わした時と同じように、向かい合って手を合わせ指を絡ませる。それから、おでこをコツンとつける。ベルとの契約は未だに有効だ。例えばベルが既にあの時のベルとは異なる存在になってしまっていても。
管理者の協力者は自分だった。厳密に言えば秋穂だった時の自分。秋穂の記憶や想いなどの『強い心』も『圧倒的な魔力』も今の私には無い。けれど、知ってしまったから、もう『山下えいこ』にも戻れない。
私の存在もまた、『大団円エンディング』を作るためだけのモノになってしまっていた。
Dのうちに帰って、私はハルも近づけないで部屋に篭った。ハルは大丈夫だろうか。ハルが短命だった事もカークに殺されかけた事も私のせいだ。私の側に置いていたら、また辛い目に合わせてしまうだろう。それは、他のみんなも同じ。だけれどもピースが見つからない。足りない条件が分からない。闇雲にここを離れても当てがない。
どうすればいいのか、分からない。
「アキ?体調悪いの?Dが来いって呼んでるんだけど、来れる?」
部屋の外からカークが呼んでいる。そういえばDはどこまで知っていたのだろうか。私が記憶を取り戻して死んだ事は知っているように思える。だけどその時の私がDにどこまで話したかは分からない。
このまま部屋に篭っていても仕方ないし、Dに話そう。それでDに罵倒されるも良し、殺されるも良し。でも、大団円のピースを集めた後に引導は渡して欲しいなぁ。そんな事を考えながら、どこかフワフワとした感覚のまま部屋に行った。
「管理者に何を聞いた?」
黒い目は怒りを帯びているように見える。けれど、私はいつものような怯む感覚すら感じなかった。
「始まりの記憶を見せてもらったよ。記憶、全部じゃ無いけど少し戻ったみたい。過去の私はDに話した?」
「…話してみろ。」
フワフワした感覚のまま、洗いざらい話した。まだ冷静で無い私の説明は覚束ないところがあったと思うけれど、Dは最後まで口を挟む事なく聴いてくれた。
「特に新しい情報は無い。それに、それを知ったからと行って俺たちの計画に変わりはない。違うか?」
暗い瞳は真っ直ぐ私を貫いて、何も揺らがない。
「違わない。違わないけど、色々私の所為だったんだよ。皆んなが苦労している事、全部。腹立つでしょ?管理者にお礼したいって言ってたじゃない。それが目の前にいて…。」
妙に知っている相手だから、激昂しにくいかもしれないけれど私がした事は許されることではない。
「見くびられたものだな。」
少しひとみの奥に悲しみが走る。そうだ、彼の目は意外と感情を謀るのが苦手だった。
「俺が記憶を取り戻した時点で俺はお前をどうとでもできた。にも関わらず、未だにお前をそばに置いている。何故だ?」
「それは、わたしがあなたと契約中だし、命もつなげているから?」
「違う。俺側からの解除ができないような契約を、俺が結ぶと思うか?」
「…ううん。」
確かに。
「記憶を精査して、俺は俺なりにこの世界で生きた事は有意義であったと考えている。それなりな苦労も無かったとは言わないが、それでも以前のように自分という存在がいなければ良かったとは思っていない。その上で大団円とやらの計画にのっている。それは、俺の意思だ。」
Dは優しい。だけど、優しさだけで言えるセリフでは無い。優しいからそう言ってくれた、と言ってしまうのはDに対して不誠実だと思った。
「でも、私は償え無いような事しちゃったんだよ。人の命、それも何万とかもっと多くの人の運命を私の都合で弄んだの。Dは、セレスは私を責めなくても他の人はそうはいかないでしょ?」
「他人?それは誰だ?」
「みんなだよ。あちこちにいる人や、ハルやナツやフユだって…。」
だんっ。とDが机を叩いた。怒って…る?
「前半の奴らのことは知らない。だが、ナツ達、あいつらは他人か?お前にとって、ただのこの世界のキャラクターか?」
「違う!だから悩んでるんだよ!まだこれから私のせいで傷つけちゃうかもしれない!そんなの嫌だから!」
「背負わせてやればいい。」
「え?」
「あいつらを少しは信じてやれ。そのくらいで遠慮する相手だと思われた方があいつらにとっては屈辱だ。」
驚きで声が出てでない私にDは続ける。
「それとも、あいつらに話す勇気は無いか?」
顔を振る。皆んなが私に失望したとしても話せるなら話したい。
「お前の十八番は『おまえ一人でできない事なら皆んなでやれば良い』だろ?」
ぽん、と手を頭に置かれてぼろっと涙が出た。そして、私の中のフワフワしたような感覚はそれと一緒に流れていった。
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