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119 ウユニ塩湖
しおりを挟む無意識に外に向かおうとして、その手を掴まれた。
「カーク。」
「あんたまた顔色最悪なんだけど?」
イライラした様子でまた抱えあげられる。
「ごめん、ちょっとここにいるのが辛くなっちゃって、つい。」
「ここに居たくないの?」
片眉を上げたかと思うと急に方向を変え、カークの部屋に連れ込まれた。以前と同じ鏡張りの青空。雲と空と水の境目は果てしなく曖昧で、近い。扉を閉めれば、そこは継ぎ目のないだだっ広い空間となった。確かに元いた場所という感覚は無くなる。ただし、違う意味で元の世界だとも思えない光景だ。
「ここなら良いでしょ。現実逃避には。」
そういうと、私を抱いたまま空に上がっていく。不思議なことに天井には突き当らない。足の下に雲、水更に反射した雲。距離感はゼロだ。
「で、そんな不細工な顔になってまで何を悩んでたのよ?」
不細工なのは元々です。こちらもカークにこんな話をする日が来るなんて…と失礼な事思わなくはないのでおあいこだけど。
「自分の能天気過ぎる性格が嫌になったの。ここにいるのが一瞬居たたまれなくなっちゃって。心配かけてごめん。」
「能天気?あんたが?なんの冗談?どっちかゆーと、めんどくさい系じゃない。」
なんでしょう。今日のカークさんの言葉は1.5倍くらい良く刺さる。呆れたようにため息をつかれた。
「めんどくさい系…そうなんだけどね、なんていうか自分は結構辛い目に遭ってると思ってたの。」
変な世界に最弱キャラとして飛ばされて、明確ではない指示に従わせられる。相当な運の無さだと思っていた。
「でも、ここにいる皆の話を聞いて、そうじゃない事に気がついたよ。」
自由意志や生きる権利、幸せである権利、そういうものを人は持っている事を前提にしている私と彼らは根本的に違った。ぬるま湯を知らない彼らは、それを欲する事すら思いつかない。Dでさえこの世界から逃れようとはしているものの、他人から無理やりむしり取らないと手に入らない特別な物だと思っている。
「自分のおめでたさが恥ずかしい。」
私は地獄に来たような気持ちだったのに、そのポジションは皆にとっては天国並みの優遇だ。任務さえこなせば元の世界に戻れる。しかも、破壊神と闘うこともなく。
「なるほど、ね。」
そう言うとカークはどこかへ向かって移動し始めた。髪に風は受けるから本当に飛んでいるようだ。
「カーク?ここは部屋じゃないの?」
「あたしの部屋よ。少しイロイロ借りてきてるけどね。」
イロイロってなんだ。そう思っているとどうやら塩湖の末端に来た。鏡張りの世界は白い塩の地になり、そしてずっと先には茶色の土地が見える。白い三角錐が並べられているが、あれは塩の山だろうか?見渡す範囲には植物も動物もいない。石碑がポツンと立っており、その側に降ろされた。
「せっかくだから、この世界を体感させてあげる。」
パチンと指が鳴らされたと同時に、光が瞳を刺した。強い光で目はほとんど開けていられず、痛いほどに眩しい。それから徐々に息苦しさが襲う。耳の側で心臓が脈打ち、吐き気に頭痛…貧血を起こしたかのように、立っていられない。息が乱れて、皮膚はジリジリと音がするように焼けていくのが分かる。
パチンと再び音がして、周囲は元の景色に戻った。息苦しさも楽になる。心臓はまだドキドキしている。
「カーク、何、今の?」
「あんたの世界の地上の楽園の、本当の姿よ。この塩田は高度が高いからよっぽど長くここに住んでないとそうなるのよ。ここに住んでる人も強い日焼け止めは二時間毎に塗らなきゃだし、サングラスも必須みたいだけどね。今のこの部屋はファインダー越しの世界に調整してあるのよ。」
もう一度、カークが調整した世界を見回す。私の立つ右前方に広がる塩湖は、この世のものと思えないほど美しく、写真集に載っていたあの姿だった。
「この石碑は?」
「慰霊碑。確かあんたと同じ民族が事故で亡くなったの。」
読んでみると確かに日本名が刻まれている。
「この塩の湖を人間はジープで移動するのよ。信じらんない。塩に水が張ってるのに。想像力無いのかしら。」
塩に水。知っていたはずだけれど、具体的に想像してみた。カチカチの塩の塊に雨が降る。この地は雨季と乾季がある。乾季で風化したサラサラの塩に一気に激しい雨が降る。周りには、細かい粒の塩の山。
「…、細かくなった塩に雨が降ったら…、その上を歩いたら沼のように沈むんじゃ?」
「でしょ?沈むわよ、もちろん。硬い地盤の所もあるから、その上はセーフね。でも、ここってあちこちガスが出てるから、そういった所の地盤も脆いわ。」
「湖面はほぼ平かもしれないけど、雨季は雨がしょっちゅう降るよね。水かさが増したらどうなるの?それに、湖面に目印なんてほとんどなかったよ?車はどこが硬い地盤だって分かるの?」
カークは冷たく笑った。
「嫌だ、分かってるくせに。取り残されるわよ。それにどこが硬い地盤だなんて、勘と運に決まってるじゃ無い。」
美しい誰もが引き寄せられる景色を再び眺めて、私はカークに聞いた。
「ここって、地獄?」
黄泉の世界がまるで人を呼んでいるようだ。分かってもなお惹きつけられる美しさ。奇跡の景色。
「似てるでしょ?この世界に。」
似てる?どこが?と一瞬思った。こちらの世界はもっと色鮮やかで、動植物に溢れている。
カークが再び指を鳴らした。身構えたけれど、今度は身体に変化は無い。変化したのは景色。太陽が急速に傾き、日が沈む。
「少し移動するわね。」
再び抱き寄せられて飛ぶ。方向は落ち行く太陽。しばらく飛んで、降ろされた時には私の目はサンセットの方向に釘付けだった。
夕日も近く、空と湖面が燃える。瞬きするのが惜しいくらいの美しさは、私の瞳をサンセットに縫い止める。それから、反対側から闇が広がり、星が、現れ始めた。
「ーっ!」
「コレは雨季の新月前後の三日間くらいしか見れないわ。おまけに雨季だから、ここまで晴れる日は滅多に無いの。」
足が地についているはずなのに重力を感じられず、思わずカークにしがみついてしまう。
「ねぇ、ここは、この景色はあんたにとって地獄なの?」
カークが問い返した。
「わから無い。こんな景色があったなんて…。」
先程まで見えていた甲羅模様のような地盤はとうに闇に溶けていた。
人工の光が無いこの場所に取り残されたように、
私達は確かに宇宙の真ん中に佇んでいた。
「あんたのやってたゲームもここと同じ。すごく美しくて綺麗で夢中にしてしまうモノだったわ。だけど、その光と同じだけ影の部分がある。この家や谷や山にいる子達はその影の部分なのよ。この世界が成立するための必要悪。…この塩田が地獄だとしても、あんたはこの景色を追う人達の気持ち、分かるわよね?」
私は頷いた。
とても恐ろしく、けれど命を代償としても手に入れたいと思わせる景色だった。
「あんた、この世界が嫌いでしょ。嘘くさい善意溢れるルールとか、御都合主義すぎる設定とか。」
「確かに。」
突っ込み満載な設定は三十路にはやはり少し厳しくて、合わないとは思っていた。あえて意識しないようにしていたのに、ズバリ言い当てられて逆に気持ちいい。
「でも、好きなもの、大切なものも見つけちゃったのよね。あんた、皆んなのこと好きでしょ?ハル達だけじゃなくて、バースとか、他にも。」
今は側に居ないディナさん達が浮かぶ。それから、光の国の遺跡群。皆で見た景色やお祭り、文化、食べ物。初めは違和感を覚えた色んなモノにも少しずつ愛着を感じている。
「嫌いな世界だからって、全部から距離を置かなきゃいけない事なんて無いわ。どうせ帰るからって、自分だけ傍観者にならなきゃダメって事もない。そういうのは全部、あんたが勝手に決めた事でしょ?」
私を苦しめて、みんなを苦しめるこの世界は嫌い。それに、破壊神と闘う時に自分は既にいないから、この世界や人達に深入りしない。
それは確かに私が私を守るために決めた、私だけの約束だった。
「それで、あんたは何がしたいの?」
「大団円エンディングを作りたい。皆を幸せにできるように。」
私のためだけじゃない。私の大嫌いなこの世界で私が愛した人やモノのために、大団円エンディングを迎えて見せたい。言葉にして、初めて自分気持ちを受け入れられた気がする。ストンと覚悟が腹に落ちたようだ。
「よく出来ました♡」
カークはすごく嬉しそうに笑って私を抱きしめた。
「ありがとう。カーク。」
色んなものを手放さないとダメだと思っていた。色んな気持ちも手放さないとダメだと。けれど、そうじゃない事に気づかせてもらった。状況は何も変わらない。私がしなきゃダメな事も、私が帰ればみんなの記憶が消される事も。だけど、私の私自身の記憶はわざわざ消されたりはしないだろう。みんなのと思い出が無くなるわけでは無い。
全てがいい事ばかりじゃ無かったけれど、大事な思い出がこの世界にはあった。
「あんたはできる子だと思ってたわ。ていうか、私ってこんなキャラじゃなかったんだけど。」
ふふっと笑われてしまった。
「私はカークも好きだよ。カークの力になりたいと思うくらいには。」
カークがこの世界に繋がれている事以外で、出来ることがあれば手伝いたい。
「あたし?あたしも救ってくれちゃう?嬉しいけど遠慮しておくわ。自分じゃなきゃできないことだし、すこうし覚悟がいる事なのよね。でも、覚えておくわ。いつか覚悟が決まったら私の願い、聞いてね。」
「わかった。」
その願いが何か今は知らないけれど、偶然流れた星に願いを託した。
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