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「これは契約だ」
人払いのされた応接室で、男は目の前に座る女の顔を見ることなく言った。
「契約で御座いますか?」
女が男の顔を見ても、目が合うことはない。
つい先日二人の婚約が整い、今日が初めての顔合わせだった。
知らない間に勝手に決められた婚約。
「相手は格上の公爵だ。粗相のないようにしなさい」
「あなたにはもう後がないのよ」
「私じゃなくてあなたが選ばれるわけ無いわ。どうせ何も言わないお飾りの妻が欲しいんでしょう。そうに決まっているわ」
両親と姉に見送られて一人で公爵家にやって来たら、初めて会う相手に「契約」と言われてしまった。
まさか本当にお飾りが必要だったのか…
いくら格上の公爵といえ、目も合わさないのは失礼じゃないか。
女はそんな事を考えながら、目の前の男を見ていた。
「私が家督を継ぐには婚姻が条件なんだ。だが、私には色恋に現を抜かしている暇はない」
偉そうに話すのは、この屋敷の主人クロード・タスマン。
公爵家の嫡男で、歳は25と、結婚適齢期をゆうに越えている。
『氷の貴公子』と呼ばれるクロードは
氷の彫刻を思わせるような綺麗な目鼻立ちをしていて
氷のように冷たい性格をしていた。
笑っている姿を誰も見たことがないと言われている。
それにも関わらず、見目麗しい姿と公爵という身分も相まってクロードの人気は絶大だった。
しかし、今まで会ってきた令嬢たちはクロードに構って欲しいと煩わしかった。
屋敷に突然押しかけたり、既成事実を作ろうとしたり
何処で何をしているのか、誰と会っているのかとしつこく聞いてきたり
自分の邪魔ばかりしてくる。
誰か人でも雇って仮初めの夫人になってもらおうか?
そんな時に見つけたのが、目の前にいるサマンサだった。
「君はもう何度も婚約を破談にされているんだろう?もう後が無いはずだ」
クロードはそう言って、契約書をサマンサに差し出す。
黙って契約書を読むサマンサを見ながらクロードは思い起こしていた。
サマンサの存在を知ったのは偶然だった。
貴族同士の婚約が無くなるのは稀で、3度も起これば普通じゃない。
クロードが興味本位で人を雇って調べると、予想を裏切るほどにサマンサは至って普通の令嬢だった。
普通よりも控えめで、人の言うことには常に「はい」と言って従う。
面白くも何ともない令嬢だったが、これは使えると考えた。
「私が君に望むものは私に干渉しないこと、それだけだ。夜会同行など必要最低限の事はしてもらうが、それ以外は好きに過ごしても構わない。貰い手がいない君にとってはいい条件だろう?肩書だけでも公爵夫人になれるんだ」
自分の言う事に「はい」と言って従うだろう。
クロードはそう思っていた。
「あの…、少々お伺いしたいのですが、こちらに記載されている給金とはなんのことでしょうか?」
すぐに頷かなかった事にも、契約書をきちんと読んでいる事にも驚いたクロードだったが、サマンサに伝える。
「これは契約結婚だ。私が君を妻として雇うということだよ。その為の給金だ。夜会などに公爵夫人としての仕事をしたら、その分給金も弾もう」
「成る程…」
「他に聞きたいことがあれば今のうちに聞いて欲しい。君と会話をするのも今日が最後だからね」
「それでは…」と、サマンサは契約書をテーブルに置いて数カ所を指差した。
クロードが家督を継いだら一年後に離縁すること
(子供が出来ないという理由で…)
それまでは自由に生活をしていいこと
(愛人さえ作らなければ、犯罪以外ならば何をしても咎めない)
離縁したあとも不自由なく生活出来るくらいの報奨金を与えること
(何があっても接触はしない)
互いに干渉しないこと
(同じ屋敷に住んでも、食事は一緒にしない)
契約内容は誰にも言わないこと
(タスマン家に勤める使用人達にも知らされていない)
そして、白い結婚であること
(契約結婚なのだから、愛は求めない)
「公爵夫人になれるとはいえ、これは形だけの契約結婚だ。私の言う事に従ってくれさえすれば、後は好きに過ごして良い」
クロードがそう言うと、初めて二人の目が合った。
「承知いたしました。お飾りの妻になりましょう」
クロードがサマンサに契約結婚を提案してから3ヶ月後
二人はひっそりと式を上げたのだが
その日の夜、クロードはサマンサに言い放った。
「私が君を愛することはない。契約通り、初夜も行わない。無謀な期待はするな」
「はい、承知しております」
二人が寝室を共にした事は一度もない。
会話が無いのはもちろんのこと、二人が並ぶのは参加必須の夜会のみだった。
3ヶ月という婚約期間は貴族としては異例の速さで、周りの人達を驚かせた。
伯爵家の令嬢が公爵家に嫁入りする異常事態
しかも、3度も婚約を破談にしたサマンサと、引く手数多なクロードの婚姻
なにか裏があるに違いないと探ろうとするも、誰も掴めなかった。
夜会に参加した令嬢たちはクロードに見初められようと話しかけるが、クロードはサマンサだけを見つめて一時も離れない。
婚姻を急ぐほどに二人は愛し合っているのか…
クロードの婚姻を認めたくなかった令嬢たちも、仲睦まじい二人を見てようやく諦める。
煩わしい令嬢たちが離れた事でクロードは喜んでいた。
契約結婚をして良かった。後は家督を譲ってもらうだけ。
何も問題はない。
しかし、白い関係に薄々気が付いているタスマン家の使用人達。
屋敷での仕事をしないサマンサを不満に思い、主人であるクロードにも認められていないサマンサを受け入れられなかった。
サマンサに付いた侍女たちは一切の仕事を放棄しているのだが、クロードは気が付かない。
そして、サマンサは自室に一人でぽつんと佇んていた。
(自由って素晴らしいわ!)
自分の世話をする侍女も、部屋を掃除する女中も
食事を持ってくる者も、誰もいないのに
サマンサは幸せに満ち溢れた笑顔をしていた。
人払いのされた応接室で、男は目の前に座る女の顔を見ることなく言った。
「契約で御座いますか?」
女が男の顔を見ても、目が合うことはない。
つい先日二人の婚約が整い、今日が初めての顔合わせだった。
知らない間に勝手に決められた婚約。
「相手は格上の公爵だ。粗相のないようにしなさい」
「あなたにはもう後がないのよ」
「私じゃなくてあなたが選ばれるわけ無いわ。どうせ何も言わないお飾りの妻が欲しいんでしょう。そうに決まっているわ」
両親と姉に見送られて一人で公爵家にやって来たら、初めて会う相手に「契約」と言われてしまった。
まさか本当にお飾りが必要だったのか…
いくら格上の公爵といえ、目も合わさないのは失礼じゃないか。
女はそんな事を考えながら、目の前の男を見ていた。
「私が家督を継ぐには婚姻が条件なんだ。だが、私には色恋に現を抜かしている暇はない」
偉そうに話すのは、この屋敷の主人クロード・タスマン。
公爵家の嫡男で、歳は25と、結婚適齢期をゆうに越えている。
『氷の貴公子』と呼ばれるクロードは
氷の彫刻を思わせるような綺麗な目鼻立ちをしていて
氷のように冷たい性格をしていた。
笑っている姿を誰も見たことがないと言われている。
それにも関わらず、見目麗しい姿と公爵という身分も相まってクロードの人気は絶大だった。
しかし、今まで会ってきた令嬢たちはクロードに構って欲しいと煩わしかった。
屋敷に突然押しかけたり、既成事実を作ろうとしたり
何処で何をしているのか、誰と会っているのかとしつこく聞いてきたり
自分の邪魔ばかりしてくる。
誰か人でも雇って仮初めの夫人になってもらおうか?
そんな時に見つけたのが、目の前にいるサマンサだった。
「君はもう何度も婚約を破談にされているんだろう?もう後が無いはずだ」
クロードはそう言って、契約書をサマンサに差し出す。
黙って契約書を読むサマンサを見ながらクロードは思い起こしていた。
サマンサの存在を知ったのは偶然だった。
貴族同士の婚約が無くなるのは稀で、3度も起これば普通じゃない。
クロードが興味本位で人を雇って調べると、予想を裏切るほどにサマンサは至って普通の令嬢だった。
普通よりも控えめで、人の言うことには常に「はい」と言って従う。
面白くも何ともない令嬢だったが、これは使えると考えた。
「私が君に望むものは私に干渉しないこと、それだけだ。夜会同行など必要最低限の事はしてもらうが、それ以外は好きに過ごしても構わない。貰い手がいない君にとってはいい条件だろう?肩書だけでも公爵夫人になれるんだ」
自分の言う事に「はい」と言って従うだろう。
クロードはそう思っていた。
「あの…、少々お伺いしたいのですが、こちらに記載されている給金とはなんのことでしょうか?」
すぐに頷かなかった事にも、契約書をきちんと読んでいる事にも驚いたクロードだったが、サマンサに伝える。
「これは契約結婚だ。私が君を妻として雇うということだよ。その為の給金だ。夜会などに公爵夫人としての仕事をしたら、その分給金も弾もう」
「成る程…」
「他に聞きたいことがあれば今のうちに聞いて欲しい。君と会話をするのも今日が最後だからね」
「それでは…」と、サマンサは契約書をテーブルに置いて数カ所を指差した。
クロードが家督を継いだら一年後に離縁すること
(子供が出来ないという理由で…)
それまでは自由に生活をしていいこと
(愛人さえ作らなければ、犯罪以外ならば何をしても咎めない)
離縁したあとも不自由なく生活出来るくらいの報奨金を与えること
(何があっても接触はしない)
互いに干渉しないこと
(同じ屋敷に住んでも、食事は一緒にしない)
契約内容は誰にも言わないこと
(タスマン家に勤める使用人達にも知らされていない)
そして、白い結婚であること
(契約結婚なのだから、愛は求めない)
「公爵夫人になれるとはいえ、これは形だけの契約結婚だ。私の言う事に従ってくれさえすれば、後は好きに過ごして良い」
クロードがそう言うと、初めて二人の目が合った。
「承知いたしました。お飾りの妻になりましょう」
クロードがサマンサに契約結婚を提案してから3ヶ月後
二人はひっそりと式を上げたのだが
その日の夜、クロードはサマンサに言い放った。
「私が君を愛することはない。契約通り、初夜も行わない。無謀な期待はするな」
「はい、承知しております」
二人が寝室を共にした事は一度もない。
会話が無いのはもちろんのこと、二人が並ぶのは参加必須の夜会のみだった。
3ヶ月という婚約期間は貴族としては異例の速さで、周りの人達を驚かせた。
伯爵家の令嬢が公爵家に嫁入りする異常事態
しかも、3度も婚約を破談にしたサマンサと、引く手数多なクロードの婚姻
なにか裏があるに違いないと探ろうとするも、誰も掴めなかった。
夜会に参加した令嬢たちはクロードに見初められようと話しかけるが、クロードはサマンサだけを見つめて一時も離れない。
婚姻を急ぐほどに二人は愛し合っているのか…
クロードの婚姻を認めたくなかった令嬢たちも、仲睦まじい二人を見てようやく諦める。
煩わしい令嬢たちが離れた事でクロードは喜んでいた。
契約結婚をして良かった。後は家督を譲ってもらうだけ。
何も問題はない。
しかし、白い関係に薄々気が付いているタスマン家の使用人達。
屋敷での仕事をしないサマンサを不満に思い、主人であるクロードにも認められていないサマンサを受け入れられなかった。
サマンサに付いた侍女たちは一切の仕事を放棄しているのだが、クロードは気が付かない。
そして、サマンサは自室に一人でぽつんと佇んていた。
(自由って素晴らしいわ!)
自分の世話をする侍女も、部屋を掃除する女中も
食事を持ってくる者も、誰もいないのに
サマンサは幸せに満ち溢れた笑顔をしていた。
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