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希少価値の高い宝石を使ったブローチに指輪。

これを持ち帰ればヘラもアドニスも見返す事ができるだろう。男爵家の当主としての威厳を取り戻せるかもしれない。

( 待てよ…。威厳を取り戻すのに二つも必要ないな。このブローチだけを渡せば良いだろう )

こうしてブローチを持ち帰ったカイロスはヘラに褒められてアドニスには尊敬の眼差しで見られ、本来の自分を取り戻した。

…かのように思えた。


「ぼさっとしてないで早く仕事をしてください」

以前とは真逆の体型。

若い頃よりも更に痩せ細ったカイロスは、かつての自分のようにパンパンにはち切れそうなお腹のヘラに逆らうことができなかった。

言い返しても体当たりをされて突き飛ばされてしまう。
それでも強く出ると浮気の話を蒸し返される。

「あなたが浮気をして拵えた子供の始末をした結果がこのブローチでしょう?何をそんなに強気でいられるのですか?」

「それはそうなんだが…」

「パパって格好悪い…」

むしゃむしゃと豚のように大量に盛られた食事を食べる二人を見て、カイロスは思った。

( これでは呪われた公爵のようではないか… )

パンパンに膨れた顔に身体。
吹き出物だらけのぶつぶつの顔は、あの時に見た公爵のようで不気味だった。

髪も身体も汗と脂で湿っていて清潔感がまるでない。

これがあの細かったヘラなのか…?
これがあの可愛かった自分の息子なのか…?

ベタベタとソースを垂らしながら肉に齧りつく息子を見て食欲を失ってしまうカイロス。


「食べないならちょうだいよ」

ベタベタな手で肉を手掴みするアドニスを見て叱るのだが、ヘラがカイロスに怒鳴った。

「アドニスちゃんは食べざかりなのよ!」

二人にかかる食事の費用は膨大で、家計は火の車。

それを伝えてもカイロスが不甲斐ないせいだと言って聞く耳をもたない。

このままでは破綻してしまうからブローチを売ろうと言ってもヘラは絶対に手放さなかった。

「こんなに綺麗な宝石はどこを探しても見つからないわ。まるで私に誂えたような輝き…」

うっとりと宝石を見つめるヘラだったが、カイロスを見る目は厳しかった。


次第にカイロスはこの二人が化け物のように思えてきた。

ヘラに夜の営みを求められてもカイロスは食指が動かない。
自分の思った通りに事が進まないと泣き喚くアドニスは怪物そのもの。壊された家具は如何ほどだろうか…。

寝室には居場所が無く、カイロスが安らげるのは二人が入って来ない執務室だけだった。

だがその居場所もアドニスに仕事を教えるようになって安全な場所ではなくなってしまう。

そんな時に見つけたのは階段下の物置き部屋。
いつしかカイロスはこの小さな部屋で過ごすようになっていた。


それから何年も月日が経ち、アドニスが適齢期を迎えるも嫁の貰い手は見つからない。

「あなたの所為よ!あなたがちゃんと働かないからガルシア男爵家が馬鹿にされているんだわ!」

「なんだと!言わせておけば!お前たちが豚のようにばくばくと食べるからだろう!何度服を作り直した?何度アドニスの癇癪で家具を買い直した?私がどんなに働いても賄えるわけ無いだろう!」

「まぁ!自分のことを棚に上げてなんて酷いことを!」

取っ組み合いの喧嘩になったら身体の小さいカイロスが勝てるはずもなく…。


「出て行きなさい!」

「私はこの家の当主だぞ!」

「今日からアドニスちゃんが当主よ!」

カイロスは屋敷から追い出されてしまった。


「今までの恩を忘れたのか!」

まぁいい。こっちには指輪があるんだ。
あの化け物たちと縁が切れたと思えば安いもの。

「旦那、それをこっちに寄越しな!」

指輪を眺めるカイロスの目の前に二人の男女が立ち塞がる。

「まさか、ダンテとマチルダか?」

カイロスをまじまじと見て二人は笑い出した。

「もしかしたらガルシア男爵の旦那様ですか?これは良いところで出会った。あの時の恩返しをさせて貰おうか!」

「な、あれは自業自得だろう!」

「煩い!こっちはあんたのせいで長い事牢屋に入っていたんだ!そのお陰で職もまともに見つからない」

ボコボコに殴られたカイロスは指輪を取られて全財産を失ってしまう。


指輪を売って換金しようとしたダンテとマチルダだったが、高価な指輪の出処を尋ねられ、再び盗みを働いたと警邏に捕まってしまう。

再犯の恐れがあるとして二度と外には出られない。



カイロスがいなくなってアドニスが当主を務めるようになったガルシア男爵家はみるみるうちに廃れていった。

食費がかさんで使用人たちを雇えなくなり、仕事もろくに覚えていないアドニスには金を稼ぐこともできない。

借金を重ねても存続することはできず、あっという間に身分を剥奪されてしまった。ヘラが大事にしていたブローチはその時に借金のかたとして没収されてしまう。


行く宛もない二人は浮浪者の多い路地裏で生活するようになる。

すぐ隣に変わり果てた姿のカイロスが生活していたのだが、お互いの姿を認識することなく三人はそれぞれ生きていく。

食べる物がなく痩せていったヘラを見て初めて二人の存在に気が付いたカイロスは、自力で仕事を見つけて小さな小屋で生活できるようになっていた。

三人は一緒に狭い小屋に住むようになり、静かに暮らしている。喧嘩をすることもなく、アドニスの癇癪もなくなった。

決して幸せではないが、これ以上ない程の不幸でもない生活を送るのだった。
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