三途の川で逢いましょう

鰐屋雛菊

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〈9〉

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 実はぼくは「抱かれるほう」を想像したことがなかった。だから受け入れる姿勢のあまりな無防備さは衝撃で、思わず早くしてくれと言いそうになった。体勢としては柔道の寝技と似たようなものだけど、目的はぜんぜん違うわけで、他人に身をゆだねるという感覚からして慣れていない。しかも先輩は、そんなぼくの心情を知っていて焦らすかのように、ゆっくり、ゆっくりと入って来る。実際には気づかってくれてたんだろうけど。
 しかしぼくの心情とは別に、熱い楔が少しずつ侵入して来るにつれ、全身の皮膚は粟立ち、体内をかけ巡る血が沸騰したように暴れだした。ぼくにとっての未知は、先輩の身体にとって既知なのだと実感せずにはいられない。背筋がぞわぞわする。気持ちいいのか悪いのかわからないこの感覚に、ぼくは耐えられるのだろうか。
「つらいか?」
 辛くはない。けど、やっぱりこわい。
 そう訴える代わりに、キスをねだった。先輩はくちびるでくちびるを挟んだり、舌先でくすぐったりと、まるでいたずらを仕掛けるみたいなキスをくれた。ぼくが歯をくいしばるのを止めるまで。そうしたあと先輩は、やっぱりゆっくり動き始めた。
「っあ……んう……あぁっ……んん!」
 声が、押し出される。
 退かれれば追いすがり、押し入られればやわらかく絡みついて迎え入れる。先輩の身体は快楽に柔軟で、従順で、貪欲だった。でもすぐにそんなことなど意識してられなくなる。揺さぶりの激しさに翻弄され、快感にすべてをさらわれた。セックスってすごい。昨日までのぼくは、妄想たぎらせてみずから慰めるしか知らなかったけど、それはそれでけっこう気持ちよかったし満足していた。でもこうして先輩と抱き合い、敏感な部分を刺激しあってみると、自慰などいかにも味気ない、処理というものでしかないと思えてくる。
「……っん……アッ、きもち……い、よう。先輩の、奥、やらし……ぼくに、されて……うれしい、て……ああっ」
「帆津美……おまえの、からだ、も、俺で、気持ち、よく、なって……俺さ……俺、ずっと……こう、なり、た、かった……っ!」
 先輩の言ってることはもちろん、自分が何を口走っているのかなんて、ほとんどわからなくなっていた。したたる汗と、湿った肌と、ベッドの軋み、肉と肉のぶつかる音が、興奮をあおる。ぼく達は混ざり合っていた。すべてが混ざり合っていた。肉も骨も内臓も脳も快感に侵され、このまま死んでもいいとすら思った。だって好きな人と抱き合うことが、与え合うことが、混ざり合うことが、こんなにしあわせだなんて。
「帆津美……おれ、もう……っ帆津美! ほづ、み……!」
「あっ……あん、あん、あん! ぼく、も……だめ……せん、ぱいっ……好き! すきぃ! ッア……アアーッ!」
 ぼく達はただただ求め合った。身体の欲するところ、その悦びはこころとは捻れていたけれど、互いの欲望が互いに向いていることは間違いなく、それがうれしかった。深く激しく先輩はぼくを貪り、ぼくはそのすべてを受けとめて、とろけるほどに先輩を感じた。そうしてのぼりつめた快感に身体も意識も呑みこまれ――。
 たぶんぼく達はこのとき、一度死んだのだ。いや、もう一度、というべきか。
 気がつけば、あれほどの熱が、快感が、肉と骨がきしむような衝撃やら圧迫やらが消えていて、質量を感じない真っ白な流れに浮き沈みしていた。
 死んでもいいと思ったけど、まさか本当に死んでしまうとは。
 なぜかやけに冷静に、そして無感動にそんなことを思った。だがこのハレーションの海のような景色の中に、もう一つの存在を感知して、ぼくは知らず手放しかけていた「ぼく」という意識を引き戻す。
 あれはきっと先輩だ!
 途端にすべてを思い出した。こうなる前のあれやこれやを。
――修正を求めるときは、こう唱えてください。
 そうだ、早く唱えなければ。ぼくだけの問題じゃない。だから急がないと。ええと、何だっけ。確か……三途の川で……
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