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文化祭開催前日、ぼくは実行委員として、社会科教室に詰めていた。机や椅子を半分ほど教室の後ろに寄せて空けたスペースには、会議用の折りたたみ式机と展示用パーティションが積んである。ビニールシートと暗幕はたたんで机の上に、水性ペンキは床に。貸出用物品の管理をしているのだが、土壇場ラッシュが一段落したところで、ぼくはのんびり読書を楽しんでいた。
「あれ、矢野いねえの?」
本から顔を上げると、無造作に扉を開けて入って来た人物と目が合った。ピンストライプの黒スーツに、まっ赤な口紅が挑戦的な美女だ。しかしボリュームのあるライトマッシュの髪はとくにスタイリングされておらず、大股でズカズカ歩く足下はと言えば服装とは不釣り合いに、アンクルソックスとキャンバススリッポンというカジュアルさである。その人物はぼくの返事を待たず、当たり前のように隣に座った。
「ここ、物品貸出の受け付けだよな。矢野は? 便所にでも行ってんの」
「いえ、クラブのほうの展示準備が遅れてるとかで、そちらに。こっちはこのとおりですから、ぼく一人でもだいじょうぶだし」
「クラブ? ああ、あいつ写真部だっけ」
沈黙。
歩き方といい、声といい、このOL風美女が男子であることは間違いなかった。そして話しぶりとその内容から推測するに、二年か三年の先輩らしい。でも……誰だろう。ぼくの疑問をよそに、当の女装(美)男子は、手に持っていた野菜ジュースの紙パックにストローを突き刺した。すぼめられた赤いくちびるに、なぜかどきどきしてしまう。
「見すぎ」
「え」
「すげーガン見してんぞ。目からビーム出るんじゃねえかって期待しちまうくらい」
「いや、そんなの出ません! というか、その、すみません!」
慌てて視線を逸らした。が続く言葉にふたたびふり向いた。
「まあ、俺は見とれるくらい美人だからしょうがねえな」
「え」
沈黙。
しまった。反応を間違えたらしい。同意するところだったのか、それとも笑うところだったのだろうか。
目が合ったまま逸らせない。気まずい。
ぼくはどう取り繕おうかと脳味噌をフル稼動したが、答えをはじき出す前に相手がにやりと笑った。
「あーそうか。おまえ、俺が誰かわかってねえな」
「あ……いえ、その……」
そのとおりである。言い訳のしようもない。ぼくはまた「すみません」と頭を下げた。ずっと謝ってばかりである。謝るしか思いつかない。すると謎の女装男子は、椅子を寄せてしな垂れかかってきた。
「いやん、冷たい。アタシはアナタの歯の本数だって知ってるのにぃ」
思わずあっと声を上げる。歯の本数がヒントになるような人物の心当たりなど、一人しかいない。
「ひょっとして、月野先輩、ですか」
「ひょっとしなくても俺だ」
ぼくの胸にもたれかかったまま、見あげる顔にドキッとした。口もとは笑っているが、上目遣いの目が爛爛としている。
「このビボーは、俺しかいねえだろ」
「はあ。でもいつもより平凡に見えますよ」
沈黙。
今のもダメなのか。ほめたつもりだったんだけど。
至近距離で見つめ合ったままの沈黙は、さすがに気まずさが違った。でも先輩の発言だって相当なものじゃないか。ぼくは正直、わあ自分で言っちゃうんだ引くなあ、なんて思ったくらいだ。
「……えと、あ、そうだ、ミスコンに出るんですか?」
我が校の文化祭では伝統的にミス、ミスターコンテストが行われるが、何年か前からミスにエントリできるのは女装した男子、逆にミスターは男装した女子となっている。ミスコンは時代錯誤だセクハラだと、廃止を訴える声が上がったのは90年代のこと。声を上げたのは数名の教師と保護者だった。もっともな意見ではあるが、文化祭は生徒の自主性を育む行事として、生徒会が中心となって開催されている。大人の口出しを快く思わなかった当時の生徒会の、苦肉ならぬ皮肉の策として異性装での応募のみを有効とし、このイベントを存続させたのだそうだ。
先輩は椅子に真っ直ぐ座りなおすと、野菜ジュースをストローで吸い上げる。静まり返った室内にその音だけがひびく。
本の続きを読むのはさすがに失礼だろうけど、手持ち無沙汰なうえにいたたまれない。誰か来ないかなと訪問者を期待するも、開けっ放しの扉の向こうは静かなもので足音一つ聞こえてこなかった。月野先輩がジュースを吸い上げては口を放すたび、紙パックがペコンと鳴る。
「おまえさあ、何でモヘジなの?」
「……え?」
「だからあ、おまえの名前にはモもヘもジもないじゃん。モヘジって、どっから出て来たんだよ」
脈絡のない質問なのもさることながら、先輩がぼくの名前を知ってるらしいことに驚いた。
「あだ名ですが」
「そりゃわかってるよ」
「あ、はは、そうですね。えと、ぼくの顔、何かに似てません?」
「んだよ、もったいぶらずに言えよ」
先輩がぼくの腕をやや乱暴に押す。さらに足で。靴底で。スカートの中まで見えてしまった。無地のボクサータイプ――ふつうだ。何となく安心する。
「すみません。へのへのもへじです」
「への……」
二呼吸ののち、先輩は笑い出した。
のけ反って、腹を抱えて、身体を折って、机を叩き、ぼくの座っている椅子の脚を蹴りまくって、全身で笑った。確かにこれ言うとみんな笑うけど、ここまで笑い転げた人もいない。
「やべえ、クリソツだよおまえ。あ、でも、ちょっとニヒルなへのへのもへじだよな」
「ニヒル……ですか?」
「目がさ、『の』をこう、圧しつぶして横長にした感じ?」
まだ笑いながら先輩は、親指と人差し指で何かをつまむ仕種をした。
「ああ、ぼく細目ですからね」
「おまえ、へのへのもへじにしちゃイケメンだぜ」
ぼくも声をあげて笑った。何だかうれしかった。
ああ……この人、好きだな。
裏表のない、真っ正直な笑顔にそう思った。それはぼくが、このうつくしき乱暴者の先輩に好意を抱いた、最初の瞬間だった。
「あれ、矢野いねえの?」
本から顔を上げると、無造作に扉を開けて入って来た人物と目が合った。ピンストライプの黒スーツに、まっ赤な口紅が挑戦的な美女だ。しかしボリュームのあるライトマッシュの髪はとくにスタイリングされておらず、大股でズカズカ歩く足下はと言えば服装とは不釣り合いに、アンクルソックスとキャンバススリッポンというカジュアルさである。その人物はぼくの返事を待たず、当たり前のように隣に座った。
「ここ、物品貸出の受け付けだよな。矢野は? 便所にでも行ってんの」
「いえ、クラブのほうの展示準備が遅れてるとかで、そちらに。こっちはこのとおりですから、ぼく一人でもだいじょうぶだし」
「クラブ? ああ、あいつ写真部だっけ」
沈黙。
歩き方といい、声といい、このOL風美女が男子であることは間違いなかった。そして話しぶりとその内容から推測するに、二年か三年の先輩らしい。でも……誰だろう。ぼくの疑問をよそに、当の女装(美)男子は、手に持っていた野菜ジュースの紙パックにストローを突き刺した。すぼめられた赤いくちびるに、なぜかどきどきしてしまう。
「見すぎ」
「え」
「すげーガン見してんぞ。目からビーム出るんじゃねえかって期待しちまうくらい」
「いや、そんなの出ません! というか、その、すみません!」
慌てて視線を逸らした。が続く言葉にふたたびふり向いた。
「まあ、俺は見とれるくらい美人だからしょうがねえな」
「え」
沈黙。
しまった。反応を間違えたらしい。同意するところだったのか、それとも笑うところだったのだろうか。
目が合ったまま逸らせない。気まずい。
ぼくはどう取り繕おうかと脳味噌をフル稼動したが、答えをはじき出す前に相手がにやりと笑った。
「あーそうか。おまえ、俺が誰かわかってねえな」
「あ……いえ、その……」
そのとおりである。言い訳のしようもない。ぼくはまた「すみません」と頭を下げた。ずっと謝ってばかりである。謝るしか思いつかない。すると謎の女装男子は、椅子を寄せてしな垂れかかってきた。
「いやん、冷たい。アタシはアナタの歯の本数だって知ってるのにぃ」
思わずあっと声を上げる。歯の本数がヒントになるような人物の心当たりなど、一人しかいない。
「ひょっとして、月野先輩、ですか」
「ひょっとしなくても俺だ」
ぼくの胸にもたれかかったまま、見あげる顔にドキッとした。口もとは笑っているが、上目遣いの目が爛爛としている。
「このビボーは、俺しかいねえだろ」
「はあ。でもいつもより平凡に見えますよ」
沈黙。
今のもダメなのか。ほめたつもりだったんだけど。
至近距離で見つめ合ったままの沈黙は、さすがに気まずさが違った。でも先輩の発言だって相当なものじゃないか。ぼくは正直、わあ自分で言っちゃうんだ引くなあ、なんて思ったくらいだ。
「……えと、あ、そうだ、ミスコンに出るんですか?」
我が校の文化祭では伝統的にミス、ミスターコンテストが行われるが、何年か前からミスにエントリできるのは女装した男子、逆にミスターは男装した女子となっている。ミスコンは時代錯誤だセクハラだと、廃止を訴える声が上がったのは90年代のこと。声を上げたのは数名の教師と保護者だった。もっともな意見ではあるが、文化祭は生徒の自主性を育む行事として、生徒会が中心となって開催されている。大人の口出しを快く思わなかった当時の生徒会の、苦肉ならぬ皮肉の策として異性装での応募のみを有効とし、このイベントを存続させたのだそうだ。
先輩は椅子に真っ直ぐ座りなおすと、野菜ジュースをストローで吸い上げる。静まり返った室内にその音だけがひびく。
本の続きを読むのはさすがに失礼だろうけど、手持ち無沙汰なうえにいたたまれない。誰か来ないかなと訪問者を期待するも、開けっ放しの扉の向こうは静かなもので足音一つ聞こえてこなかった。月野先輩がジュースを吸い上げては口を放すたび、紙パックがペコンと鳴る。
「おまえさあ、何でモヘジなの?」
「……え?」
「だからあ、おまえの名前にはモもヘもジもないじゃん。モヘジって、どっから出て来たんだよ」
脈絡のない質問なのもさることながら、先輩がぼくの名前を知ってるらしいことに驚いた。
「あだ名ですが」
「そりゃわかってるよ」
「あ、はは、そうですね。えと、ぼくの顔、何かに似てません?」
「んだよ、もったいぶらずに言えよ」
先輩がぼくの腕をやや乱暴に押す。さらに足で。靴底で。スカートの中まで見えてしまった。無地のボクサータイプ――ふつうだ。何となく安心する。
「すみません。へのへのもへじです」
「への……」
二呼吸ののち、先輩は笑い出した。
のけ反って、腹を抱えて、身体を折って、机を叩き、ぼくの座っている椅子の脚を蹴りまくって、全身で笑った。確かにこれ言うとみんな笑うけど、ここまで笑い転げた人もいない。
「やべえ、クリソツだよおまえ。あ、でも、ちょっとニヒルなへのへのもへじだよな」
「ニヒル……ですか?」
「目がさ、『の』をこう、圧しつぶして横長にした感じ?」
まだ笑いながら先輩は、親指と人差し指で何かをつまむ仕種をした。
「ああ、ぼく細目ですからね」
「おまえ、へのへのもへじにしちゃイケメンだぜ」
ぼくも声をあげて笑った。何だかうれしかった。
ああ……この人、好きだな。
裏表のない、真っ正直な笑顔にそう思った。それはぼくが、このうつくしき乱暴者の先輩に好意を抱いた、最初の瞬間だった。
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