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第一七章 クウ虚な心

クウ虚な心(06)

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 ――怜央琉……
 どうか、どうかあなただけは……




「――クソがぁーっ!」

 真由乃の炎は、暴れ回る怜央琉を圧倒し続けていた。
 刀だけなら、腕一本で簡単に処理ができた。怜央琉にとっての問題は、真由乃から発せられる炎にあった。

「てめえ、勝手に成長しやがって……っ!」

 町角ゆあんが真由乃に倒された事実も知っている。不死を破るほどの力なのだから、余程の脅威であることは想像できていた。だが、それでも想像が足りていなかった。

「さっきからアチいだろうがよお!」

 生き物のように動く炎の隙間を縫い、数多くの喧嘩で培った間合いの取り方で距離を詰める。そして真由乃の懐に入り込んで強烈な右フックを飛ばす。
 完全に隙をついたつもりだったが、拳の前には、あらかじめ準備されていたかのように炎の壁が張られる。
 直径30cm程度の円盤状の壁だが、通過する拳全体を炎で包み込み、衝撃さえ和らげてしまう。

「そこっ!」

 さらに、動き回る炎は、真由乃にとってはセンサーとしての役目も果たしていた。炎の壁によって怜央琉の攻撃に気付き、即座に反応して拳を刀で受け止める。
 鋼鉄の硬さをも凌駕する怜央琉の拳が、炎で和らいだせいで簡単に刀で受け止められてしまう。さらに炎がしつこく纏って肉体的ダメージを蓄積させていく。

「だぁあ! アチいんだくそおっ!」

 いつまでも炎を纏っているわけにも行かず、結局は距離を取らされてしまう。怜央琉は腕をブン回して体についた炎を消火する。これの繰り返しだった。


「……なんだか、辛そうです」

「ああ゛?」

「どうして、そうまでして、他人を目の敵にするんですか?」

 怜央琉の拳を受け、真由乃は「暴力」とは違う何かを感じ取った。

「何か、理由があるんじゃないですか?」

 さっきまで怒っていた女が、今度はあわれむような目で見てくる。怜央琉には、その態度が気に喰わなかった。

「てめえ、何様のつもりだ」

 同情なんていうのは、余裕のある人間が、見下している相手に思う感情に過ぎない。高い位置から「大丈夫?」なんて声を掛けるだけで、「私はなんて優しいんだろう」と勝手に満足して終わっている。

 救いに言葉なんていらない。
 必要なのは力――他を圧倒する力のみ。

「それとも、後悔しているんじゃないですか?」

「後悔、だと?」

 その力を手に入れた今、何を悔いるという。

「あのとき、ああしていれば良かった。もっと違う道があったんじゃないか。それを考えまいと、ひた隠しにしようと、暴力に訴えていませんか?」

「てめえ、この期に及んで説教たれてんじゃねーだろーなあ」

「わたしが教えられることはありません。わたしも後悔の連続です。それに、後悔から逃げることは悪いとは思えません。過去に縛られる必要はありません。過去に引きずられて前に進めないことはもっと避けるべきと思います。
 でも、だからって他人をおとしめることで過去を正当化することは、大きな間違いです。過去の呪縛からまったく抜け出せていない。そのことに気づいているのに、ひたすら暴力で誤魔化している。
 わたしは、この呪いの連鎖を断ち切らいないといけません。それがわたしの任務であり、わたしなりの過去との向き合い方なんです」

「要は殺されたいってことだろ?」

「……あなたも、誰かを救うことで過去を清算しませんか?」

 怜央琉は、いい加減我慢の限界で地面を強く蹴った。急加速で真由乃に距離を詰める。

「宗教でも始めたのかよ! 気持ちわりー言葉並べやがって」

「そうですか……わたしも、あなたを許したわけではないので――」

 真由乃は、目の前に炎の壁を張って対抗する。怜央琉は今度こそ勝負をつけようと、右腕に力を込め、炎の奥の真由乃ごと突き破る思いで拳を打ち込んだ。

「もう、容赦はしません」

 炎を越した拳が真由乃を捉えたかと思えば、それは真由乃の影ですらなく、炎が作り出した陽炎かげろうであった。空振りして体勢を崩した怜央琉の後ろに、真由乃が炎環かたなを構えて立つ。

 怜央琉の弱点は、あらかじめ明人から知らされていた。全身鋼鉄人間であっても、体の節々は柔軟に動くよう『すき』を作っている。中でも首筋はクリティカルな弱点であり、今回の戦いで必ず対策を打ってくると踏んでいた。
 このまま刀を振るだけでは、致命的なダメージを与えるのは難しいかもしれない。ならば、刀には他にも戦い方がある。

「こいつっ、まさか……っ」

「――やあぁぁぁあっ!」

 怜央琉が振り返ったタイミングを見計らい、真由乃は怜央琉の喉元を目掛けて一直線に炎環を突き刺した。




 ***




「はっ! まずは前の借りは返してやるぞ」

「あなたなんかに貸すものは1つもないわ」

 明人は迷っていた。
 今回の戦い、恐らくこの場所でトドメを刺すために、依子は可能な限りの「氷」を仕込んだと考えられる。この場所で1対1で戦うには、いくら四家の人間であっても分が悪かった。
 このまま戦いに参加せず、味方である雁慈を危険に晒すわけには行かなかった。とはいえ、姉を殺す行為は今の明人の目的に沿わない。

「その代わり、とっておきの死をプレゼントしてあげる」

「はっ、つまらん洒落もほどほどに――」

 雁慈が剛槌を依子にぶつけ、依子の体がバラバラに砕け散った。正確には、ひと纒まりの氷がバラバラに割れて周辺に飛び散った。
 いつ氷に入れ替わっていたのか見当もつかず、雁慈は慌てて剛槌を構えていた。その死角である地面から氷が飛び出していく。

「南剛っ! 右後ろだ」

「はっ、不覚!」

 地面から飛び出した氷柱を、雁慈はギリギリのところで打ち砕く。やはり、植人の立場を考えても雁慈を見捨てるわけには行かなかった。
 ひとまずは明人も参戦しようと、足を一歩踏み出したところで、氷柱は足止めをするかのように明人の前にも飛び出してくる。

「だめよアキ、あとでゆっくり相手してあげるから、今はお姉ちゃんの邪魔をしないの」

「姉さん、お願いだ! もう一度話を――」

「くだらん」

 周囲一帯を氷柱覆っていく、その中心で、雁慈は冷たく吐き捨てた。剛槌を握る手にも、怒りに近い強い力が入る。

「貴様ら姉弟は、所詮下らないいざこざを、他人を巻き込んでいつまでもネチネチと……」

 生まれたときから豪傑ごうけつな思考を植え付けられた雁慈にとっては、理解し難く許せない感情だった。
 剛槌が「プシュー」と不気味な煙を出し、雁慈は両手で支えて攻撃に備える。攻撃の内容は、少なくともその場の明人には想像ができた

「落ち着いてくれ南剛、細かいことで手こずる様子に苛立つのも分かる。だが、人間社会はそういった機微の積み重ねで出来ている。相互理解にためには省略できない工程なんだ」

「はっ! 下らん痴話と下らん思想に付き合っているヒマはないわ!」

「やめろ! ここら一体には文化価値の高い木も――」

「悪を滅するのに、言い訳は不要っ!」

「南剛っ! くっ――」

 雁慈が剛槌を支えながら、ゆっくりと回転を始める。その間に、剛槌は見る見る大きさを増していき、周りに生えていく氷柱を余すことなく薙ぎ倒し、粉砕していく。
 明人は、地べたに被さるように体勢を低くして、剛槌を避けるので精一杯だった。

「悪には正義の木槌を、それこそが我が正義ぃ!」

 何周も回転をして、氷柱を破壊し続け、ついにその途中で氷柱とは違う硬い氷にぶち当たる。雁慈は獲物を捉えたと口角を上げて微笑んだ。

「野蛮な女ね」

「はっ、小細工に隠れるなど笑止! その腑抜けた氷ごと圧し潰せてやるわ!」

「南剛! やめてくれっ!」

 今度は大きく飛び跳ねたかと思うと、剛槌を振り被って依子の上に陰を作る。対する依子には回避の手立てさえ存在しなさそうだった。
 明人からしても依子を助ける手立てはない。それに、立場上助けてはいけないことも分かっている。話し合いでの解決が絶望的なのは一目瞭然だった。

「くそっ! 姉さんっ!」

 それでも、相手が本当に怪物だったとしても、明人にとっては姉、1人の家族に他ならない。明人は、思わず手を差し伸べ、その様子に依子は微笑んだ。

「――んなっ……?!」

 秋との手に呼応してか、巨大化した剛槌の前に、光り輝く『矢』が突き刺さる。まるで依子を守るように――
 雁慈は目を見開いて驚き、状況を掴めずに一度後ろに下がった。

「はっ……どういうことだ矢剣?」

 明人と雁慈は、矢が進んできた方へ同時に振り返った。依子は、予想の範囲内なのか、驚いている様子は特に見られなかった。

「隼さん……どうして?」

 隼は、明人たちよりも高い位置から、見下ろすように滅矢めっしの弓を構える。その的は、紛れもなく明人たち絞られていた。
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