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第〇九章 野をアラす獣

野をアラす獣(07)

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 意識が正常に戻ってきたところで、明里はお姫様抱っこの状態からゆっくりと床に降ろされる。明人は、赤黒く変色した明里の首元にそっと手の平を押し当てた。

「立てるな?」

「こほっ……うん。どうしてここが?」

「万が一に備えてな、GPSを仕込んでた」

「うっ、あのときね……」

 明人が無理やり迫ったとき、明里の体をまさぐる振りをしてポケットに忍ばせていた。尾行していたつもりが、さらに尾行されていたのだから明里は恥ずかしくなる。

「連絡がつかないで心配だったが、何とか間に合ったな。真由乃も駆け付けてくれた」

「まゆのん……ごめん」

「危険な行為だが、よくやった。次からは気を付けるんだぞ」

「うん」

「俺の後ろにいろ」

「うん。わかった」

 明人の陰に隠れるようにして怜央琉を睨む。意識がはっきりした今、絞められた痕がジンジン痛む。

「上がるねぇ、白馬の王子様が登場ってか?」

「レヲルと言ったか? 言葉は理解できるな?」

「ああ?」

「話が通じるなら両手を上げて今すぐ投降しろ」

「傑作だなぁ。ますます楽しめそうだ」

 お互い睨み合ったまま、会話も一向に噛み合わない。
 痺れを切らした怜央琉は、明人に向かってゆっくりと進む。

「お前、植人だろ? 強いのか?」

「減らず口が多いな」

「あ?」

「あんまり多いと損するぞ?」

「お前なに言って――」

 余裕を持って進む怜央琉だが、いつの間にか周りを『鎖』が囲んでいた。怜央琉が気づいた瞬間にあおいの植器――鎖苦楽さくらが怜央琉の全身を縛り上げる。

「くそっ、なんだこれっ……」

 葵が鎖苦楽を引く力に手を込めると、怜央琉の強靭な肉体にミシミシと喰い込んでいく。

「馬鹿にしやがって……っ!」

「正体を話す気は無さそうだな。悪いが、余計な真似をされる前にここで――」

「んぐぐぐぐっ……」

 ところが、怜央琉が力を込めると、縛られているはずの筋肉が膨れ上がる。鎖苦楽からは、持ち主である葵も聞いたことのない音が鳴る。

「うくっ……明人、やばいかも」

「ちっ、」

 明人はすぐさま怜央琉に襲い掛かった。
 しかし、間に合わなかった。

『ぐっ……がぁああ゛っ!』

 明人たちが持つ植器は、種人を壊すことのできる唯一の道具である。この条件は逆も当てはまり、植器は種人以外の攻撃で壊されることはあり得ない。
 それにも関わらず、怜央琉は己の筋肉だけで鎖を簡単に引き千切った。

 壊れた鎖苦楽が無残にも床へと落ちる。

「私の、鎖苦楽が……」

「このっ!」

 明人は毒手を嵌めた右手を振り被り、怜央琉の頭部目掛けて勢いよく振るう。

「――ふんっ!」

 怜央琉は額を差し出し、明人の拳と怜央琉の額がぶつかり合う。
 不自然なほど強大な衝撃波が周囲一帯に伝う。

「ずいぶん頑丈な体だな」

「へっ……精々楽しませてくれよ、植人さんよ?」

 お互い無傷のまま再び距離を取る。
 唯一の武器を失った葵も下がり、明人と怜央琉の間に緊張が走る。

「お前は植人か? 種人か?」

「さあな、試してみろよ」

 明人が先に動いた。
 拳に力を込め、両者は激しくぶつかり合う――




 ***




『ジズガ、い゛っじょ゛……』

「フンっ」

 メアリは、いきなり≪怪物≫に襲い掛かった。
 怪物は、怪物らしからぬ反応速度で円盤を掲げ、メアリの圧具おのから身を守る。円盤の反動でメアリは後ろにのけ反ってしまう。

 真由乃も後れを取らないよう、素早く炎環かたなを引き抜いた。

『ん゛ぐう゛ぅ゛』

「メアリちゃんっ!」

 怪物が円盤を掲げたまま突進してくる。
 真由乃は、メアリを守るようにして間に立ち、怪物の円盤を受け流す。見た目は植物が集まって固まってるだけに見えるのに、円盤はあまりの頑丈さでとても斬れそうにはなかった。

 真由乃たちは、一度怪物から距離を取る。

「どうするメアリちゃん?」

「シカタないワね。オトリになってあげる」

「え?」

「1回キリよ? 失敗したらユルさないから」

「うん、まかせて」

 メアリは、再び怪物と対峙する。
 怪物はメアリを見つけ、円盤を持って地面を揺らしながら猛突進する。

 メアリは、思い切り斧をぶん投げた。

「マユノ!」

「うん――」

 走ってきた真由乃の足元に対し、メアリは手を当てて上に持ち上げる。メアリの後押しもあって、真由乃は斧を追随して宙を舞う。
 斧は円盤目掛けてまっすぐ進み、大きな音を響かせて衝撃を加える。真由乃は怪物の上を飛び越え、衝撃で怯んだ隙を狙う。

『ぐう゛ぅ゛っ!』

 怪物の反応は凄まじく、円盤を横にして勢いよく振り返る。円盤は真由乃を横切ろうと回ってくるが、真由乃が1歩早かった。

 体を低くかがませ、円盤を躱したあと瞬時に炎環かたなを振るう。


 ――彼女を、守りたかったんだよね?


「ごめんっ」

 怪物の体がきれいに上下に分かれる。怪物の体から『タネ』が落ちる。駆け付けたメアリが斧を拾い上げ、タネに向かって一心に振り落とした。

 怪物は、弱々しく動かなくなった。

「マユノ、急ぐわよ」

「うん、行こう」

 真由乃にも守りたいものがある。
 戦いの途中、階の上からも地響きが鳴った。明人たちが心配だ。

 真由乃たちは先を急ぐ――




「……待って、メアリちゃん」

 走り出したメアリを、真由乃は慌てて引き留めた。メアリも異様な空気感に気づいて足を止めry。

 その階の一番奥の教室――
 間違いなく種人がいる。でも今まで感じたことのない異様な空気――

「開けるワよ?」

 怖がってはいられない。
 真由乃たちは教室の前で構え、ゆっくりと扉を開ける。

「――サイアクっ」

「そん、なっ……」

 血生臭い、強烈な悪臭――
 メアリは鼻を押さえ、真由乃は言葉を失った。

『あぅ、ぅぅ……』

 教室の床には呻き声を上げる学生が数人――
 藻掻もがき、苦しんでいる。

 そして、立っている学生が数人――
 4人? いや、5人?

 全員、目と口から植物のつたのような触手が飛び出している。

「まずいワね」

「どうしたら……」

 明里のことも心配なのに、あまりに衝撃的な光景を前に、真由乃たちはすぐに動き出せない。
 種人と成り果てた学生たちは、ゆっくりと集まっていく――
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