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第〇六章 嫉みト妬み

嫉みト妬み(02)

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「へえ~ やなぎ先生は弟でしたかあ……」

 学校の保健室――
 明里あかりは昼休みの暇潰しに、保健担当の柳と駄弁だべっていた。

 柳は細身の長身美形、白衣が良く似合っている。

「お姉ちゃんですか? お兄ちゃんですか?」

「姉だよ、それはそれは気が強くてね。僕はいっつも玩具おもちゃにされていたよ」

 柳は遠い記憶を掘り返し、昔を懐かしみがら仕事をこなす。
 時折垣間見える柳の『女性らしさ』は、もしかすると姉の影響なのかもしれない。

「今もどこかで植人として活躍しているよ」

「……会わないんですか?」

 少し踏み込んだ質問だった。
 柳は嫌がることなく明里の質問に答える。

「もう若くないからね、それに……僕にとって姉は憧れだから」

「憧れ……?」

「強くて気高くて、植人として活躍する姉は、姉よりも前に憧れの存在なんだ。僕からつい距離を取ってしまいがちでね」

「ふーん……」

 柳の気持ちは、正直なところ理解できない。
 それに、学生の明里から見ても柳はまだまだ若く見える。

「植人には家族に複雑な感情コンプレックスを抱いている子が多いよ。僕はたまたまこうして自由に働けているけれど、植人には『しがらみ』が多いからね」

 それは明里にも何となく分かった。
 明里はきっと、これからもずっと、死ぬまで植人という組織に縛られ、関わり続けるのだろうと感じていた。

「色んな事情があって、各々がそれに向き合わなきゃいけない。アキトくんだって……」

 話の途中で柳は固まった。
 うかっり口を滑らせたらしい。

「明人? 明人にも事情があるんですか?」

「いやあ、仕事が忙しいなあ……」

 露骨に明里を無視し、仕事の振りでその場をはぐらかす。
 珍しく汗を垂らす柳に向かい、明里が容赦なく追及しようとしたとき、ふいに保健室の窓が開く。

「――ハロ~ あれ? アキトは?」

「め、メアリ……」

 明里が苦手とする人物が窓から闖入ちんにゅうする。保健室をキョロキョロ見回して明人を探す。

「せめて入り口から入りなさいよ」

「細かいコトはイイでしょ? それより明人はドコよ」

 メアリは明人がいないことを確認し、不満げにベッドに座って長い美脚を組む。
 柳も苦笑いで仕事に戻る。

「明人なら、まゆのん連れて本殿に行くって言ってたでしょ! ほら、例の儀式・・とやらで……」

「Oh、そうだったワね」

 メアリは思い出したように諦め、ベッドに仰向けで倒れ込む。納得がいかないらしく、悔しそうに長い手足をジタバタさせる。

「アキトを好きなときに独占できるなんてズルいわ。ショッケンランヨーよ!」

「仕方ないでしょ、決まりなんだから……」

 そう言いつつ、明里も納得はしていない。
 必要な儀式とは言うが、その効果も疑わしい。

 その儀式とやらで、明人が植人の中でも「重要」な位置にいるという話は聞いていた。ただし、それ以上の話――家族や個人的な情報までは、当然のことながら聞かされていない。
 今日は邪魔が入ってしまったが、調べてみる価値はありそうだ。
 気になってしょうがなかった。




 ***




「――やっと着いたぁ~」

 石段を登り切ってすぐの鳥居をくぐり、真由乃はお尻から地べたに倒れ込む。
 足は既にヘロヘロで、汗はダラダラと止まらない。用事が済んだ後、帰りのことは――考えたくもなかった。

 同じ石段を登ってきたはずなのに、明人は汗1つ掻かずに綺麗なままである。

「修行が足りてないな」

「持久力は無いんですぅー」

 やっとの思いで到着した場所は、大きな鳥居に広い土地――
 奥には、本殿らしき大きな平屋が建っている。

 本殿の近くでは、数人の巫女がせわしなく行き来していた。真由乃は恥ずかしくなり、慌てて立ち上がってお尻を払う。

「真由乃の祖母に言っておかないとな、マラソンでもさせろって」

「それ、おばあちゃん本気にするんで、ぜーったいにやめてくださいね!」

 冗談を交わしつつ、笑いながら本殿へと進む。
 明人もいつもと変わらない様子――のはずが、突然立ち止まって地べたに膝をつく。


葉柴はしばよ、ご苦労だったな」

 明人は頭を下げ、敬意を払うように黙り込む。
 明人が敬意を示す声の主に、真由乃は顔を向ける。

 いつの間にか、すぐ近くに老人が1人立っていた。

「そして環日わびの女よ、まずは挨拶と行こうか」

「はっ、はい」

 老人の低い声に緊張感が走る。
 真由乃は思わず両腕をまっすぐ伸ばし、その場で「気を付け」の体勢を取った。

「……ふむ、これまた環日は随分立派なもんを」

「あ、あの……?」

 老人は真由乃の体を上から下までじっくりと眺めていく。
 鍛えられた体に、ほどよい肉の付き具合を見て勝手に感心していた。

「お、じ、い、ちゃ、ん?」

「ん?――のわ゛っ!」

 そんな老人の後頭部に、思い切り箒のつかが突き刺さる。
 血が出てもおかしくない勢いで心配になる。

 老人は頭を押さえてうずくまり、うめき声を出しながら激痛に耐えた。

「セクハラ禁止、気持ち悪い顔しないでよね」

 倒れた老人の後ろには、他の巫女とは違う、色合い豊かな装束しょうぞくを着た女の子――ツインテールの可愛らしい巫女が呆れて立っていた。

「あなたが真由乃まゆのさんね?」

「う、うん」

 年齢は同じくらいだろう。

 突然名前を呼ばれ、真由乃は戸惑ってしまう。そんな真由乃に構わず近づき、女の子は強引に手を取って握手を交わす。

「かわい~! 環日わび家の娘がとーっても可愛いってウワサだったの! 会いたかったー!」

「あ、ありがと……」

 真由乃の手を掴んだまま、女の子はブンブンと手を振り回す。
 好意的なのは嬉しいが、初めてきた場所で、初めて会うヒトに戸惑いを隠しきれない。

 それに、真由乃は違和感も感じていた。

「昨日の夜もね、どんな人だろーねって天音と話してたんだ~」

 明人は膝をつき、地面に顔を向けたまま――
 一向に動く様子がない。一言も言葉を発さない。

 そんな明人を、老人も女の子も気にする様子が無い。女の子に至っては、明人のことをたった一度すら見向きもしなかった。

「――あかね、真由乃さんが困ってる」

 そして、もう1人女の子が現れる。「あかね」と呼ばれた女の子は、「ごめんごめん」と真由乃の手を離して退いた。

 その女の子もまた、同い年くらいに見えた。
 今度は白を強調した、透明感あふれる巫女装束――

 真っ黒で自然なショートボブが良く似合っている。綺麗で、可愛くて、どこかはかない女の子だった。

「真由乃さん、ごめんなさい。騒がしくって……」

「う、ううん! ぜんぜん大丈夫、です」

 年齢が近く、思わずタメ口で話そうとしてしまう。
 女の子は微笑んで「楽にしてください」と付け加えた。

「アキ……明人さんから色々と話は聞いています。今日はゆっくりして行ってくださいね」

「はい……」

「……そう言えば、挨拶がまだでしたね」

 真由乃の戸惑いに気付いたか、女の子はまっすぐ居直って綺麗な目を向ける。
 綺麗な目なのに、力強さも感じられる。

「私が本殿の当主――亜御堂あみどう天音あまねと申します」

「天音、さん……」


 ――このヒトが、植人の1番偉いヒト……


「改めて、ようこそ本殿へ――ご案内しますね」

 天音は本殿に振り返り、ゆっくりと歩き出す。
 そこで明人は、ようやく顔を上げる。

「明人さん……?」

 立ち上がってもなお、明人は暗い顔のまま声を発さない。そのことに誰も触れない、誰も指摘しない――
 真由乃は、心細い気持ちで一杯だった。
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