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第〇五章 強く引くキモち

強く引くキモち(06)

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「お願いですっ! 娘をっ、私の娘をどうか助けてくださいっ!」

 夕暮れ時に懇意こんいにしている刑事から連絡があり、すぐに幼い少女とその母親がこの・・病院へとやって来た。

「私が、よそ見したばっかりにっ……」

 まぶたが真っ赤に腫れた母親は、必死の思いで医師にしがみつく。病院や医師をハシゴされ、ずいぶんと辟易へきえきしていたが、それでも大声で助けを求めていた。

 原因不明の高熱、咳、嘔吐おうとの症状、前の医師から受け継いだCT画像――

「落ちてたタネを飲み込んでしまったみたいで、それでっ……」

 そして、母親の証言――
 間違いなかった。タネの誤飲ごいんである。

 タネを口にしたものは、種人たねびとという≪怪物≫に成り果てるのが常だ。
 ただし、タネはヒトの強い思いや感情に呼応して発芽し、その場合のみヒトは種人へと変貌へんぼうを遂げる。また、特別な思いが無ければタネの存在に気づくことも滅多にない。
 それでも、明確な意思を持たずしてタネを誤って・・・飲み込んだ場合、ヒトは種人には成らず、タネはそのまま体内に残り続けてしまう。
 飲み込んだのが植人であれば、タネは体内に付着すること無く、消化もされないまま体外に排出される。
 ただし、飲み込んだのが一般のヒトである場合、タネは体内にへばり付いてその体を急速にむしばんでいき、その摘出てきしゅつは困難を極める。

「まずいな。もう取り出せないぞ」

 へばり付いたタネは、複数の内臓や大量の毛細血管と密接に結ばれ、患者の命に係わる事態に陥る。手術オペでの強制的な摘出は、心肺停止や出血多量等の危険性リスクが高い。
 また、植人が持つ植器しょくきを除いては、タネを割ることもできない。タネを安全に排除するには、手術によってタネが見える位置まで体を裂き、他の臓器を傷つけないよう植人にタネを割ってもらう必要がある。

 今回運び込まれた少女も、タネの誤飲によって死線を彷徨さまよっている。一刻も早く植人を招集し、タネを排除する必要があった。

「くそっ、時間もない……」

 秘匿ひとく主義の観点から植人に関する情報を扱う医師はごく一部に限られる。
 一般的な病院に運び込まれた患者が『タネの誤飲』に辿り着くまでには時間を要する。間に合わない・・・・・・ことも多々あった。
 今回も例に漏れず、少女がタネを飲み込んでから数時間が経過し、植人に縁のある刑事がようやく気付いて病院に運び込まれた。事態は急を要していた。

「どうすればっ……」

 医師に抱き着き、泣き叫ぶ母親――
 苦しむ少女――

 限界に近い。
 植人の招集を依頼していたが、到底とうてい間に合いそうにも無かった。




 ***




「むぅ、見つからないなあ……」

 真由乃と端野は、タネを探しに端野が済む家の近くの公園にまで足を運んでいた。
 木の下、岩の下、遊具の下、草木の中、公衆トイレの中――
 公園の隅々まで探すも、タネは見つからなかった。

 日も暮れて辺りは暗くなり、増々探すのが困難になる。公園中を歩き回る2人の顔も落ち込み気味だった。

「やっぱりダメかなあ……」

 草木をき分け、目を凝らして必死にタネを探すも見つからない。
 真由乃はすっかり自信を無くしてしまっていた。
 結局、間に合わない――
 
 メアリの言う通り、今回も甘えていただけで何もできない。
 これが現状に他ならない。

 端野に「帰ろっか」と伝えよう――そう思って振り向くと、真由乃の前には厳しい顔の端野が立っていた。

「端野、くん?」

「……さっきと、言ってることが全然違うじゃないですか」

 端野はドロドロに汚れた両手を広げ、プルプル震える足で真由乃の前に立つ。
 よく見ると端野の右足――膝下には、グルグルに包帯が巻かれていた。

「どうしたんですかっ! まゆの先輩らしくないですよ!」

 自身の体調には構わず、端野は厳しい顔のまま真由乃に詰め寄った。

「まゆの先輩はいつも凛々りりしくて、自信に満ち溢れた聡明そうめいな女性です!」

「は、はい……」

 予期せず褒められ、真由乃は頬を赤くする。

「まゆの先輩は落ち込んだりしないし、それがまゆの先輩らしさ・・・です!」

「……買い被りすぎだよ」

 だが、真由乃はすぐに暗い顔に戻る。

「端野くん、きっと今のわたしには何か足りないの。何が足りないのかも分からなくて――」

「足りないものなんてありません!」

 それでも端野は、必死に訴えかける。
 真由乃は再び顔を上げた。

「先輩は今のままでいいんです。今の先輩に足りないものなんてありません!」

「でも――」

「でもじゃありません! 今のままでいいって……ありのままでいいよって言ってくれたのは、先輩なんですよ?!」

 訴えかける端野のには涙も浮かんでいた。
 それだけ、暗い顔の真由乃を見るのが苦しかった。
 真由乃が自分を否定することは、かつて真由乃に救われた端野を否定することにもなるから――

 真由乃に思い当たる節は無かったが、涙目で訴えかける端野に心を打たれ、いま一度思い返してみる。

「まゆの先輩は、真由乃先輩らしくいてください!」

「わたし、らしく……」

 種人となれば、それはヒトではなく怪物――
 始末の対象であることは事実だ。

 それでも――
 それでももし、助かる可能性があるならば――

「わたしらしく……」

 助かる道が1つでもあるならば、それは諦めたくない。
 きっと、それが真由乃なんだ。

 真由乃は、再び草木の中に飛び込んだ。
 端野も微笑んで、茶化すように真由乃に質問する。

「まゆの先輩、帰りますか?」

「ううん、もう少し……」

「ふっ、まゆの先輩らしいや――」




 草木を掻き分け、ときにはむしりながら見逃しが無いようツブさに地面を確認する。
 されど、タネは見つからない。

「ふぅ……」

 アドレナリンだけで誤魔化してきた足の痛みがぶり返す。体中が限界に近かった端野は、一度腰を上げた。
 真由乃は暗い中、かがんだ体制を崩さずに地面と『にらめっこ』を続けている。

「そう言えば、ずっと腰にぶら下げてるのは竹刀しないですか?」

「えっ?」

 端野は、真由乃の腰に掲げていた刀を指差す。

「まゆの先輩も剣道を?」

「そ、そうなの。これはね――」

「おいっ、なにしてる」

 突如、野太い男性の声が公園に響き渡る。真由乃と端野の2人は一斉に声がする方を振り向いた。

「学生さん? 危ないよ、こんなところで何してんの?」

 公園には似つかわしくない黒いジャケット姿――
 背広をビシッと着こなし、まるで自分は怪しくないと言わんばかりに、疑わしい目で真由乃たちを睨む。

「あの、探しものをしてて……」

「探しもの? こんな暗くちゃ見つからないよ、また明日にしな。妙な事件も起きてるんだから――」

 真由乃は聞き逃さなかった。
 すぐさま男の発言に飛びつく。

「事件、いま妙な事件って!」

「ああ? そうだよ、事件だよ」

「もしかして刑事さん、とかですか?」

「あぁ?」

 真由乃の見立ては恐らく当たっている。
 この場所で何かしらの事件が起き、そしてその現場をこの刑事おとこが確認しに来ている。

「教えてください、その事件――いつ、どんな事件ですか?」

「なんだよ、キミたちに関係ないだろ?」

「教えてください! どうしても知りたいんです!」

 真由乃の真っ直ぐな目に刑事の男は気圧けおされるが、その分さらに疑いの目を強める。

「怪しいな、いったい何を探してたんだ?」

「いいからお願いです! 教えてください!」

「ますます怪しいな、それに腰にぶら下げてるの……かたな? 応援呼ぶからちょっと待って――」

「わたしは植人です!」

 刑事の男が無線機を取り出したところで真由乃は声を張った。男は途端に固まり、端野も何事か分からない状況である。

「わたしは植人です。もし分からなければ、えらい方にそう伝えてください」

 刑事には、真由乃の言う意味が分かるらしい。驚いたのもつかの間で態度が急変した。

「実はですね、この公園でタネを食べちゃったっていう女の子がいましてね、お母さんも一緒で病院にいるんですが、今すぐ一緒に動けますかね?」

 真由乃は、ふたつ返事で依頼を引き受けた。

「端野くん、手伝ってくれてありがとう」

「まゆの先輩は?」

「わたしは、行かなくちゃいけないから……」

「分かりました……まゆの先輩、信じてます」

「うん」

 真由乃は、端野を置いて公園を後にする。

 端野には何が起きているか、そもそもどうしてタネを探していたかも分からない。
 それでも、端野が憧れる真由乃が確かにいた。
 それだけで十分だった――
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