愛を請うひと

くろねこや

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その後の話

シャッター(前編)

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葛谷逮捕からすぐ。

佐久間という護衛がいなくなり、アパートの部屋で凛を1人にすることが不安で堪らなくなった。

防犯対策について工務店のおっさんに電話で相談したら、なんとすぐに来てくれた。

ちょうど休みの日だったらしいが、『柚木ゆぎ工務店』と胸に刺繍された作業服を着て、頭にグレーのタオルを巻いた『いつもの姿』をしている。

啓一先生の同級で親友らしいから、もうすぐ60になるはずだが、前に会った時とあまり変わらないように見える。

手には分厚いカタログが入った鞄と、何かが入った長い筒。

「久しぶりだな。元気そうで安心した。立派にやってるって啓一と彩人から聞いてるよ」

竜瑚ほどではないがオレよりデカいから、大きな手のひらでバシンと背中を叩かれるとグラついて悔しい。

「…おっさん、痛い」

「ちゃんと筋肉は付いてるが体幹をもっと鍛えろ」

『大事な人を守るんだろう?』と言われておっさんの身体を見ると、確かに『オレは鍛え方が足りない』と思った。ミサト先生も護身術をオレに叩き込むときに『体幹が大事』だと言っていた。

オレが頷くのを見て、ニッと笑うと頭をぐしゃぐしゃ撫でてくる。ウザくて払うと背中をまたバシバシされた。


ソファに座るおっさんに、コーヒーを淹れたカップを渡すと、『大人になったなぁ、お前…』とまた頭を撫でられそうになって避ける。

「冷てぇなぁ。出所したらうちに来てくれると思ってたのに、啓一の方に行っちまうんだから…。お前は頭がいいし、器用だし、チカラもあるから待ってたんだぞ」

この人は『会社』にいた頃から『そんなとこ辞めてうちに来い』といつも言ってくれていた。

もしもその未来を選んでいたらどうなっていたのだろう。凛には会えただろうか。例え出会えたとして、彼を妻子から奪い取ることは出来ただろうか。

…おそらく出来なかっただろう。


「今がいいんだ」

「…そうか。まぁ、気が変わったらいつでもいいんだからな? 彩人みたいにたまに手伝ってくれてもいいんだぞ?」

しつこいし、このおっさんが口を尖らせても可愛くない。だが昔から何故か憎めない。

ガサツそうなのに清潔感があったり、ガタイのわりに繊細だったり、本当に不思議な男だ。



「…サッシごと替えて防犯ガラスにする手もあるが、夜に窓の外が見えない方が安心できるだろう。シャッターを外側に取り付けて…ストーカー相手なら窓を開けるのはやめた方がいいな。少し値は張るが、開閉を電動で室内から操作できるやつにするか?」

仕事の話になると脳筋じゃなくなるのも変わらない。

『その家に暮らす人はどんな性格か、何が好きなのか、どんな生活をしたいのか。話を聴いて、その人が本当に望んでいることを想像してみる。予算と望みを擦り合わせて、ちょうど良いところを提案するのが大事だ』

オレが10代の頃は、その意味が理解できなかった。家なんて、古いものを新しくすればいいだけだろう? と思っていた。

おっさんが提案してくれた内容は、凛が使うことを考えてくれているのが分かる。それだけじゃない。オレにカタログを渡して、いろんな種類を見せると、メリットとデメリットを全部説明してくれる。

検討してみたが、おっさんが最初に勧めてくれた電動シャッターが一番良さそうだった。


おっさんがカタログと一緒に持っていた長い筒の中身は防犯フィルムだった。

「ハンマーを食らうとガラスは割れるが、フィルムが破片を飛散させないし、すぐには破られない。時間稼ぎにはなるだろう。少しは安心させてやれるといいな」

『シャッターは取り寄せにひと月かかるから、気休めに』と持ってきてくれたらしい。

「ありがとう」

オレが礼を言うと、おっさんが驚いたように目を見開いた。

「…なんだよ」

「…お前の“連れ合い”はいいヤツなんだな。今のお前を見てると分かる」

凛はオレが何かするとすぐに『ありがとう』と言ってくれる。いつの間にかオレにも『それ』が移っていたのだろう。

「うん。いいヤツだ」

「…よかったなぁ」

また頭をぐしゃぐしゃされた。
今度はそれを払おうと思わなかった。



窓にフィルムを張っていると、おっさんは隣で同じように作業しながら目を潤ませていた。

「お前が“大事な人を安心させたい”なんて。そんなことを言えるようになって、本当に良かった…」

『相談してくれてありがとな』とスキージーを滑らせる手を止めないまま言った。


『会社』にいた頃、おっさんは彩人とオレを『仕事を手伝え』と言って時々呼び出し、いろいろな事を教えてくれた。

例えば今やっているフィルム張り。中性洗剤を薄めた水をスプレーしてからフィルムをスキージーで水抜きするように張る、といったこと。他にも塗装する前にマスキングするとか、雨漏りする屋根の直し方とか、物置の組み立て方とか、いろいろだ。

『馬鹿野郎! 死にたいのか!?』と怒鳴って彩人を怯えさせたことがあるし、車でオレ達を迎えに来た竜瑚に『泊まってけ』と酒を勧めるからウザいと思うこともあった。

おっさんは理由なく怒鳴ったわけじゃなかった。竜瑚が家にいなかった夜。オレと彩人は流星群が見たくて、昼間に仕事を手伝ったビルの、外壁塗装工事の足場をこっそり2人で登った。確かそこを、風が強いからと現場を確認しに来たおっさんに見つかったんだ。
今思えば、怒られて当然だった。

それでも、異常なほど怯える彩人を気味悪がらずに大声を出したことをすぐ謝ってくれたし、事情を聴いて遠くの山まで車を出してくれた。一生分の流れ星を見た気がした。あの夜のことは今でもよく覚えている。

おっさんは、出来なかった事が出来るようになると必ず褒めてくれたし、バイト代も増やしてくれた。竜瑚の旅の話を子どものように目を輝かせて楽しそうに聴いていたし、酒に酔っても絶対に暴力を振るわない。晩ごはんを奢ってくれることも多かった。だからだろう。従業員にもかなり慕われている。

厳しくて優しい、大きな背中の男。

『父親がいたらこんな感じだろうか』と彩人もオレも言葉には出さなかったが思っていた。



シャッターが届くとすぐに取り付けに来てくれた上、工事の前に『挨拶は大事だ』と近所や大家へタオルを持って行ってくれた。

取り付けが終わり、その仕上がりを見たことで、隣に住む老夫婦の部屋にも同じ電動シャッターと、大家の家のリノベーション工事を受注していたから、おっさんは抜け目がない。


だがその後メールで届いた請求書を見て驚いた。すぐに電話する。

施工費の項目がなく、シャッター本体の分しか金額が載っていなかったからだ。しかも割り引かれて安くなっている。

『仕事が休みの日にお前とDIYを楽しんだだけだ。金なんか取るかよ』

“DIY”なんてレベルじゃない。
防犯カメラを外に付け直してくれたし、外壁に穴を開け、電源を室内から分岐させて外に引くなど、通常のシャッターより取り付けに時間も手間もかかっているというのに。

『…お前が大事な人を見つけた祝儀しゅうぎがわりだ。野暮やぼなこと言うな』

声の雰囲気から、電話の向こうで照れ臭そうに笑うおっさんが見えた気がした。

「…分かった。ありがとう、柚木さん」

『あぁ。また連絡してこいよ』

「うん、また」



通話が切れた瞬間、

「…カッコつけすぎだろ」

思わず呟いていた。


あの大きな背中には、まだ勝てそうにない。
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