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その後の話
再会 〜施設にて 2
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「……どうして」
涼野さんの目が驚きに見開かれた。
「この場所は、夕凪に聞いた」
夕凪というのは、涼野さんの娘の名前だったか。
「こんな早い時間に…お仕事は?」
「急ぎの仕事はこの5日間で全て片付けてきた。明日からしばらく休みだ」
部屋を出ようとすると、涼野さんに視線で引き留められた。主任がこちらを見て頷き、廊下を戻って行ったので、念のためオレが同席することになった。
「どうしてここに?会社のことでしたら、全ての引き継ぎは済ませてあったでしょう?」
この3日間。少しずつ聞いた話によると、あの男…涼野さんの“相手”は、とある会社の会長で、心筋梗塞で突然死したそうだ。その秘書、兼、性欲処理の相手をしていたのが涼野さんだった。
互いに家庭を持ちながら、互いの妻公認の愛人関係。今はその妻たちも既にこの世にいないのだという。
「仕事のことはもういい!それよりアンタの話だ。親父の後を追おうとするなんて…」
『後を追おうと』…彼は自殺をしようとして助かってしまったのか。
「オレはアンタが好きだ。二度と…親父になんて渡さない」
この男は、『あの男』の息子か。
「あなたの『その感情』はお父様への対抗意識では?」
「違う!…違うんだ…。アンタが側にいてくれないと、………オレは……心が潰れてしまいそうに苦しいんだ…」
男は車椅子の傍に近づき、涼野さんの身体をそっと抱きしめる。
涼野さんは目を瞑って何かを考えているようだ。
「…アンタがいないとオレは…」
「あなたは大丈夫。僕が育てた秘書…夕凪もいるでしょう?」
「大丈夫…だと思っていたんだ。…でも、彼女からアンタが『死んでしまうかもしれない』と聞いた瞬間。オレにはアンタ…涼野がいないとダメだって思い知らされた」
「あなたにはちゃんと奥さんを迎えて欲しい。そして、その相手を幸せにしてあげて欲しい。それがわたしの願いです」
「オレは!アンタしかいらない…。涼野は年上だから、オレをアンタの籍に入れてくれ。弟には有望な息子がいるから、跡継ぎは問題ないし、オレの名前が変わっても、社長としてやることは変わらない」
「…ですが…」
「子どもの頃から、ずっと好きだよ」
男の目は真剣だった。
「アンタを連れて帰りたい」
「だめですよ…」
「アンタの身体を、アンタの49年間を、無理矢理奪った男の息子だから、オレが嫌いなのか?」
コイツの親父は、涼野さんを強姦して手に入れたらしい。…オレが凛にしたように。
「誰があなたにそんな話を…」
「親父だよ。オレが涼野を本気で好きだと知って、全部話してくれた。『オレが死んだら、涼野を任せる』って、酒を飲むたび言ってた」
「でも、今のわたしの身体はこの通り、セックスに向きません。あなたの為にできる事があるとすれば、この知識や人脈を使う事と、口でご奉仕するくらい…身体を固定して腰を振っていただければ、お役に…」
「セックスは!…もちろんしたくないと言えば嘘になる。でも違うんだ!オレはアンタが生きてくれてさえいれば!それで…っ」
涙声で震えているこの男が、涼野さんに危害を加えることはなさそうだ。
オレは気配を消して、そっと部屋を出た。
主任がほとんど終わらせてくれていたから、他の利用者のケアは割と早く終わってしまった。
あとは涼野さんだけだ。
ノックして部屋に入る。
涼野さんは、不自由な腕で男を抱き返していた。
「…申し訳ありません。涼野さんのケアが途中なのですが…」
「なんのケアだ?」
「口腔…つまり歯磨きのようなものです。訓練が始まるまではオレが…」
「オレにやらせてほしい。正しい手順を教えてくれ」
「懐かしいな。オレが子どもの頃、アンタがオレの歯を磨いてくれたことが何度もあった」
器用な男だ。ちゃんと指示通りできている。
「まさか…、“逆”になる日がくるなんて、思ってもみませんでしたよ」
涼野さんも、彼のことを好ましく思っているのだろう。リラックスしているのが伝わってくる。
…余計なことだとわかっている。
だがこの人には、何故か凛の姿が重なって見えてしまう。放っておけない。
そう思ったら、思わず言葉が口から出ていた。
「もしご自宅でお世話をされるのでしたら、様々なケアをここで学ばれてはいかがでしょうか」
オレの提案に、男の目は輝き、涼野さんの目は驚きに瞬かれた。
「あぁ!そうさせてもらう!」
「それでは会社はどうなります…」
「アンタに比べたら会社なんてどうでもいい……と言ったらアンタに嫌われるな」
「その通りです」
「なぁ、えっと…結城さん?彼はリハビリすれば日常生活を元通り過ごせるようになるか?」
『おそらく脚は動かないのだろうが…』と男は言う。この男にとっては、涼野さんの脚など動かない方が、都合がいいだろう。
……もう自力で簡単には『逃げられない』のだから。
「可能性はあります。理学療法士によるリハビリを少しずつ受けていただいていますので、ある程度は。もちろん個人差はありますし、介助はこれからも必要となる部分が多く出てきます」
「それならオレと24時間共にいればいい。自分で出来ないことは全てオレに任せろ」
彼は『会社と自宅はバリアフリーに改造しておくから安心して戻ってこい』と笑った。
「オレは本気だ」
「あなたは…ばかですね。…こんなジジイ相手に本気になるなんて」
「生まれてから43年、ずっとアンタの事が好きだ。愛してるんだ。共に生きる事を、アンタの娘も許してくれた」
「夕凪が…」
「全く出社しない訳にはいかないが、ほとんどの会議はオンラインで何とかなる。オレの弟もアンタが好きだからな。『なんなら“社長業”も任せろ』って言ってたぞ。……親父を縛ってたネチネチガミガミうるせぇクソジジイもクソババアもこの世にいないしな」
「…あなたは…初恋を拗らせすぎですよ…。外堀まで埋めて…」
『言葉も乱れ過ぎです…』と涼野さんの声が震えた。
「オレの“初恋の相手がアンタ”だと、…やっと認めてくれたな?もうオレから逃げられると思うなよ。アンタの事を本気で愛していたくせに、他の奴らと共有して逃げた親父ほどオレは甘くない。オレは…アンタを独占する」
「はぁ…。これは…『介助』の名の下に、死ぬまで合法的な監禁をされてしまうな…」
涼野さんが呟き、……ふっと笑った。
彼がこの施設を出ていく日は近そうだ。
リハビリは自宅からの通所も可能だからだ。
オレは、最後の瞬間まで凛の一番でいたい。
他の奴に、彼の心も身体も渡さない。
触れさせない。
死ぬ時は必ず一緒に連れて行く。
でも、オレも突然死んだら?
心筋梗塞だけじゃない。事故死もあり得る。
できれば凛を看取ってから死にたい。
彼が老衰で死ぬのを見届けて、すぐ後を追う。
死に損なわないよう、確実な方法で。
自殺すると地獄行き?
あの世なんかない。
死んだら終わりだ。
燃やされて、骨と灰と、原子だか分子だか…そんなものに分かれるだけ。
だから、できれば彼と同時に火葬されたい。
いっそ彼の遺体を抱えて、どこかの山で土の下に埋まろうか。
どんな姿になっても、凛と離される事がないように。
それまで、少しでも長く共に生きたい。
まずは明日の昼飯からだ。
彼は自分1人だと簡単に食事を済ませてしまうことがある。
夕飯も作り置きしておこう。
栄養の勉強をして、凛が好きそうな、美味くて、健康的な食事を作ろう。
彼には最後の瞬間まで笑っていて欲しいから。
一緒に飯を食おう。
たくさん話をしよう。
たくさん『愛してる』と伝えよう。
いつか来る、最後の日まで、ずっと。
涼野さんの目が驚きに見開かれた。
「この場所は、夕凪に聞いた」
夕凪というのは、涼野さんの娘の名前だったか。
「こんな早い時間に…お仕事は?」
「急ぎの仕事はこの5日間で全て片付けてきた。明日からしばらく休みだ」
部屋を出ようとすると、涼野さんに視線で引き留められた。主任がこちらを見て頷き、廊下を戻って行ったので、念のためオレが同席することになった。
「どうしてここに?会社のことでしたら、全ての引き継ぎは済ませてあったでしょう?」
この3日間。少しずつ聞いた話によると、あの男…涼野さんの“相手”は、とある会社の会長で、心筋梗塞で突然死したそうだ。その秘書、兼、性欲処理の相手をしていたのが涼野さんだった。
互いに家庭を持ちながら、互いの妻公認の愛人関係。今はその妻たちも既にこの世にいないのだという。
「仕事のことはもういい!それよりアンタの話だ。親父の後を追おうとするなんて…」
『後を追おうと』…彼は自殺をしようとして助かってしまったのか。
「オレはアンタが好きだ。二度と…親父になんて渡さない」
この男は、『あの男』の息子か。
「あなたの『その感情』はお父様への対抗意識では?」
「違う!…違うんだ…。アンタが側にいてくれないと、………オレは……心が潰れてしまいそうに苦しいんだ…」
男は車椅子の傍に近づき、涼野さんの身体をそっと抱きしめる。
涼野さんは目を瞑って何かを考えているようだ。
「…アンタがいないとオレは…」
「あなたは大丈夫。僕が育てた秘書…夕凪もいるでしょう?」
「大丈夫…だと思っていたんだ。…でも、彼女からアンタが『死んでしまうかもしれない』と聞いた瞬間。オレにはアンタ…涼野がいないとダメだって思い知らされた」
「あなたにはちゃんと奥さんを迎えて欲しい。そして、その相手を幸せにしてあげて欲しい。それがわたしの願いです」
「オレは!アンタしかいらない…。涼野は年上だから、オレをアンタの籍に入れてくれ。弟には有望な息子がいるから、跡継ぎは問題ないし、オレの名前が変わっても、社長としてやることは変わらない」
「…ですが…」
「子どもの頃から、ずっと好きだよ」
男の目は真剣だった。
「アンタを連れて帰りたい」
「だめですよ…」
「アンタの身体を、アンタの49年間を、無理矢理奪った男の息子だから、オレが嫌いなのか?」
コイツの親父は、涼野さんを強姦して手に入れたらしい。…オレが凛にしたように。
「誰があなたにそんな話を…」
「親父だよ。オレが涼野を本気で好きだと知って、全部話してくれた。『オレが死んだら、涼野を任せる』って、酒を飲むたび言ってた」
「でも、今のわたしの身体はこの通り、セックスに向きません。あなたの為にできる事があるとすれば、この知識や人脈を使う事と、口でご奉仕するくらい…身体を固定して腰を振っていただければ、お役に…」
「セックスは!…もちろんしたくないと言えば嘘になる。でも違うんだ!オレはアンタが生きてくれてさえいれば!それで…っ」
涙声で震えているこの男が、涼野さんに危害を加えることはなさそうだ。
オレは気配を消して、そっと部屋を出た。
主任がほとんど終わらせてくれていたから、他の利用者のケアは割と早く終わってしまった。
あとは涼野さんだけだ。
ノックして部屋に入る。
涼野さんは、不自由な腕で男を抱き返していた。
「…申し訳ありません。涼野さんのケアが途中なのですが…」
「なんのケアだ?」
「口腔…つまり歯磨きのようなものです。訓練が始まるまではオレが…」
「オレにやらせてほしい。正しい手順を教えてくれ」
「懐かしいな。オレが子どもの頃、アンタがオレの歯を磨いてくれたことが何度もあった」
器用な男だ。ちゃんと指示通りできている。
「まさか…、“逆”になる日がくるなんて、思ってもみませんでしたよ」
涼野さんも、彼のことを好ましく思っているのだろう。リラックスしているのが伝わってくる。
…余計なことだとわかっている。
だがこの人には、何故か凛の姿が重なって見えてしまう。放っておけない。
そう思ったら、思わず言葉が口から出ていた。
「もしご自宅でお世話をされるのでしたら、様々なケアをここで学ばれてはいかがでしょうか」
オレの提案に、男の目は輝き、涼野さんの目は驚きに瞬かれた。
「あぁ!そうさせてもらう!」
「それでは会社はどうなります…」
「アンタに比べたら会社なんてどうでもいい……と言ったらアンタに嫌われるな」
「その通りです」
「なぁ、えっと…結城さん?彼はリハビリすれば日常生活を元通り過ごせるようになるか?」
『おそらく脚は動かないのだろうが…』と男は言う。この男にとっては、涼野さんの脚など動かない方が、都合がいいだろう。
……もう自力で簡単には『逃げられない』のだから。
「可能性はあります。理学療法士によるリハビリを少しずつ受けていただいていますので、ある程度は。もちろん個人差はありますし、介助はこれからも必要となる部分が多く出てきます」
「それならオレと24時間共にいればいい。自分で出来ないことは全てオレに任せろ」
彼は『会社と自宅はバリアフリーに改造しておくから安心して戻ってこい』と笑った。
「オレは本気だ」
「あなたは…ばかですね。…こんなジジイ相手に本気になるなんて」
「生まれてから43年、ずっとアンタの事が好きだ。愛してるんだ。共に生きる事を、アンタの娘も許してくれた」
「夕凪が…」
「全く出社しない訳にはいかないが、ほとんどの会議はオンラインで何とかなる。オレの弟もアンタが好きだからな。『なんなら“社長業”も任せろ』って言ってたぞ。……親父を縛ってたネチネチガミガミうるせぇクソジジイもクソババアもこの世にいないしな」
「…あなたは…初恋を拗らせすぎですよ…。外堀まで埋めて…」
『言葉も乱れ過ぎです…』と涼野さんの声が震えた。
「オレの“初恋の相手がアンタ”だと、…やっと認めてくれたな?もうオレから逃げられると思うなよ。アンタの事を本気で愛していたくせに、他の奴らと共有して逃げた親父ほどオレは甘くない。オレは…アンタを独占する」
「はぁ…。これは…『介助』の名の下に、死ぬまで合法的な監禁をされてしまうな…」
涼野さんが呟き、……ふっと笑った。
彼がこの施設を出ていく日は近そうだ。
リハビリは自宅からの通所も可能だからだ。
オレは、最後の瞬間まで凛の一番でいたい。
他の奴に、彼の心も身体も渡さない。
触れさせない。
死ぬ時は必ず一緒に連れて行く。
でも、オレも突然死んだら?
心筋梗塞だけじゃない。事故死もあり得る。
できれば凛を看取ってから死にたい。
彼が老衰で死ぬのを見届けて、すぐ後を追う。
死に損なわないよう、確実な方法で。
自殺すると地獄行き?
あの世なんかない。
死んだら終わりだ。
燃やされて、骨と灰と、原子だか分子だか…そんなものに分かれるだけ。
だから、できれば彼と同時に火葬されたい。
いっそ彼の遺体を抱えて、どこかの山で土の下に埋まろうか。
どんな姿になっても、凛と離される事がないように。
それまで、少しでも長く共に生きたい。
まずは明日の昼飯からだ。
彼は自分1人だと簡単に食事を済ませてしまうことがある。
夕飯も作り置きしておこう。
栄養の勉強をして、凛が好きそうな、美味くて、健康的な食事を作ろう。
彼には最後の瞬間まで笑っていて欲しいから。
一緒に飯を食おう。
たくさん話をしよう。
たくさん『愛してる』と伝えよう。
いつか来る、最後の日まで、ずっと。
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