愛を請うひと

くろねこや

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その後の話

秘密(前編)

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「聞いてよ凛ちゃん!!!」

水曜日の夕方6時。

オレは涙を流す綺麗な女性に頭を抱きしめられていた。急に引き寄せられたせいで首が痛い。アルコールの匂いがするから酔っているのだろう。

頬にふわりと当たるおっぱいの柔らかさに一瞬だけ幸せを感じてしまい、『オレもまだ“男”だったんだな』と妙な安堵を覚えた。

詩音に心の中で謝って、そっと彼女の腕から離れようとしたが、力強いホールドから逃れられない。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……平日の夜にごめんなさいね」

ようやく落ち着き、涙をティッシュで押さえているこの女性は、詩音のお母さんである海砂みささんだ。

ここは彼女の店。今日は定休日らしく、ナチュラルメイクの彼女はいつもより親しみやすい。涙で少し崩れても、その可愛らしさは変わらなかった。



今日の昼休みにスマホをチェックすると、『話を聞いて凛ちゃん!お仕事が終わったら店に来てほしい』というメッセージが届いていたのだ。

入籍後、何度か詩音とここに顔を出しているうち、オレはいつの間にか彼女に『凛ちゃん』と呼ばれるようになっていた。



詩音に話したら、『一緒に行く』と言われたが、彼女からのメッセージには『一人で来て』とあり、ゴネる彼にキスをしてこの店の前で別れてきた。

帰りも迎えに来ると言っていた。
温泉街の事件以来、彼の過保護が加速している。夕方以降は1人で街を歩かせてもらえなくなった。若い娘を心配する父親よりも過保護だと思う。
……この前はそのせいで酷い目に遭った。




店には海砂さんが1人で待っていたのだが、詩音ではなくオレが呼び出された理由がわからなかった。

彼女は会ってすぐに泣き出した。

胸元のホールドから逃れた後も、しばらく抱きつかれるまま、背中をポンポンしていると、ようやく落ち着いたのか話し始めた。


「山神先生に振られちゃった…」


彼女はついに山神に告白したらしい。

聞いた話によると彼はかなり面倒見が良く、友人が多いらしい。見た目も女性にモテそうな上に医師だ。タバコ臭いことを除けば非の打ち所がない。

もう60歳近いだろうが、海砂さんが45歳くらいだとすれば、そんなに気になる歳の差でもないだろう。

彼はこの店に通っているようだし、何より詩音の父親かもしれない男だ。彼も海砂を想っているのではないかと勝手に想像していたのだが。


酒を勧められたが、アルコールに弱いオレはウーロン茶を…いや、断りきれず度数低めのウーロンハイをもらった。
彼女のグラスは心配になるほど、高濃度のアルコールで満たされている。

店の奥で海砂が他人丼を作って来てくれて、カウンターで並んで食べた。
豚肉と玉ねぎを卵でとじてご飯に載せたものだ。出汁が効いて薄味でも美味しい。



八嶋やしまっていう男、凛ちゃんは知ってる?」

丼が空になった後、グラスを傾けていた海砂さんが口を開いた。

「八嶋…さんですか?…オレが知っている人物だとすると、現在服役中の男でしょうか」

詩音と彩人が縛られていた会社の社長だ。
裁判で初めて名前を知った。

山神の話と関係があるのだろうか?


「そう。『私達』を奴隷にした男」


オレの中では、その男は相当な変態ヤローだと認識している。


「海砂さんも『あの会社』にいたんですか」

以前詩音から、彼女は父親の借金を返すため、未成年のころから『身体を売る仕事』をさせられていた、と聞いた。

「そう。中学を卒業してすぐにね。父が作った借金のせいでアパートに突然男達がやってきたの」

安っぽいドラマみたいでしょ?、と海砂さんは顔を歪めて笑う。

彼女の父親は、元は真面目で優しい人だったそうだ。商店街の端で雑貨を扱う小さな店を経営していた。

ある日、子供の頃からの大親友に投資話で騙され、大切にしていたその店を失ってから人が変わってしまったらしい。

昼間から酒を飲み、金を取り返すのだとスロットに行き、競馬新聞を開く毎日。夜も酒を飲みに出かけてしまう。

たまに上機嫌で帰ってきては、また家でゴロゴロ酒を飲む。

母親がパートで稼いできた金も奪っていく。

とはいえ、それだけで足りるはずもない。
父親はタチの悪い所から金を借りていたのだ。


海砂さんは、『父親が借金を返し終わるまで』と首輪を嵌められることになった。

それでも借金を増やし続ける父親に、彼女は絶望したことだろう。


毎日たくさんの男達に身体をもてあそばれたのだと、彼女は自身の肩を抱いた。

加虐趣味の変態やら、『自分の妻には絶対にできないプレイ』をしたがる男やら、全身からアザが消えない日々だったそうだ。

『他の男』が付けたアザを見て嫉妬、興奮した客の男から、さらに酷いことをされることもあったという。



ーーーオレが体験した『派遣』のようなものだろう。


オレが首輪の鎖を引かれて毎週連れて行かれた『あのホテル』には、普通の部屋以外に、『特別な部屋』があった。

部屋番号は『666』。それは『悪魔の番号』と呼ばれているらしい。
その番号は、一見客室には見えないシンプルなドアの部屋に割り振られていた。

『中二病かよ』と苦笑いできたのは『その部屋に入るまで』のことだった。
その部屋で『奴隷』が届くのを待っていた男達は、まさに『悪魔』だった。

『6階』のボタンを押された日は、エレベーターを降ろされる足がすくむようになった。

ドアを開くとそこは異様な空間だった。
真っ黒い壁や天井からは滑車や拘束具がぶら下がり、異常な道具や工具のような物が大きな棚いっぱいに置かれていた。
同じく黒色の床は水で『汚れ』を流せるようになっていて、そこには大型の高速ピストンマシン、卑猥で酷い形の『椅子』『乗り物』……。

痛くて気持ち悪くて気持ち良くて苦しくて汚くて痙攣が止まらなくて絶叫して……。
矛盾する身体と心に頭が狂いそうだった。


震えながら首に触れたオレを海砂さんは見ている。

「…凛ちゃんも私と『同じ経験』をさせられたのね?」

中学校を卒業したばかりなら、彼女はまだ15歳だったのだろう。

「同じじゃないです。オレは男だし、大人だった。でも…あなたは…」

「男とか、年齢とか関係ないでしょう? 何も知らなかった身体を動けないように縛られて、『痛み』『恐怖』を…、そんな言葉じゃ足りない。『あんな事』、笑いながらする奴ら、絶対に人間じゃない!」

海砂さんは泣いていた。
オレの顔も、たぶん彼女と同じになっていた。

震えている彼女に身体を引き寄せられ、ギュッと抱きしめられた。オレも彼女を抱き返した。


2人ともお酒をおかわりして、お互いに『されて嫌だった事』を告白し合う。

『酷いね』『キモい』『サイテー』『ソイツら死ねばいいのに』そんなふうに言い合っていたら、いつの間にか2人で泣きながら笑っていた。


詩音にも話せなかった事を海砂さんに聞いてもらい、心が軽くなっているのを感じた。

彼女も同じ気持ちでいてくれたらいいなと思う。



『奴隷』にされていた頃、首輪に『凛ちゃん』と札を下げられ、呼ばれていたことを話して、『凛』と呼び捨てにしてもらえるように頼んだ。

『うわぁ、ごめんね!』と彼女に頭をワシワシ撫でられる。


乱れてしまった髪を整えてくれた優しい手が、そのまましばらくいたわるように撫でてくれた。
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