愛を請うひと

くろねこや

文字の大きさ
上 下
33 / 175
本編

27 名前

しおりを挟む
『シネ』

詩音の母親は何故そのような名前を付けたのか。




彼が逮捕されてからしばらく経つ。

仕事中だというのに、オレは古書の著者名を指でなぞると、彼の名前についていつも考えてしまう。

古い本のペンネームには時々クスッと笑ってしまうような妙なものもあるからだ。

だが、

なぜカタカナで『シネ』なのか。
憎んでいるにせよ、もう少し『名前らしく』整えないものだろうか。





新しい仕事は、古書をパソコンで文字打ちして電子化するというものだった。
『一冊しか現存げんぞんしない』という貴重な本もあり、研究者からの需要じゅようがあるそうだ。

目が疲れるし、肩はる。

それでも、やればやるだけ進むし、読めない古い漢字をネットや古い辞典で調べて埋めていく作業がけっこう好きだった。


わりと厄介やっかいなのが、『古すぎてパソコンでは変換されない漢字』だ。

『へん』や『つくり』などと『違う漢字』を組み合わせたり、ドットを埋めて書いたりと、一つの漢字を作る『作字』という作業が必要になるのだ。


作字するため部品となる漢字を一文字、画面に配置した瞬間、雷に打たれたようにひらめいた。





「先生、急にお時間を頂きすみません」

夜、オレはミサト先生の家に来ていた。

お店が開いておらず、コンビニで買った手土産のお菓子を渡すと、先生はお茶をれてさっそく出してくれた。



「とても小さなものですが…」

と、引き出しを開け、古びたクリアファイルがテーブルに乗せられた。
一枚のメモが挟まっている。

『例の施設』が民営化するにあたり、処分されてしまうのではないかと、先生は自分で保管していたそうだ。

そこには鉛筆の手書きで『シネ』と縦書きされていた。

詩音の母親は『名前を考えたい』と言っていたそうなので、これが名前であることは間違いないようだ。

よく見ると消しゴムの跡か、紙が毛羽立けばだっている部分もある。

妙に縦長に書かれたクセが強いカタカナ。

に見えるが…



「詩音のお母さんの名前はわかりますか?」

先生は新しいメモ紙に

『藤沼 海砂 ふじぬま みさ』

と書いた。

「私の名前が『ミサト』だからか、『似てるね』と彼女が笑っていたのをよく覚えています」

「お父さんの名前はわかりますか?」

「彼女には『わからない』と言われましたが、この人が父親ならいいのに、と言っていた人が…確か……」

海の逆、お医者さんなのに神社みたいな名前……と呟くと

メモに

『山神 やまがみ』

と書く。

「下の名前は知らないそうです」


オレは、閃きが正しいのではないかと思った。


子どもの名前に、自分の名前と、相手の名前を組み合わせたい、というのはありそうなことだ。
オレと妻も、息子の名前を決める時そう考えた。
妻の名前『アズ』に『りん』の『ん』を挟み、『あんず』。漢字で『杏』と書き、『きょう』と読む。


メモに書かれた『海砂』さんの『海』
『山神』さんの『神』


だがこのままでは名前が『海神』となってしまう。
それを気にしたのか?

2つの文字の一部を丸で囲む。

「2人の名前から『さんずい』と『しめすへん』を残して別の漢字を考えようとしていたのではないでしょうか」




先生は頭を抱えた。

「……彼女はいなくなる前、変な男は周りに来ていないか、変な電話が来なかったかずっと気にしていました…」

それなら、

彼女は子どもを憎み、捨てて去ったんじゃない。

名前を考えている途中で、誰かが来た。
大切な赤ちゃんを巻き込まないように『逃げた』か『元の場所に戻った』のではないか。

「…あんなに明るくて素敵な女性が…かわいい赤ちゃんを憎むはずなかったのに……」

先生が『あぁ…』とうめく。

「私が、彼を苦しめてしまったんだね…」




オレは失敗したことに気づいた。




詩音の母親が考えていたことはわからない。

今さら言ってもどうしようもない事なのに、憶測おくそくで先生を傷つけてしまった。

オレは『ごめんなさい』と謝りながら、先生をぎゅっと抱きしめた。




先生は顔を伏せたまま、涙声で『ありがとう、凛君』とオレを抱き返した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

二本の男根は一つの淫具の中で休み無く絶頂を強いられる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...