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本編
27 名前
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『シネ』
詩音の母親は何故そのような名前を付けたのか。
彼が逮捕されてからしばらく経つ。
仕事中だというのに、オレは古書の著者名を指でなぞると、彼の名前についていつも考えてしまう。
古い本のペンネームには時々クスッと笑ってしまうような妙なものもあるからだ。
だが、
なぜカタカナで『シネ』なのか。
憎んでいるにせよ、もう少し『名前らしく』整えないものだろうか。
新しい仕事は、古書をパソコンで文字打ちして電子化するというものだった。
『一冊しか現存しない』という貴重な本もあり、研究者からの需要があるそうだ。
目が疲れるし、肩は凝る。
それでも、やればやるだけ進むし、読めない古い漢字をネットや古い辞典で調べて埋めていく作業がけっこう好きだった。
わりと厄介なのが、『古すぎてパソコンでは変換されない漢字』だ。
『へん』や『つくり』などと『違う漢字』を組み合わせたり、ドットを埋めて書いたりと、一つの漢字を作る『作字』という作業が必要になるのだ。
作字するため部品となる漢字を一文字、画面に配置した瞬間、雷に打たれたように閃いた。
「先生、急にお時間を頂きすみません」
夜、オレはミサト先生の家に来ていた。
お店が開いておらず、コンビニで買った手土産のお菓子を渡すと、先生はお茶を淹れてさっそく出してくれた。
「とても小さなものですが…」
と、引き出しを開け、古びたクリアファイルがテーブルに乗せられた。
一枚のメモが挟まっている。
『例の施設』が民営化するにあたり、処分されてしまうのではないかと、先生は自分で保管していたそうだ。
そこには鉛筆の手書きで『シネ』と縦書きされていた。
詩音の母親は『名前を考えたい』と言っていたそうなので、これが名前であることは間違いないようだ。
よく見ると消しゴムの跡か、紙が毛羽立っている部分もある。
妙に縦長に書かれたクセが強いカタカナ。
に見えるが…
「詩音のお母さんの名前はわかりますか?」
先生は新しいメモ紙に
『藤沼 海砂 ふじぬま みさ』
と書いた。
「私の名前が『ミサト』だからか、『似てるね』と彼女が笑っていたのをよく覚えています」
「お父さんの名前はわかりますか?」
「彼女には『わからない』と言われましたが、この人が父親ならいいのに、と言っていた人が…確か……」
海の逆、お医者さんなのに神社みたいな名前……と呟くと
メモに
『山神 やまがみ』
と書く。
「下の名前は知らないそうです」
オレは、閃きが正しいのではないかと思った。
子どもの名前に、自分の名前と、相手の名前を組み合わせたい、というのはありそうなことだ。
オレと妻も、息子の名前を決める時そう考えた。
妻の名前『アズ』に『りん』の『ん』を挟み、『あんず』。漢字で『杏』と書き、『きょう』と読む。
メモに書かれた『海砂』さんの『海』
『山神』さんの『神』
だがこのままでは名前が『海神』となってしまう。
それを気にしたのか?
2つの文字の一部を丸で囲む。
「2人の名前から『さんずい』と『しめすへん』を残して別の漢字を考えようとしていたのではないでしょうか」
先生は頭を抱えた。
「……彼女はいなくなる前、変な男は周りに来ていないか、変な電話が来なかったかずっと気にしていました…」
それなら、
彼女は子どもを憎み、捨てて去ったんじゃない。
名前を考えている途中で、誰かが来た。
大切な赤ちゃんを巻き込まないように『逃げた』か『元の場所に戻った』のではないか。
「…あんなに明るくて素敵な女性が…かわいい赤ちゃんを憎むはずなかったのに……」
先生が『あぁ…』と呻く。
「私が、彼を苦しめてしまったんだね…」
オレは失敗したことに気づいた。
詩音の母親が考えていたことはわからない。
今さら言ってもどうしようもない事なのに、憶測で先生を傷つけてしまった。
オレは『ごめんなさい』と謝りながら、先生をぎゅっと抱きしめた。
先生は顔を伏せたまま、涙声で『ありがとう、凛君』とオレを抱き返した。
詩音の母親は何故そのような名前を付けたのか。
彼が逮捕されてからしばらく経つ。
仕事中だというのに、オレは古書の著者名を指でなぞると、彼の名前についていつも考えてしまう。
古い本のペンネームには時々クスッと笑ってしまうような妙なものもあるからだ。
だが、
なぜカタカナで『シネ』なのか。
憎んでいるにせよ、もう少し『名前らしく』整えないものだろうか。
新しい仕事は、古書をパソコンで文字打ちして電子化するというものだった。
『一冊しか現存しない』という貴重な本もあり、研究者からの需要があるそうだ。
目が疲れるし、肩は凝る。
それでも、やればやるだけ進むし、読めない古い漢字をネットや古い辞典で調べて埋めていく作業がけっこう好きだった。
わりと厄介なのが、『古すぎてパソコンでは変換されない漢字』だ。
『へん』や『つくり』などと『違う漢字』を組み合わせたり、ドットを埋めて書いたりと、一つの漢字を作る『作字』という作業が必要になるのだ。
作字するため部品となる漢字を一文字、画面に配置した瞬間、雷に打たれたように閃いた。
「先生、急にお時間を頂きすみません」
夜、オレはミサト先生の家に来ていた。
お店が開いておらず、コンビニで買った手土産のお菓子を渡すと、先生はお茶を淹れてさっそく出してくれた。
「とても小さなものですが…」
と、引き出しを開け、古びたクリアファイルがテーブルに乗せられた。
一枚のメモが挟まっている。
『例の施設』が民営化するにあたり、処分されてしまうのではないかと、先生は自分で保管していたそうだ。
そこには鉛筆の手書きで『シネ』と縦書きされていた。
詩音の母親は『名前を考えたい』と言っていたそうなので、これが名前であることは間違いないようだ。
よく見ると消しゴムの跡か、紙が毛羽立っている部分もある。
妙に縦長に書かれたクセが強いカタカナ。
に見えるが…
「詩音のお母さんの名前はわかりますか?」
先生は新しいメモ紙に
『藤沼 海砂 ふじぬま みさ』
と書いた。
「私の名前が『ミサト』だからか、『似てるね』と彼女が笑っていたのをよく覚えています」
「お父さんの名前はわかりますか?」
「彼女には『わからない』と言われましたが、この人が父親ならいいのに、と言っていた人が…確か……」
海の逆、お医者さんなのに神社みたいな名前……と呟くと
メモに
『山神 やまがみ』
と書く。
「下の名前は知らないそうです」
オレは、閃きが正しいのではないかと思った。
子どもの名前に、自分の名前と、相手の名前を組み合わせたい、というのはありそうなことだ。
オレと妻も、息子の名前を決める時そう考えた。
妻の名前『アズ』に『りん』の『ん』を挟み、『あんず』。漢字で『杏』と書き、『きょう』と読む。
メモに書かれた『海砂』さんの『海』
『山神』さんの『神』
だがこのままでは名前が『海神』となってしまう。
それを気にしたのか?
2つの文字の一部を丸で囲む。
「2人の名前から『さんずい』と『しめすへん』を残して別の漢字を考えようとしていたのではないでしょうか」
先生は頭を抱えた。
「……彼女はいなくなる前、変な男は周りに来ていないか、変な電話が来なかったかずっと気にしていました…」
それなら、
彼女は子どもを憎み、捨てて去ったんじゃない。
名前を考えている途中で、誰かが来た。
大切な赤ちゃんを巻き込まないように『逃げた』か『元の場所に戻った』のではないか。
「…あんなに明るくて素敵な女性が…かわいい赤ちゃんを憎むはずなかったのに……」
先生が『あぁ…』と呻く。
「私が、彼を苦しめてしまったんだね…」
オレは失敗したことに気づいた。
詩音の母親が考えていたことはわからない。
今さら言ってもどうしようもない事なのに、憶測で先生を傷つけてしまった。
オレは『ごめんなさい』と謝りながら、先生をぎゅっと抱きしめた。
先生は顔を伏せたまま、涙声で『ありがとう、凛君』とオレを抱き返した。
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