愛を請うひと

くろねこや

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本編

1 回想 〜悪夢の始まり

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オレはごく普通の会社に勤める平凡な男だ。

妻と2歳になる息子がいる27歳の男……だった。

ーーーあの男と出会ってしまったあの日までは。





今のオレには、なにもない。

妻は息子を連れて出て行き、仕事も失った。

あれから随分経ったが、外を歩かせてもらえず、ずっと薄暗い室内に閉じ込められている。今日がいつなのか分からない。

だが、それだけではなかった。




「んっ…ぁっ…、ぁん…、くっ」

オレは『男』であることすら奪われた。

後ろから尻を穿つこの男によって。

四つん這いにされ、右足首に嵌められたかせから伸びた鎖がジャラジャラと重い音を立てる。

男にびるよう『教育』されたオレのナカは、相手が好むリズムで無意識に締め付けてしまう。


りん、考えごとなんて余裕だな?」

いつもは無口なくせに、こういう時だけよく喋る。
長い前髪に目元が隠れているが、おそらくギラギラした目でこちらを見ているはずだ。



あれは、オレが28歳になる誕生日の前日。

12月23日、金曜日のことだった。

ーーー本当にこの日・・・は碌なことがない。

22時を過ぎた駅で、突然オレはコイツに拉致らちされたのだ。


営業職だったオレは、年末の挨拶をしながらの外回りを終えて会社に戻ると、机の上に置かれていた書類をチェックし、PCで見積書を作成し、週明けにあるプレゼンの資料を最終確認した。年内最後の大仕事だ。気は抜けなかった。

ようやく帰路につき、アルコール臭い息を吐く酔った男に絡まれないよう目を伏せながら電車に乗り、スマホで時計と息子の写真を見て気を逸らす。
動物園で撮った時の写真だ。ウサギを抱いた息子の笑顔に癒される。

へとへとになりながらいつもの駅で降りた。


『もう少しで自宅だ』と油断していたのがいけなかった。


人の少ない駅の西口。
階段を降りきったところで、ガタイのいい男に、後ろから羽交締めにされた。

おそらく防犯カメラがない場所を狙ったのだろう。
階段裏の暗闇に連れ込まれ、口と手首、足首にテープを巻かれ、頭から男のコートを被せられて運び出された。手慣れているのか素早く、少しの躊躇ちゅうちょも感じさせない動きだった。

視界が塞がれているが、スライドドアの音から察するに、ワンボックスかバンのような車の後部座席に乗せられたようだった。

長くクリーニングに出されていないような、タバコと男の臭いが強いコートにクラクラする。口が塞がれているせいで鼻で呼吸を強いられ、逃れられない。

どこかに男が電話をかける声が聞こえる。



どれくらい車は走っただろうか。
コート越しに見える光と車の揺れによって、街灯の少ない暗くガタついた道に入ったことがわかる。



着いたそこはラブホテルだった。

視界を妨げていたコートを取られ、足首の拘束と口のテープを剥がされたが、腹に折りたたみナイフを突きつけられ逆らえない。

鋭利なそれ・・は監視カメラの死角になる位置にうまく隠されているため、オレが男に脅されている事はおそらく誰にも気づいてもらえないだろう。

フロントで助けを求めようとしたが、失敗に終わる。無人だったのだ。
自販機のような機械でカードキーを受け取ると、タバコ臭い部屋に押し込まれる。

妻が帰宅しないオレに気づいてくれたら、と思うが、すでに『先に寝ていてほしい』と連絡してあるし、残業が当たり前で、帰らないこともあるからおそらく無理だろう。

ここ数日、息子の寝顔しか見られていない。
妻をひとりにさせてしまったバチが当たったのかもしれない。


オレには両親がいないから、他にも気づいてもらえそうな心当たりはなかった。
明日までに帰らなければ、…最悪でも月曜日に出社しなければ捜索願いが出されるはずだ。

万が一、殺されたら『先生』にも迷惑がかかってしまうだろう。


持っていた鞄は取り上げられている。スマホや財布、家の鍵もその中。
幸い、会社の決まりで仕事用のスマホとPCは会社の鍵付きロッカーの中だ。

(なるほど、顧客情報『は』守られるわけだ)

自宅に持ち帰れないせいで会社で残業することになり、結果、この男と出会ってしまったわけだが。


「こっち来いよ」

男に、いましめられたままの手首を引かれ、そのままベッドへ倒される。柔らかく沈むベッドは、これから『何をされるのか』を知らしめるようにギシギシと波打ち揺れる。

突きつけられていたナイフはしまわれたが、男の体格の良さに勝てる気はしない。
オレには格闘技の経験なんてないからだ。

ベルトを引き抜かれたズボンを下着ごと引き下ろされ、靴下も脱がされる。

『カチッ』という音がして、右足首に手錠のようなものを嵌められた。そこに繋がれた鎖はずしりと重く、ベッドの下の方へ伸びているようだがここからでは先が見えない。

上半身はロングコートに上着、シャツにネクタイまで締めたままだが下半身は全て脱がされている。


カシャッ、

その間抜けな姿を男によって写真におさめられてしまった。


「目的は金か?」

オレを撮ったのは、スマホではなく立派なカメラだ。メーカーを見る限り安価なものではないから、金に困っているわけではないように思われるが…。

下半身が無防備で心許ないと、こんなに不安になるものか。


なんとか会話で時間を稼ぎながら『男の意思を変えさせる方法』を模索したいところだが、疲れた脳と怠い身体は思ったように働いてくれない。

そもそも運ばれる途中、車の中でぐるぐる考えたけれど何も答えが出なかったのだ。


「まあ…将来的には金だが、とりあえずは…」

手を取られて、

指を舐め上げられた。

ぞくりと背中を震えが走るが、今さら逃げることは許されない。

男の強い視線を感じながら、指先、指の股、手のひらと、じっとり舌を這わせられる。

そのまま手首のテープが剥がされ、コートからシャツまでも奪い取られる。


「抵抗しないのか?」

不思議そうに問われる。

長い前髪の隙間から見えたのは、まるで子どもや犬のように黒く濡れた無垢な瞳。

「抵抗すれば逃してくれるのか?」


答えは分かりきっている。


「早く済ませて、早く眠らせてくれ」


金曜日の夜。連日の残業で疲れていた。
夕飯はゼリー飲料ひとつ。
本当なら今ごろ帰って寝ていたはずだ。
無駄な体力は使いたくない。
暴力もお断りだ。

もし週明けのプレゼンに出席できなければ、今週の苦労が全て水の泡になる。

だが、鞄ごと社員証を盗られているから、職場もバレる。
おそらく脅迫されるのだろう。


……とにかく疲れた。

今夜を耐えて、明日になったら警察に行こう。
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