痛みと快楽

くろねこや

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本編 3 番外編

水族館

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「慎一郎。水族館でデートしない?」

日曜日の夜。

彼が作ってくれたカレイの煮付けに箸を入れながら『水族館』と口に出すことに少しだけ罪悪感を覚える。


「…急にどうしました?」

きんぴらごぼうを飲み込んだ慎一郎が、オレの顔を見た。

彼はいつも、オレが担当したおかずから食べ始める。この瞬間は少しだけドキドキする。
柔らかい表情だから、今日の味付けも好みに合ったみたいで安心した。



「本物の『ハナヒゲウツボ』を見てみたい」

オレは綺麗なブルーとイエローの魚にすっかり魅了されていた。

本当は今日行きたかったが、SNSでチェックすると日曜だからか『混雑』になっていた。


「今のところ、火曜日は完全オフでしたね」

昨日、つまり土曜日に依頼が完了したばかり。
念のため月曜は書類の処理をしながら事務所待機で、火曜は休みをもらえることになっていた。


「あとさ、リベンジしたいことがあって…」


中1の春。
遠足の行き先が、その水族館だった。
昼にみんなで芝生に座り、弁当を食べることになったのだが…。
母親は忘れてしまったのか、わざとなのか、作ってもらえなかった。

悲しくて、体調不良のフリをして、クラスメイトから離れた建物裏のベンチで1人、その時間をやり過ごした。

当時、お小遣いは貰えなかったから、コンビニでおにぎりを買うこともできなかった。

お腹が空いて、さみしくて…。
どうすればいいか分からないまま、青い空を見ていたのを覚えている。

もちろん事情を話せば、友人や先生がご飯を分けてくれたと思う。

でも、何となく、クラスの『楽しそうな空気』が耐えられなかった。


「お弁当を持って、水族館に行きたいんだ」

「なるほど…お弁当。僕は、水族館に行くのが初めてなので嬉しいです」

「まじか。遠足とかは?」

「僕は小学校も、中学校にも通っていません」

「え?」

「祖父が家庭教師を雇ってくれました」

「そうか…。じゃあ、お前も『遠足』リベンジだな」

水族館が初めてなら、朝から1日かけて館内を回ろう。ショーの時間を全部チェックして、バックヤード見学も予約しようかな。

わくわくしてきたオレの顔を見て、慎一郎が微笑んで言った。

「お弁当は僕に任せてください」




予定通り、オフの火曜日。

前日の夜に、ディックはお兄さんの屋敷へ預かってもらったから安心だ。

そのせいで夜中まで、慎一郎にたっぷり身体をむさぼられてしまった。

朝、怠い身体を引きずってやっと起きたら、大きな鞄が玄関に置かれていた。
既にしまわれていたから、どんな弁当か見せてもらえていない。

お金持ちだから、お重の弁当とかをプロに作ってもらうのかと思っていたのに、まだ暗い時間からキッチンで準備していたのを考えると、おそらく彼が手作りしてくれたのだろう。




チケットはオンライン予約していたのと、火曜日の朝ということもあり、スムーズに館内へ入ることができた。


円柱形の水槽。
回遊する魚を見て、最適な調理法を呟くのはやめてあげてほしい。


『調理』といえば、『カレイ』が思っていたよりも大きくてびっくりした。スーパーで売られている『小さいの』と、『切り身』でしか見たことがなかったから、砂と同化している姿や、ひらひら泳ぐ姿はずっと見ていられるくらい面白かった。


あと、『フウセンウオ』という魚が、小さくて、丸っこくて可愛かった。その上、小さなヒレでぴよぴよ一生懸命泳いでいたと思ったら、水槽の底に置いてある小さな二枚貝の殻の中にポテっと落っこちて、ピッタリ収まったのも、悶絶する可愛さだった。

水に漂う風船にとまって、ゆらゆら揺れている子たちもいた。

いい大人が1つの水槽に夢中になっても、慎一郎は側で一緒にいてくれた。

魚じゃなくてオレの写真ばかりを撮るのはやめてほしい…。


お目当ての『ハナヒゲウツボ』は、実際に見るとネットで見たものよりさらに綺麗だった。
こんな色、写真じゃ再現できそうにない。
鮮やかなブルーとイエローをしっかりと目に焼き付けた。

子どもの頃は黒いらしい。
展示されたらまた見に来たいな。

ちなみに、このブルーの魚はオスで、さらに成長すると、性転換してメスに変わるらしい。
メスになると全身がイエローに変わり、産卵を終えると一ヶ月くらいで死んでしまう、という説明書きを見て、切ない気持ちになった。

「では、あの『玩具』はオスだった、ということですね」

と慎一郎が耳元で囁くから、オレの顔はカァッと熱くなった。真っ赤になっていたかもしれない。

鼻先の変わった形と、波打つように動く背ビレを見て、腹の中がうずいて困った。

…やっと『後ろ』が治って、元に戻ってきたのに。



その後『ウツボ』のいる水槽も見てしまった。

狭い場所に隠れるのが好きなのだろう。
水槽の底に、筒状の長いものが3つ積み上げられていて、そこに3匹が仲良く並んで収まる姿は…案外…かわいかった。

慎一郎が『こちらへ』と手を引くから、その水槽の裏に回ると、筒からはみ出した尻尾が並んでいた。

ゆらゆら揺れながら筒を出入りする、少し気持ち悪い模様の太い尻尾。

その姿はまるで『あの夜』の……。

「っ……!」



おまけに、慎一郎がさっき撮ったという『フウセンウオ』の写真を見せられて、疼きが増した。

それは腹側にある吸盤を使って水槽に張り付いた姿だった。吸盤は円形で、あの『玩具』の1つを思い出させる形状だったのだ。

奥の壁にぢゅう、と吸い付かれた感覚がよみがえり、ブルっと震えが走る。


「……ばか」


誰もいないのをいいことに、2人でトイレの狭い個室を仲良く使うことになってしまった。




慎一郎は、カリフォルニアアシカが気に入ったようだった。

『エサをもらおうと飼育員に向ける必死な上目遣いが可愛いですね』とオレの頬や唇を撫でながら囁くから、何故か分からないが恥ずかしい気持ちになってしまった。




お昼になり、手の甲に透明のハンコを押してもらって外に出た。

それがあれば再入場できるらしい。
ブラックライトを当てると光って見える、特殊なインクなのだとか。







あの日、1人で時間を潰したベンチに、今日は慎一郎と2人で座っている。



……普通の、2段タイプの弁当箱だ。

いや、想像していた弁当箱とは違った。

サメのキャラクターが大きくプリントされたカラフルなフタ。キラキラ大きな目がかわいい。慎一郎も同じものを手に持っているのが、あまりに似合わなすぎて、思わず彼の写真を撮ってしまった。


だが、フタを開けて驚いた。

そこには『ハナヒゲウツボ』がいたのだ。

キャラ弁というのだろうか。

敷き詰められたご飯の上に見事なイラストが描かれていた。
薄く焼いたプレーンの卵焼きでイエローを、何かで着色したのかブルーの部分も綺麗に再現されていて、チーズと海苔でできたつぶらな瞳がかわいい。

「まさか、お前が作ったの?」

慎一郎が頷いた。


2段目には、

茹でたうずらの卵に、黒ゴマと海苔で顔が描かれた『アザラシ』。チーズのヒレもある。

唐揚げに、ニンジンのハサミと、チーズ海苔のつぶらな瞳が付けられた『ヤドカリ』。

なんとタコさんウインナーまで入っている。

ブロッコリーとミニトマトで野菜もバッチリ。


別添えの容器には、デザート。
皮に星…いや、ヒトデが彫られたクシ型のリンゴ。


全部かわいかった。その中でも特に、『ハナヒゲウツボ』の完成度の高さはプロ並みだし、『アザラシ』は黒ゴマの目が垂れていて、かなりかわいい。


「かわいすぎて、食べるのがもったいない…」


オレは何枚もいろんな角度から写真を撮った。


「すごい上手だ。…ありがとう、シン」


やばい。

赤いタコさんウインナーも、夢みたいだ。

こんなお弁当がずっと憧れだった。

慎一郎がオレのために早起きして、こんなすごいお弁当を作ってくれたなんて…。

嬉しすぎて涙が零れそうだ。

思わず青空を見上げて、目を閉じて、深呼吸した。

瞼の裏に焼きついた空は、あの日と違って、幸せな涙で滲んでいた。



「しかし、どうしてキャラ弁?」

泣きそうになったのを誤魔化すため、思わず早口になってしまった。

「『遠足』『手作り』『弁当』『水族館』で検索したら、このようなものがヒットしまして、それを参考にしました」

慎一郎が見せてくれたスマホの画面には、パプリカやハムを切り抜いたカラフルな魚、ペンギンのおにぎり、ご飯に描かれたクジラなどがたくさん映っていた。


『“お母さん”が“愛する息子”のために作った弁当』をイメージしているらしい。


「よし。このまま家に帰って冷凍保存しよう」

フタを閉めようとしたオレの手を、慎一郎が止めた。

「腐ってしまうので、すぐに召し上がってください」


『せっかく今日のために作ったのだから』、『また作りますから』と説得され、泣く泣く食べることになった。

……見た目だけじゃなく、味も本当においしかった。

『コレクション』する慎一郎の気持ちが、少しだけ分かった気がした。




「今度はオレが、慎一郎のことを想ってお弁当を作るね?」

ディックをイメージした犬のお弁当なんてどうだろう。

慎一郎が犬好きなのはわかっている。

スマホの写真フォルダに、ディックの写真がたくさん入っていること。
時々、わしわしと大きな頭を両手で撫でて、頬を緩めていることを、
オレは知っているんだ。


「ええ。…楽しみにしています」


慎一郎は微笑んで、オレに優しいキスをした。
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