狩猟小屋に飼われた青年

くろねこや

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ハンカチと刺繍 〜アルト視点

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行商の旅に出るプロキオと、村へ下りるギーウス。2人が乗った馬車を見送った朝。


自室で寝具を整えていると、

コンコン、と部屋の扉がノックされる。

「どうぞ」

僕が応えると顔を出したのはウルスだった。



「アルト。プロキオにハンカチを贈っただろう? 同じものはまだあるのかい?」


『宝石の粉を取り扱う際くれぐれも吸い込まないように』。

僕は“鼻や口を覆うための大判の布”として、1枚のハンカチをプロキオに渡していた。良質な布地にフォークス家の紋章が刺繍された特別な品だ。

あと、行商の際に“貴族っぽさ”をチラ見せして、こちらに有利な取引が出来ればいいな…なんてゲスい思惑もあったりする…。

だって王都で見たんだよ。貴族の紋章が入った袋から金貨をチラつかせて交渉してる高そうな服を着た男。それを目にした商人が急に揉み手をし始めてさ…。


…じゃなくて。

ハンカチの話だったよね。


「うん。まだたくさんあるけど」


僕の曽祖父様が考えたであろう“フォークス家の紋章”が入っているから、ウルスも欲しいのかな?

「あぁ、僕じゃないよ」

ウルスは僕の頭の中が読めるのだろうか?


「ヴェダとグードゥヤは君の大切な恋人たちだろう?」

「うん。…?」

「…もしかしてアルトは知らないのかい?」


なんと、貴族は求愛の際、自分の家の紋章が入ったハンカチを相手に渡す習慣があるんだって。


「…知らなかった」


貴族の子なら必ず通う“初等学校”にさえ行っていない僕は、そのことを知りようもなかったのだ。


「それなら早く渡した方がいい。彼らはその習慣を知らない筈だが、嬉しそうにポケットへしまうプロキオをヴェダが羨ましそうにじっと見ていたから」

ハンカチは、プロキオの服一式と一緒に昨日の夕方洗濯して、風通しがいいからって階段の手すりへ干しておいたんだよね。

ヴェダが近くを通るたび気にして見ていたのは知ってたんだ。

手すりへ干すのはいつものことなんだけど、プロキオの服って、洗っても独特の匂いがするから、それが気になって見てるのかなって…。


しまった!! また不安にさせてしまう!!


「ありがとう、ウルス!」

ウルスがくれる言葉はいつも正しい。


急いで棚をゴソゴソする。

持っていって早く渡そう。


王様に報告書を送ると、家から届いたお金。その他に、紙や鉛筆が同封されていたんだけど、毎回一緒に入っていたのがこのハンカチだった。


あ…、ウルスの視線がハンカチへ釘付けに…。

「…先に見る?」

「僕のことはいいから。早くヴェダとグードゥヤのところへ持っておいで。…ただ、後でゆっくり見せてくれると嬉しいな」







「…見事な刺繍だね」

大判の布を広げたウルスが感嘆の声を漏らした。




彼のお陰で2人を悲しませずに済んだ。

『『うれしい!』』

左右からギュッと抱きしめられて、幸せな時間だった。


『かっこいい、もよう』

階段の手すりに干しておいたハンカチを気にしていたのはヴェダだけではなかった。

グードゥヤは刺繍をお祖父さんから習っていただけあって、“家が受け継ぐ紋様”というものに興味があるようだった。

まぁ、うちの場合。隣国との戦争が終わった曽祖父様の代で平和的な紋章に変わったから、そんなに歴史が深い訳ではないのだけれど。




「ご両親は君に無関心だったと聞いた気がするけれど、お母様は君を大切に思っておられるようだ」

約束通り、僕は刺繍入りハンカチを手にウルスの部屋に来ていた。

「どういうこと?」

「君に姉妹はいないだろう?」

「うん。いないよ」

「ハンカチに家の紋章を刺繍できるのは、その家の女性だけだからだよ」

「え、そうなんだ」

てっきり王様からの贈り物かと思ってた。


「僕の“大嫌いな男その2”が、母親お手製のハンカチを何度も何度も何度も自慢しながら言っていたからおそらく間違いないと思うよ」

「大嫌いな男その2…」

そいつ、よっぽど鬱陶しかったんだろうな。ウルスの綺麗な鼻筋にシワが寄ってる…。

それにしても誰のことなんだろう。気になるけど訊いちゃだめかな?


ちなみに贈られた相手は、贈った方の家へ交際の挨拶に向かう際、そのハンカチを見える場所へ身につけるそうだ。例えば首に巻くとか胸ポケットに入れておく、とか。

で、それを見た家の女性がその人物を見定めて、オッケーを出せばそのまま婚約から婚姻まで進められるらしい。


…本当に母様が縫ってくれたのかな?

侍女のマーサじゃなくて?


決して僕に向けられることのない視線。


兄たちの誰かが結婚して、その相手が気を遣って縫ってくれた…とか?


「信じられない、という顔だね。だがこの繊細な模様……刺した針ひとつひとつに、君への愛情を感じるよ」

ウルスがくれる言葉はいつも正しい。


「…うん。ウルスがそう言ってくれるなら、これは“母から僕への気持ち”なんだと信じてみる」


ギーウスが言ってくれたことを思い出す。

『将来のお前が家に執着しないように。お前を親が手放せるように。…それで距離を置いたのかもしれん』


母様、それでも僕は。

あなたに目を向けて欲しかった。

頭を撫でて、抱きしめて欲しかった。


「あぁ。君の母様は、君のことを愛しているよ。大丈夫…」

ウルスはハンカチを僕の手に握らせると、優しく抱きしめ、頭を撫でてくれた。


「…うん。ありがとう、ウルス」

ぽろっと零れた涙は、彼の胸に吸い取られて消えた。





「本当は『僕も欲しい』と言いたいところだけれどね。アルト…」

そう小さく呟いたウルスの言葉は、部屋を出てドアを閉める瞬間、僕の耳に届いた。



家の紋章が入ったハンカチかぁ。


彼は“大嫌いな男その2”に、“ハンカチを自慢された”と言っていた。

つまりウルスは、“家のハンカチを持っていない”ということになる。


“アルク”と王様を愛称で呼んだから、たぶんウルスは高位貴族。なのにハンカチを持っていないのは妙だ。

母様や姉妹がいなかったのかな?


僕はウルスの家族について何も知らない。

せめて彼の家名が分かったらなぁ。

代わりに僕がハンカチへ刺繍してあげるのに……って、女性じゃないとダメか。


リボンが入っていた“鍵箱”。あれを開いたあの日から、彼の“心の壁”のようなものが薄くなった気がした。

“貴族的な微笑み”じゃない、彼のいろんな表情を見せてくれるようになったんだ。


『ドライアッド男爵領の土産物なんだ』って、あれと似た木箱を僕に見せてくれたのは、彫金を教えてくれた職人のお兄さんだった。

器用なお兄さんの手の中でみるみる形を変えていく木の細工が面白かったからよく覚えてる。実際に触らせてもらったし。


で、ドライアッド男爵領にゆかりのある“リボンが入った鍵箱”は、たぶんウルスが誰かにもらった物だろう。

ただ、あれが“鍵箱”だって知らなかったみたいなんだよね。

それに、開けた時にコロンと出てきた小さな手紙が気になる…。“秘密にしたいほど大事な何か”が書かれていた?

あの後、ウルスの瞼が赤く腫れていて…。



あぁ、いけない!

いつかウルスが話してくれるまで待とう。


彼の秘密を暴こうとするなんて、もう絶対にしないって決めたんだ。

崖の下で見た、彼の悲しい顔を二度と見たくないからね。



ヴェダとグードゥヤが許してくれたら、ウルスにも僕のハンカチを渡してみようか。

彼は曽祖父様のことが好きだし、うちの紋章も好きみたいだし。

“貴族が求愛する時に渡す”って言ってたけど、プロキオに渡しちゃったから今さらだよね。

渡す時に求愛しなきゃいいんだよ、たぶん。


あれ?

僕、さっきヴェダとグードゥヤにハンカチを渡す時、ちゃんと“求愛”した?

ん?

して…ないな?

わー!! すぐ2人に“好きだ”、“愛してる”って伝えなきゃ!!

そういえば、“いつか一緒に天上の大草原を見に行きたい”ってまだ伝えてない…。

…バカだなぁ、僕。



改めて今夜2人にちゃんと伝えよう。

そう心に決めた。
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