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記憶と小箱 〜???視点 (後編)

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何故公爵家の人間であった私がこうした知識を持っていたのか。

それは、母の幼なじみであった男が屋敷で私の協力者となってくれたからだ。

厨房で働く料理人の1人。

ニッと歯を見せて笑うその無精髭の男は、曖昧な微笑みしか浮かべない他の使用人たちとは異なり、人間らしくてとても好ましかった。

かつては『狩人』として母の故郷、ドライアッド男爵領の森を守っていたらしいが、母がこの屋敷へ連れて来られた際、護衛となって付いてきたのだという。

どうやったのか手段は分からないが、そのまま屋敷へ入り込んでいたのだ。


おそらく男は母を愛していたのだろう。


彼は私が子どもの頃から、様々な知識を与えてくれた。

外の世界のこと。

綺麗な話から汚い話まで。

それこそ変態ジジイに襲われた時の身の守り方であったり、今夜のような事態を想定した“生き残るための対策法”であったり。

『持っていろ』と、刃物の類や金も渡してくれた。公爵家と紐付けられておらず父に監視されないそれらは貴重で、心強い助けとなった。

“強い酒”を提供してくれたのも彼だった。


本当に彼があの屋敷から救い出したかったのは、私ではなく母の方だったのかもしれない。

だが母が逃げ出せば、醜悪な父のことだ。母の生家である男爵家へ、そのとがを負わせるだろう。

それでも…もし義母が『母の殺害』を目論もくろんだなら、彼は命懸けで自身が愛する者を救い出すに違いない。


彼が私の父親なら良かったのに。

『公爵家の次男』などではなく、彼のように何でも知っている格好いい男…『狩人』として生きることができたら…。

幼い頃よりずっと、私は心の底からそう思っていた。




空が白み始めた。

保存食の干し肉を朝食代わりにし、木の上から静かに降りると、凝り固まった身体をゆっくり伸ばしてほぐす。

何の準備もない状況で冷えた地面へ直接座るよりは木の上の方が幾分まし・・であったが、やはり今日の夜は地均じならしをして火を起こすことに決めた。


道へ戻ると、明るい空の方向へ歩き始める。

馬車が走って来た方角は太陽と月が教えてくれた。

この先向かうべき村の位置は、頭の中にある地図が示している。





『ギーウス』という狩人の男と出会ったのは、それから12日後のことだ。

気が付けば私は14歳になっていた。


『行く場所がない』と言うと、男はちょうど麓の村から山にある狩猟小屋へ居を移すところだったらしく『一緒に行くか?』と誘いを受けた。

『狩人』に憧れていた私は、一も二もなく頷いた。


すっかり失念していたが、男に注意されて、私は自分の名前を短いものに、一人称を『僕』へ改めることにした。

こうして人に教えたがるのは『狩人』の特性なのだろうか。


そういえば王都で庶民のふりをする時も、あの厨房の男から似たような注意を受けた。

世話好きのギーウスは、どうしても彼のことを思い出させる。





けろ!!」

小屋に住み始めて3ヶ月ほど経った頃。

猪の突進を受けた僕は、アルクルが叫んだ声に身体を動かされ、横に避けて斜面を転がった。

だが落ちてきた石に顔を強打し、光の星が出るような衝撃と痛みに襲われた。

鼻の下から上唇、口の中に酷い出血。



『歩ける』と言ったのに無理矢理ギーウスに背負われて狩猟小屋へ戻った。


「…せっかくの綺麗な顔が…」

鍋で熱してから冷ました水を使って、ミザールが僕の傷を洗ってくれる。


「だいじょうぶ?」

小さなヴェダも痛そうにこちらを見ている。


「どれ、見せてみろ……ッ!!!」

僕の顔を見たギーウスは、

「ウルス……ッ、おま…ッ…それッ…、」

大きな身体をぶるぶると震わせた後、

「ぷッ…!…わりィ…、ぷッははははは!!!」

思い切り吹き出した。

謝りながらも堪えきれず、ひーひー腹を抱えて涙まで浮かべた男の笑い声。


猪を解体し終えて小屋へ戻ったアルクルによると、僕の唇は腫れ上がり、前歯が欠けている間抜けな状態らしい。


その何の含みも感じられないギーウスの笑い声に、痛みに耐えていた筈の僕も何故か愉快な気分になり、ようやく心の底から笑うことが出来たのだった。







「…あれ? これって…、」

僕が渡した木箱を見て、アルトが首を傾げる。




今は亡きミザールも含め、僕たち8人が並ぶ見事な絵を描き上げた彼が突然、『やっぱりウルスの長い髪、リボンで束ねたところも見てみたいなぁ』と言い出した。

「この小屋にリボンなど…」

『ない』と言いかけたところで、

ふと、“ある木箱”の存在を思い出したのだ。


家から出されたあの後、荷物の底から“入れた覚えのない小さな箱”を見つけた。

手のひらに載るほどの大きさ。立方体をしたシンプルな木製の箱だ。

ヤスリで丁寧に磨き上げ、艶だし液を塗ったと思われる表面は、つるりとしてとても手触りが良い。飴色に輝いており、古いが大切にされてきたのが分かる美しい品だった。

パカッと開いた中には赤ワイン色のリボンが1巻き入っていた。


僕があの荷物・・・・を準備していたことを知っていたのは、厨房にいたあの男のみ。

だが、彼は小箱やリボンとイメージが結びつかない。

やはり母から自分への贈り物だと考えるのが正しいように思えた。

木などに引っ掛かけやすいリボンは狩りの邪魔になる。既に髪は革紐で結ぶようにしており、使い途のないこの箱は部屋の飾りと化していたのだが…。




「これ、ドライアッド男爵領の土産物……たぶん“鍵箱”じゃないかな?」

ドライアッド男爵領? 母の故郷だ。

アルトはこれを知っているらしい。


「これ、少しいじっていい?」

と言う彼に頷き、箱を手渡す。


「…たぶん…、ここらへん」

驚いた。

表面には凹凸など見えなかったというのに、アルトが箱の一部分だけを押すとパーツが上に飛び出してきたからだ。

そこからまた違う部分を押してスライドさせると、別のパーツが飛び出す。

「こんな感じなんだけど…、ウルスやってみる?」

パズルのようで面白そうだと思ったが、また後でやればいいだろう。アルトの指先が器用に動くのを見ていたい気がして首を横に振る。


彼の手の中で、箱の形が変わっていく。


「…んで、これで完成」

まるで鉱石の結晶柱が集まったような形。

アルトが指先で側面を“トン”と叩くと、手のひらへ筒状に丸められた小さな紙が落ちた。


「…手紙…かなぁ」

アルトは僕に紙と“鍵箱”を渡すと、

「この箱に隠すってことは、たぶん大事なものだと思う。…それじゃあ僕は食堂に戻っているね」

と言って、急いで部屋を出て行ってしまった。


パズルのような仕掛けを解いた、その成果。

その手紙の内容を知りたいはずなのに。


彼のそういうところを僕は気に入っている。

…筈だったが、僅かに寂しさや心細さのようなものを覚えて思わず苦笑いが溢れた。


さすが、僕の親友が恋した相手だ。

あの通路・・・・が変わらず残っているのであれば、君と彼が再会できるよう手伝ってあげたい。…そう思っていたのだけれどね…。




気を取り直して、小さく巻かれた紙を開いてみる。

そこにはびっしりと詰められた細かな文字。



「…!!」

最初の一文に、息が止まる。



『私の大切な子へ。』

そう書かれていたからだ。



『私の大切な子へ。あなたの父親はあのクズじゃないから安心してね。アイツ、『あなたの子よ』って言ったら簡単に信じるんだもの。迷惑料代わりにあなたを育ててもらいました。本当のお父さんから生きる術をいろいろ教わったみたいで安心半分、不安半分だわ。悪いこと、教わらなかった?あなたの無事を母さんは信じてる。愛してるわ』


「…っ!!!!」

読み終わった僕は、思わず口を手で覆っていた。

感情のままに叫び出してしまいそうだったからだ。


僕の本当の父は、厨房で働いていたあの人!

あの醜悪な男の血を、僕は継いでいなかった!

あの男の弟などではなかった!

これほど嬉しいことがあるだろうか!!


母は、幼なじみの男から僕の話を聞いていたのかもしれない。

だからこそ、僕が屋敷から追い出される準備をしていたことに気付いていたのだ。

具体的な名前が何も記されていないのは、万が一誰かにこの手紙を見られてしまった場合を考えてのことだろう。


メイドとして控えめに微笑みながら立つ母の姿しか見たことがなかった。

その儚げな美貌から、勝手に弱い女性だと思い込んでいた。


“慰謝料”ではなく、“迷惑料”。

おそらく母は、あの日の僕と同じようにジジイを撃退しているのだ。

『自分の子ではない』と分かれば、おそらく僕は生まれる前に殺されていただろう。


こんなにしたたかで、魅力的な人だったとは…。

狩人だったあの男が、元の仕事と故郷を捨ててまで側にいたがる理由が分かった気がした。


約14年前に別れた、2人の顔を思い出す。

大人しげに見えていたあの人が、厨房を任されたあの男と同じ顔をして笑っているのを想像したら…、

「あぁ。僕も…愛してるよ。母さん、…父さん」

何故だかとてもおかしくて、

ぽろぽろと涙が零れ落ちていくのだった。





アルトイール。

君がここに来てくれてよかった。


僕たちに欠けていたものを、君は与えてくれた。

僕には出来なかったことを、君はたった1年で解決してみせてくれた。

ミザールと共に失われていた笑顔を僕たちに取り戻してくれた。


あぁ。君は僕の親友…アルクトゥールスのことも助けていたね。



ありがとう。

君に会えてよかった。


温かい君を抱いて眠る夜は、とてもよく眠れるんだ。

君の髪を胸に感じて目覚める朝は、少しくすぐったくて思わず唇がほころんでしまうよ。


『今夜も僕を選んで』。

そう言葉にしてしまいそうになる。


君の“恋人”はヴェダ1人。


それでも君は僕たちを“家族”と思ってくれているのだろう。

差し詰め、僕の役割は“兄”といったところだろうか。


君が望むものに、僕はなってみせよう。
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