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第77話儚き夢

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 夢を見た。
 あやふやで、不確かで、朧げなもの。
 そこは小さな農場だった。そこには3人の家族がいた。その内の1人に北條はなっていた。

「————」

 北條は部屋の中にある椅子に腰かけていた。小さな部屋だ。隅には棚があり、書物やら何やらが入っている。
 その反対の壁を見れば一丁の銃が壁に飾ってあった。北條が見たこともない種類の銃器だ。だが、到底吸血鬼を殺せそうにないほど貧弱な物だった。
 それを手に取るのは男だ。
 しかし、顔が見えない。何を言っているのかも聞こえない。何やら興奮している様子だ。

「——————?」

 だが、北條もそれに答えた。言葉も分からないのに会話が成立していく。
 暫くして、男が落ち着き、銃を壁に戻す。それからは穏やかな時間が続いた。
 訳の分からない文字で書かれた本。加賀が持っているような絵が描かれているようなものではなく、ビッシリと小さな文字が大量に書かれている。
 他にも見たことのない動物達がいた。
 ワンワンと叫ぶ動物に、毛だらけの動物。角を持った動物に、短い脚に丸々とした体の動物もいた。
 ほんの少し歩けば動力などないのに水が流れており、映像ではない本物の草木があった。
 そして、空を見上げれば——そこには巨大な光があった。
 白く、眩しく、それでいて温かな光。
 残念ながらそれを目にしたのは一瞬だ。視線は下にいき、足にしがみついていた朱い目少年へと移った。

「————」

 その少年の頭を撫で、何かを呟き————




 ————意識が浮上する。
 ぼんやりとした頭が次第に冴えていき、周囲に見える光景が鮮明になっていく。

「何だ。さっきの——」

 ボソリと呟く。
 夢だった。夢だと言うことは分かった。だが、夢にしては具体的だったと感じた。

「まぁ、良いか」

 気になりはする。気になりはするが、もう北條自身その夢がどういったものなのか詳しく思い出せないでいた。
 ならば、もうどうしようもない。そもそも夢なんてそんなものだろうと思い、北條は体を起こそうとする。
 起こそうとして、周囲の光景にようやく気付く。
 必要最低限の灯りしかなく、簡易ベッドが綺麗に並ぶ光景。それを見て、ここがいつもお世話になっている支部の医療室だと分かる。
 そして、隣にはパイプ椅子に座った加賀が漫画を読んでいた。

「お——よう、北條。起きたか」

 視線を向けると北條が目を覚ましたことに気付いた加賀が、漫画を片手に挨拶をしてくる。

「おはよう」
「おはようさん。どうだ、気分は?」
「…………それほど、悪くないと思う」
「そうかそうか。それは良かった。なら俺はお前が起きたことを報告してくるよ」

 そう口にするや否や加賀は椅子から立ち上がり、扉を開けて行ってしまう。北條が止める暇もなかった。
 北條が自分の体を見下ろす。
 地獄壺でそうとうな戦いを潜り抜けたにも拘らず、五体満足な体がそこにあった。

「ルスヴン。起きてるか?」

 自分が寝ている間に何かがあったのだろう。そう思って何が起こったのか聞こうとルスヴンの名を呼ぶ。返事はすぐに返って来た。

『起きたか。宿主マスター
「あぁ、おはよう……って言っていい時間なのかな?」

 苦笑いを作る北條にルスヴンは笑って答える。

『残念ながら合ってるよ。もう朝さ』
「————? そうか。それよりも、俺がこうなった理由を話して欲しいんだけど」
『何だ。覚えてないのか?』

 不思議そうにルスヴンが尋ねてくる。
 北條が何も覚えていないことを説明すると、ルスヴンは大様に何があったのかを説明した。

『あの時、宿主がペナンガランに飛び掛かった所までは覚えておるな?』
「あぁ」
『その後、あの胸のデカい小娘が体勢を立て直して——』
「待ってくれ。胸のデカい小娘ってもしかして朝霧さんのことか?」
『そうだ』
「…………」

 思わず、北條は固まる。
 確かに朝霧の胸はデカい。朝霧と初めて顔を合わせた時に加賀が「デカアアァイ!! 説明不要!!」などと言ってぶん殴られたのは過去のことだ。
 北條も意識をしないようにはしているが、あの大きさに目がいかないかと言われれば否と答えるしかない。特に、朝霧が腕を組んでいる時は特に。
 それでも朝霧は怖い。訓練で毎日血反吐を吐くまでボコボコにされているのだ。
 ルスヴンが強いのも分かるが、朝霧をそう呼んでいるのに戦慄し、思わず言葉を失う。

「ル、ルスヴン……取り敢えず、その呼び方は止めよう。固有名詞はちゃんとした方が良い」
『ム——』
「ほら、ルスヴンが分かってても、俺が分からない時があるだろ? そしたら何度も説明し続けなきゃいけないからさ」
『…………仕方あるまい。では、怪力小娘と呼ぼう』

 頑として名前を口にしないルスヴン。朝霧を裏でこのように呼んでいるのは北條にとっては恐怖でしかないが、ルスヴンは気にしなかった。
 何があったのかを淡々と語っていく。

 朝霧が体勢を立て直し、ペナンガランに一撃を加えたこと。その一撃は王撃と呼ばれていたこと。北條はその一撃によって生じた衝撃波で吹き飛ばされたこと。そのせいで気を失い、崩れる瓦礫に押し潰される所をルスヴンが助けたこと。その後に結城によって介抱されるまで瓦礫の中をウロウロとしていたこと。そして、傷は全て真原の治癒能力で治されたこと。

「そうだったのか。また助けられたな」
『構わぬ。あの状況では仕方がなかったことだ。何より、宿主の行動でレジスタンスはペナンガランを討てたのだ。むしろ、誇るが良い』

 あの行動は無謀ではあったが、無駄ではなかった。そう聞いて北條は胸の中から込み上げるものを感じた。
 誰よりも強いと思っているルスヴンに褒められる。それが嬉しかったのだ。
 その結果、北條は調子に乗った。

「そっか~。ペナンガランの討伐功績に俺の名前が載っちゃう感じ? 胸を張っていい感じですか? もう天狗になっちゃっても良いかなぁ!?」
『ハッハッハ。まぁ良かろう』
「おー!! ルスヴンさんから許可頂きました!! 後出しでやっぱお前は自重を覚えろとか言ってもなしだからね!! 俺調子に乗っちゃうからね!!」
『ハッハッハッ』

 イエーイ!!とベッドから跳ね起き、飛び跳ねて調子に乗りまくる北條。ルスヴンも抑えるどころか煽って来るので気分は鰻登りだ。
 金欠なのも忘れて豪遊しちゃえ!!とほざきまくる北條に褒め称えるルスヴン。
 もしかして、上級吸血鬼を倒した報酬として特別報酬とか出ちゃうのかな~などと北條が思っていると、ルスヴンの空気が変わる。

『まぁ、の話だがな』
「……ねぇ、後出しはしないって言ったよね?」
『承諾した覚えはないな』

 呆気からんとしたルスヴンの態度に北條の胸に不安が過る。思い出したのは北條が目を覚ました時に開口一番ルスヴンが口にした言葉。
 ——残念ながら、合ってるよ。もう朝だ。

 頭がボンヤリとしていて意味を理解できなかったが、今思えば、まるでこの時間帯に目を覚ましたことに同情しているように思える。
 続けて脳裏に過ったのは、目が覚めたことに気付いた加賀の表情。そう、あれは足を掴んで引き摺り下ろそうとする悪魔の笑みだった。

「(不味い。具体的に何が起こるのかは分かんないけど——なんか、なんか命にかかわるようなことが起こりそうな気がする!!)」

 ここにいたら碌なことにはならないだろうと、確信もないのにそう思ってしまった。
 ベッドから起き上がり、この場から逃げ出そうとする。家に帰ろう。そうすれば小さくも可愛らしい管理人さんと暖かいベッドが迎えてくれるはずだと信じて——。

「ほう、もう動けるのか。なら加減をする必要はないな」

 だが、それは完全に悪手だった。
 ドアを開け放った先にいたのは朝霧友梨。ペナンガランとの戦いで大きな火傷傷を負ったはずの彼女は、真原の治癒能力によって翌日には全力で動けるまでに回復していた。
 いつもの黒の軍服に身を包み、両腕を組んだ姿で仁王立ちしている。
 両腕を組んだことで大きな胸が強調されるが、北條の視線はそこにはいかなかった。何故か?——怖いからである。
 朝霧の後ろには生贄が出来たと喜ぶ加賀と悲痛な表情を浮かべた結城がいる。
 その2人の表情を見て察する。

「もしかして、折檻ですか?」
「その通りだ」
「……もしかして、ボッコボコにされたりします?」
「それはお前の努力次第だ」
「…………もしかして、朝から晩までフルコースですか?」
「それでも尚足りないな」

 北條は今更ながらに思い出す。
 そう。北條達は命令無視をして地獄壺に赴いた。任務外での異能、武器の行使は緊急時以外禁じられている。
 例え、北條が命を救っていようとも関係ない。良いだろうと笑顔で許す者もいるかもしれないが、朝霧にとっては関係ない。
 目の前から発せられる怒りのオーラに気圧され、北條は一目散に逃げだした。

「ほ、北條!?」
「逃げたぞ!! 贄が逃げた!!」

 結城の悲鳴と加賀の叫びが聞こえてくる。
 これから何が起こるか北條も分かっていた。だが、逃げずにはいられなかった。今の北條ならば仲間を置いて敵前逃亡することに躊躇いはない。

「馬鹿野郎!! こんな所で死ぬつもりか!?」
「逃げんじゃねぇ俺達と一緒に死ねぇ!!」
「それどっちにしたって死ぬじゃねぇか!? 俺は生きる望みを捨てないぞォ!!」

 北條自身支離滅裂なことを言いながら必死に足を動かす。後ろから殺気が膨れ上がるのを感じた。
 そして、振り返ってしまう。恐ろしさのあまり、見てはいけないと思いながらも見てしまった。
 ————後に、北條はこの時のことをこう語った。







「追いかけて来る朝霧さんの顔はペナンガランと遜色なかった」——と。

 ペナンガランの討伐で皆ハッピーエンド。そんな儚き夢などあるはずがなかった。
 その後、北條は呆気なく捕まり、1週間かけて朝霧による究極の折檻コースを味わうのだった。
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