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第21話かつての世界

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「おぉっ——すごいな」

 立体緑園のドームの入口で受付を済ませた北條達は、ようやく立体緑園の中に足を踏み入れていた。
 鞄を手に持ち、暗い通路を歩き、立体緑園の一番の見せ場でもある植物園に足を踏み入れると北條は思わず、感嘆の声を上げる。

 そこは正に別世界。見飽きたと言ってもいいネオンとコンクリートの光景とは全く別の草木が生い茂る野生の宝庫。
 空は闇に覆われておらず、碧く澄み渡り、小さな動物達が枝を伝って移動している。入場料として馬鹿高い金額を払っただけに見合う価値がそこにはあった。
 街にいては見ることができないその光景に北條は息をすることも忘れて佇んでしまう。

宿主マスター。おい!! さっさと歩け』
「(え? あ、あぁ!!)」

 数秒か、それとも数十秒か。目の前の光景に呆気に取られていた北條がルスヴンの声に我に返る。後ろにいた観光客から冷たい視線を浴びせられ、身を縮ませながら北條は先に進んでいた加賀の隣へと早足で移動する。
 加賀も北條を忘れるほど目の前の光景に入り込んでいるのか、いつもより口数が少なかった。
 歩きながらキョロキョロと辺りに視線を向けながら、ルスヴンへと尋ねる。

「(すごいな。これが前の世界にあったものか。アレって何の生き物なんだ? 凄くちっちゃくて可愛いんだけど)」
『あぁ、二ホンリスだな。第二次世界大戦以前は食料として捕獲されていたようだ』
「(へぇ、美味いのか?)」
『知らぬ。吸血鬼は人間しか食料とせんからな』
「(そ、そうでしたね)」

 あっさりと口にする事実に北條は言葉が詰まる。
 自分の中にいる存在がどういったのものなのかを改めて実感する。気さくに話しかけたり、アドバイスをくれたりするが彼女も吸血鬼なのだ。
 かつて、北條が興味本位で他の者を食べられないのかと聞いた時、ルスヴンは吸血鬼は人間の血しか美味いと感じることはないと答えた。
 犬ではだめだった。猫は泥の味がした。鳥は味が薄かった。牛や豚は食えたものではなかった。人間の料理を上手いと感じた時は、北條に憑依し、人間の味覚を共有できるようになった時だけ。吸血鬼すらも支配できる力を持っていた彼女は同胞に試したことを何でもないかのように軽く語ったのを思い出す。
 どうでもいいと思っていたのか、それとも割り切っていたのか。どちらかは分からない。だが、彼女も冷酷なことはできるのだと認識を改める。同時に北條は嫌悪感が湧き出る。

「(…………なぁ、ルスヴン)」
『ん? どうした?』
「(…………………………………………………………………………………………いや、何でもない)」
『何だそれは……』

 人間も襲ったことがあるか。と出かけた言葉を呑み込む。
 人間以外は美味いと感じたことはないというぐらいだ。恐らくは襲ったことはあるだろうと予想はつく。だが、それを想像することが嫌だと感じる自分がいた。
 呼びかけた癖に何でもないと答える北條にルスヴンが疑問を浮かべる。しかし、何の心当たりもない彼女には北條が何を聞きたかったのか思いつくはずがなかった。

「(それにしても、ここは、何というかいい気分になれるな。楽しいって感じじゃないのに、何でだろ?)」

 間が空き、妙に居た堪れなくなった北條が話題を切り替える。
 対してルスヴンは特に気にしていなかったのか話に乗ってくる。

『それは森林セラピーの影響だろうな』
「(森林セラピー? 何それ?)」
『まぁ、お主達には縁のない言葉よな』

 無理もないとルスヴンが息を吐く。
 北條には見えないが、何故か頭を軽く抱えて呆れた様子をしているのが想像できた。

『森林セラピーというのはだな……まぁ、要するに森林浴のことだ。人間は木々の中に立っているだけで心を癒し、体を健康にできるようだからな』
「(え? そうなの? それだけで?)」
『疑うのも無理はないが、少なくとも宿主は街にいる時よりは余裕を持てているはずではないか?』
「(……言われてみれば、確かに)」

 ルスヴンに言われて自分の精神状況を確認する。
 確かに、コンクリートと電子の音や光に包まれている街の中よりもここの方が落ち着くように思えた。

『宿主、目を閉じて耳を澄ましてみろ』
「(? 何でだ?)」
『いいから、早く』

 ルスヴンに急かされるがまま、北條は目を閉じて意識を耳に集中する。
 すると、聴覚による情報収集が大きくなったことで、これまで気にしていなかったことまで耳に届くようになる。
 一番最初に届いたのは小鳥の囀り。次に聞こえてきたのは落ち葉を踏む足音。最後に遠く離れる川の流れ。

「(————)」
『…………』

 街の中では絶対に味わえない環境に思わず北條は溺れる。
 全ては偽物だ。頬を撫でる風も、優しい匂いも。心地の良い囀りさえも。だが、ここは魔法とも言ってもいい領域にある科学の産物。かつての世界の人間達が本物と変わらないまでに再現した作り物の庭。人間の五感ならば簡単に騙せてしまえるほどのものだ。

 これが外の世界。かつての世界に当然のようにあったもの。そして、今はなくなってしまったもの。
 自身の中から何かが込み上げてくる。
 それは興奮なのか、悲しみなのか、感動なのかは分からなかった。それを言葉にできるほど北條は賢くはない。
 けれど————。

「あぁ、いいなぁ」

 瞼を開けた後、清々しい気分になったのは事実だ。
 息を漏らし、視線を上げる。視界に映ったのは、映像によって作り出された自然の木々。
 本物ではないものの、限りなく本物に近づいた贋作で心を癒された北條は、周囲を見渡しながらルスヴンへと尋ねる。

「(なぁ、外の世界って今どんな感じなのか分かるか?)」
『さぁな。余は宿主の体から出られる訳ではないからな。異能を使えば……いや、無理だな。闇の帳を下ろしたのが吸血鬼の力ならば今の余の力では無理だ。予想ならばできるが、聞くか?』
「(頼む)」
『ふむ。そうだな。吸血鬼の数は少ないからこの街のようなものが大量にあるとは考えられん。あったとしても、かつての国家に1つあるかないかぐらいだ。だから、終末世界のようになっているだろうな。人間の手が入らなくなった場所は植物が成長するし、そのせいで建造物も破壊されるから、もう瓦礫しか残っていないと思うぞ。人間が飼っていた動物達も野生化して今では、弱肉強食の自然のルールに従っているかもしれん』
「(まぁ、人がいなくなればそうなるか)」

 植物はこの街では見かけない。見かけたとしてもそれは人工物か映像かのどちらかだ。しかし、想像することはできる。掃除と同じだ。人の手が入らない所にゴミが溜まるのと同じように、植物も人の手が入らなければ、勝手に生えてくるのだろうと考える。
 予想通りだとばかりに納得する北條。そんな様子を見たルスヴンがニヤリと笑みを浮かべて語り掛ける。

『だが、もしかしたら外に逃れていた人間達が馬鹿なことをしているかもしれないぞ?』
「(え、人間ってまだ外の世界で生き残っているのか?)」
『分からない。だが、生き残っている可能性もあるという話だ』
「(へぇ、だとしたらどういう生活してるんだろうな)」

 外に人間がいる可能性がある。これまで人間は全員捕まったものだと考えていたが。ルスヴンがそう言うのならばその可能性もあるのだろうと思い、外の世界を思い浮かべる。
 この立体緑園の中のような緑に溢れた場所でどういった生活をしているのだろうか。金といった概念はあるのか。家はやはり木造の家なのか。食事は何を食べているのか。様々なことを思い浮かべる。
 すると、そんな北條の考えを呼んだのかルスヴンが口を挟む。

『言っておくが、それほど穏やかな生活は送っていないと思うぞ』
「(どうしてだ? 吸血鬼達は外にいないんだろ?)」

 支配者である吸血鬼がいないのならば、安心して暮らせる。そう考えている北條が怪訝な顔をする。
 ルスヴンがその様子を見て溜息をつきそうになるが、かつての世界を知らない北條ならば、仕方がないかと考えると口を開く。

『言っただろう? 馬鹿なことをしているかもと。確かに吸血鬼はいない。夜に外に出る吸血鬼もいるかもしれんが、帳からそう離れることはないだろう。だから、外にいる人間は吸血鬼に滅多なことでは遭遇しないだろう。だがな、支配されていないからと言って、争いが無くなる訳じゃないんだよ。もし、隣の奴が自分よりもいい場所に住んでいて、いいものを食べていたら……どうなるか分かるだろ?』
「(それは、まぁ)」

 分かりやすい例えだ。隣の人間が自分よりも恵まれているとしたら、普通の人間は嫉妬する。この街の人間だってそういうことで小競り合いになることは多い。だが、その騒ぎが大きくなることはない。何故なら、目立てば吸血鬼達の目に留まるかもと誰もが考えているからだ。
 もし、抑えつける支配者がいなくなったら。そう考えて、外の人間達のことを考えて渋い顔をする。

「(そう上手くは行かないか)」
『そうだな。この街で人間同士の争いが少ないのは同族よりも恐ろしい種族がいるからと分かっているからだろう。頭を抑えつける者がいなくなれば、抑えられていた種族が今度の支配者層になるのは自然の摂理だ。最も、かつてはそう思わせていただけだがな』
「(……はぁ)」
『クククッ——外の世界が理想と違って残念か? では、加えてもう1つ』
「(…………何だよ)」

 外の世界がこの立体緑園のように穏やかではないかもしれない。そう思わされて肩を落とす北條にルスヴンは喉を鳴らして笑い、新たな情報を与えようとする。

『今回の任務にも関係あることだが、もし、外の連中が生きているとしたら、確実に対吸血鬼用装備をしているだろうな』
「(は? 対吸血鬼用装備? 何でそんなものを……)」
『吸血鬼用の装備は強力だからな。他の兵器よりも。だからだろうな』
「(俺達が着てる戦闘衣バトルスーツみたいなやつを外の奴らも持ってんのか)」
『いや、確かにあれも広く捉えれば専用装備と言っていいのだが、直接戦闘を視野にいれたものに比べれば、あまり大したものとは言えんぞ』
「(マジか……)」

 自分が戦闘時に身に着けている戦闘衣があまり大したものではないと言われて北條は驚愕する。防弾に加え、身体能力まで大幅に強化してくれるというのに、それ以上の性能が戦闘用装備にはある。それを身に付ければ、どういった力が手に入るのか。
 北條はそれを作り出したかつての世界の科学力に冷や汗を流す。

「(直接戦闘用ってどれぐらいの強さなんだ?)」
『そうだな。余もそれほど詳しくはないが……。取り敢えず、身に付ければ下級吸血鬼が100体いても問題なく片付けられるな』
「(……すごいな)」

 下級吸血鬼は一番弱い個体だ。しかし、それでも力は成人の男性を上回る。戦闘衣を着た北條達でも囲まれれば一方的に殺されてしまう数だ。それをたった1人でも問題ないと聞かされて一体どんな装備なのか北條は想像する。

「(一体どんな武装があるんだよ)」
『そこまではな。余は科学者ではないし、目にしたことはあるがそれを解説しろと言われても無理だぞ?』
「(そうだけど。目にしたことはあるんだろ? どんな形だったとかも分からないのか?)」
『ふむ…………そうだな。一番覚えているのは、ミサイルを背負った男に周囲を電気の壁で覆った男だな』
「(は? ミサイルを背負う? 電気の壁? それってどういうこと?)」
『知らんと言っただろう。そういった細かいことは専門家にでも聞け』

 素直に答えたにも拘らず自分の発言に疑惑を持たれたことに機嫌を悪くするルスヴン。声色でそれを感じ取った北條は慌てて謝罪の言葉を口にして、言い訳を行う。

「(ゴメンって。その、常識を疑うなような言葉だったから……ルスヴンをないがしろにした訳じゃないんだよ)」
『どうだかなぁ』
「(ごめん。本当に……な? 何でもするからさ?)」

 謝罪を口にしても機嫌が直っていないルスヴンに北條が再び謝罪を口にし、機嫌を取ろうとする。すると。

『ほう、何でもする——と言ったな?』
「(え、あ————…………はい)」

 現地は取ったとばかりにあくどい笑み——北條からは見えないので予想でしかないが——を浮かべたルスヴン。一瞬遅れて自分の不手際に北條は気付くがもう遅い。口に出した言葉は戻せるはずがなく、ルスヴンの機嫌を損ねる訳にはいかないため、力なく頷くしかなかった。
 現地を取ったルスヴンが先程の不機嫌さを感じさせない楽し気な声で望みを口にする。

『では、とびっきりの甘いものを用意して貰おう。勿論それも余が選ぶ。宿主ではまた詐欺にあうかもしれんからな』

 やはりそうか。と予想できていた財布の中身が薄くなるであろう答えに北條はがっくりと肩を落とした。
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