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2023/02/20 BGM: R.E.M. - Man On The Moon
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今日は遅番だった。朝、パット・メセニーを聴きながら片岡義男『日本語の外へ』を読み進める。片岡義男が展開する議論は手堅く理知的で、スリリングでもあるので読んでいて惹き込まれてしまう。湾岸戦争について触れられたくだりを読み、「今」戦争が起きていたら自分はどんなロジックで対応するか考える。いや、自分はしょせん一市民でしかない。だから政府の要人気取りでしたり顔で国際情勢を語るのも毛恥ずかしい。しかしウクライナとロシアをめぐる事態で罪なき人々が殺されることに胸を痛める感情、戦争という不条理かつ非合理な現象を認められない感情が自分の中にあるのもまた事実である。等身大のこの自分のリアルを無視して国際感覚を駆使してコスモポリタンを気取るのも「何様のつもりだ」と言われかねないみっともない所作ではあるだろう。だが、ならそうして冷笑的に高みの見物を気取るのも同じくみっともないとも思う。アホと呼ばれるのならそうでも構わない。私は泥臭く反戦平和の理想を支えたいと思う。
片岡義男は本の中で「ウェイ・オブ・ライフ」について語る。アメリカならアメリカの「ウェイ・オブ・ライフ」について。それは民主主義を重んじる理想に基づいた生活様式であり、その理想が可能足らしめた実力主義(もっと言えば弱肉強食)の社会、大量生産・大量消費の生活様式であるだろう。読み進めるにつれて日本もまたそうした実力主義の社会となってきたこと、そこから帰結として生み出される「デキる」とされる人たちと「デキない」人たち(あるいは「勝ち組」と「負け組」)の二極化が進んできたことを連想させられる。かつての日本が「一億総中流」と呼ばれていたこと(その実態はどうあれ)を思うと隔世の感がある……あまり政治の話を突っ込んで展開するとメッキが剥がれて私のアホさが丸出しになるのだけれど、ともあれ片岡の本が分析する「90年代のアメリカ」からそうした「今の日本」が透けて見えることを面白く思った。この本は「今」を「予言」「予告」していたのかな、と思ったりもする。
昼になると天気が回復してきたので、ブルース・スプリングスティーンの音楽で気分を整えた。片岡義男の議論から、こうして日本に居ながらアメリカを本を通して知るということは取りも直さず異文化を感じるということだと思った。異文化との衝突と、それでもなお相手を理解しようとする試み。アメリカと日本の間には言葉の壁があり、見過ごせない文化の相違や国民性の違いがあるけれどそれを以て絶望的に感じたりいたずらに「アメリカ様」と崇拝したり、あるいはその裏返しとして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と居直ったりするのではなくまず相手の個性を理解しようとする試み、自分と相手の相違が具体的にどこにあるのかわかろうとする試みが大事なのかなとも思ったのだった。相手に合わせて自分たちの取り柄を過小評価する必要もない。日本は日本で己の美点を誇ればいい。アニメや寿司、その他良質の文化を発信する国として……やれやれ、今日はなんだか「コメンテーター」気取りの内容になってしまい汗顔の至り。聞きかじった浅知恵をひけらかすのも大概にしないといけないとも思ってしまう。
LINEで友だちと片岡義男について雑談を交わし、そこから「もし生まれ変わって選べるとしたら、次の母国語は何語を選びますか」という話になった。生まれ変わりがあるかどうかは議論の余地があるけれど、素朴に私なりの考えを述べるならたぶん私は次も日本語を母国語として選びたいと思ってしまう。いや、英語がペラペラに母国語として話せるというのも確かに魅力的ではある。例えばエミネムの鬼気迫るラップやア・トライブ・コールド・クエストのラップを聞き取れたら得難い経験となるだろうなとも思う。だが、私は日本語を母国語として生きてきて村上春樹や片岡義男を洗練された日本語の文章で読むことの旨味を存分に満喫してきた。この楽しみを捨てるのはもったいないとも思う。それを言い出せば谷崎潤一郎や古井由吉の文章だって日本語でダイレクトに読めることを幸福かつ幸運に思う。それに、英語をあらかじめ自分の中にインストールされた言葉ではなく第二外国語として「学習」することそれ自体の楽しみだってある。この歳になってもなお「学習」すること、「勉強」することは楽しい。ことに英語は一生かかっても到底マスターできない。だからこそ価値がある。
片岡義男は本の中で「ウェイ・オブ・ライフ」について語る。アメリカならアメリカの「ウェイ・オブ・ライフ」について。それは民主主義を重んじる理想に基づいた生活様式であり、その理想が可能足らしめた実力主義(もっと言えば弱肉強食)の社会、大量生産・大量消費の生活様式であるだろう。読み進めるにつれて日本もまたそうした実力主義の社会となってきたこと、そこから帰結として生み出される「デキる」とされる人たちと「デキない」人たち(あるいは「勝ち組」と「負け組」)の二極化が進んできたことを連想させられる。かつての日本が「一億総中流」と呼ばれていたこと(その実態はどうあれ)を思うと隔世の感がある……あまり政治の話を突っ込んで展開するとメッキが剥がれて私のアホさが丸出しになるのだけれど、ともあれ片岡の本が分析する「90年代のアメリカ」からそうした「今の日本」が透けて見えることを面白く思った。この本は「今」を「予言」「予告」していたのかな、と思ったりもする。
昼になると天気が回復してきたので、ブルース・スプリングスティーンの音楽で気分を整えた。片岡義男の議論から、こうして日本に居ながらアメリカを本を通して知るということは取りも直さず異文化を感じるということだと思った。異文化との衝突と、それでもなお相手を理解しようとする試み。アメリカと日本の間には言葉の壁があり、見過ごせない文化の相違や国民性の違いがあるけれどそれを以て絶望的に感じたりいたずらに「アメリカ様」と崇拝したり、あるいはその裏返しとして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と居直ったりするのではなくまず相手の個性を理解しようとする試み、自分と相手の相違が具体的にどこにあるのかわかろうとする試みが大事なのかなとも思ったのだった。相手に合わせて自分たちの取り柄を過小評価する必要もない。日本は日本で己の美点を誇ればいい。アニメや寿司、その他良質の文化を発信する国として……やれやれ、今日はなんだか「コメンテーター」気取りの内容になってしまい汗顔の至り。聞きかじった浅知恵をひけらかすのも大概にしないといけないとも思ってしまう。
LINEで友だちと片岡義男について雑談を交わし、そこから「もし生まれ変わって選べるとしたら、次の母国語は何語を選びますか」という話になった。生まれ変わりがあるかどうかは議論の余地があるけれど、素朴に私なりの考えを述べるならたぶん私は次も日本語を母国語として選びたいと思ってしまう。いや、英語がペラペラに母国語として話せるというのも確かに魅力的ではある。例えばエミネムの鬼気迫るラップやア・トライブ・コールド・クエストのラップを聞き取れたら得難い経験となるだろうなとも思う。だが、私は日本語を母国語として生きてきて村上春樹や片岡義男を洗練された日本語の文章で読むことの旨味を存分に満喫してきた。この楽しみを捨てるのはもったいないとも思う。それを言い出せば谷崎潤一郎や古井由吉の文章だって日本語でダイレクトに読めることを幸福かつ幸運に思う。それに、英語をあらかじめ自分の中にインストールされた言葉ではなく第二外国語として「学習」することそれ自体の楽しみだってある。この歳になってもなお「学習」すること、「勉強」することは楽しい。ことに英語は一生かかっても到底マスターできない。だからこそ価値がある。
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