跳舞猫日録

踊る猫

文字の大きさ
上 下
56 / 58

2023/02/18 BGM: Daryl Hall & John Oates - Private Eyes

しおりを挟む
ダリル・ホール&ジョン・オーツをランダムに聴きながら片岡義男『言葉の人生』を読む。彼の鋭い眼光が捉えた、この世に氾濫する言葉――私自身もその「氾濫」に確実に加担している「言葉」――の実相を片岡は見抜き、彼自身の人生経験を参照しながら考察を重ねていく。数多と存在するカタカナ語や和製英語、死語や伝統的な言葉など。私自身も言葉に関して考えるのが好きなので彼の考察を興味深く読む。日本語という言葉がいかに海外の言葉/概念をスラスラ取り込み自分のものにしてしまうか(その帰結がカタカナ語の嵐であるだろう)、私自身彼の文章を読みながら改めてまざまざと思い知らされた。とはいえ私はそうした言葉を使うことをやめられそうにはない。いくら海外では「ソーシャルメディア」と呼ぶものだと言われても私は日本語圏内ではTwitterやFacebookといったメディアのことを「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」と呼んでしまうのだろう。

今日は早番だった。朝、ロイド・コールを聴きながら仕事前の準備をする。ふと、こうしたこと(上に書いたようないつも読んでいる本や聴いている音楽、思っていることなど)を英語でメモしながら「どうして自分は英語でメモを書くのか?」と考えた。真面目に答えるとすればそれは「自分の性に合っているから」となる。別に私が人より賢いからとかそんなことではまったくない(本音です)。聞くところによると人間は日本語的に考える人と英語的に考える人で別れるらしいので、私はたまたま英語的に考えるように生まれついたというそれだけのことだと思っている。2021年が始まってまだ間がなかった頃東急ハンズで見つけたメモパッドに、戯れに英語でメモを書いてみたらそれがしっくり来たので続いている。そういうことだ。

いつもこの日記では恨みつらみやぼやきを書いている気がするが、今日も昼休みに「自分は出世しない側の人間なんだろうな」と思った。村上春樹が流行らせた比喩で言うところの「壁と卵」における「卵」なのかなと。ずっと生きにくい思いをしてきた。十代の頃は自分がすっぽり悪夢に覆い尽くされているように思い、ティアーズ・フォー・フィアーズの曲よろしく「マッド・ワールド」の中に閉じ込められているように思ってそんな悪夢をひたすら村上春樹を読み込んで過ごした。大学に行けば……東京に行けば自分は幸せになれるとどこかで信じて。でも果たして大学に入った後、東京で待っていたのは「自分はいったい何をしたいのだろう」という空虚感だったことを思い出す。狭苦しい田舎からいきなり東京に出たのだからそんな変化に、特に発達障害というやっかいな障害を抱えた人間がすんなり適応できるわけもなかったわけで、鬱を抱えてひたすらアパートの一室で寝込んだことを思い出す。それからもいろいろあり……よく生き延びたものだ。

ホール&オーツの音楽は佐野元春の影響で聴くようになったのだけれど、実に私の今の感情にフィットする。世の中、知らない音楽がまだまだある。今の世の中は何でもフラットに並べられた中から選べるようになっており、私はそれをいいことに昨日はソニー・ロリンズを聴き今日は​TOTOを聴くという生活をしている。図書館に行けば今日のように片岡義男を読む一方でレイモンド・カーヴァーを読んだりする。いったい私の頭の中はどうなっているのだろう。歴史なんてどうでもいい、ルーツや伝統クソ喰らえ。ただ聴きたいから聴く。そんな感じで今日も順調に本を読み音楽を聴いて、こうして自分の思いを書き出してしまうのだった。とどのつまり自分は「雑種」なので、純血の「ハルキスト」や「リベラル」にもならないまま、なろうともしないまま、生きる……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

物語を(あるいは、その本質としての哲学的見解)

船越伸二
現代文学
世界の中で、いわゆる真実とは何か?人が見るものこそ真実であり、人の意識は全体を見るのではなく、部分を見る。当たり前だが、人間の意識は宇宙と同化できない。もし、できたとするならば、それは神というのだろう。基本的に人間は人間を超えるために、すなわち超人となるために。超人への意識は人間をおそるべき位置にいさせる。一体、何をもって、超人とするか?人間的なものからの脱却。人間をやめること。人間的な本質とは協力である。協力は強力である。私は知っている。人間が世界中に広がった理由は協力であると。一体、協力を阻むものは何か?私は考え続けた。結果として、答えはないことに気づくが、そこには個人という意識だ。個人は大事。そうだ!だが、個人が世界と切り離されて、個人のみの生命に重点を置くと?人間は知っている。個人あり、また、他者を思う気持ちがあり、そして、その先には合体がある。

【作家日記】小説とシナリオのはざまで……【三文ライターの底辺から這い上がる記録】

タカハシU太
エッセイ・ノンフィクション
書けえっ!! 書けっ!! 書けーっ!! 書けーっ!!  * エッセイ? 日記? ただのボヤキかもしれません。 『【作家日記】小説とシナリオのはざまで……【三文ライターの底辺から這い上がる記録】』

これも何かの縁(短編連作)

ハヤシ
現代文学
児童養護施設育ちの若夫婦を中心に、日本文化や風習を話題にしながら四季を巡っていく短編連作集。基本コメディ、たまにシリアス。前半はほのぼのハートフルな話が続きますが、所々『人間の悪意』が混ざってます。 テーマは生き方――差別と偏見、家族、夫婦、子育て、恋愛・婚活、イジメ、ぼっち、オタク、コンプレックス、コミュ障――それぞれのキャラが自ら抱えるコンプレックス・呪いからの解放が物語の軸となります。でも、きれいごとはなし。 プロローグ的番外編5編、本編第一部24編、第二部28編の構成で、第二部よりキャラたちの縁が関連し合い、どんどんつながっていきます。

千紫万紅のパシスタ 累なる色編

桜のはなびら
現代文学
 文樹瑠衣(あやきるい)は、サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』の立ち上げメンバーのひとりを祖父に持ち、母の茉瑠(マル、サンバネームは「マルガ」)とともに、ダンサーとして幼い頃から活躍していた。  周囲からもてはやされていたこともあり、レベルの高いダンサーとしての自覚と自負と自信を持っていた瑠衣。  しかし成長するに従い、「子どもなのに上手」と言うその付加価値が薄れていくことを自覚し始め、大人になってしまえば単なる歴の長いダンサーのひとりとなってしまいそうな未来予想に焦りを覚えていた。  そこで、名実ともに特別な存在である、各チームに一人しか存在が許されていないトップダンサーの称号、「ハイーニャ・ダ・バテリア」を目指す。  二十歳になるまで残り六年を、ハイーニャになるための六年とし、ロードマップを計画した瑠衣。  いざ、その道を進み始めた瑠衣だったが......。 ※表紙はaiで作成しています

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

続・ロドン作・寝そべりし暇人。

ネオ・クラシクス
現代文学
 中宮中央公園の石像、寝そべりし暇人が、小説版で満をじして帰って参りました!マンガ版の最終回あとがきにて、完全に最終回宣言をしたにもかかわらず、帰ってきましてすみません^^;。正直、恥ずかしいです。しかし、愛着の深い作品でしたのと、暇人以外のキャラクターの、主役回を増やしましたのと、小説という形のほうが、話を広げられる地平がありそうだったのと、素敵な御縁に背中を押されまして小説版での再開を決定しました。またかよ~と思われるかもしれませんが、石像ギャグコメディ懲りずに笑っていただけましたら幸いです。

陽だまりの家

春秋花壇
現代文学
幸せな母子家庭、女ばかりの日常

タイトル『夜』 昨日のバイク事故ご報告2024年10月16日(水曜日)犯人逮捕

すずりはさくらの本棚
現代文学
 タイトル『夜』 作者「すずりはさくらの本棚」 ジャンル「随筆」  基本的に「随筆」は本当に起きたことしか書けません。嘘が苦手というか…。なんなんだろうね。  本日決定事項「2024年10月17日(木曜日)」入院(強制入院)か前の住所に戻るでした。  もう一点が「監視の目を増やして見届ける」。入院がだめな場合。三点目「施設に入居する」。  四点目「今の現状でがんばる!しかし、今よりも監視の目を増加する。」  まるで「監視、監視、監視……。」犯罪者ですか?とコパイロットに相談したくらいです。  私なにかしましたか?監視なので、娑婆に出てきたばかりの監視が必要な人ですか?  と相談したくらいです。それくらい昨日の事故を理解できていません。  生命の危機に瀕しているのに、本人が理解できていないから。警察への届けを出してくださった方々。  ありがとうございました。おかげさまで、住所不定がなくなりそうです。  ナイトタイムという言葉がある。  一見なんの意味もない言葉だが、深い意味がありそうだ。  職圧された人間社会にて、たたずむ君と私がいる。  色違いな場違いな色合いだが、社会に馴染んでいる。  ころあいを見計らって、社会という帳に身を委ねる。  パステルカラーの複雑な感性は充実しながら膨張する。  深夜になれば、君と私は早朝、昼間、深夜という具合に色褪せて行く。  夜は深々と降り積もるごとく…。夜という名前に満たされて行く。  もう一杯、ブラックコーヒーでも飲もうか……。

処理中です...