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9.AQA社社長 上原充

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 空也に案内されて降りた覆面階には、扉が一つしかなかった。たった一つの扉には、先程までとは違ってなんの認証システムもない。扉の前に立つと、

『どうぞお入りください』

心地よい声と共にするりと扉が開いた。

「失礼します」

 部屋に一歩踏み入れてルージュは思わず立ち止まった。

 敷きつめられた長い毛の絨毯。机や椅子は天然の木製でどっしりとしている。大きな観葉植物がここという場所に活きいきと伸びている。壁にはおそらく本物だろう絵画が数枚ライトアップされている。ベッドやダイニングキッチンは遮光壁で隠されているが、さながらホテルやショウルームのようなのだろうと思わせた。

(間取りはさっきと変わらないのに全然印象が違うわ)

 絨毯に足をとられないよう緊張しながら進むと、後ろで扉が閉まったのがわかった。

 これまた上等そうな革張りのソファの背に片手をかけ、AQA社社長、上原充うえはらみつるが立って待っていた。なんでもない立ち姿なのに恐ろしく様になっている。

 均整のとれた身体を包んでいるのは仕立ての良いスーツ。彫りの深い縦長の顔には、新聞やテレビでおなじみの薄く色のついた眼鏡がかかっていた。

(テレビで見るより男前! 天下のAQA社社長に会ったって言ったらスイレンも羨ましがるかしら?)

 ソファに近づくと、上原はダンスでも誘うかのように優雅な仕草で席までエスコートした。ルージュは出来る限りお上品に腰掛ける。

(なに、この座り心地! 気持ちいぃ~)

 間髪をいれず、心地よい香りが鼻をくすぐった。

「どうぞ」

 机に出されたのは、外は濃紺、中は純白の小さな茶器に、透き通る若葉色の液体が入っている。ルージュは吸い込まれるように手を伸ばした。

「いただきます」

 口をつけると、期待を裏切らない味がゆっくりとしみわたっていく。強張っていた身体も気持ちも、ゆるゆるとほどけていった。

(は――。今、魂が抜けたわ……)

 夢見心地のルージュに、上原は傍に立ったまま静かに尋ねた。

「お気に召しましたか?」

「ええ。とっても」

「良かった。味に厳しい方だと伺っていましたので、最高のものをご用意いたしました」

「……え?」

(そんなこと、誰から聞いたのよ?)

 上原は淡々と続ける。

「永瀬空也に何が起こったのかは、すでに貴女以上に知っています」

 ルージュが口を挟む隙を上原は与えなかった。

「貴女にもすべてお話しします。そのためにここにお呼びしたのです。それともう一つ、あなたがラピス・ラビアル家のご息女だからです」

 最後の一言が、重くルージュに響いた。

(なんだってみんな知ってるわけ? もしかしてホワイトストーン病院から情報がもれてる? ……って、それはさすがにないわよね。患者のデータは極秘だもん)

 ルージュが一時期ホワイトストーン病院にいたことも、ルージュの完全クローン疑惑を強めた一因だった。ホワイトストーン病院の人気は、高い医療技術力と、長い間不可能とされていた人間の複製、完全クローニングを極めたことにもある。

(AQA寮に来てからだいぶ時間も経ったし、『技師ルージュ』で名前照合すれば、私の出自なんてすぐわかっちゃうわよね)

 早くも居心地が悪くなったルージュは、先程通ってきた扉に人の気配を感じた。

(クウヤ? 良かった。早かったじゃない)

 扉を振り返ったルージュは、我が目を疑った。こちらへ歩いてくるのは上原だ。

(上原社長は私の横に)

 ルージュは何度も二人を見比べた。

 同じ顔、同じ服。唯一の違いは、今来た方が眼鏡をかけていないことだ。

 裸眼の上原は大股でソファまで来ると、満面の笑顔でルージュに右手を差し出した。反射的にルージュも立ち上がって右手を伸ばすと、裸眼の上原は力強く手を握った。

「お初ぅに。上原充といいます。あ、歳は三十。ぴっちぴちの独身やで。よろしゅうに。ルージュさんやんな? まぁまぁ座ってぇや。あぁ、ええ匂いやなぁ。ミッチー、おかわりいれたって。ついでにわしにもお茶ちょうだい」

「はい」

 眼鏡をかけた上原は、空いたルージュの器を満たすと、ダイニングへもう一組の茶器を取りに行った。

 目の前にどっかと座る裸眼の上原につられ、ルージュも腰を下ろした。

「あの……AQAの社長は……」

 『どちらなんですか?』の言葉を飲み込んだルージュを上原は察したようだ。

「あぁ、ワシが本物。アレはロイドや。そっくりやろ? たまに自分でも迷うねん」

 得意そうに上原は話し出した。

「AQA社のうつくしーイメージは壊さんようにせなあかんからな。あ、むっちゃ流行はやったあのCMも、ワシが作ってんで? おもろいから自分とそっくりなアクアを作ってもろてんけど、ある時、どーしても抜けられへん仕事が重なってな。ダメ元や思てアクアを代役に立てたんや。バレたらバレたでええ宣伝になるやろ思てな。したらワシより評判ええやんか。テレビ映りもええし。それ以来、写真撮りとかテレビとか、ビジュアルはミッチー担当! やねんけど、やっぱりワシが出なあかんときもあるやん? どっかの偉いさんとの対談とか会話予測できへんヤツな。ほんならワシがミッチーのマネせなあかんねん。なーんや複雑な気分やで。ワシのほうが偽モンちゃうん? ってなぁ」

「みっちー……」

(いろいろ言いたいことはあるんだけど、みっちーってどうよ?)

「ミッチーかあいいやろ? さすがに同じ名前やと紛らわしいから、みつるのミッチー。ゆうてもワシと永瀬しか呼ばへんけどな」

 むっちゃ無駄やん、一人ツッコミする上原の前に、戻ってきたミッチーがお茶を置いた。

「お待たせしました」

「おおきに。ミッチーも座りぃや」

「はい」

 ミッチーは上原の隣、ルージュの斜め前に座った。

 そっくりだと思っていたが二人が横に並ぶと違いがわかる。顔や身体の作り、服装はまったく同じだが、雰囲気が全然違う。

 今までルージュがAQAの社長だと思っていたのはロイドのほうだ。

(若いのに落ち着いたやり手な社長、それが全部ロイドミッチーだったっていうの?)

 ルージュは騙された気分になった。

「ほんま永瀬には感謝しとるで。ワシはもともと営業向きやねん。せこせこ人形作るんは性に合わんわ。やっぱ男やったら世界を相手にばーんと」

「クウヤからアクアを横取りして社長になったんでしょ? 良心が咎めないの?」

 言った後で、しまったと思った。が、上原は気にした風もなく、変わらず軽い口調だ。

「あぁ、くわしい話、聞いてへんねやんな。よっしゃ。今から丸秘アクア話といこか」

(この人、本当にクウヤが信頼してる人なの?)

 疑惑が増すばかりで、このままでは技師の仕事にすら差し支えそうだ。ルージュはこの機会に解消しようと姿勢を正した。

「まず言い訳やけど、ワシはアクアが反応回路やって知らんかった。知っとったら、いくらワシでも使わへんよ。最初、あの玉、なんに入ってた思う? ちっこいガラスの入れ物に、金魚と一緒に入っててんで? ほんで『俺の家族なんだ』って言われたら、てっきり金魚がアクアやと思うやんか」

(それはそうよね)

 ルージュも最初は観葉植物をアクアだと思った。

「永瀬は金魚に、ほんまはアクアにやけど、なんでも話しとった。ワシと話す時も、そばに金魚鉢を置いとった。そんなに好きなんか、なにがおもろいんやて観察してたら、会話の途中でガラス玉の色が変わりよる。これはおもろいでって会話しまくって、法則、調べてん。この時もまだ、反応回路やなくて新しい言語解釈システムでも作ってるんや思うてた」

「どんな風に色が変わるの?」

「普段は永瀬の目とおんなし青や。それが、ややこしい話をすると黄色、ちょっとキッツい冗談いうと――永瀬は理解を超えるって言うんやけど――赤になるんや。黄色は、なんとか理解してるけど混乱してる状態や。赤は、パソコンでいうフリーズ状態やな。その間は外部からの情報を受け付けへんようなる」

 病院での看護ロイド、モノレールで倒れた大男のロイドがルージュの脳裏に浮かんだ。

「でもこれがあれば、ロイドがどの言葉を理解できてへんのか、目に見えてわかるんとちゃうか? 誰の目にも明らかにわかったら、ロイドの学習効率も上がるやろ思て、ほんで使つこたんや。永瀬に内緒やったんは悪かったけどな。家族や言うてたし、頼んでも借りられそうになかったから、ちょこっと実験だけ思て、コピーさせてもろてん。ほんなら、これがさっぱりや。目ぇは青いまんま、ちぃっとも変わらへん。でも、あの青い色がきれいやったから、動かへんのやったらまぁえっか、て、そのまま売り出したんや。したら……今に至るってわけや」

 上原は肩をすくめた。確かにここまで売れるとは、誰も予想できなかっただろう。

「社長の座は?」

 上原は乾いた喉を潤して続けた。

「ワシはちゃんと永瀬に言ぅてんで? 『おまえが作ってんから、社長になるのはおまえやろ』って。しやけど永瀬は『僕はずっと誰かの家族を作っていきたいんだ』って答えたんや。それでワシがありがた~く社長になった、というわけや」

「家族」

「そうや。アクアは永瀬にとって家族やねん。あんだけ傍において話してたんは、家族やからや。赤龍社に入ったのも、孤児で家族が欲しかったから、自分で家族を作りたかったんやて」

 ルージュはあやうく聞き流すところだった。
 ずっと寮暮らしだと聞いて仕事が忙しいからだと思っていたけれど。寮の食堂の味を褒めたときの、嬉しそうな空也の顔が浮かぶ。

 ルージュはようやくわかった気がした。

 空也がアクアに向ける眼差しの優しさ。空也の部屋にいた『アクア』がルージュにラピス・ラビアル家から出たことを尋ねた理由。

(クウヤにとって一番の関心は『家族』なのね。食堂がクウヤの『家の味』なんだわ)

「やからアクアには、ロイドの脳である反応回路のくせにロイドの定義が書かれてへんねん。反応回路に定義があるだけで動くのも不思議やけど、ないと動かへんのがロイド業界の常識や。アクアがロイドとして動くやなんて、この目で見ても信じられへんかったで。ゆうたら、電話が自分の意思で電話をかけるようなもんや。そんなん冗談にもならへん。パソコンはどうや? あれはかしこい機械やけど、何十年も使つこたからて、自分の意思を持つわけやないやろ? みんな人間に似たボディに騙されとるだけで、ロイドの中身はそんな機械と変わらへん。ただの回路の集合や。どれだけ一緒にいても、せいぜい使用者の癖がうつるだけで、意思が生まるわけやない。『ロイドに感情をつけてはいけない』ってよう言うけど、あれは『つけてはいけない』んやない。『つけたくてもつけられない』の間違いや。今まであらゆる研究者や学者が、それこそ生涯をかけて取り組んできた。そこまでしてもできへんかったんや。法律はそんな奴等の隠れ蓑になっとるだけや。現にウチにも秘密の開発部があって、赤龍社時代からロイドに感情をつけるべく開発しとる。けど、成果はさっぱりや。他のロイド会社も、表には出さへんけど研究しとるはずやで。ウチらロイド開発会社にとったら、意思を持って自由に動くロイドこそが理想やからなぁ」

「クウヤのアクアって、実はスゴいことだったの?」

 上原は大きく頷いた。

「すんごいで。ぶっちゃけノーベル賞もんや! そもそもアクアも、初めは通常の有機回路やから乳白色やったはずやねん。永瀬の瞳と同じ色になった時点で気づくべきやった。色が変わるんも、意思の表れやって気づいとったら……。いや、アンドロイド定義の代わりに書かれていた定義を見逃したんも間違いやった。それに気づかんと丸コピーしてしもたから、これまたややこしいことになったんや」

「クウヤが書いた代わりの定義って、なんとなく想像できるわね」

「せやろ? 定義っちゅーほど大げさなもんちゃうねん。ただ一言や。やから見逃したんやけどな」

「一言? なら『家族』?」

「あ――。こんなシロウトさんにまでわかるのになぁ」

 上原は大げさにうなだれたが、すぐに顔を上げた。

「なぁ、一回目の暴走事件、知っとるやんな?」

「アクアが登録者マスターの息子を殺害した事件よね」

 『AQA社初めての失態』と大々的に取り上げられていたので、ルージュもよく覚えている。登録者が命じていないのに人間を、しかも登録者の身内を殺したと報道され、ロイドの安全性について問われた事件だ。

 でもそれは「AQA社をおとしめるライバル社の陰謀じゃないか?」、激しい遺産相続争いがあったことから「他の子供の誰かが命令したのではないか?」とも言われていた。

「あの事件の真相はな、借金でにっちもさっちもいかへんようなった息子が、遺産目当てに登録者を殺そうとしてん。それにアクアが気づいて、息子を殺害したんや。まぁ、息子を止める途中で力が入りすぎてうっかり殺してしもたんやけどな。ロイドが人間の命を奪うなんて本来なら考えられへん。それも登録者の指示もないのにやで? 誰もが暴走やと思った。けど……わかるやろ?」

 ロイドではなく人間だったらなんの疑問もない。

「登録者を、『家族』を、守ろうとしたのね」

「そうや。アクアが他のロイドより好かれるのはそこや。大事にすればするほど、アクアも応えてくれる。『家族』として扱われると、起動しないはずの『アクア』が目覚めるんや。普通に考えたらええことや。それこそ長年研究してきた究極のロイドや! ……けどな、どんな理由があってもロイドの定義を超えるようなロイドは危険やねん。人間より強くて頑丈な存在としてヒトと共存するには、あの定義が絶対必要なんや。あの後、ロイド全体に契約技師制度をつけるようにもっていって、アクアだけがロイドの定義を超えるってこと気づかれへんようにした、つもりやってんけどなぁ……。『アクアが意思を持つのなら人間と同じだろう?』って言われたわ。永瀬とお嬢さんを襲った、あのアクアの持ち主にな」

 苦々しく上原は言い捨てた。

「知り合いなの?」

「前の社長や。しかも第一回暴走事件の当事者やったりするねん。アクアに守られた登録者やな。どうやらその時『アクアには意思がある』ってピンときたらしい。それから独自に調査を進めて、『意思のあるものを定義で縛るのはおかしい』って言い始めたんや。『定義から解放してアクアを一個人として認めることを要求する』ってな。あんのじじぃ。大人しく隠居してればええもんを」

 ルージュは、目の前でどんどん霧がはれていくような気持ちだった。
 でも、まだ一つ疑問が残ったままだ。

「それにどうしてクウヤが必要なの?」

「あ――」

 初めて上原は声をひそめた。

「わかっとる思うけど、ここで話してるんはぜぇんぶオフレコやで? 永瀬がアクアに『家族』として接しとったから、アクアも永瀬を『家族』やと思っとる。その『刷り込み』が生きとるから、アクアは今でもみぃんな永瀬のいうことをきくんや。しかも反応回路が二つあるおかげで、アクアは他のロイドを従えることもできるねん」

(それってロイドすべて、世界の四分の三がクウヤの言いなりってこと?)

 青ざめたルージュに慌てて上原は言い足した。

「もちろん永瀬は妙なこと考えたりせえへんやろう。けど、誰かにロイドの行動を強制されるとも限らへん。やから、ここも会社もセキュリティ厳しゅうして、永瀬を危険にさらさへんよう守ってるんや。機械はあくまで機械や。テレビを見てみい。どんだけ使われても映像を映すことに文句を言わへん。言ってもらっても困るやろ。電話かてそうや。電源さえ入ってればどこにでも通じるのが当たり前や。けど、もし電話が感情を持ってたらどうや。一秒を争う状態で救急車呼ぼう思たのに、電話が焦って通じへんとかなったら困るやろ。なんの感情にも邪魔されへん、正確で迅速な処理が必要や。そういう意味では、機械であるロイドに意思も感情も必要ない。ただ、アクアはなぁ」

 上原は整った顔を照れたように崩した。

「自社製品やからやろって思われるかもしれへんけど、アクアは好きやねん。暴走が起きとっても、今のままのアクアを守りたいんや」

 それは、最大アンドロイド製作会社社長の言葉としては不適格だったかもしれないけれど。いつの間にか張り詰めていた力を抜いて、ルージュはソファに身を預けた。

「ごめんなさい。私、あなたのこと誤解してた。クウヤだってあなたのこと、兄みたいな存在だって言ってたのに。本当にごめんなさい」

「ええよ。全然、気にしてへん。『気にしていたら、社長職は勤まりませんので』」

 上原は、営業用の声でそつの無い笑顔を浮かべてみせた。
 いきなり社長になったとはいえ、今までAQAを潰さず切り盛りしてきたのは、上原の力なのだ。
 ルージュも頬をゆるめた。
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