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後編

予測できていたことなのか?

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 他の馬車に乗っているはずの宮廷医を呼ぼうとしたローデリヒ様を必死に止めて、一息ついた。

「本当に大丈夫なのか?」

 いや、過保護なまでに聞いてこられると……。
 全然大した理由じゃないし。

「な、なんでもないです……。ただ」
「ただ?」
「面と向かって褒められるのに慣れてないだけです……。恥ずかしいっていうか……」
「そうなのか?」

 ローデリヒ様が不思議そうに首を傾げたところで、彼の膝を枕にしていたアーベルがモゾモゾと動き出す。ローちゃんものっそりと起き上がる。アーベルはまだ完全に覚醒していないのか、眠そうに目を擦った。

「目が傷つくから擦るな」

 やんわりとローデリヒ様がアーベルの手を制したくらいで、馬車がゆっくりと止まった。

「あれ?もう休憩地点に着いたんですかね?」

 妊婦の私に配慮してくれたらしく、途中で幾つか休憩地点がある。でも、さっき宿場町っぽいところで休憩したばかりだった。
 次に着くの早すぎるけど、もしかしたらこの先長時間休む暇ないのかも?とか思いつつ、馬車から降りる準備をしようとする。

「……いや、そんなことはない。次の休憩地点はもう少し時間が掛かるはずだ」
「あ、やっぱり。私も早いな~って思ってました」

 眉を寄せて難しい顔をするローデリヒ様。

「《千里眼》」

 ローデリヒ様が呟くと、左眼の前にレンズのようなものが三つ連なって現れる。ゆっくりと回転しているように見える。
 私にとっては馬車の壁をローデリヒ様が見ているだけなんだけど……、きっとローデリヒ様には遥か遠くの向こうが見えるのだろう。

 傍から見たらシュールな光景ではあるんだけど。

 一点を見つめながら、ローデリヒ様は更に眉間の皺を深くした。私はアーベルをそっと抱き抱える。
 アーベルも微妙な表情になっていた。ローデリヒ様は口を閉ざしたまま。ジッと外の様子を伺っている。

 だからこそ、何かあったのだろう、と私はなんとなく察した。

 一分にも満たない間だったのか、数分だったのかは分からない。
 けれども、馬車の中は異様な静けさに包まれていた。
 周囲にいるはずの騎士達の喧騒も気配もしないまま。

 私は無言で、アーベルを抱き締めるだけ。
 その空気を破るかのように、ノック音が響いた。

「……ヴァーレリーか。どうした?」
「報告します。先頭がどうやら道を間違えたみたいです」
「先頭がか?」
「はい。交差路の看板に悪戯されていたようです」

 その言葉が聞こえた時、ローデリヒ様はどう受け止めていいのか分からないような、途方に暮れたような顔をした。
 すぐにそんな表情は消した。見間違いだったんじゃないかってくらい。けれど、握った拳が力を入れすぎて白くなっていた。まるで悔しそうに。

「そうか。進路修正しろ。私もすぐ外に出る」
「はっ」

 ヴァーレリーちゃんが離れていく。ローデリヒ様が私の方へ向いた。何故だか分からないけれど、顔を近付けてくる。

 えっ、何?
 ――なんて、思っている間に、ローデリヒ様は私の耳元で囁いた。

「これから何があっても声を出すんじゃない。アーベルをしっかり抱いていてくれ」
「は――」

 頷きかけて、思わず口を閉じる。その代わりに、アーベルをギュッと抱きしめて頷いた。

「アーベル、お前も大人しくしていてくれ」

 物分りが良いのか、全く分かっていないのか、アーベルはローデリヒ様に対してニコニコと笑う。
 護衛のほとんどが近衛騎士だから、道を間違えても仕方ないんじゃないか?外の仕事とか滅多に無さそうだし……国王様は王城に引きこもってるし……なんて、そんな雰囲気ではなかった。

 ローデリヒ様の手のひらにクッキリと深い爪の跡が残っていたから。
 ローデリヒ様がゆっくりと立ち上がって、馬車の外へ出る。扉の隙間からチラリと見えた外には、ヴァーレリーちゃんと彼女が乗っていたらしい馬が見えた。

 ……本当に何が起こってるのか全く分からない。
 馬車の防音性がバッチリすぎて、外の声がほとんど聞こえないし。
 ローちゃんは珍しく座面の上に立ち上がって、真っ白な耳をピクピクさせている。猫は聞こえてるのかも。

 アーベルを抱き締めたまま、私は硬直する事しか出来なかった。
 いやだって、めちゃくちゃ非常事態っぽかったし。
 ローデリヒ様があんな言動とるの初めてだったし。
 ちょっとだけ。ちょっとだけ盗み聞きしちゃ駄目かな?やっぱり駄目だよね。

 駄目とは思いつつ、気になってしまうのが人間である。

 私は少しだけ馬車の扉を開けて、細い隙間から外の様子を覗いた。

「…………は?なにこれ」

 見渡す限り、大量の光の矢。それが絶え間なく降り注いでいて――、

「来いッッ!!」

 その中からローデリヒ様が現れる。荒々しく馬車の扉を開け放ち、抱っこしているアーベルごと私を抱え上げた。

 えっ?

 そして、そのままヴァーレリーちゃんが乗っていたであろう馬に飛び乗る。ローちゃんが華麗なジャンプを決めて、ローデリヒ様の肩に着地した。
 馬車から離れて、一気に人の声が私の耳へ押し寄せてくる。
 ここまでの一連の流れが鮮やかすぎて追いつけない。

 相変わらず光の矢は降り注いでいる。矢に当たりそうになる度に、思わず目をギュッと閉じてアーベルを隠すけど、一向に当たらない。

「大丈夫だ。攻撃対象を限定して発動している」

 え?!今なんて?!?!
 頭上でローデリヒ様がなんか言ってるけど、ちょっと今理解するだけの余裕がない。なんか、沢山人の声も聞こえるし。……っていうか、人の声が多くない?

 道らしき道を逸れ、森の中に入ったのだろう。目を閉じても明るさを感じていたのが、急に暗くなった。恐る恐る目を開けると、ローデリヒ様が《千里眼》を発動しながら馬を走らせている。
 眉間の皺が深い。前はよく見ていた険しい顔を久しぶりに見た気がする。

「……ロー、足止めを頼めるか?」

 肩に乗っていたローちゃんが、心得たとばかりに飛び降りる。
 白いデブ猫の後ろ姿がどんどん小さくなって行くのを見て、感じた不安をローデリヒ様は察したのだろう。

 大丈夫だ、という心の声が伝わってくる。
 大勢の声が段々と小さくなっていく。

 距離が離れていっているのだろう。周りには誰もいないのが、人の思考が伝わってくる私には分かる。
 近衛騎士達と離れてよかったのだろうか。

 やがて少し森が開けた場所まできた。ポツリと小さな小屋が立っている。そんなに古くはなく、時々手入れもされていそうな感じ。でも、人が住んでいる気配はない。薪の切れ端の様なものが周囲に散らばっているので、もしかしたら薪を取る時に使う小屋なのかも。

「ここまで来れば中々追っ手は来れまい」

 ローデリヒ様は先に馬から降りて、私の手からアーベルを受け取った。私も差し出された手を借りて降りる。

「……あ、あの、一体何が?」

 いきなりの逃亡劇だった。
 馬車の扉を開けたら光の矢が降ってきているのだ。訳が分からない。

「先頭の近衛騎士が道を間違えたというのは、偽りだろう。どうやら見つかりにくい場所へ誘導していたみたいだ」
「見つかりにくい場所?」
「待ち伏せされていた。それも一つの小隊くらいの人数だ。盗賊ならまだ良かったが……。身なりからしてそれなりに訓練されていそうな者達だったな」

 そういえば、馬車に色々魔道具が付いていたから私の能力も抑えられていたけれど、外に出た時に人が多く居るように感じた。
 小屋には鍵はかかっていなかった。ローデリヒ様は中をザッと見渡す。大丈夫だと判断したのか、さりげなく私を小屋の中の椅子に座らせた。

「先手を打たせてもらった。殺しまではしていないが、待ち伏せしていた者達は《光雨矢》で無力化出来たはずだ。……だが、近衛騎士達は味方か敵の区別が付かない。撹乱に留めている」
「近衛騎士が敵……って」
「……すまない。こんな事になって」

 ローデリヒ様の海色の瞳が、陰った。
 私は慌てて首を横に振る。

「あ、いや……、近衛騎士が敵ってびっくりして……。ローデリヒ様も驚きですよね?!」
「いや、知っていた」
「えっ」

 ローデリヒ様の晴れたような海色の瞳は、濁ったように暗い色をしている。ほんの僅かに揺れて、悩むように伏せられた瞼の奥に消えた。

「アーベルが視た未来は、簡単には変えられないということか……」
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