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後編

こうして事件は起こったのである?(他)

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「ふ、腹上死か……?!」
「…………は?!」
「…………えっ」

 キルシュライト王国の国王の叫びに、近衛騎士の男とほぼ同時にティベルデは小さく声を上げた。

 死。死と言わなかったか?

 すぐ隣で治療を受けている王太子を見下ろす。その瞼は、ずっと力なく閉ざされたままだった。
 そう。ずっとこの状態なのだ。
 どんなに揺すっても起きない。声を掛けても反応しない。

 やはり、と推察していた結論に至って、ティベルデの顔から一気に血の気が引いた。

「わ、私は殺してない……!」



 ーーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー



 ティベルデ・フェルナンダ・キュンツェルにとって国王の側室という立場は、非常に息苦しいものだった。

 燃えるような赤い髪。エメラルドのように爛々と輝く瞳で、よく気の強い少女と誤解されてきた。ティベルデが外では完璧な淑女の皮を被っていたのもそれを助長していたのだろう。父親ですら、ティベルデが気の強い少女だと疑わなかったのである。

 だが――、ティベルデは酷く臆病な性格ビビりであった。

 ティベルデなら後宮でも生き抜いていけるだろうと思い違いをした父親に、父親程の年齢の現国王の側室に入れられた。流石にその時は胃腸薬が効かなかったくらいのストレスだった。

 嫌すぎて。

 もう既に何人も存在している側室。
 国王と同世代のハイデマリーを筆頭に、ティベルデより年上の女性ばかりだった。国王は自分の息子ほどの年齢のティベルデには見向きもせず、ティベルデは後宮でひっそりと息をするだけの側室として日々過ごしていた。

 流石にハイデマリー程の年まではいかなくとも、皆大体二十代後半で下賜されていく。ハイデマリーだけがずっと後宮にいた。

 だから、後宮の主はハイデマリー。それが暗黙の了解。

 ティベルデもどこかの貴族に下賜されていくのだろうと、密かに思っていた。いや、通常ならばその線が濃厚だったのである。

 ――数日前までは。

 だが、ハイデマリーに個人的な呼び出しをされた。
 その直後にお茶会があった気がして、新顔がいた気もしたが、ティベルデにはそんな余裕はなかった。こっそりドレスに入れて持ち歩いている胃腸薬を、これまたこっそりと紅茶に落とし、またまたこっそりと服用する。紅茶の味なんて分かるわけがなかった。

 内心ガタガタ震え、一体自分は何をしてしまったのだろうかと頭の中はグルグルとそればかりを考えていた。

 今までの人生の中で取り立てて悪い事はしていないはず……、牢屋に入れられて拷問と称して舌を引っこ抜かれたりしないだろうか、手足切られたりしないだろうか。

 後ろ向きな性格ネガティブを拗らせた結果、完全にスプラッタな想像ばかりしてしまう。だが、血なまぐさい想像は止まらなかった。

 約束の刻限になるまで。

「貴女、キュンツェル子爵家の三女だそうね?歳は十八歳。間違いはないかしら?」
「……はい」
「貴女をローデリヒ殿下の側室にならないかしら?わたくしが推薦してあげるわ」
「…………え?私が王太子殿下の側室?」

 ハイデマリーに呼び出され、告げられた言葉に目を見開く。いや、現在その王太子殿下の父親の側室なのだが、大丈夫なのだろうか。

 ティベルデの思わんとしている事を察したのが、ハイデマリーが艶やかに微笑む。

「陛下のお手付きになっていないのだし、大丈夫よ。ゲルストナー公爵から誰か推薦してくれって頼まれているの。わたくし、貴女が適任だと思うから」
「ですが、私は下賜を望んでいます」
「あら?そうなの?」
「はい」

 ティベルデは迷いなく頷いた。
 昔はともかく、王太子が結婚してから国王は側室に手を付けていないというのが有名だ。実際に側室が手を付けられたなんて話を、後宮に入ってからティベルデは聞いたことがない。

 ティベルデの実家は爵位の低い家だった。だから、ティベルデは国王の側室になって、結婚相手を少しでも良くしようとしたのである。
 ここで王太子の側室になるなんて計画は立てていない。

「でもね、貴女のお父様にお手紙を出したのだけれど、とても良いお返事をいただけたの」

 スッとハイデマリーは手紙を出す。ティベルデは震えながらそれを受け取った。
 内容は予想通り。王太子の側室にしてやってくれ、というもの。
 ティベルデが王太子の側室になれば、キュンツェル子爵家にも恩恵がある。

 それだけでない。現在の王太子妃は外国の人間。ティベルデが身ごもり、国内の貴族の支持を得れば、その子を国王に付ける事だって不可能ではない。

 正直言って、胃が痛い。

 ギリギリと痛みだした胃を更に苦しめるかのように、ハイデマリーは励ますようにティベルデの肩に白魚のような手を置いた。

「大丈夫よ。寵愛を得ろ、だなんて言っていないわ。そうね……貴女には王太子妃の代わりに公務をこなして欲しいのよ」
「王太子妃殿下の公務を……?」

 それって本気で王太子妃の公務を引き受け、側室の立場ながら王太子妃レベルの実権を握れというのか?

 何も大丈夫ではない。
 胃が痛すぎて気持ち悪くなってきた。

 流石は側室になった時から国王の公務をずっと支えてきた女。後宮の主。サラッと凄いことを要求してくる。

「ええ。ほら、あの子、子供のお世話もしているから大変でしょう?」

 大変だからといって、臆病者ビビりになんて大事を要求するのだ。
 王太子妃をだなんて言えるのは、きっとハイデマリーしかいないだろう。

 外国の小娘など取るに足らないという事か……、とティベルデが内心戦慄しているうちに話はトントン拍子に進んでいく。

「大丈夫よ。このわたくしが良いと思って推薦したのだから。貴女にはきっとこなせるわ」

 再び言うようだが、何も大丈夫ではない。



 そして、夜会開始直後まで遡る。

 否定出来ずにここまで来てしまった……、とティベルデは扉を背に小さく息をついた。ゲルストナー公爵の前だと自然と背筋が伸びる。何か粗相をしたらいけない、と緊張してしまうのだ。

 キリキリと鳩尾の辺りが痛む。夜会用のドレス問わず、常ににこっそりと服に忍ばせてある常備薬を口に含み、水なしで飲み下した。

 常備薬――胃腸薬はなくてはならないもの。
 ストレスが胃腸に直結するティベルデにとっては。

「…………………………いや、無理じゃない?子持ち既婚者を籠絡するって無理じゃない?怖い怖い怖い怖い」

 ぶつぶつと小声で呟きながら、休憩室の寝台の掛け布団を捲ってみるが、目当ての人はいない。水の流れる音がする洗面台をこっそりと覗いてみた。

 苦しいのか、眠っているのか。手足を投げ出したように壁にもたれて座り込んでいる。月光のような髪は先ほどまではセットされていたのに、ぐしゃぐしゃに乱れていた。俯いて前髪が垂れているせいで、表情までは見えない。

「……で、殿下、殿下……」

 呼びかけてみるがピクリともしない。ローデリヒの荒い呼吸音と、蛇口から流れ出る水音がその場に響く。

 ゲルストナーには、ローデリヒは性欲が強いだろうし、媚薬を飲ませたので、手荒な真似はされるだろうが我慢しなさいと言われている。
 だが、呼びかけても何も起こらない。

 これはおかしい。

 計画ではローデリヒに襲われているところを、ローデリヒの腹心の部下であるイーヴォではなく、エーレンフリートの息のかかった近衛騎士に発見させるつもりだったのに。
 完全予定が狂っている。

 とりあえず寝台に放り込んだら何か変わるかもしれないと思い、ティベルデはローデリヒの腕を自らの肩に回した。

「……お、重っ……」

 一応成人男性、それも軍を率いて遠征に行くような鍛え上げた男だ。後宮でも、後宮に入る前でも貴族の令嬢らしく肉体労働なんてした事がないティベルデにローデリヒを担ぐのは不可能に近かった。
 半ば引き摺るようにして洗面所から離れる。

「……っ、はぁ、はぁ……」

 ズルズルと自国の王太子を引き摺っているが、これは不敬に当たるとかそういった事はティベルデの頭の中にはなかった。ハイデマリーとゲルストナー、エーレンフリートの三人の企みにたまたまティベルデが利用されただけの事。

 実家のことだってある。三人の事が怖くて実行する他なかった。

 時間をかけて寝台にローデリヒの上体と足を乗せ、ジュストコールとシャツのボタンを全開にした所で、ティベルデの腕は限界を迎えた。全裸にするのは無理だ。時間もない。

 ティベルデは荒々しく自身のドレスを脱ぎ、寝台に潜り込んだ。これで既成事実に見えるはずだ。

 ……王太子がピクリともしない事を除けば。

「……本当に、媚薬なの?」

 媚薬ではなく、本当は毒薬だったらどうしよう。
 現時点でローデリヒが次の国王だが、ゲルストナーやエーレンフリートだって王位継承権を持つ人間だ。ハイデマリーだって、現国王の側室。別の側室腹のローデリヒに良い感情を抱いていないだろうという事は想像出来る。

 ――もしかして、殺人事件の片棒を担がされたのでは?

 ティベルデがとんでもない結論に飛躍した瞬間、扉が開いてあらかじめ示し合わせていた近衛騎士が入り込んできた。救世主が来た、とティベルデは半泣きになりながら叫んだ。

「殿下が目を覚まさないんです……!!」



 ーーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー



「っ、……う……?」
「ローデリヒ様?」

 ずっと力を無くしていた左手がピクリと動く。
 あれから近衛騎士さんに呼ばれて国王様に会った。説明は全部後でするから、ローデリヒ様に付いてやってくれと言われたんだよね。実際、ローデリヒ様に会ってみると、ぐったりとした様子で医務室で眠っていた。ずっと寝不足だったし、やっぱり無茶してたのかな?

 ローデリヒ様の海色の瞳が薄らと見える。何度か瞬きをして、ぼんやりと私を視界に捉えたようで少しホッとした。

 やや熱い手を握って、ずっと傍についていたんだけど、中々目を覚まさなかったんだよね。本当によかった。

「ローデリヒ様、良かった。私の事分かります?」

 ローデリヒ様の目の前でヒラヒラと手を振る。段々と意識がしっかりしてきたようで、私の手はパシリ、と掴まれた。

「あ……ああ」

 やや掠れた声でローデリヒ様は頷く。彼が身を起こすのを横目で見ながら、「水飲みます?」と聞いた。ずっと寝てたし、喉でも乾いていそうだ。けれど返事の代わりに、掴まれたままの手が引っ張られる。

「ロ、ローデリヒ様?」

 私が顔を上げると、熱に浮かされたような海色が映る。驚いて反応出来ないまま、唇が重なった。
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