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後編

行方不明の王子様?

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「いや、やっぱり一時間もお手洗いは長すぎますよ?!」

 そしてその間に、テーブルにあった数々のスイーツのほとんどが国王様の胃の中に収まってしまった。
 つわりで中々食べられない期間を抜け、ようやく色々と美味しいものが再び食べれるようになって、ついつい食べすぎてしまう私でも、見ているだけで胸焼けしてしまった。

 三十分経過した頃にも、アーベルが帰ってくるのが遅いと国王様に言ったが、「三十分トイレに篭ることもあるじゃろ」と言われ渋々従っていた。けれど、流石に1時間は掛かりすぎた。どこかで迷子になっていそうだ。

「一時間も掛かるとは思わなかったのう」

 国王様も不思議そうにパチパチと目を瞬かせる。三十分の段階で探しに行っていれば、今ここにアーベルはいたんじゃないだろうか。

 よっこらせ、と言いながら立ち上がる国王様に続いて、私も腰を上げる。妊婦じゃから無理するでない、と言われたが、流石にアーベルが心配だった。

「ローデリヒ様の所に行っているかもしれません。ローデリヒ様の所に探しに行ってもいいですか?」
「あー、まあ、ローデリヒの所ならば良いか。ワシは思い当たる所を見てくるからの。アリサ、無理はするでないぞ」

 ではの!と片手を軽く挙げ、お腹に赤ちゃんが5人くらい入ってそうなお腹を揺らしながら、国王様は颯爽と走り去っていく。体重なんてないような動きを見せた国王様に、一瞬呆気にとられた。

 そういえば前にも廊下を走っている所を見た。ローデリヒ様はアーベル抱えながらだったけど、国王様に全く追いつけてなかった覚えが……。

 私付きの若い侍女を二人引連れ、廊下を歩く。とりあえずアーベルが向かったであろう、お手洗いの近辺を通りながら、王太子の執務室にいるであろうローデリヒ様の元へ向かう。

 道中、城を警備している騎士団の一師団が、そこら辺に立っている。剣を腰に下げて、二人一組で動いている彼らは、一時間は同じ場所にいるはずだった。

 私の姿を見るなり皆頭を下げるけれど、時々ほんの少しだけ驚いたように目を見張る人がいる。やっぱり私が私室近くではない公の場の近くにいるのは、珍しい事のように映るんだろうな。

 ちょっとだけ、自分の引きこもり具合を反省しつつ、得意ではないに自ら声を掛けた。

「少しいいかしら?」
「……は、はい!な、なんでしょう?!」

 まさか声を掛けられるとは思ってなかったらしい。冷静に頭を下げていた人を敢えて選んだつもりだったが、びっくりしたのか彼の返事は随分と上ずっていた。顔を上げた彼はかなり若い。それでも私よりも年上だろうけど。

「少年を見なかったかしら?私よりも少し年下くらいの」
「しょ、少年……、ですか……」

 困惑したように隣の同僚であろう人へと視線を向ける。助けを求められた方の同僚らしき人は、冷静に答えた。

「少年でしたら、二時間ほど前にローデリヒ殿下のご侍従が文官と連れ立ってお通りになりましたが……」
「ローデリヒ様の侍従……」

 かなりうろ覚えではあるが、アーベルのような見た目の侍従はいなかったはずだ。

「他にはいなかったの?」
「私達が見たのはご侍従だけです。他の者にも確認して参ります」
「ありがとう」

 騎士の一人を残して、片方の騎士は走って行く。だが、私達の目に届く範囲に持ち場として元々いた二人組の騎士の片方が、少しばかりこちらに寄ってきた。よく訓練されている。

 でも、二時間前なら私が話し掛けた二人組は、アーベルの事を見ていないという事になる。というか、お手洗いの近くで掃除をしていた女官三人に少年を見たか聞いたんだけど、見ていないらしい。彼女も一時間半ほどお手洗い近くで掃除をしていたけど、少年どころか誰も通っていないのだと。

 その時はアーベルが完全に迷ってしまったのだと思った。迷っても、どこかで誰かが姿を見ているはずだと楽観視してしまっていた。

 ――戻ってきた騎士が、ここら辺の持ち場の騎士だけでなく、現在休憩している全ての王城を警備する騎士がアーベルの姿を見ていないと聞くまでは。


 ローデリヒ様は王太子の執務室におらず、また、アーベルも王太子の執務室には訪れていないらしい。ローデリヒ様が国王様の執務室に向かったと聞いて、国王様はさっきまでお茶会をしていたはずだけど……、と思いながら足を進める。

 だけど、それよりも誰もアーベルの姿を見ていない事が不安で不安で仕方なかった。

 王城は警備している騎士達が沢山いる。沢山いても、アーベルは直系の王子だ。狙われていても、誘拐されていてもおかしくない。可愛いし。天使だし。まだ小さい……いや、今は16歳だけど。

 もしかしたら不測の事態で赤ちゃんに戻ってしまってたり、なんかもある。

 ああ、どうして私ってば、一人でお手洗いになんか行かせたんだろう?!

 自然と急ぎ足になる。ほんの僅かな距離が堪らなく長く思えた。

 だから、ローデリヒ様の姿を見た瞬間、心強さと不安がない混ぜになって、目の奥が熱くなる。鼻がツンとして、視界が滲むのを感じながら、思わずその広い胸に飛び込んだ。

 ローデリヒ様に触れたことで、部屋の外でずっと身に付けていた結界のペンダントの効果が解けるのを感じる。
 沢山の声が頭の中に流れ込んで来たけれど、そんな事は気にならなかった。

「ローデリヒ様!どうしよう?!アーベルがいなくなってしまったんです!」
「な……っ?!お、落ち着け。一旦深呼吸をしろ」

 私を受け止めたローデリヒ様は、抱き留めたまま宥めるように背中を軽く叩く。
 深く息を吸って、勢いと共に言った。

「アーベルがお手洗いに行って、一時間も帰ってこないんです!一緒にいた国王様が今思い当たる所を見てくるって仰ってて……」
「何故父上と一緒にいるんだ……」

 息が切れたタイミングで、頭の上から呆れたような溜め息が降りてくる。それどころではないというのに、ローデリヒ様は私の耳元に唇を寄せた。

「アーベルは私が連れ戻してくる。だからアリサは先に私室に戻っていてくれ」
「でも、」

 納得出来なくて口を開いたけれど、ローデリヒ様は私の言葉を遮った。

「身重の貴女が動き回っているとハラハラする。だから、頼む」
「いいえ、私はアーベルが」
「頼むから、」

 もどかしさが積もる。どうして、私のアーベルを探しに行きたい気持ちが伝わらないのか、ローデリヒ様はアーベルが心配じゃないのか、沢山言いたいことがあるのに、混乱している頭では単語だけが浮かんで文章にならない。

 そして、私の言葉を遮る彼に、苛立った。

「どうして、私の言ってること聞いてくれないの?!アーベルの事が心配じゃないの?!」

 ローデリヒ様の胸を思いっきり押した。不意打ちをつかれたかのようにローデリヒ様は後ろへとよろめく。海色の瞳は、見開かれていた。

 ――心配に、決まっている!

 彼の気持ちが痛いほど頭に響いてくる。ローデリヒ様は眉を寄せて拳を握った。

「……す、すまない、!……どうやら私も、動揺していたらしい……。だが、貴女の体の事も心配なんだ……」

 アーベルの事は必ず見つけ出すから、とローデリヒ様は言い、部屋から勢いよく出て行く。彼がアーベルの事を心配していないはずがない、というのは冷静に考えれば分かったはずなのに。

「私も参ります」

 何故か目を真っ赤にした宰相も、ローデリヒ様に続いて走って行った。侍女が気遣わしげに私を呼ぶ。彼女達の心配そうな気持ちも伝わってくる。

 自分を落ち着かせる為に、ひとつ大きく息を吸った。
 胸の中に溢れそうになる虚しさを満たすように。
 私が王太子の子供を妊娠している大事な身である事は分かっている。それでなくても、私は王太子妃なんだ。

 沢山の人に守られる存在。
 そして、沢山の人に狙われる存在。

 ローデリヒ様の心配はもっともだった。

 だけれど、自分の子供が心配で仕方がない。それなのに、私自身が全く動けない歯痒さと、自分自身は何も出来ない役立たずだった。

「……ちょっとだけ。……もうちょっとだけ、この辺りを回ってからでもいい?大人しく帰るから」

 ここには特に警備している騎士達が沢山いる。そして、近衛騎士も多くいる場所だ。
 不安そうに私を見ていた歳若い侍女達は、ホッとしたように、それならばと頷く。

 諦め悪く廊下を歩く私は、ふらふらと視線を彷徨わせながら、指先が段々冷えていくのを感じた。

 アーベルが大変な事になっていたら、どうしよう。
 15年後の王城の造りが今と変わっていて、迷ってしまったと無事に姿を見せる想像をして。
 何にもできない自分が嫌になった。

「――ま……奥様、……奥様」

 後ろから侍女に腕を掴まれてハッと我に返る。いつの間にか、後宮の入り口まで来てしまっていた。
 国王様の執務室から距離はほぼ離れていないから、国王様の後宮。

 アーベルの事で頭がいっぱいで、人の声がずっと頭を巡っているのに、少しも気にならなかった。周囲もよく見えていないくらいだった。

 後宮へは入れない事もないけれど、王太子妃である私は入らない方がいいと思い、クルリと侍女達の方へと振り返る。
 謝ろうと口を開いた瞬間、私の背後から声が掛かった。

「……あら?貴女、新入りかしら?」

 侍女と共に声の主の方へと顔を向ける。
 第一印象は――全体的にインパクトが強い、だった。

 赤いリップが綺麗に引かれ、黒目がちな瞳の周りには長いまつ毛。側頭部の髪を後ろに複雑に結い上げ、キラキラ髪飾りをふんだんに使っている。ワインレッドのドレスは、かなりのボリュームがあった。

 このままどこかの夜会に行けそうな、そんな豪華な装い。
 二十代半ばから後半くらいの女性は、私のことを頭からつま先までジッと値踏みするように見る。

 そして、私は今の自分の状況を確認した。
 私は後宮に背を向けるようにして、侍女と向かい合っている。侍女の一人は私の腕を掴んで、もう一人も私を囲むように立ち、決して穏やかな雰囲気ではない。

「ふうん。大方、後宮から逃げようとして見つかったのでしょう?」
「え、ちが……」
「馬鹿ね。後宮からは逃げられないわよ」

 事情は全く違うのだけれど、何故か女性は私が後宮の外に出ようとしていると思ったらしい。後宮の入口には近衛騎士が二人立っていて、その人達が本来止めるのであろうが――侍女に止められていると勘違いした女性は、目を細めて私を見た。

「ねえ、こんな事していないで、わたくし達と楽しいお茶会でもしましょうよ」
「え、いや――……」

 咄嗟に断ろうとして、私はその先の言葉を続ける事が出来なかった。

 ――王太子を失脚させるのに協力してくれる家は、多ければ多い程良いわ。

 そんな、女性の心の声が聞こえたから。
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