この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお

文字の大きさ
上 下
29 / 80
前編

記憶喪失前に、伝えたかったこと?

しおりを挟む
 ズキリ、と頭が鈍く痛む。

 そうだった。私は忘れてはいけなかったはずなんだ。
 でも、本当は全部全部忘れてしまって、なかった事にしたかった。ずっと目を背けていたいっていう根底の願望が、現実化しただけだった。

 私はアリサ・セシリア・キルシュライト。

 そして、前世が――達川有紗たつかわありさ新川にいかわ女子高校の二年生だった。

 頭を打った拍子に何故か前世の記憶が蘇って、今世の記憶がそっくり飛んでしまったような感じ。

 よくよく振り返ってみると、前世に何をしたかならばなんとなく思い出せるけど、友達や先生の名前は全く浮かんでこなかった。

 それに、私は前世と今世の日常生活の違いについて、違和感を感じる事もほとんどなかった。それも考えればおかしな話。
 現代日本と、地球の中世から近世ヨーロッパのような雰囲気を持つ魔法の世界なんて、最初は暮らしに適応するのに精一杯なはずなのに。

 文字習得が恐ろしい程に早かったのも、きっと理由はローマ字のような法則性を見つけたからだけじゃない。ずっと使い続けていた文字だったから、馴染みやすかったんだと思う。

 例えるなら、記憶の引き出しにしまってしまったものが中々見つからない、と言ったところだろう。

 頭の鈍痛が未だに治まらない。少し頭が熱っぽい。のぼせてしまったように。

 でも少しずつ、身体の感覚が戻ってきて、私は薄くまぶたを開けた。

「……っ、……アリサ?」

 傍にいる人が、心配そうな声で私の名前を呼ぶ。
 見上げた先は天蓋。いつの間にか私は、王太子妃専用の寝室で横になっていた。ゆっくりと呼ばれた方を向くと、が青白い顔をして私を伺うように見ていた。

「アリサ?大丈夫か?今医者を……っ?」

 立ち上がろうとした彼の腕の部分を掴む。穏やかな海の色をした瞳が、驚いたように見開かれる。

 言うつもりだった。ずっと言いたくて、首を長くして待っていた。

 でも支離滅裂だ。彼はもう知っているのに。
 無意識に、自分が記憶を失う前に取りたかった行動をしていた。

 彼の服を握り締めて、真っ直ぐに視線を合わせる。
 本当は侍女のゼルマでもなく、誰よりも先に伝えたかった人だった。

「ローデリヒ。……二人目、妊娠したようです。貴方に早く伝えたくて」

 彼は私の言葉に虚をつかれたかのように固まった。口元が自然と綻ぶ。答えの分かりきっている問いを彼に投げ掛けた。

「喜んでくれますか?アーベルの時のように」

 くしゃりと、行き場をなくした迷子の子供のように彼は顔を歪める。服を掴んだままの私の手を、彼は空いている手でそっと包み込む。壊れ物を扱う様な慎重な手つきで。

「貴女は……、記憶を失う前、それを私に伝えたかったんだな……」

 独白のような彼の掠れた小さな声が、空気に溶けて消えた。

 彼の骨張った手のひらからのひんやりとした体温が、仕草が、能力を使わなくても、彼が私を心配してくれているのを感じる。

「ああ、勿論だ。私の子供だ。可愛くない訳が無い」

 彼が微笑む。その笑みは慈愛に満ちていて、まだまだ若いはずなのに、一人の、父親だった。

 ギュッと私も手を握り返して、ニヤリとちょっと意地悪く笑う。

「でも、子供が出来るような心当たりは一度しかない、なーんて事、言ってましたよね?」
「う……、それは……」

 呻く彼に、私はカラリと笑ってみせた。記憶が飛んでいなければ、ショックだったかもしれないけれど、その時の私は完全に自分の事を他人の事のように感じていたから。

 でも、今までで一番スムーズに夫と話せた期間だったようにも思う。

「いいですよ。ちゃんと謝ってくれましたし、私もこんなに二回ともすぐに出来るとは思わなかったのは確かなので。本当、百発百中ですよね……」
「その呼び方はやめてくれ……」

 げんなりした表情をした夫だったけれど、ふと不思議そうに触れている手を見つめて瞬きをする。急に顔色を変えた彼は、恐る恐る私に手を伸ばしてきた。

「触るぞ……?」
「えっ?ちょ、……えっ?い、いいですけど……」

 一体いきなり何を言い出すのか。
 片手で手を繋いだまま、手を伸ばした彼は――、

 私のおでこに触れた。

「あ……」
「あ……?なんですか?」
「熱くないか?!いつからだ?!」
「ああ……、なんかちょっと……、のぼせた感じがするんですよね……」

 ジギスムントを呼ぶから待っていろ、と再び立ち上がろうとするローデリヒ様の腰を両手でガッチリ捕まえる。

「な、……?!」
「居てください。傍に……」

 だってローデリヒ様の体温がひんやりとしてて、気持ちいいし。

 彼が何やら近くに居たらしいローちゃんに指示している声を聞きながら、「あれ?なんかあんまりひんやりとしてこなくなったな?」なんて呑気な事を思って――、

 寝た。



 ーーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー



「うーむ。どうやら知恵熱のようですな。記憶を取り戻した時に一時的にストレスが掛かったのでしょう。お腹の御子も無事で元気そうですぞ」
「そうか……よかった……」

 ある程度寝た後、起きたらもう熱は引いていた。カーテンから差し込む光から、多分早朝辺りだろう。

 ジギスムントさんの診断結果に、ローデリヒ様は安堵したように息をついた。寝ていないのか目の下に隈が出来ている。

 私はというと、幾つか引っかかっていた事がある程度分かってスッキリしていた。けれどまだまだ状況理解が追い付かない部分もある。

「あの、パーティーはどうなったんですか?」

 襲撃されたのはパーティーが行われていた時だった。あの後仕切り直しでパーティー、なんて事は出来なかったはずだ。
 ローデリヒ様も重々しく頷く。

「ああ。流石にパーティーは中止。アルヴォネンの王太子夫妻には部屋に帰ってもらった。二人共納得していないようだったが」
「なるほど……。怪我した人とかは……?」
「皆、治癒魔法で治療済みだ。幸いにも死者はいない。貴女が一番重症だ」
「え……、マジか……」

 頭を抱えた。パーティー襲撃とは直接的に関係のない原因で一番重症……。なんだか申し訳なくなってくる。

 内心罪悪感を感じていると、ローデリヒ様がジギスムントさんに目配せして、部屋から出ていってもらっていた。ローちゃんはソファーでのんびりと寝ているけど、ローデリヒ様と二人きり。

「……それで、どうだったんだ?ルーカス・コスティ・アルヴォネンとティーナ・サネルマ・アルヴォネンは。思い出したんだろう?」
「ああ……、二人に関してはちゃんと思い出しました。幼馴染みですし……」
「貴女はきっと会いたくもなかっただろうが……」

 苦虫を噛み潰したようなローデリヒ様の反応に、私は目を瞬かせた。そういえば、ローデリヒ様が個人的にルーカスの事を好きじゃないって言ってたけど、なんで私もルーカスとティーナの事が嫌いって事になっているのだろうか?

「いや、別にルーカスとティーナに会いたくないって訳じゃないんですが……。仲良しの友達ですし」
「は?」
「え?」

 きょとんと見つめ合う。疑問符がお互いの間を行き来したが、ローデリヒ様が眉を寄せながら状況を整理しだした。

「根も葉もない噂を流された上に、決まっていた婚約を破棄され、女友達がその後釜に座り、貴女は修道院に行く羽目になったんだぞ?散々ではないのか?それなのに仲良し……?どういう事だ?」
「た、確かに……、実際に起こった事を並べると、完全に私を失脚させた極悪人みたいな感じになりますね……。ルーカスと婚約は元々嫌だったので、ラッキー位にしか思ってませんでした……」

 私の能力については説明していたけれど、婚約破棄や修道院のことについては話していなかった。婚約破棄も修道院も一応公表されていない話だし、特に何も聞かれなかったし。

「嫌だった?何故だ?」
「何と言うか……、悪友と言いますか、そんな感じなので結婚相手に見えないと言いますか……」

 上手く説明が出来ないな。ローデリヒ様も首を捻る。うーん、男女の友情って恋愛に変わる事もあるし……、ちゃんとした理由とは言えない。

「……大勢の盗賊に武器を持たずに単体で突っ込んで全滅させたり、素手でクレーター作ったり、刃物で切り付けられても無傷だったり、猛毒飲んでも平気な顔してるルーカス馬鹿は、正直タイプじゃないんです」
「………………それ、人間か?」

 数十秒黙り込んだローデリヒ様が必死に私の言葉を噛み砕いて、唖然とした。

「一応人間です……。魔法の属性が肉体強化に特化して、常時発動してるだけで……。私の精神属性と同じような感じで発動しているんです」
「そう……なのか……」

 明らかにローデリヒ様はドン引きしていた。気持ちは分かる。あんなに話し方も雰囲気も優しそうなルーカスが、実は馬鹿だとは思うまい。上手い具合に猫を被っている……、と見られがちだけれど、素だったりする。

 つまり、頭の良さそうな馬鹿なんだ。

「アルヴォネンで流れた噂に関しては、ルーカスとティーナは関係ありません。実は出処が分かっていないんです。婚約破棄と修道院に関しては、私とルーカスでその噂に乗っかった感じです。だから、ルーカスとティーナは決して悪感情を持ってそうした訳ではなく、私の希望を聞いてくれたような形なんです。

 私、本当に社交界から離れて、修道院に行きたかったんですよ」
「そう……か」

 ローデリヒ様は想像もしていなかったみたいだ。しばらく黙り込んだ後、悔いるように唇を噛む。

「それならば……、私は余計な事をしてしまったんだな」
しおりを挟む
感想 106

あなたにおすすめの小説

結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください

シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。 国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。 溺愛する女性がいるとの噂も! それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。 それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから! そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー 最後まで書きあがっていますので、随時更新します。 表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...