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前編

百発百中で尊敬するな。(ローデリヒ)

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 くあっ、と小さなあくびをローデリヒ・アロイス・キルシュライトはした。

 十九歳の若き王太子。現在の国王の子供は彼一人しかいない上に、傍系もやや血が離れていた。つまり次期国王が確実に約束されている。

 だが、キルシュライト王国の成人は十六歳と若い故に、十九歳でもまだまだ子供扱いされる事が多い。
 魑魅魍魎が跋扈する宮廷社会に身を置く者として、気を抜いてはいけないとローデリヒは自らを戒めた。

 例え昨夜、熟睡出来ていなかったとしても。

 昨日動揺して風呂場に立ち入ってしまったせいで、妻から頬に平手打ちを食らった。かなり腫れそうだったのでこちらは治癒魔法で治した。だが、浴室でバッチリ色々と見てしまったので、全く眠れなかった。

 まだ十代の若い身体は、自分の思い通りには全くならない。体力が有り余っているので、多少の無茶が出来ることだけが利点だ。

 彼の妻については記憶が混乱している上に妊娠している。どう接すればいいか分からない、というのは昔からだが、さらに気を遣わなければならない。

 医者であるジギスムントも記憶については未だ解明されていない部分が多いのですが、と前置きをして症状についてアリサのいない所で教えてくれた。

 具体的な対処療法はまだない。徐々に記憶を取り戻していくケースが多いので、様子見という事。
 記憶を失う前によくやっていた事などは、難なくこなせたりするらしい。記憶について、忘れたままの方が良いのではないかとネガティブになる人もいる。そして、自分の事を他人のように感じてしまうという話も挙げていた。

 記憶を取り戻した後にも注意するようにとも。転落事故だが、アリサが故意に引き起こした可能性だってゼロではない。もしアリサが自分から落ちたのならば、同じ事を繰り返すだろう、と。そういった所もしっかり見ておくように言われた。

 今の所、あまり気に病んだりといった様子は見られない。むしろ――だいぶ淑女らしさが無くなっている。
 元気そう、という印象があるが、今までのアリサの性格とは乖離している。

 以前のアリサは物静かな人間だった。
 本をよく好み、基本的に一人でいるような人物だった。

 どちらにせよ、ローデリヒ一人の手に負える話ではない。なので、この話はゼルマを含めた屋敷の侍女に共有している。ずっと付きっきりになる訳にはいかない。

 無理矢理思考を切り替える。ジェストコールを脱ぎ、雑に椅子の背もたれに掛けた。今は私生活について考える時ではない。

 ただでさえ、一ヵ月間も首都キルシュを空けていた。かなり書類関連の政務が溜まっている。

 ローデリヒはこういう場合、魔法を使ってペンやハンコ、紙を複数操って作業効率を上げている。しかし、片手に一本のペンしか持てないように、この魔法もペン一本動かすのに掛かる視覚的情報、触覚的情報、行動命令は片手でペンを持って書くのと同等。

 それを複数同時に動かしているので脳に相当負担が掛かっていた。慣れれば誰でも出来る芸当だが、持続時間は魔力と比例するので、やる人はほとんどいないが。

 ローデリヒの護衛騎士であり乳兄弟でもあるイーヴォも、あまり事務作業が向いていないにも関わらず、せっせと手伝いをしていた。
 ヴァーレリーもシャツにベスト姿で書類を必死に捌いている。まだ慣れてはいないが、真剣に取り組んでいた。

「……そういえば、ヴァーレリー。お前はまだ侍従の地位にいたよな?」
「はい。父がようやく根負けしてくれたので、来月正式に文官になる予定です」

 文武両道のヴァーレリーは幼い頃から文官になりたかったのだが、ヴァーレリーの父親が大反対していた。
 これに反抗していたヴァーレリーだったが、父親が最近戦争地帯の後処理も文官はするんだぞーーと半ば脅しを掛けたので、それ位平気だ、と半ば強引にイーヴォを介してローデリヒに連れて行ってもらえるよう頼んだのだった。

 個人的にローデリヒは昔から顔馴染みであるヴァーレリーの才能は買っていたので、侍従という地位に取り敢えず就けて、一ヶ月間イーヴォと共に文官の仕事見学を兼ねて連れて回っていた。
 勿論戦争地帯にも連れて行ったが、一応安全がかなり保証されている場所だ。

 だが、戦争地帯に行ったということが余程堪えたのか、勝手に危ない場所に行かれるよりは、とヴァーレリーの父親は折れたのである。

「文官になるまででいい。一つ頼まれてはくれないか?」
「なんでしょう?」

 ヴァーレリーは首を傾げた。肩につかない位の栗色のサラサラとした髪が頬に掛かる。

「アリサと友人になってやってほしいのだ」
「……え?」

 思わず目を瞬かせるヴァーレリーに、ローデリヒは難しい顔をして腕を組む。なんと言葉にすればいいか、しばしの間言いあぐねている様子を見せたが、気まずそうに口を開く。

「……どうやら、故郷の友人を思っているらしい。昨夜寝苦しかったらしく、うなされていてな。寝言で友人の事について話していた」
「故郷の、友人ですか……?」
「ああ。今まで友人については聞いた事がなかったが、妊娠中は気分の浮き沈みが激しい。会いたくなったのだろうが……、隣国のアルヴォネンは距離も離れている。呼び寄せてもそんなに滞在日数は取れまい。そう頻繁に会えるわけでもないから、友人になってやって欲しいのだが……」

 それまで静観していたイーヴォが呆れた声で口を出した。

「殿下……。絶対友達作った事ないですよね?」

 顎に手を当てて今までを振り返る。友人とはどういう風に作っていたか、と考えてローデリヒは気付いた。

「……言われてみれば、まず私に友人は居ない」
「友人がいない……?!俺は?!……っていうか、以前通っていた学園に沢山ご学友いらっしゃいましたよね?!」
「お前は乳兄弟だ。学園の人間はほとんどがビジネス関係だろう?将来の部下か、ビジネスパートナーか。敵対関係にもなるかもしれない。そんな相手に情を移すのか?」
「割り切り方が素晴らしいですね。というか、ほとんどの人が殿下のご学友になれたと喜んでそうなんですけどね……!かわいそう!」

 頭を抱えてしまったイーヴォをヴァーレリーと共に奇異の目で見るローデリヒ。イーヴォは放っておく事に決めたヴァーレリーは困惑顔で問うた。

「ですが……、私よりイーヴォの方が適任ではないでしょうか?恥ずかしながら、私は初対面の方に好印象を持ってもらえることがあまりないのです」
「とか言って、俺と奥方様が仲良くしちゃったらヴァーレリーちゃん怒っちゃうだろ?」

「死ね」
「処刑」

 ヴァーレリーとローデリヒの声が被る。自身の腕を抱いて震え上がったイーヴォに任せるのは無理だと判断したヴァーレリーは、気乗りしない様子だったものの頷いた。

「友人というのは命令されて作るようなものではないですし、失敗する可能性もあります。ですが、話し相手くらいにはなれるかと存じます」
「それ位でいい。ついでに魔法についてある程度説明してやってくれ。私は感覚派だから、誰かに教えるのはあまり上手くはなくてな」
「それ位ならばお安い御用です」
「助かる」

 それに、と魔法で書類の山から一通の封筒を浮かび上がらせる。赤い封蝋がされていたであろうそれは、模様の所々に金箔が押されている。
 見るからにただの手紙ではなかった。

「アルヴォネンの王太子からの手紙だ。実は今度キルシュライトへ観光しに来るらしい。新婚旅行だと書いてある」
「新婚旅行……ですか。どちらの観光地にお見えになるのでしょうか?」
「いや、観光地ではない。勿論、海の方の観光地にも行くみたいだが、キルシュライト王城に滞在したいと言ってきた」
「は……?」

 ヴァーレリーは目を見開く。イーヴォも目付きが険しくなった。

 隣国の王太子夫妻ともなると国賓扱い。王城に滞在するのは当たり前だが……、新婚旅行という名目で滞在か……。
 新婚旅行は行ったことがないので、夫婦水入らずで過ごすものなのではないのだろうか。

「何となく嫌な予感がする。だからアリサの近くに近衛騎士も配置しているが、ヴァーレリーも剣はある程度できるだろう?用心するに越したことはない。出来ればアリサの近くに居てもらいたい」
「分かりました」

 ヴァーレリーが真剣な表情で頷く。イーヴォは顔をしかめて短い髪の毛をくしゃりと握る。

「殿下の嫌な予感って当たるんだよなあ……」
「そんな事は無い」

 杞憂で済んだらいい、というだけだ。すっかり冷めてしまっている紅茶を飲みながら、改めて手紙の内容に目を通す。

 一ヵ月王城を開けている時に来た手紙。特に断る理由もなく、友好国なので国王が既に許可を出している。手紙が来た時にローデリヒが王城にいても、同じ選択になっていただろう。

 時期は今から約二週間後。

 アルヴォネンの王太子ルーカス・コスティ・アルヴォネンと王太子妃ティーナ・サネルマ・アルヴォネン。

「殿下が今まで嫌な予感がすると言ったこと、百発百中当ですよ!今回の遠征だって予想よりも少し時間が掛かったし」
「たまたまだろう?」
「いえ、それ以前にも色々と殿下の予測が当たってるので、俺の周りでは百発百中の王太子っていう異名が付けられています」
「なんだそれは」

 ローデリヒは馬鹿馬鹿しい、とあまり相手にしないことにして、冷めた紅茶の残りを飲み干そうとカップに口をつける。
 拳を握ったイーヴォが真顔になった。

「それに閨の方でも百発百中とか尊敬しますよほんと」
「ゴホッ」

 飲みかけの紅茶が変な所に入って思わずむせる。
 ヴァーレリーはゴミを見るような目でイーヴォを軽蔑していた。

「お前……」

 復活したローデリヒは地を這うような低い声と共にイーヴォを睨めつける。睨み付けられた方は、慌てた両手を振った。

「や、ほら、馬鹿にしてないです!男として尊敬してますすごく!!だってそんな芸当普通できない」
「そんな事で尊敬されたくない!!」

 王太子の執務室で、大きな雷が落ちた。
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