天の絆

トグサマリ

文字の大きさ
上 下
5 / 17
【一章】

   四

しおりを挟む


 予想以上に緩やかな落下だった。
 水の中をゆっくり降下するように、綾の身体は空を下ってゆく。
 初めてこちらに来たときのような激しい落下を予想していただけに、命がひび割れるほどの恐怖は和らぎ、全身の緊張が僅かに緩んだ。游種ゆうしゅの骨の力に、あらためてこの世界の未知を思った。
「この莫迦ばかが!」
 ほっとする間もなくリァーカムの機がすぐに真下に入ってきた。
 腕が伸び、キャビン内へと引きずり込まれる。
「ぃやだッ!」
 腰に絡みついたリァーカムの腕に覚えたのは安堵ではなく、吐き気をもよおす嫌悪。
「離してッ!!」
 渾身の力で振り上げた両手が、リァーカムの顔に当たった。
「ッ!」
 動きを無くすリァーカム。口のなかを切ったのか赤いものを吐きだした。凄まじい形相となった―――瞬間、綾の首筋がかっと熱くなり、全身に激しい痛みが襲いかかる。
 首筋に咬みついたリァーカムは猛烈な勢いで綾の血を吸い上げていた。
 視界が歪む。
 耳鳴りがして、意識が遠のいてゆく。
(だめ)
 負けてはだめだ。
 懸命に綾は抵抗をする。力を吸い取られながらもがむしゃらに暴れ、とにかく必死に手足をばたつかせた。
 その手が、リァーカムの目に入る。
 反射的に振り払ったリァーカムの腕が綾を跳ね飛ばした。
 装甲機竜そうこうきりゅうのキャビン部分は狭い。ぽきりという鈍い音をたて、綾はその縁に脇腹を強く打ちつけた。
 身体に重たさを感じると同時、強すぎた勢いにそのまま装甲機竜の外側へと転がり落ちてゆく。
「!?」
 一気に天へと上昇する装甲機竜。
(違う)
 凄まじい風と、身体に押しつけてくる空気の塊。
 装甲機竜が上昇したのではなく、綾が落ちているのだ。
 さきほどとは比較にならないほどの速さで、綾は空を落ちてゆく。


「オータ!!」
 キャビンから身を乗りだし、綾を追い手を伸ばすリァーカム。見る間に綾の姿は点となり森の背景に紛れてしまった。
 落下する綾を追いかけて装甲機竜も急降下を始めたが、ややして降下が止まる。
「何故止める!」
 声を荒げるリァーカム。綾になにかあれば彼自身の命も無くなるのだ。鬼気迫る表情で睨む国王に、しかし操縦士は険しい顔を返した。
「あの雲はなりません。あの雲にはラディッカが生息しております。いかに装甲機竜であろうとラディッカに近付くのは危険すぎます」
 ラディッカとは、中層の雲に住まう游種で、人間を好んで食べる凶暴な種である。
「ならばなおのこと助けねばならんだろう!」
 国を揺るがす事態だ。危険か安全かを問うている場合ではない。凄むリァーカムだったが、操縦士も引かなかった。
「ダーシュさまには主の御加護がございます。ラディッカからも守られましょう。それにニリーネをお召しです。主のお導きがあります、必ず陛下のもとに戻られましょう」
 ニリーネとは、綾が頼みにしていたあの黒いベストのことである。
 リァーカムは凄んだまま続ける。
「そのニリーネの骨が破損したのだ。そうでなければ、あのような勢いで落ちるはずがないだろう! オータが死にでもしたら」
「落ち着きくださいませ陛下。骨が多少破損しようとも、ニリーネ自体に游種の骨紛が織り込まれております。ダーシュさまのお命がどうこうなることはございません」
 操縦士は、リァーカムの視線を真正面から受け、それをまっすぐに返していた。
「ダーシュさまは陛下から離れることができない宿命です。必ずお戻りになります。その前に陛下がラディッカに襲われては、ダーシュさまも帰る場所を失ってしまわれます」
 その言にはっとしたリァーカムは、呼吸を整え、気持ちを落ち着かせる。
 そうだ。自分は神に選ばれ王となった。辺縁の姫君は王から逃げることはできないのだ。ここで慌てふためいてラディッカに喰われては元も子もない。
「他の機で追わせろ! オータが戻ってくるのを待っている時間などないのだ!」
「しかし……」
 それは、他の機の操縦士たちに死を宣告するようなものだ。
「オータを追うのだッ! お前ッ! なにをしている、もたもたせずに早くあいつを連れ戻せッ!」
 上空に響き渡る狂ったようなリァーカムの怒声。指を差された綾の機の操縦士は、失態に真っ青になりながらも、命令を無視するわけにはいかない。
「承知いたしました」
 ためらう動きをし、雲へと突入する装甲機竜。
「安全な場所へ下ろせ」
 ぎりぎりと唇を噛んで指示を出すリァーカムに、操縦士は短く了解をする。
「あの操縦士」
 綾の乗っていた装甲機竜を、リァーカムは顎で示す。
「ひとりで戻ってきたら、殺せ」
「―――は……」
 操縦士は、歯切れの悪い返答をしか返せなかった。


 一方綾は、どんどん増してゆく加速度に絶望的な恐怖に陥っていた。
(止まって止まって止まってお願い。神さまぽん太……!)
 リァーカムに振り払われたあのとき、ベストの骨が折れてしまった。決して折ってはならないと言われていたのは、効力が無くなるためだったのだ。
 いまさら、そんなことに気付いても遅い。
 死にたくない。こんなの絶対あってはならない。知らない世界でこんな死に方をするなんて、絶対に嫌だ。
 血を吸われたせいで、視界も意識も朦朧としている。
 落ちる先にある大森林。あの木々のどれかに刺さってしまうのか。それともその隙間に落ちてぐしゃぐしゃに潰れてしまうのか。
(いやだ……)
 こんなところで、落ちて死にたくなんかない。
 容赦なくぶつかってくる風圧に、身体は翻弄される。激しい身体の動きに、意識は追いつかない。
 やがて、雲の中へと突入する。
 上空から見たときは薄く大森林の緑を透かしていたのに、実際は白い闇で暗く、上下左右なにも見えない。そうして、どこまでも続いているかのように深い。
(助けて、お願い……。ごめんなさい……お願い、もう嫌だ……)
 白く塗り潰された闇の中、綾の耳はなにかを捉える。
(ああ……)
 獣の咆哮に聞こえてきた。
 力なくそちらへと顔を動かすと、視界にふたつの光るものが現れた。
 巨大な目。
 綾にはそう見えた。
(わたし……食べられるの?)
 次から次へと降りかかる恐怖に、もうなにもできなかった。
 なにもかも、疲れてしまった。
(死にたくない……)
 思うだけで、指先ひとつ動かすこともできない。
 巨大な金色の目が迫り来る。開かれる大きな口の気配。
(ああ―――)
 もう、だめだ。
(ごめんなさい……)
 がごんと重たい音が耳に届く。
 なにかにぶつかった。
 強いその衝撃に、綾は意識を手放した。


しおりを挟む
ツギクルバナー
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

風の唄 森の声

坂井美月
ファンタジー
開進大学の生物学の教授をしている双葉恭介には、2年間の記憶が抜け落ちていた。 32歳の若さで異例の大抜擢で教授になれたのも、日本の絶滅した筈の在来植物の発見と、繁殖に成功したからだった。 しかし、彼はその在来植物を発見する前の2年間の記憶が無い。 行方不明になっていた自分が、何処で何をしていたのか? そんなある日、在来植物を発見した山で恭介が植物を探していると、恭介を慕う学生の藤野美咲が恭介を追いかけて現れた。 そんな美咲を慕う片桐修治も現れると、神無月で伊勢神宮へ向かう為に開かれた龍神が住む世界に迷い込んでしまう。 3人の運命は?無事に元の世界へと帰れるのか?

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

処理中です...