16 / 17
第三章
2
しおりを挟む「―――え?」
(期待以上、って?)
レーナは目を瞬かせる。
ロジェ神はひとつ大きく息を吐き出した。
「褒美として教えよう。わたしはね、ひどく退屈していた。あるとき思いついたのだ。楽園を創り、彼らの生活を眺めてみようじゃないか、と」
「ロ……マン・トゥルダ……」
神の創り賜うた楽園。
「絶対最高者であるわたしの楽園で、彼らに最高の生活を保証した。飢えもない、争いもない、生命の心配もなく、老いもしない。日々の生活は保証され、毎日を遊んで暮らせるように。……ただ、そのためには多少の精神操作が必要だったが」
「精神、操作」
ロジェ神は、薄い嗤いを口元に浮かべた。
「ひととひとがいれば争いが起こるのは当然だろう。わたしはそういった負の感情が生まれないようにしてやった。感謝こそされても、恨まれる筋合いはない」
レーナは絶句する。
ロジェ神は懐かしげに彼女に語り続ける。
「だがな。時を閉じ、毎日を無益な遊びに費やし、わたしへの信仰はいつしか形ばかりとなった。毎日が前日と同じに過ぎていくだけ。思想もなにもない。―――飽きてくるだろう? 幸福に浸かりきった彼らは、わたしをちっとも楽しませてくれなくなった」
「当たり前でしょう!? あなたがそうするようにって決めたんだもの。そう刷り込まれてるんだもの!」
「だから、変化を与えた」
ロジェ神は、金の瞳でレーナをひたと見た。
「お前に、真実を見抜く眼を与えた。それからは知っていよう。ロマン・トゥルダの辿ってきた道を」
レーナははっと思い当る。半年近く前の、あの激しい頭痛。
「あなたがやったことなの!? あのときの頭痛は、あなたのせいだったの!?」
「世界がまったく違って見えたろう?」
ロジェ神はにやりと笑う。
「―――ひどい。あなたのせいでわたしは……!」
「人間の分際が神に言う言葉ではないな」
「なにが神よ、偉そうに!」
ロジェ神は、すっと眼を細めた。途端、レーナは後ろへ弾き飛ばされた。すぐそこに見えない壁があり、したたかに背を打ちつけた。
「分をわきまえろ」
レーナは、起き上がることができなかった。
「―――わたしは、三つの選択肢を用意した」
ロジェ神は何事もなかったように言葉を続ける。
「彼らは見事に、わたしの期待にこたえてくれた」
くつくつと嗤う。レーナにはそれが、残酷なサタンに見えてならなかった。目の前にいるのは神なのか、悪魔なのか。
「あのときわたしはお前に真実を見抜く眼を与えた。ロマン・トゥルダを破壊する鍵とさせるために。そして、ヨアン」
「ヨアン? ヨアンにもなにかしたの!?」
ヨアンだけは、なんの穢れも知らないでいて欲しい。夢に生きるようなことにならないで欲しいのに。
彼は、レーナの聖域だから。
「ヨアンは第二の道。お前が真実を見抜き、ロマン・トゥルダを破壊に導くのが第一の道ならば、ヨアンの言葉に耳を傾け、奴とともに以前の毎日に戻ってゆくのが第二の道。そうなれば、ロマン・トゥルダが崩壊することはない。―――わたしには、つまらぬだけだが」
だから、ヨアンは執拗にレーナに説き続けていたのか。なにも考えるな。禁忌に触れてしまう、と。諦めることなく切々と。
そこに、彼の想いはあったのだろうか。
心の奥底が、深く重たく沈んでゆく。
レーナを説得し続けていたのは、
(わたしを愛してくれていたから? それとも……)
ロジェ神に刷り込まれていたから?
恐ろしくなった。
自分の想いすら、ロジェ神に操られているのか。
ヨアンの愛情も、神の仕業だというのか。
なにを頼みとすればいいのか。
絶望的だった。
「―――第三の、道は?」
声が震えた。
「ロマン・トゥルダの民に与えられたものだ」
(皆が皆、ロジェ神に遊ばれていた、ということ?)
ロマン・トゥルダすべての人間に、ロジェ神はなんらかの使命を組みこんでいたのか。
「お前が〝現実〟をもたらし、ロマン・トゥルダが混乱に陥ったとき、彼らが元の平穏な生活に戻るには、元凶であるお前を処刑しない、ということを条件とした。お前は破壊の種。奴らがお前をどう扱うかによって、最終的にロマン・トゥルダの運命が決まる」
レーナの身体に、火あぶりにされたときの熱がよみがえる。肌を焼き、肉を溶かす炎。
思い出してはならないと、レーナは頭を振る。
「だが奴らは、集団の同意のもと、殺人を行った。もう楽園に住まう資格はない。ロマン・トゥルダは楽園ではなくなった。奴らは犯してはならない罪を犯した。わたしの楽園を崩壊させたという、ね」
「勝手だわ!」
レーナは喘ぐ。
「崩壊させたのはあなたじゃない。責任転嫁しないでよ!」
「そうさせたのは奴らだ。責められる筋合いはない」
憮然と返す神に、はらわたが煮えくりかえる。
「傲慢だわ! あなたずっと高いところで見下ろしてるだけで、自分の手を汚そうとしないじゃない! 罪悪感じるどころか楽しんでるなんて!」
「もともとそのつもりで創った楽園だ」
当たり前のようにロジェ神。
信じられない。
最初から、もてあそぶために。
「だからってひとの一生をおもちゃにしていいと思うの?」
「わたしは変化を与えただけだ。わたしが動かしたわけではない。自ら選択して動いたのは、お前たちだ。お前たちがわたしの楽園、ロマン・トゥルダを崩壊に導いたのだ」
「正当化する気? 虫唾が走る」
「神とひととは違うのだ。もとよりお前に理解してもらおうとは思っていない」
「サタンの間違いでしょ? あなたには神よりも悪魔のほうが似合ってる!」
レーナの言葉に、ロジェ神は鋭く目に力を込めた。強く睨み据えられ、またなにかされるのではとレーナは身体を硬くさせた。
しかし、弾き飛ばされたり、息を止められることもなかった。
「サタンなどもとよりいない。存在すると思いこませただけ。わたし以外、何者も存在しない」
「聖書にあったことは偽りだと?」
サタンは神の光に闇の果てに追いやられたというあの記述は。ロマン・トゥルダ唯一の書物は、偽りを記していたのか。
「あんなもの、信じているわけではなかろう?」
「!」
足元が、崩れる思いがした。神が聖書の言葉を否定するなど。
「……ほんと、……莫迦みたい」
あまりの情けなさに、笑みさえこぼれる。
「嘘にまみれた聖書を信仰の拠り所にしてたなんて」
そして唯一文字の記されたその書物にすがって、世界を知ろうとしていただなんて。
「信じている者にとっては、それも真実となる」
「あなたは―――神の名のもとに、ロマン・トゥルダをもてあそんだのね。わたしたちの故郷を! 神のくせに、あなたは真実を歪めたんだわ!」
レーナは叫んだ。眉ひとつ動かさない神に向かって。
心底憎かった。これほどまでに誰かを憎いと思ったことなどない。ただひたすらに、目の前の神と名乗る存在が憎い。
「返して! 幸せだったロマン・トゥルダを返して! 元に戻しなさいよ!」
這いずるように、レーナはロジェ神ににじり寄った。
「ヨアンを返して!」
「奴はもう戻らない」
「返して!」
「お前を失った奴は、憎しみにまみれ、残虐な男になっていくのだ」
ロジェ神は冷たく言い放つ。
「あれはもはや、お前の知るヨアンではない」
「ヨアンを返して!」
(いやだ)
信じたくない。ヨアンが憎しみに呑まれるなど、信じたくなどない。
「よくもそんな酷い目に」
「奴自身が選んだことだ。お前も見たろう? 奴の憎しみに燃える眼を。奴はロマン・トゥルダを憎み、恨みきっている。住民にお前を殺されたためにな」
「わたし死んでない。死んでなんかない! 生きてるじゃない、ここに、こうして! ヨアンを返して。元に戻して! わたしを返して!」
「ヨアンが選んだのだ。奴にはもう以前の自分に戻るつもりはない」
レーナがそうであったように。
「ヨアンのところに行かせて! そうすればヨアン元に戻れるから!」
レーナはロジェ神に頼み込んだ。だが、ロジェ神は彼女の想いをまったく受け入れる素振りを見せない。
神の力をもってすれば、ヨアンを助けることができるのに。なのに、ロジェ神はなにも動こうとしない。どころか、傲岸に笑みさえする。
「お前にはこれからやってもらわねばならないことがある。ロマン・トゥルダに戻すわけにはいかぬ」
「これ以上なにを! もういや、放っておいて!」
「レーナ。お前はこれから、人間の母となるのだ」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる