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猛者降臨
しおりを挟む寒さが一番厳しい二月も半ばを過ぎた。
ウチの課では、ちょっとした話題がひそやかに持ち上がっていた。
「ねえ加持先輩。猫だと思います? それとも夫婦喧嘩でしょうか」
課長が会議で席を外しているのを見計らって、よこちゃんがこそこそと耳打ちをしてくる。
ここ最近、課長の手が傷だらけなのだ。
猫を飼っているあたしからすれば、はは~ん、さては猫にやられたなってすぐにぴんとくるんだけど、いかんせん、ウチの島どころか課で猫と同居しているのはあたしくらいだから、傷と猫がすぐには繋がらないみたい。
生々しい傷痕について課長はなにも言わない。
きっとこういうとき普通の猫飼いだったら、
「課長、その傷、もしかして猫ですか?」
って訊いてもらいたくてうずうずしがちなんだろうけど、課長は訊かれたくなさそうだったりする。
年末の不安げな様子とかからすると、猫に無関心ってわけじゃなさそうなんだけど。同じ猫飼い同士としても、あれから相談を受けるわけでもなく自慢されるわけでもなく、課長はやっぱり仕事だけじゃなくて猫に関しても摑みどころがない不思議なひとなのだ。
「猫なんじゃない? あたしも猫キズ絶えないし」
猫だってこと知ってるけど、動物病院で遭遇したときのこととか知られたくなさそうだから、適当にぼかしておく。
「まさか。課長と猫ほど似合わないものないでしょうが」
宮田先輩が目を眇めて莫迦にして言う。
なによ、ムカつくわね。あたしは知ってんの。知ってて敢えて濁してんの。
「いや、でも、子供にせがまれて飼いだしたのかもしれませんよ」
「案外、子供に甘そうだもんな」
「ペットショップで見つけてきたとか? すんげぇ高いの買わされて、不機嫌なんだったり」
「でも子供ったって、もう中学高校くらいなんじゃね? そんなのが親に猫をねだったりするか?」
「子だくさんで、下の子がまだ小さいとかかもしれませんね。意外っすけど」
「あの課長が? 想像つかねェって」
好き放題話を飛ばしているのは、佐藤と富樫だ。
真相知ってるけど、教えてやるもんか。なんかこいつらに普通に教えるのはムカつくし。
「夫婦喧嘩ってセンも捨てられないよな」
宮田先輩は猫説は認めたくないらしい。
「家じゃ嫁さんに普通に尻に敷かれてたりするんじゃね?」
「ありえますけど……、なんかあんま想像したくない」
苦い顔をしたのは、佐藤だ。ふふふ、彩香ちゃんに尻に敷かれてるからね。他人事とは思えないのね。
「あたし、なんか機会見て訊いてみようかな」
「おおおー、猛者降臨」
宮田先輩が大袈裟にのけぞる。
よこちゃん……、うん。本人に訊くのはよしたほうがいいと思うよ。よこちゃんが来るずーっと前に富樫が課長のプライベートについてちらっと世間話程度に訊いたことがあったんだけどね、無気力で冷たい無言の眼差しが返ってきただけで、はたから見てても富樫の背筋が凍ってくのが判ったくらいだもん。
さすがのかわいいよこちゃんであっても、あの課長には見ざる聞かざる言わざるを貫いたほうがいい。
「やめとけやめとけ。世の中には知らないほうが身のためってこともある」
佐藤が訳知り顔でよこちゃんを説得する。
「え? なんなんですか? そう……なんですか?」
助けを求めるように、よこちゃんはあたしを見る。あたしも、大きく頷いて見せた。
島の全員からの「やめておけ」という生ぬるい眼差しに、よこちゃんは納得いかなさそうだったけど、好奇心を胸に収めてくれたのだった。
そっか。
そうなると、真相を知ってるのはあたしだけになるのか。
これは死守せねばならん情報かもしれないな。
って思う一方で、どういうわけか優越感に胸がほっこりと温かくなったのだった。
話題がひと段落したところで、会議から課長が戻ってきた。
危ない危ない。
みんなも顔には出さないものの、ほっとしてる。
「加持さん、四月からの担当業務のことなんだけど、応接コーナー、いい?」
手にしていた書類をとんと机で整えると、課長はそのまま持ち直してあたしを指名してきた。
ん。叱られるわけじゃなさそうだ。
四月からの業務? え、なに? 今年も新人ちゃんが入ってくるのかな?
「はい」
広げていた伝票をクリップでいったん閉じながら立ち上がるあたしに、「傷の真相、訊けそうなら訊いておいてやれ」っていう、よこちゃんの好奇心を応援しようとする富樫の視線が刺さる。
ちッ。
恋する男子めが。
訊いてやるか、てか、教えてやるか!
課長ー、こいつら際限なく好き放題妄想暴走させてましたよー。
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